米国人彼氏Dさんと雑種犬Coco(没2020)と共にひっそりと 慎ましく暮す男の
地味でありふれた たれ流し的日常生活日記
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さて 日本を離れて 米国へ戻る日がやってきました
日記では長く感じますけど実際は4泊の日本滞在でして
お葬式に参列するだけで他には何も出来ない大変忙しい滞在でした
実家を出る時 母親が駅まで送ってくれたのですが
いつになく心細く見えて前の日に言われたあとは15~20年後だから・・・と言う言葉が頭に残り
毎年日本へ会いに行ったとしても 本当に数えるくらいしか会えないんだなと思うと
なんとも切ない気分になってしまいました
見送ってくれる姿がいつもより小さくでも必要以上にに元気そうに見えるのが
かえって 胸を締め付けられるような思いになります
できれば 毎年日本へ帰りたいものだ・・・
品川駅について成田エクスプレスに乗ろうとしたところ
アナウンスが入り保土谷付近で人身事故があり
東海道線 総武線 横須賀線すべて電車の運転を見合わせているとのこと・・・
これってまずいです・・・
成田エクスプレスって総武線 横須賀線の線路を走っているような・・・?
あわてて駅員さんに尋ねたら僕の乗る電車は既にこの駅のすぐそばに来ていて
人身事故はその後起こったので 次の電車については問題ないとのこと
あぶないあぶない・・・
最近電車への飛び込み事故が多いと友人から聞いていたところへこのアナウンスでしたので
たまにしか来ない僕みたいな人間までその問題に巻き込まれるとは
この出来事がかなり頻繁に起こっていることがうかがえます
なんとか成田エクスプレスに乗り込んで地下をしばらく走ると 再び地上へもどります
そしてふと外を見てみたら 第二の東京タワー?スカイツリーの建設現場が見えました!
こんなにもう出来ているんですね
東京スカイツリーのサイトによると今の時点で231mできているそうです
完成すると634mの高さにもなるそうです
世界一の自立式タワーと言いますから 本当に高いのでしょう~
完成するとこんな感じになるんですね
2012年に開業か~意外とすぐです
最初の年はきっと激混みで入場制限とか 入場まで6時間待ちとかになるんでしょうか?!
でも是非登ってみたいものだな~
さて そんなことを考えながらぼんやりと電車に乗っていたら
モニターに成田空港での出発便の時刻表も出ていて それを見ていたら
僕の乗る便は3:55pmのはずが3:25pmになっていて30分も早くなっていました・・・
これもまずい・・・(汗)
成田空港には2時間前に着くように電車に乗ったのですが
それは成田空港で最後の買い物や食事を楽しみたかったから~
30分も出発時刻が短くなるとそれも楽しめないな~とちょっとがっかり・・・
電車が予定より早く着いてくれないかな~なんて思っていたことろへ
いきなり電車が急停車して 車掌からのアナウンスが入りました
この電車はコントロールセンターから急停車のシグナルを受けて急停車いたしました~
ただいまこの急停車の安全確認を行なっておりますので
安全確認が終了次第 出発いたします~とのことでした
早く着いてほしい時にこういうことは起こるもんですな~
まいったまいった・・・
と この時はのんびり困ったモード
その後しばらくして 電車が動き出し 車掌のアナウンスで
この先の佐倉駅とその次の間で人身事故があり
この電車は佐倉駅に到着後しばらく停止します~とのこと。。。
せっかく成田空港で最後の日本を楽しもうと思ったのに~がっかりです
30分出発の時間が早まって おまけにこのこの遅れ
成田空港ではあまり買い物も出来ないから 食事だけになりそうです
で・・・
その問題の電車 全く動きません
10分経ち 20分経ち 30分経っても うごきません
30分も電車が動かないとさすがに焦ります・・・
これはかなり困りました・・・
おまけにこの車掌のアナウンスメントはもちろん全部日本語
英語では一切なしな為 明らかに日本語をしゃべらない人たちは一体どうなっているのかと不安そう
周りをきょろきょろして なんかかわいそうなので 話しかけてみました
今この電車がどういう状況がご存知ですか?
いいえ~
どうもこの先で人身事故があり その現場の処理中につきこの電車は止まっているようです
アナウンスによると 事故の処理が終わり次第電車を走らせると言っていますが
はっきりとした発車時間はまだわからないそうなんですよ~ とお教えしたところ
いや~日本語が全くわからないし 電車は止まるし どうなっているのか不安だったので
たいへん助かりましたよ~ と喜ばれてしまい こちらも嬉しくなりました(笑)
成田エクスプレスなんて日本語圏外の人があれほど乗っているんですから
英語のアナウンスもするべきだと思うんですよね~
あれじゃあ、日本語がわからない人にはとんでもない仕打ちですよ~
で・・・
肝心の電車の方は 40分経ってもまだダメで50分後にようやく発進!
おかげで成田に着いたのは 出発予定時刻3:25pm 約30分前の2:50pm
通常飛行機は出発の60分前にはチェックインの続きが終了してしまいます
つまり・・・
飛行機の出発60分前にチェックインをしないと
飛行機に乗れないということなんです~!!
もうやばいなんてもんじゃありません!
電車が成田空港を到着したと同時に走ります 走ります
なんとかカウンターの方へ到着してみると 出発時間は3:25ではなく3:55
チェックインカウンターで あれ?出発時刻早くなったんじゃないんですか?と聞いたら
あ~あの成田エクスプレスね~
あれはわざと早めの時間をのせているんですよ~とのこと・・・(汗)
少しホッとするものの それでも出発から一時間もありません!
急いでチェックインの手続きを済ませて セキュリティーを抜けて
出国審査を抜けて ゲートまで走ります・・・
そういえば 前回の飛行機もハワイのホノルル空港でよ~く走ったもんだな~
最近 空港では走ることが多いです (涙)
走りつかれて へとへとです・・・
ゲートではもう既にお客さんが飛行機に乗り込んでいます
あ~それでもなんとか間に合った~!
成田エクスプレスのおかげでとんでもない目にあったもんだ
そして・・・・気がつけば 最後のショッピングも 日本最後の豪華な食事も全く出来ないまま
飛行機に乗り込んでいました・・・(涙)
もうどうにでもなれ~ 飛行機に間に合えばさえいいんだ!!
いったん飛行機に乗り込んでしまえば もう食事もショッピングも無理ですね~
でも!今回は葬儀に参列できただけ良しとしよう~!
文句は言いません!! (ちょっとここで愚痴りましたけど・・・笑)
飛行機に乗り込んで外を見てみると
隣にはまだノースウェストエアラインの名前の入った飛行機があります
これももうすぐなくなりデルタエアラインに代わるんですね~
思えば品川駅からもうドキドキで 電車の中に50分も缶詰にあい
最後は走りに走って 買い物も食事も出来ないどたばた出国・・・
これには 本当に疲れました~
席について ウーロン茶でホッと一息
あ~しんどかった~
席について間もなく 飛行機は出発の準備に入りました
日の光りがきれいに光りのカーテンのように流れて
先ほどのノースウェストの飛行機も飛び立っていきます
僕の乗っているこの飛行機ももともとはノースウェスト便ですけど 今はデルタになっています
滑走路ではさほど待つこともなく あっさりと離陸
さようなら日本~
さようなら おばあちゃん
もう一度生きているうちに会いたかったな・・・
母親には 父親には いまだにおんぶに抱っこしてしまっている状態だけど
それでも 後悔しないように先延ばしになどしないで できることをどんどんやって行きたいものだ
なんてことをいろいろ考えているうちに 飛行機は太平洋に入り
どんどん上昇していきます
日本はあっという間に見えなくなってしまいました
しばらくして ドリンクサービスが始まりました
僕は飲めないのになんとなく酒の気分で 日本酒を頼みました
いつもはユナイテッドなんですけど このデルタのサービス なかなかいいです!
機内通訳者の日本人のおねいさんはかわいくて サービスが行き届いているし
普通のアテンダントも しっかりお客を見て必要に応じてサーブしてくれるのです~
UALよりよっぽどいいかも!?
食事の方は日本で最後の豪華?食事を出来なかったのでせめてもの埋め合わせで
機内食は日本食を選ばせていただきました
これがね~ 思ったよりずっといいんですよ~
タコの刺身の後ろにはトロの刺身なんかも入っていて
そのほかのいろいろとしたものもなかなかのお味でして GOODでした
メインの方は 鮭の塩焼きと 秋の今野菜の煮物?
これも良かったですよ~ アメリカのなんちゃって日本食ではなく
ちゃんとした日本食って感じのお味でした
成田空港では 最後の豪華晩餐は出来なかったけど
デルタさんのおかげで なんとかそれも埋め合わせることができました~
ありがたや~ありがたや~
最後にはアイスクリームも出してもらって しっかり満足!
奥さん! デルタエアライン 結構いいですよ お勧めします(笑)
このチケットをくれた友人さん ありがとうございます 心より感謝いたしております
この後は 映画でも見てのんびりしようかな~なんて思っていたのですが
眠くなってきたので そのまま寝込んでしまいまして
気がついたら 朝食のサービスも終わっておりまして・・・・
SFO到着まであと30分!という地点まできて やっと目が覚めたという状態
いや~驚きました!
飛行機でこんなに寝込んでしまったのは初めてです
きっといろいろなどたばたで疲れていたんでしょうな~
目が覚めて 顔も洗う暇なく 飛行機はあっという間にSFOへ到着
午前8時前に到着してくれましたので これならこれから仕事へ行く前に
いったんうちによって シャワーを浴びる時間がありそうです
よかった~
そうなんですよ~
この日は 到着と同時に動かせない仕事が山積しておりましたので
そのまま仕事へ向かうことになっていたのです
機内でしっかり眠れたのはラッキーです!
ちなみに今回 ワイン 日本酒 梅酒など 4本くらい米国に持ち込んだのです
米国の免税範囲は1本でしたので 税関申告書にちゃんと正直に4本と書いたのに
何にも言われないで 課税もされないですんなり通ってしまいました・・・
さすが米国 何もかもいい加減です
でも~申告しないで見つかると 罰金をかなりとられることがありますので
多少面倒くさくても 正直に申告することをお勧めいたします
さて これにて日本訪問記 終了
次回より 普通の日記に戻ります
今ままで祖母の死に関してたくさんの優しいお言葉本当にありがとうございます
この場を借りて 心よりお礼申し上げます
おしまい★
いつもいつもありがとう!
日記では長く感じますけど実際は4泊の日本滞在でして
お葬式に参列するだけで他には何も出来ない大変忙しい滞在でした
実家を出る時 母親が駅まで送ってくれたのですが
いつになく心細く見えて前の日に言われたあとは15~20年後だから・・・と言う言葉が頭に残り
毎年日本へ会いに行ったとしても 本当に数えるくらいしか会えないんだなと思うと
なんとも切ない気分になってしまいました
見送ってくれる姿がいつもより小さくでも必要以上にに元気そうに見えるのが
かえって 胸を締め付けられるような思いになります
できれば 毎年日本へ帰りたいものだ・・・
品川駅について成田エクスプレスに乗ろうとしたところ
アナウンスが入り保土谷付近で人身事故があり
東海道線 総武線 横須賀線すべて電車の運転を見合わせているとのこと・・・
これってまずいです・・・
成田エクスプレスって総武線 横須賀線の線路を走っているような・・・?
あわてて駅員さんに尋ねたら僕の乗る電車は既にこの駅のすぐそばに来ていて
人身事故はその後起こったので 次の電車については問題ないとのこと
あぶないあぶない・・・
最近電車への飛び込み事故が多いと友人から聞いていたところへこのアナウンスでしたので
たまにしか来ない僕みたいな人間までその問題に巻き込まれるとは
この出来事がかなり頻繁に起こっていることがうかがえます
なんとか成田エクスプレスに乗り込んで地下をしばらく走ると 再び地上へもどります
そしてふと外を見てみたら 第二の東京タワー?スカイツリーの建設現場が見えました!
こんなにもう出来ているんですね
東京スカイツリーのサイトによると今の時点で231mできているそうです
完成すると634mの高さにもなるそうです
世界一の自立式タワーと言いますから 本当に高いのでしょう~
完成するとこんな感じになるんですね
2012年に開業か~意外とすぐです
最初の年はきっと激混みで入場制限とか 入場まで6時間待ちとかになるんでしょうか?!
でも是非登ってみたいものだな~
さて そんなことを考えながらぼんやりと電車に乗っていたら
モニターに成田空港での出発便の時刻表も出ていて それを見ていたら
僕の乗る便は3:55pmのはずが3:25pmになっていて30分も早くなっていました・・・
これもまずい・・・(汗)
成田空港には2時間前に着くように電車に乗ったのですが
それは成田空港で最後の買い物や食事を楽しみたかったから~
30分も出発時刻が短くなるとそれも楽しめないな~とちょっとがっかり・・・
電車が予定より早く着いてくれないかな~なんて思っていたことろへ
いきなり電車が急停車して 車掌からのアナウンスが入りました
この電車はコントロールセンターから急停車のシグナルを受けて急停車いたしました~
ただいまこの急停車の安全確認を行なっておりますので
安全確認が終了次第 出発いたします~とのことでした
早く着いてほしい時にこういうことは起こるもんですな~
まいったまいった・・・
と この時はのんびり困ったモード
その後しばらくして 電車が動き出し 車掌のアナウンスで
この先の佐倉駅とその次の間で人身事故があり
この電車は佐倉駅に到着後しばらく停止します~とのこと。。。
せっかく成田空港で最後の日本を楽しもうと思ったのに~がっかりです
30分出発の時間が早まって おまけにこのこの遅れ
成田空港ではあまり買い物も出来ないから 食事だけになりそうです
で・・・
その問題の電車 全く動きません
10分経ち 20分経ち 30分経っても うごきません
30分も電車が動かないとさすがに焦ります・・・
これはかなり困りました・・・
おまけにこの車掌のアナウンスメントはもちろん全部日本語
英語では一切なしな為 明らかに日本語をしゃべらない人たちは一体どうなっているのかと不安そう
周りをきょろきょろして なんかかわいそうなので 話しかけてみました
今この電車がどういう状況がご存知ですか?
いいえ~
どうもこの先で人身事故があり その現場の処理中につきこの電車は止まっているようです
アナウンスによると 事故の処理が終わり次第電車を走らせると言っていますが
はっきりとした発車時間はまだわからないそうなんですよ~ とお教えしたところ
いや~日本語が全くわからないし 電車は止まるし どうなっているのか不安だったので
たいへん助かりましたよ~ と喜ばれてしまい こちらも嬉しくなりました(笑)
成田エクスプレスなんて日本語圏外の人があれほど乗っているんですから
英語のアナウンスもするべきだと思うんですよね~
あれじゃあ、日本語がわからない人にはとんでもない仕打ちですよ~
で・・・
肝心の電車の方は 40分経ってもまだダメで50分後にようやく発進!
おかげで成田に着いたのは 出発予定時刻3:25pm 約30分前の2:50pm
通常飛行機は出発の60分前にはチェックインの続きが終了してしまいます
つまり・・・
飛行機の出発60分前にチェックインをしないと
飛行機に乗れないということなんです~!!
もうやばいなんてもんじゃありません!
電車が成田空港を到着したと同時に走ります 走ります
なんとかカウンターの方へ到着してみると 出発時間は3:25ではなく3:55
チェックインカウンターで あれ?出発時刻早くなったんじゃないんですか?と聞いたら
あ~あの成田エクスプレスね~
あれはわざと早めの時間をのせているんですよ~とのこと・・・(汗)
少しホッとするものの それでも出発から一時間もありません!
急いでチェックインの手続きを済ませて セキュリティーを抜けて
出国審査を抜けて ゲートまで走ります・・・
そういえば 前回の飛行機もハワイのホノルル空港でよ~く走ったもんだな~
最近 空港では走ることが多いです (涙)
走りつかれて へとへとです・・・
ゲートではもう既にお客さんが飛行機に乗り込んでいます
あ~それでもなんとか間に合った~!
成田エクスプレスのおかげでとんでもない目にあったもんだ
そして・・・・気がつけば 最後のショッピングも 日本最後の豪華な食事も全く出来ないまま
飛行機に乗り込んでいました・・・(涙)
もうどうにでもなれ~ 飛行機に間に合えばさえいいんだ!!
いったん飛行機に乗り込んでしまえば もう食事もショッピングも無理ですね~
でも!今回は葬儀に参列できただけ良しとしよう~!
文句は言いません!! (ちょっとここで愚痴りましたけど・・・笑)
飛行機に乗り込んで外を見てみると
隣にはまだノースウェストエアラインの名前の入った飛行機があります
これももうすぐなくなりデルタエアラインに代わるんですね~
思えば品川駅からもうドキドキで 電車の中に50分も缶詰にあい
最後は走りに走って 買い物も食事も出来ないどたばた出国・・・
これには 本当に疲れました~
席について ウーロン茶でホッと一息
あ~しんどかった~
席について間もなく 飛行機は出発の準備に入りました
日の光りがきれいに光りのカーテンのように流れて
先ほどのノースウェストの飛行機も飛び立っていきます
僕の乗っているこの飛行機ももともとはノースウェスト便ですけど 今はデルタになっています
滑走路ではさほど待つこともなく あっさりと離陸
さようなら日本~
さようなら おばあちゃん
もう一度生きているうちに会いたかったな・・・
母親には 父親には いまだにおんぶに抱っこしてしまっている状態だけど
それでも 後悔しないように先延ばしになどしないで できることをどんどんやって行きたいものだ
なんてことをいろいろ考えているうちに 飛行機は太平洋に入り
どんどん上昇していきます
日本はあっという間に見えなくなってしまいました
しばらくして ドリンクサービスが始まりました
僕は飲めないのになんとなく酒の気分で 日本酒を頼みました
いつもはユナイテッドなんですけど このデルタのサービス なかなかいいです!
機内通訳者の日本人のおねいさんはかわいくて サービスが行き届いているし
普通のアテンダントも しっかりお客を見て必要に応じてサーブしてくれるのです~
UALよりよっぽどいいかも!?
食事の方は日本で最後の豪華?食事を出来なかったのでせめてもの埋め合わせで
機内食は日本食を選ばせていただきました
これがね~ 思ったよりずっといいんですよ~
タコの刺身の後ろにはトロの刺身なんかも入っていて
そのほかのいろいろとしたものもなかなかのお味でして GOODでした
メインの方は 鮭の塩焼きと 秋の今野菜の煮物?
これも良かったですよ~ アメリカのなんちゃって日本食ではなく
ちゃんとした日本食って感じのお味でした
成田空港では 最後の豪華晩餐は出来なかったけど
デルタさんのおかげで なんとかそれも埋め合わせることができました~
ありがたや~ありがたや~
最後にはアイスクリームも出してもらって しっかり満足!
奥さん! デルタエアライン 結構いいですよ お勧めします(笑)
このチケットをくれた友人さん ありがとうございます 心より感謝いたしております
この後は 映画でも見てのんびりしようかな~なんて思っていたのですが
眠くなってきたので そのまま寝込んでしまいまして
気がついたら 朝食のサービスも終わっておりまして・・・・
SFO到着まであと30分!という地点まできて やっと目が覚めたという状態
いや~驚きました!
飛行機でこんなに寝込んでしまったのは初めてです
きっといろいろなどたばたで疲れていたんでしょうな~
目が覚めて 顔も洗う暇なく 飛行機はあっという間にSFOへ到着
午前8時前に到着してくれましたので これならこれから仕事へ行く前に
いったんうちによって シャワーを浴びる時間がありそうです
よかった~
そうなんですよ~
この日は 到着と同時に動かせない仕事が山積しておりましたので
そのまま仕事へ向かうことになっていたのです
機内でしっかり眠れたのはラッキーです!
ちなみに今回 ワイン 日本酒 梅酒など 4本くらい米国に持ち込んだのです
米国の免税範囲は1本でしたので 税関申告書にちゃんと正直に4本と書いたのに
何にも言われないで 課税もされないですんなり通ってしまいました・・・
さすが米国 何もかもいい加減です
でも~申告しないで見つかると 罰金をかなりとられることがありますので
多少面倒くさくても 正直に申告することをお勧めいたします
さて これにて日本訪問記 終了
次回より 普通の日記に戻ります
今ままで祖母の死に関してたくさんの優しいお言葉本当にありがとうございます
この場を借りて 心よりお礼申し上げます
おしまい★
いつもいつもありがとう!
葬儀が終わった次の日 Dさんは一足先に米国へ戻ります
うちの両親 親戚一同はわざわざDさんが
祖母のためにこうして式に参列してくれたことをひどく感謝していたみたいです
本人は 興味本位で参加したと思われていたら嫌だな~としきりに気にしていたようです(笑)
彼は飛行機混雑状況 そして仕事の関係でこの日帰らなければならず
成田便が満席の状態でしたので関空発SFO行きの便
僕はこの次の日ですので Dさんは一人で関空まで行くことに・・・
前の日に ちゃんと新幹線の到着ホーム
新大阪駅の地図を手に 関空行きの特急はるかの乗り方など
一生懸命勉強したのに かなり不安なの様子
そう~ここは・・・
モスバーガーです
日本へ行ったらここは外せないアイテムになっているようです
僕もここは大好きなので大歓迎です~♪
ここではモスチーズバーガー テリヤキチキンバーガーなど楽しませていただきました
そうこうしているうちに お別れの時間がやってきました・・・
といっても~24時間以内に僕もSFの方へ戻るのでそんな大げさなものでもないのですが・・・
Dさんにしてみれは 日本で始めての一人大移動
”初めてのお使い”みたいな・・・大冒険的な感じなのだそうです(笑)
僕は日本語がわからないからな~
乗換えを間違えて関空にたどりつけなかったらどうしよう・・・とまぁぁ~
大きな不安を抱えての大移動でした(笑)
もちろん 問題なく新大阪駅に到着し 多少迷ったものの
新大阪駅ではちゃんと特急はるかに乗ることもでき
関空を散策して UALのSFO行きに搭乗できたそうですけどね!
ただ 関空で豪華な?日本最後の食事をするつもりだったのが
セキュリーティを越えて 出国審査を越えたら 関空には食べるものなど何もなかったらしく
もう一度外に出ようかと思ったくらいだったけど 諦めたそうです・・・
さて 一方この日は僕にとって日本最終夜
家のほうでは 母親が夕飯の準備をしてくれました
日記には書いていなかったですけど 初日は寿司を食べに行きまして
葬儀の日は会席的な食事があり 両方とも魚がメインな料理でしたので
この日は 肉料理を用意してくれました!
ステーキ風に焼いていただきましたが口の中でとろける 本当に美味しい一品でした!
あ~日本の牛はやっぱり美味しい♪
夕飯が終わり 父が風呂に入り母と2人きりになった時 聞いてみたんです
自分の母親がなくなってしまい 気落ちしているように見えるし
少し沈んでいるように見え心配だったのです
母親が言うには
祖母はもう90だったし こういう状態になって覚悟はしていたから大丈夫なはずだった
他の家庭を見ても ここの祖母は痴呆が始まっても人を困らせるような痴呆でもなく
とってもやわらかく 人々がほんのり ほんわかとなるような痴呆で
周りの人も うんざりするどころか思わず微笑んでしまうようなことが多かった
まあ、多少下の世話も必要だったとはいえ それさえも家族にはさせたくないと言って
自分から率先して ケアホームの方へ入所して 家族への負担も軽減させようとして
おかげで家族としては格段に負担が少なかった
そして そういう世話の喜んでする覚悟もしていた
でももちろんしないに越したことはない おかげで本当に楽だった
いつまでも夢見るような祖母だったけど 本当に回りのものに負担をかけることなく
最後まで夢見るように 逝ってしまった
そして 苦労もなかった分 日々小さくなってしまっていく祖母を見つめることが出来
世話に明け暮れる毎日と言うこともなく その分 質のいい時間をすごし
自分の中でもしかと覚悟を決めることが出来たと思う
しかし どんなに覚悟していても それは想像の中の覚悟でしかない 痛みもそれ然り
結局 人は自分の母親を亡くすとと言う事柄は 一生のうちで一度しか経験しない
つまり どれだけ覚悟しても どれだけ想像しても
それを実際に体験するまではそれを本当の意味で体験そして理解することが出来ない
だから うちの母親はその自分が経験した母親の死と言うものが
この経験を持ってはじめてこの痛みと悲しみを伴うのか理解できたそうです
あぁぁ
母親を亡くす悲しみと痛み 喪失感はこういうものなんだと初めてわかった・・・
と なくなった後 少しずつ染み入るような感覚があったそうです
それは自分が想像していた 覚悟していたもの以上でもなく それ以下でもない
そして 想像通りかもしれないし 全く違ったものだったのかもしれないとしかいえないそうで
そして それは僕の経験している祖母の死とは全く別なもの
つまりあと15~20年後に 母がなくなった時
僕本人が経験しないとわからないものだろうと言っていました
・・・できれは自分の母親にはもっと長生きしてもらいたいものなんですけど
本人にそうあっさり言われると 何も言い返せないものです
そうか・・・あと15~20年で自分の母親もこの世から去るんだ・・・
葬儀の時のあの母の涙にはそういった意味も含まれていたのですね
そして僕はその話の続きで
あの兄が祖母の死に関して涙しているのをたいへん意外に思ったことを述べたところ
母は あれは悲しみの涙と後悔の涙なのではないのかと言っていました
兄の場合 それほど感情を出さず シャイなところもあるので 祖母が安定した頃から
つまり僕の前回の9月の訪問から一度の祖母の見舞いに行っていなかったそうです
確かに仕事も忙しかったこともあり 近くに住んでいると言うこともあり
いざとなったらいつでも会いに行けるということが念頭があり 祖母の様態も安定していたということもあり
なんとなく次へ次へと 後回しにしてしまい 気がついたらもう遅かった と言うことになってしまった
僕よりももっと近くに住んでいながら実質 祖母に会っていたのは僕の方が多いくらい
そんな状況下で 自分が許せなく 後悔しているため あの涙があったのかもしれない
母は 兄の涙をそう見ているようでした
ひとつの葬儀にも その涙の訳には人それぞれの違う意味があり
そしてそれは他の人が想像できない 物語がその中に潜んでいるのかもしれない
人が流す悲しみの涙の中には さまざまな人間模様が映っているようです
続く★
いつもいつもありがとう!
うちの両親 親戚一同はわざわざDさんが
祖母のためにこうして式に参列してくれたことをひどく感謝していたみたいです
本人は 興味本位で参加したと思われていたら嫌だな~としきりに気にしていたようです(笑)
彼は飛行機混雑状況 そして仕事の関係でこの日帰らなければならず
成田便が満席の状態でしたので関空発SFO行きの便
僕はこの次の日ですので Dさんは一人で関空まで行くことに・・・
前の日に ちゃんと新幹線の到着ホーム
新大阪駅の地図を手に 関空行きの特急はるかの乗り方など
一生懸命勉強したのに かなり不安なの様子
出発する前にDさんの好きなお店で昼ごはんを食べることにしました
なんか変なポーズとっています・・・
勘のいいい方はこのお店が何のお店かお解かりでしょう~そう~ここは・・・
モスバーガーです
日本へ行ったらここは外せないアイテムになっているようです
僕もここは大好きなので大歓迎です~♪
ここではモスチーズバーガー テリヤキチキンバーガーなど楽しませていただきました
そうこうしているうちに お別れの時間がやってきました・・・
といっても~24時間以内に僕もSFの方へ戻るのでそんな大げさなものでもないのですが・・・
Dさんにしてみれは 日本で始めての一人大移動
”初めてのお使い”みたいな・・・大冒険的な感じなのだそうです(笑)
僕は日本語がわからないからな~
乗換えを間違えて関空にたどりつけなかったらどうしよう・・・とまぁぁ~
大きな不安を抱えての大移動でした(笑)
もちろん 問題なく新大阪駅に到着し 多少迷ったものの
新大阪駅ではちゃんと特急はるかに乗ることもでき
関空を散策して UALのSFO行きに搭乗できたそうですけどね!
ただ 関空で豪華な?日本最後の食事をするつもりだったのが
セキュリーティを越えて 出国審査を越えたら 関空には食べるものなど何もなかったらしく
もう一度外に出ようかと思ったくらいだったけど 諦めたそうです・・・
さて 一方この日は僕にとって日本最終夜
家のほうでは 母親が夕飯の準備をしてくれました
日記には書いていなかったですけど 初日は寿司を食べに行きまして
葬儀の日は会席的な食事があり 両方とも魚がメインな料理でしたので
この日は 肉料理を用意してくれました!
それで~買ってきた肉がこれ・・・(汗)
ば~ん!
僕は絶対買えないようなたいへん豪華な値段のついた国産肉・・・(笑)ば~ん!
ステーキ風に焼いていただきましたが口の中でとろける 本当に美味しい一品でした!
あ~日本の牛はやっぱり美味しい♪
夕飯が終わり 父が風呂に入り母と2人きりになった時 聞いてみたんです
自分の母親がなくなってしまい 気落ちしているように見えるし
少し沈んでいるように見え心配だったのです
母親が言うには
祖母はもう90だったし こういう状態になって覚悟はしていたから大丈夫なはずだった
他の家庭を見ても ここの祖母は痴呆が始まっても人を困らせるような痴呆でもなく
とってもやわらかく 人々がほんのり ほんわかとなるような痴呆で
周りの人も うんざりするどころか思わず微笑んでしまうようなことが多かった
まあ、多少下の世話も必要だったとはいえ それさえも家族にはさせたくないと言って
自分から率先して ケアホームの方へ入所して 家族への負担も軽減させようとして
おかげで家族としては格段に負担が少なかった
そして そういう世話の喜んでする覚悟もしていた
でももちろんしないに越したことはない おかげで本当に楽だった
いつまでも夢見るような祖母だったけど 本当に回りのものに負担をかけることなく
最後まで夢見るように 逝ってしまった
そして 苦労もなかった分 日々小さくなってしまっていく祖母を見つめることが出来
世話に明け暮れる毎日と言うこともなく その分 質のいい時間をすごし
自分の中でもしかと覚悟を決めることが出来たと思う
しかし どんなに覚悟していても それは想像の中の覚悟でしかない 痛みもそれ然り
結局 人は自分の母親を亡くすとと言う事柄は 一生のうちで一度しか経験しない
つまり どれだけ覚悟しても どれだけ想像しても
それを実際に体験するまではそれを本当の意味で体験そして理解することが出来ない
だから うちの母親はその自分が経験した母親の死と言うものが
この経験を持ってはじめてこの痛みと悲しみを伴うのか理解できたそうです
あぁぁ
母親を亡くす悲しみと痛み 喪失感はこういうものなんだと初めてわかった・・・
と なくなった後 少しずつ染み入るような感覚があったそうです
それは自分が想像していた 覚悟していたもの以上でもなく それ以下でもない
そして 想像通りかもしれないし 全く違ったものだったのかもしれないとしかいえないそうで
そして それは僕の経験している祖母の死とは全く別なもの
つまりあと15~20年後に 母がなくなった時
僕本人が経験しないとわからないものだろうと言っていました
・・・できれは自分の母親にはもっと長生きしてもらいたいものなんですけど
本人にそうあっさり言われると 何も言い返せないものです
そうか・・・あと15~20年で自分の母親もこの世から去るんだ・・・
葬儀の時のあの母の涙にはそういった意味も含まれていたのですね
そして僕はその話の続きで
あの兄が祖母の死に関して涙しているのをたいへん意外に思ったことを述べたところ
母は あれは悲しみの涙と後悔の涙なのではないのかと言っていました
兄の場合 それほど感情を出さず シャイなところもあるので 祖母が安定した頃から
つまり僕の前回の9月の訪問から一度の祖母の見舞いに行っていなかったそうです
確かに仕事も忙しかったこともあり 近くに住んでいると言うこともあり
いざとなったらいつでも会いに行けるということが念頭があり 祖母の様態も安定していたということもあり
なんとなく次へ次へと 後回しにしてしまい 気がついたらもう遅かった と言うことになってしまった
僕よりももっと近くに住んでいながら実質 祖母に会っていたのは僕の方が多いくらい
そんな状況下で 自分が許せなく 後悔しているため あの涙があったのかもしれない
母は 兄の涙をそう見ているようでした
ひとつの葬儀にも その涙の訳には人それぞれの違う意味があり
そしてそれは他の人が想像できない 物語がその中に潜んでいるのかもしれない
人が流す悲しみの涙の中には さまざまな人間模様が映っているようです
続く★
いつもいつもありがとう!
さて 今回の日本訪問の本題である祖母の葬儀に行ってきました
実家より 電車に乗って山の奥のほうへ向かいました
アメリカ人と日本人の喪服姿はきっと不思議に見えたに違いありません・・・
この旅行は もともと祖母に会いに行くために決めたのに
決めた次の日に祖母は他界してしまい 日本行きをそのものを中止しようかと思ったのですが
落ち込んでいるであろう母親に会いに行くのもいいと思って そのまま決行したのです
2人が日本行きを決めて 母親に連絡したら母親が祖母にそれを知らせて
その知らせに祖母がDさんにも会えるね~と喜んでいたのにその次の日に亡くなってしまった祖母 とっても残念ですが これも受け止めるしかない そして間に合わないだろうと思われていた祖母の葬儀
これがなんともいえないタイミングでちょうど僕達が日本滞在中に執り行われる事になり
2人して葬儀に参列することが出来たというわけです
最初は車で行こうかといっていたのですが 時差ぼけで眠くなるかもしれないし
こういう葬儀ではお酒が入ったりすることが多々ありますので
のんびりと電車を使っての移動にしました
葬儀は午後一時からですので 腹ごしらえもしておいた方がいいと思い
これまた日本の文化! 駅弁を買って 電車の中で食べながら行くことになりました
ちなみに 目の卑しい僕はいろいろはいっているのお好み弁当
少しずついろいろ入っていて 楽しいお弁当でした
そしてDさんは 親子丼弁当
あまり甘い食材が好きではないDさんにとってこのお弁当とはいまいちだったようなので
途中で交換して食べることにしました~
僕にとったら十分美味しかったけどな・・・(笑)
のんびりと景色をみていると ところどころまた紅葉が楽しめました
日本へ向かうときこの時期もう紅葉は無理だろうな~もう遅いだろうなと思っていたのですが
なんのなんの!
写真ですといまいちな写りですが 実際の目で見るとそれは見事なさまざまな赤や黄色の木の葉
たいへん豪華で 思わずため息が出てしまうほどでした
カリフォルニア 特に僕達が今住んでいるところは温暖の差もそれほど激しくないため
ほとんど紅葉というものが見れない場所に住んでいるので
こういった光景を見れて 心地よい喜びに包まれました
これは祖母がくれた最後の贈り物だったのでしょうか?
葬儀のことをブログになんか書いてしまうと 何か言われてしまいそうですが
ここは僕の日記でもあり 日常の出来事も 思ったことなどの記憶を残しておきたいので
あえて 祖母の葬儀のことも書いておくことにします
この日本行きは葬儀参列が主な目的でしたが
実際祖母の葬儀に参列すると言う事実に実感がわかず
というか・・・祖母が他界したこと自体をあまり認識できない状態
今まで遠くはなれて住み 年に一度か二度日本へ帰ったときに会う関係だった為
亡くなったという報告が入っても心の中に何故か?
また日本に行けば会えるのではという感覚が拭えなかったのです
そういう心理的状態で葬儀への参列でしたから 悲しみよりも
一体ここで何をしているんだろう?と言う意識の方が初めは強かったです
キンキラ金で 葵の御紋がそこらじゅうについている本堂に入り
住職の話や 読経が聞こえても 悲しみと言うものはさほどこみ上げてきませんでした
もしかしたら 自分にとって祖母の死がそれほど悲しいものなのではないのかとさえ思ってしまうほどでした
久しぶりに会う従兄弟たちが幼い子供を連れて
今まで会ったことのない祖母の遠い親戚も駆けつけてくれています
静かな葬儀の中での子供たちの容赦ない はしゃぐ声は大変響きます
それは まるで祖母の死とそのひ孫たちの新しい生命の両極を
そう人生の縮図を見せられたような感覚さえあります
しめやかに執り行われる式の中
生まれたばかりの子供たちは大きな声を出し
死者は静かに佇んでいる この世の中はこの繰り返し
永遠はない 生と死の繰り返し
いつかは自分も幼い頃 誰かの葬儀で大きな声を出していたのかもしれないし
そして今度は 静かに眠ることにもなるのだろうな・・・ それが自然の摂理
そんなことを考える中 住職が参列者に焼香を促しました
祖母が一緒に住んでいた叔父夫婦 その子供達が次々に焼香に立ちました
そして 長女である僕の母親が焼香をして戻ってきた時
目の周りを赤くし その目から涙があふれ出ていました
あんなに気丈で もう心の準備が出来ているから大丈夫!と言って
この日 家を出る時も全くいつもと同じ感じでいた母親が泣いていました
今まで母親が泣いているところなど ほとんど見たことのない僕にとって
この現象が いきなり僕に祖母が本当に亡くなったんだという事実として理解させ
これは本当に起こったことで もう祖母には会えないんだと心と体が一致して理解した時でした
そんな状況下 涙腺がゆるくなってきたところに 僕の焼香の番がやってきました
今まで座っていたところからは 見えなかったのですが
祭壇の中央に祖母の写真があり 静かに微笑む姿がありました
僕がいつも思う 思い出す祖母の姿よりも ひとまわりも小さくなってしまった
優しく笑いかける祖母の姿を見たら もう心の流れを制御させるものがなくなってしまいました
亡くなったという報告を聞いたとき そしてそのあとも悲しいことは悲しかったものの
それを体の芯の部分から思ったような感はありませんでしたが
このとき初めて 心の奥のほうから悲しみがこみ上げてきました
しかしながらこれは 激しくこみ上げる悲しみと言うものではなく
静かな海辺に寄せる波のように すこしずづ一定の間隔を置いて寄せるような
ひっそりとしたそれでいて確実な不思議な悲しみでした
隣をふと見てみると兄が涙していました
こう言っては何ですけど・・・うちの兄は冷静沈着でほとんど感情と言うものを見せない
愛想もないけど 悪い人ではない 頭のいいでも何を考えているのかよくわからない人
その人も祖母の死に涙するとは意外であり それでいてホッとする光景でありました
彼も彼なりにいろいろと思うことがあるようです
葬儀が終わった後 場所を変えて お清めと称する
死者への最後の晩餐のような儀式がありまして たくさんの料理が用意されていました
食いしん坊の祖母にはこの最後の晩餐は嬉しいものだったことでしょう
最初に住職がお経を唱え 祭壇にある同じ食事に箸をつけ 祖母の御前に食事を供えます
その後 皆さんでまたお経を唱え 会食が始まりました
僕達はこんな食事が出るとは思ってもいなかったので
駅弁をしっかり食べてしまっており この食事にはかなり難儀しました・・・(汗)
でも美味しかったです(笑)
そんな食事の中 祖母の思い出話に花が咲く頃
叔母が ひとつの古い写真を見せてくれました
これは祖母が20歳の頃にお見合い写真として撮ったもの
つまり70年前ですから 1939年(昭和14年)に撮られたものです
祖母は いわゆる政略結婚みたいなもので
その当時 ある有力者の次男を婿養子として迎え実家を継ぎました
もちろんこんな結婚はうまくいくはずもなく 大変な苦労が待っていたそうです
さて この写真の左下の方に幽かに刻印が見られます
それはこの見合い写真を撮った写真館の刻印のようです
拡大してみるとこんな感じで
東 TOJO STUDIO
條 KOJIMACHI,TOKYO. と読むことが出来ます
70年も昔のことですし その後日本は第二次世界大戦を経て激動の時代を歩んでいきますから
この写真館がなくても当たり前だな~とおもいつつ ネットで調べてみたら・・・
なんと!驚くことに
この 東條フォトスタジオ しっかり現存しているようです!
ここの写真館のウェブサイトをのぞいてみると
”創業者東條卯作が麹町に写真館を開業したのは明治45年、1912年のこと。
それから今日まで、東條写真館は約100年近くの歴史を刻み続けています。”
とあり かなり歴史のあるフォトスタジオであることがうかがえます
長い歴史のなかでさまざまな著名人の写真撮影も多数 受けてきたようです
”・・・(中略)
また、女性を美しく撮ることにも戦前から定評をいただいており、
「東條で撮ると、幸せが訪れる」とのうれしい評価も頂戴しております。 ”
祖母の父親はきっと 20歳になったばかりの自分の娘をより美しく撮る為に
そして より幸せになってほしいとの思いも込めて
このスタジオで娘の見合い写真を撮らせたのかもしれません
その曽祖父の思いは通じたのでしょうか?
その娘が90になり たくさんの親族に見守られながら 食事もしっかり自分でとり
楽しく歌を歌いながら 大きな痛みもなく眠るようにこの世を去っていきました
もちろん途中 激しい戦争があり 貧困の時代もあり
大変な苦労があっただろうとは想像できますが
最後の最後の部分を見てみると そんなに悪い人生ではなかったのではないかと思えてきます
生きているうちに 祖母本人からこの写真を見ながら
この写真を撮った時の心情や思い出を聞いてみたかったな
彼女にとって この東條フォトスタジオのうたい文句のように
あそこで写真を撮って幸せが訪れたのか?と言うことも 本人から聞いてみたいものだった・・・
こうやって思うと まだまだいろんな話を聞きたかった
もっと頻繁に会えればよかったな もっとデートすればよかったな
でも もうそれはできないから
僕は祖母が幸せな人生だったと思うことにする
9月の訪問は 本当にしてよかった
もちろんあの時は これが最後になるとは思いもよからなかったけど
いま祖母の死をひどく後悔することなく悲しめるのは あの時毎日会いに行った
そのおかげかもしれない
人は時間が永遠にある錯覚に落ち
いつでも大事にな人に会えると思いがちであるが それは大間違い
人の命なんて簡単にこの世から去ってしまう
だから できる時に出来る精一杯のことを
態度に 言葉に出して伝えなくてはいけないのではないだろうか
さようなら おばあちゃん
たくさんの思いでありがとう
続く★
いつもいつもありがとう!
実家より 電車に乗って山の奥のほうへ向かいました
アメリカ人と日本人の喪服姿はきっと不思議に見えたに違いありません・・・
この旅行は もともと祖母に会いに行くために決めたのに
決めた次の日に祖母は他界してしまい 日本行きをそのものを中止しようかと思ったのですが
落ち込んでいるであろう母親に会いに行くのもいいと思って そのまま決行したのです
2人が日本行きを決めて 母親に連絡したら母親が祖母にそれを知らせて
その知らせに祖母がDさんにも会えるね~と喜んでいたのにその次の日に亡くなってしまった祖母 とっても残念ですが これも受け止めるしかない そして間に合わないだろうと思われていた祖母の葬儀
これがなんともいえないタイミングでちょうど僕達が日本滞在中に執り行われる事になり
2人して葬儀に参列することが出来たというわけです
最初は車で行こうかといっていたのですが 時差ぼけで眠くなるかもしれないし
こういう葬儀ではお酒が入ったりすることが多々ありますので
のんびりと電車を使っての移動にしました
葬儀は午後一時からですので 腹ごしらえもしておいた方がいいと思い
これまた日本の文化! 駅弁を買って 電車の中で食べながら行くことになりました
ちなみに 目の卑しい僕はいろいろはいっているのお好み弁当
少しずついろいろ入っていて 楽しいお弁当でした
そしてDさんは 親子丼弁当
あまり甘い食材が好きではないDさんにとってこのお弁当とはいまいちだったようなので
途中で交換して食べることにしました~
僕にとったら十分美味しかったけどな・・・(笑)
のんびりと景色をみていると ところどころまた紅葉が楽しめました
日本へ向かうときこの時期もう紅葉は無理だろうな~もう遅いだろうなと思っていたのですが
なんのなんの!
写真ですといまいちな写りですが 実際の目で見るとそれは見事なさまざまな赤や黄色の木の葉
たいへん豪華で 思わずため息が出てしまうほどでした
カリフォルニア 特に僕達が今住んでいるところは温暖の差もそれほど激しくないため
ほとんど紅葉というものが見れない場所に住んでいるので
こういった光景を見れて 心地よい喜びに包まれました
これは祖母がくれた最後の贈り物だったのでしょうか?
葬儀のことをブログになんか書いてしまうと 何か言われてしまいそうですが
ここは僕の日記でもあり 日常の出来事も 思ったことなどの記憶を残しておきたいので
あえて 祖母の葬儀のことも書いておくことにします
この日本行きは葬儀参列が主な目的でしたが
実際祖母の葬儀に参列すると言う事実に実感がわかず
というか・・・祖母が他界したこと自体をあまり認識できない状態
今まで遠くはなれて住み 年に一度か二度日本へ帰ったときに会う関係だった為
亡くなったという報告が入っても心の中に何故か?
また日本に行けば会えるのではという感覚が拭えなかったのです
そういう心理的状態で葬儀への参列でしたから 悲しみよりも
一体ここで何をしているんだろう?と言う意識の方が初めは強かったです
キンキラ金で 葵の御紋がそこらじゅうについている本堂に入り
住職の話や 読経が聞こえても 悲しみと言うものはさほどこみ上げてきませんでした
もしかしたら 自分にとって祖母の死がそれほど悲しいものなのではないのかとさえ思ってしまうほどでした
久しぶりに会う従兄弟たちが幼い子供を連れて
今まで会ったことのない祖母の遠い親戚も駆けつけてくれています
静かな葬儀の中での子供たちの容赦ない はしゃぐ声は大変響きます
それは まるで祖母の死とそのひ孫たちの新しい生命の両極を
そう人生の縮図を見せられたような感覚さえあります
しめやかに執り行われる式の中
生まれたばかりの子供たちは大きな声を出し
死者は静かに佇んでいる この世の中はこの繰り返し
永遠はない 生と死の繰り返し
いつかは自分も幼い頃 誰かの葬儀で大きな声を出していたのかもしれないし
そして今度は 静かに眠ることにもなるのだろうな・・・ それが自然の摂理
そんなことを考える中 住職が参列者に焼香を促しました
祖母が一緒に住んでいた叔父夫婦 その子供達が次々に焼香に立ちました
そして 長女である僕の母親が焼香をして戻ってきた時
目の周りを赤くし その目から涙があふれ出ていました
あんなに気丈で もう心の準備が出来ているから大丈夫!と言って
この日 家を出る時も全くいつもと同じ感じでいた母親が泣いていました
今まで母親が泣いているところなど ほとんど見たことのない僕にとって
この現象が いきなり僕に祖母が本当に亡くなったんだという事実として理解させ
これは本当に起こったことで もう祖母には会えないんだと心と体が一致して理解した時でした
そんな状況下 涙腺がゆるくなってきたところに 僕の焼香の番がやってきました
今まで座っていたところからは 見えなかったのですが
祭壇の中央に祖母の写真があり 静かに微笑む姿がありました
僕がいつも思う 思い出す祖母の姿よりも ひとまわりも小さくなってしまった
優しく笑いかける祖母の姿を見たら もう心の流れを制御させるものがなくなってしまいました
亡くなったという報告を聞いたとき そしてそのあとも悲しいことは悲しかったものの
それを体の芯の部分から思ったような感はありませんでしたが
このとき初めて 心の奥のほうから悲しみがこみ上げてきました
しかしながらこれは 激しくこみ上げる悲しみと言うものではなく
静かな海辺に寄せる波のように すこしずづ一定の間隔を置いて寄せるような
ひっそりとしたそれでいて確実な不思議な悲しみでした
隣をふと見てみると兄が涙していました
こう言っては何ですけど・・・うちの兄は冷静沈着でほとんど感情と言うものを見せない
愛想もないけど 悪い人ではない 頭のいいでも何を考えているのかよくわからない人
その人も祖母の死に涙するとは意外であり それでいてホッとする光景でありました
彼も彼なりにいろいろと思うことがあるようです
葬儀が終わった後 場所を変えて お清めと称する
死者への最後の晩餐のような儀式がありまして たくさんの料理が用意されていました
食いしん坊の祖母にはこの最後の晩餐は嬉しいものだったことでしょう
最初に住職がお経を唱え 祭壇にある同じ食事に箸をつけ 祖母の御前に食事を供えます
その後 皆さんでまたお経を唱え 会食が始まりました
僕達はこんな食事が出るとは思ってもいなかったので
駅弁をしっかり食べてしまっており この食事にはかなり難儀しました・・・(汗)
でも美味しかったです(笑)
そんな食事の中 祖母の思い出話に花が咲く頃
叔母が ひとつの古い写真を見せてくれました
これは祖母が20歳の頃にお見合い写真として撮ったもの
つまり70年前ですから 1939年(昭和14年)に撮られたものです
祖母は いわゆる政略結婚みたいなもので
その当時 ある有力者の次男を婿養子として迎え実家を継ぎました
もちろんこんな結婚はうまくいくはずもなく 大変な苦労が待っていたそうです
さて この写真の左下の方に幽かに刻印が見られます
それはこの見合い写真を撮った写真館の刻印のようです
拡大してみるとこんな感じで
東 TOJO STUDIO
條 KOJIMACHI,TOKYO. と読むことが出来ます
70年も昔のことですし その後日本は第二次世界大戦を経て激動の時代を歩んでいきますから
この写真館がなくても当たり前だな~とおもいつつ ネットで調べてみたら・・・
なんと!驚くことに
この 東條フォトスタジオ しっかり現存しているようです!
ここの写真館のウェブサイトをのぞいてみると
”創業者東條卯作が麹町に写真館を開業したのは明治45年、1912年のこと。
それから今日まで、東條写真館は約100年近くの歴史を刻み続けています。”
とあり かなり歴史のあるフォトスタジオであることがうかがえます
長い歴史のなかでさまざまな著名人の写真撮影も多数 受けてきたようです
”・・・(中略)
また、女性を美しく撮ることにも戦前から定評をいただいており、
「東條で撮ると、幸せが訪れる」とのうれしい評価も頂戴しております。 ”
祖母の父親はきっと 20歳になったばかりの自分の娘をより美しく撮る為に
そして より幸せになってほしいとの思いも込めて
このスタジオで娘の見合い写真を撮らせたのかもしれません
その曽祖父の思いは通じたのでしょうか?
その娘が90になり たくさんの親族に見守られながら 食事もしっかり自分でとり
楽しく歌を歌いながら 大きな痛みもなく眠るようにこの世を去っていきました
もちろん途中 激しい戦争があり 貧困の時代もあり
大変な苦労があっただろうとは想像できますが
最後の最後の部分を見てみると そんなに悪い人生ではなかったのではないかと思えてきます
生きているうちに 祖母本人からこの写真を見ながら
この写真を撮った時の心情や思い出を聞いてみたかったな
彼女にとって この東條フォトスタジオのうたい文句のように
あそこで写真を撮って幸せが訪れたのか?と言うことも 本人から聞いてみたいものだった・・・
こうやって思うと まだまだいろんな話を聞きたかった
もっと頻繁に会えればよかったな もっとデートすればよかったな
でも もうそれはできないから
僕は祖母が幸せな人生だったと思うことにする
9月の訪問は 本当にしてよかった
もちろんあの時は これが最後になるとは思いもよからなかったけど
いま祖母の死をひどく後悔することなく悲しめるのは あの時毎日会いに行った
そのおかげかもしれない
人は時間が永遠にある錯覚に落ち
いつでも大事にな人に会えると思いがちであるが それは大間違い
人の命なんて簡単にこの世から去ってしまう
だから できる時に出来る精一杯のことを
態度に 言葉に出して伝えなくてはいけないのではないだろうか
さようなら おばあちゃん
たくさんの思いでありがとう
続く★
いつもいつもありがとう!
東京一夜目は 昼寝もせずにぎりぎりまでしっかり起きて限界まで我慢していました
そして食事して お腹いっぱいになり朦朧となったところで どっぷり眠りましたが~
時差ぼけで太陽が昇ってくる前から目が覚めてしまった2人です
朝のコーヒーを飲んでいると 東の方からビルの合間に日が昇っているのが見えました
この時間 銀座の街はすっかりネオンも消え 夜の喧騒も嘘のように ひっそりとした街になっています
東京の朝はビルの合間から日が昇るんですね~本当に大都会だ
しばらくしたあと 朝食をとりに行こうと思いまして部屋を出てみたところ
エレベータの脇の窓からは僕たちの部屋とは反対側の日比谷公園側の景色が見えました
右側には皇居も宮殿も見え 左側のビルとビルの間には幽かながら国会議事堂も見えます
この時期になっても日比谷公園では紅葉が楽しめるようで大変きれいでした
最初は なぜか?Dさんのお気に入り で
朝食を食べようか~?なんて言っていたのですが・・・
この喫茶店。。。とっても暗い感じなのでやめて
交差点にある ドドールコーヒーにしてみました(笑)
ここなら景色もいいし コーヒーも朝食もあるし問題なしです!
朝の街は人通りも少なくて まるで東京の街ではないかのように空気もきれいでひっそりしています
お昼ごはんは友達と待ち合わせしていますので軽く済ませるにはもってこい
朝食の後そのまま街を散歩したのですが 少し朝が早すぎたようで喫茶店以外は全く店が開いていない
ほとんどの店が準備段階でしたので 買い物などは全く出来ませんでして
しょうがないので唯一開いている銀行の方へ行ってきました
現在 円高が最高潮で とてもじゃないけど$ドル$なんて使う気分ではありません
今回の旅行ではドル建てのクレジットカード ATM ドル円為替は一切使用せず
日本にある日本円のみを使っての行動となりましたので 日本の口座から円の現金が必要となりました
普段はアメリカの銀行の口座を使っていますから あまり使いませんけど
僕はCITIBANKの方に日本の銀行口座も持っているのですが アメリカにいながら急なお金が要るときなど
日本のキャッシュカードで日本の円の口座から アメリカのCITIBANKから直接$ドルが引き出せます
いざと言う時これはとっても便利なのです
が・・・
この場合日本のキャッシュ口座からアメリカのATMを使って引き出すため
ATM使用料と円ドル為替手数料 レートの悪い為替などなど結構お金がかかり
手元に残るのが がっかりするくらい減ってしまうことがあり せっかくの円高利益も被れません
そこで この手数料をどうにかならないか?と銀行の方へ行って相談してきたら
とってもいい方法を教えてくれました!
それは今持っている円建ての口座の中にもうひとつ
ドル建ての口座を作ってアメリカ専用のATMカードを作るという技!
どういうことかといいますと こんな感じ
円建ての日本の銀行口座の中にドル建ての口座を作ってしまいます
そして同時にアメリカ専用のドル口座ATMを作ります
基本的には同じ口座なんですが ドルも少し口座の中に入れておく感じです
こうすると・・・
円建ての口座からドルへの またはドルから円への為替はインターネットで手数料なしで簡単に変換でき
日本で円を引き出したいときはその¥口座から黄色の日本のATMカードで引き出し
アメリカでドルを引き出したいときは緑のアメリカ専用カードで$口座から簡単に引き出すことが出来ます
これにより今までかかっていた 外国為替手数料4%が全くかからなくなります!
例えば100万円を変えると4万円かかっていた手数料が節約できる事になります
これは大きいですよね~
為替レートも一般の銀行が使っている普通の為替レートに そして出し入れも簡単になり
日本円とドルの交換が楽なため 日本へ行く時もわざわざ銀行でドル⇔円の交換もせず
この口座を使えば 日本でも米国でも簡単にドル円操作が出来ます!
銀行まで行かずにインターネットで¥と$の操作ができる便利さも良いですね~
それに 円高やドル高が起こったとき それを利用してこの口座内で
¥⇔$の変換も出来 為替を利用して利益を作ることも簡単になります
こんな素敵な技を銀行員のうら若き乙女さんから伝授してもらいました
これ以上書くと銀行の回し者みたくなってくるのでやめておきましょう(笑) でも この円高の世の中 少しでもお金をセーブできたらいいですもんね~
こんな感じで 円ドル銀行講座(口座?)を習得したら あっという間にお昼時間になってしまいました
有楽町にも人がだんだん増えてきました
お昼は友人Mさんと待ち合わせ
時差ぼけのためあまりお腹がすいておりませんでしたので
松坂屋にある洋食スパゲッティー店へ行ってみました
僕とこの友人Mさんとは高校の時からの友人で
Dさんのことも知っている数少ない大事な友人の一人で
雑誌の編集者をしているバリバリノキャリアウーマン
以前 千疋屋やKinki Kidsのコンサートへ一緒に行ってきた方です!
詳しくは↑をクリックしてくださいね
まず最初は再会を祝して ドリンクと前菜で乾杯です!
DさんとMさんは4年ぶりの再会 久しぶりの逢瀬にいろいろな話題に花が咲くようです
Mさんは編集の仕事での専門は美肌についてですから~
話に花が咲くといっても 主題はお肌に関して・・・
Mさんがシワとりやホワイトニングに関してのさまざまな知識を話し
Dさんが真剣なまなざしで聞いていると言う状態です(笑)
なんとも微笑ましい光景と言うか・・・(汗)
お昼ごはんのメインには僕はたらこのクリームスパゲッティー
日本へ行くと必ずといっていいほどタラコのスパゲッティーを頼んでしまう僕です
自分としてはそれほど好きなわけではないと思っていたのですが~
気がつくと 何故かこれを頼んでいます ははは~
Dさんは秋茄子のトマトソース
これはあっさりしていて美味しかったようです
Mさんは シーフードパスタかなんか頼んでいたようですが 写真撮り忘れました
まあ~どれもそこそこ美味しかったです
日本はどのレストランへは行っても 大ハズレ!って事が少ないのでいいですね♪
久しぶりの3人の再会は とっても楽しく有意義になものになりました
そうそう 話題はお肌のほかに 出会い!と言うものがあがりました
Mさん 美人だし性格良いし頭もいいんだけど~ひとりもの・・・
結婚したくて一生懸命婚活しているんですけど なかなかいい出会いがないみたい
誕生日が4日しか離れていない同い年ですから彼女も40 かなり焦っています
彼女ほどのキャリアーがあると 並の男はプライドが許さないみたいで敬遠されてしまい
そうかと言って 一流のいい男はもう結婚済みで なかなかうまくいかないみたいです
焦ると変なものに捕まってしまわないか心配です・・・
華やかな出版業界に勤めている彼女ですが 相手に求めるものは収入とか企業名ではなく
心の安らぎを感じられる人といっておりますが そういうものだからこそ余計に探すのが大変みたいです
40になり 仕事もある程度やりこなしてくると ふとした時に寂しさに包まれるみたい・・・
今でも仕事が好きで それを一生懸命やってきたことは後悔しないみたいですけど
やっぱり1人より2人の方がいいし もっと心の安らぎがほしく感じるようです
とってもお勧めな人なんだけどね~
誰かいい人いないものだろうか?
誰か~ 彼女と結婚したい人 立候補してください!(笑)
続く★
いつもいつもありがとう!
そして食事して お腹いっぱいになり朦朧となったところで どっぷり眠りましたが~
時差ぼけで太陽が昇ってくる前から目が覚めてしまった2人です
朝のコーヒーを飲んでいると 東の方からビルの合間に日が昇っているのが見えました
この時間 銀座の街はすっかりネオンも消え 夜の喧騒も嘘のように ひっそりとした街になっています
東京の朝はビルの合間から日が昇るんですね~本当に大都会だ
しばらくしたあと 朝食をとりに行こうと思いまして部屋を出てみたところ
エレベータの脇の窓からは僕たちの部屋とは反対側の日比谷公園側の景色が見えました
右側には皇居も宮殿も見え 左側のビルとビルの間には幽かながら国会議事堂も見えます
この時期になっても日比谷公園では紅葉が楽しめるようで大変きれいでした
(↑この写真はクリックすると大きくなります)
最初は なぜか?Dさんのお気に入り で
朝食を食べようか~?なんて言っていたのですが・・・
この喫茶店。。。とっても暗い感じなのでやめて
交差点にある ドドールコーヒーにしてみました(笑)
ここなら景色もいいし コーヒーも朝食もあるし問題なしです!
朝の街は人通りも少なくて まるで東京の街ではないかのように空気もきれいでひっそりしています
お昼ごはんは友達と待ち合わせしていますので軽く済ませるにはもってこい
朝食の後そのまま街を散歩したのですが 少し朝が早すぎたようで喫茶店以外は全く店が開いていない
ほとんどの店が準備段階でしたので 買い物などは全く出来ませんでして
しょうがないので唯一開いている銀行の方へ行ってきました
現在 円高が最高潮で とてもじゃないけど$ドル$なんて使う気分ではありません
今回の旅行ではドル建てのクレジットカード ATM ドル円為替は一切使用せず
日本にある日本円のみを使っての行動となりましたので 日本の口座から円の現金が必要となりました
普段はアメリカの銀行の口座を使っていますから あまり使いませんけど
僕はCITIBANKの方に日本の銀行口座も持っているのですが アメリカにいながら急なお金が要るときなど
日本のキャッシュカードで日本の円の口座から アメリカのCITIBANKから直接$ドルが引き出せます
いざと言う時これはとっても便利なのです
が・・・
この場合日本のキャッシュ口座からアメリカのATMを使って引き出すため
ATM使用料と円ドル為替手数料 レートの悪い為替などなど結構お金がかかり
手元に残るのが がっかりするくらい減ってしまうことがあり せっかくの円高利益も被れません
そこで この手数料をどうにかならないか?と銀行の方へ行って相談してきたら
とってもいい方法を教えてくれました!
それは今持っている円建ての口座の中にもうひとつ
ドル建ての口座を作ってアメリカ専用のATMカードを作るという技!
どういうことかといいますと こんな感じ
円建ての日本の銀行口座の中にドル建ての口座を作ってしまいます
そして同時にアメリカ専用のドル口座ATMを作ります
基本的には同じ口座なんですが ドルも少し口座の中に入れておく感じです
こうすると・・・
円建ての口座からドルへの またはドルから円への為替はインターネットで手数料なしで簡単に変換でき
日本で円を引き出したいときはその¥口座から黄色の日本のATMカードで引き出し
アメリカでドルを引き出したいときは緑のアメリカ専用カードで$口座から簡単に引き出すことが出来ます
これにより今までかかっていた 外国為替手数料4%が全くかからなくなります!
例えば100万円を変えると4万円かかっていた手数料が節約できる事になります
これは大きいですよね~
為替レートも一般の銀行が使っている普通の為替レートに そして出し入れも簡単になり
日本円とドルの交換が楽なため 日本へ行く時もわざわざ銀行でドル⇔円の交換もせず
この口座を使えば 日本でも米国でも簡単にドル円操作が出来ます!
銀行まで行かずにインターネットで¥と$の操作ができる便利さも良いですね~
それに 円高やドル高が起こったとき それを利用してこの口座内で
¥⇔$の変換も出来 為替を利用して利益を作ることも簡単になります
こんな素敵な技を銀行員のうら若き乙女さんから伝授してもらいました
これ以上書くと銀行の回し者みたくなってくるのでやめておきましょう(笑) でも この円高の世の中 少しでもお金をセーブできたらいいですもんね~
こんな感じで 円ドル銀行講座(口座?)を習得したら あっという間にお昼時間になってしまいました
有楽町にも人がだんだん増えてきました
お昼は友人Mさんと待ち合わせ
時差ぼけのためあまりお腹がすいておりませんでしたので
松坂屋にある洋食スパゲッティー店へ行ってみました
僕とこの友人Mさんとは高校の時からの友人で
Dさんのことも知っている数少ない大事な友人の一人で
雑誌の編集者をしているバリバリノキャリアウーマン
以前 千疋屋やKinki Kidsのコンサートへ一緒に行ってきた方です!
詳しくは↑をクリックしてくださいね
まず最初は再会を祝して ドリンクと前菜で乾杯です!
DさんとMさんは4年ぶりの再会 久しぶりの逢瀬にいろいろな話題に花が咲くようです
Mさんは編集の仕事での専門は美肌についてですから~
話に花が咲くといっても 主題はお肌に関して・・・
Mさんがシワとりやホワイトニングに関してのさまざまな知識を話し
Dさんが真剣なまなざしで聞いていると言う状態です(笑)
なんとも微笑ましい光景と言うか・・・(汗)
お昼ごはんのメインには僕はたらこのクリームスパゲッティー
日本へ行くと必ずといっていいほどタラコのスパゲッティーを頼んでしまう僕です
自分としてはそれほど好きなわけではないと思っていたのですが~
気がつくと 何故かこれを頼んでいます ははは~
Dさんは秋茄子のトマトソース
これはあっさりしていて美味しかったようです
Mさんは シーフードパスタかなんか頼んでいたようですが 写真撮り忘れました
まあ~どれもそこそこ美味しかったです
日本はどのレストランへは行っても 大ハズレ!って事が少ないのでいいですね♪
久しぶりの3人の再会は とっても楽しく有意義になものになりました
そうそう 話題はお肌のほかに 出会い!と言うものがあがりました
Mさん 美人だし性格良いし頭もいいんだけど~ひとりもの・・・
結婚したくて一生懸命婚活しているんですけど なかなかいい出会いがないみたい
誕生日が4日しか離れていない同い年ですから彼女も40 かなり焦っています
彼女ほどのキャリアーがあると 並の男はプライドが許さないみたいで敬遠されてしまい
そうかと言って 一流のいい男はもう結婚済みで なかなかうまくいかないみたいです
焦ると変なものに捕まってしまわないか心配です・・・
華やかな出版業界に勤めている彼女ですが 相手に求めるものは収入とか企業名ではなく
心の安らぎを感じられる人といっておりますが そういうものだからこそ余計に探すのが大変みたいです
40になり 仕事もある程度やりこなしてくると ふとした時に寂しさに包まれるみたい・・・
今でも仕事が好きで それを一生懸命やってきたことは後悔しないみたいですけど
やっぱり1人より2人の方がいいし もっと心の安らぎがほしく感じるようです
とってもお勧めな人なんだけどね~
誰かいい人いないものだろうか?
誰か~ 彼女と結婚したい人 立候補してください!(笑)
続く★
いつもいつもありがとう!
無謀にも 別々のフライトに乗り 同じ日本を目指した2人ですが
無事 Dさんとも合流することが出来まして 東京銀座方面へ向かいました
東京でのお泊りは 厳密には銀座ではないんですが 歩いて銀座へいける距離にある由緒あるホテル もうすでにクリスマスデコレーションが施されていて大変きれいです
何でもこのホテルは120周年記念を迎えるようで 大きなイベントがあるようです
歴史のあるホテルはいいもので 男2人で1つのベットの部屋にチェックインしようが
顔色一つ変えない 微笑のままのせービスで 気持ちがいいものです
東京の高級新興ホテルも スタイリッシュできれいでそれなりに好きなのですが
老舗ホテルには それに勝る余裕と貫禄 落ち着いた感じがあっていいですね
僕たちの部屋から銀座の町が一望できて イルミネーションが宝石のよう
あ~あそこに 三越 資生堂 プラダにグッチ 面白いようにいろんなものが見えます
このビルディングの真下にはJRが通っていまして新幹線やいろんな電車が走り
新幹線大好きDさんは大喜びでした
シャワーを浴びてすっきりして 落ち着いたところで
夕飯は友人が進めてくれた銀座のレストランでの食事です
いかにも銀座のオサレな店~って感じでお客さんもかなり最先端のファッション!
12時間のフライトのあとに空港から来た疲れきった顔をした人たちは僕たち以外いませんでした・・・
まずは冷酒で乾杯です
なんかよくわからないけど すっきりしておいしい日本酒でした!
こういう創作和食レストランではどういうものを頼んでいいのかわからない2人でしたので
お勧めのコースメニューを頼んでみることにしました
こういう料理は米国にいるとなかなか食べることが出来ないので嬉しいです
Dさんはこういう料理に慣れていないので おっかなびっくり食べていたようです
刺身は シマアジ 金目鯛 生たこ
お刺身はちゃんと慣れているものですから 怖がることなくおいしそうに食べていました(笑)
実際 大変新鮮でおいしいお刺身でした
どれも一技もふた技も入っていておいしくていいのですが
長旅のあとですのでかなり体がだるく 最大限に味わえていないような気もします~
お酒も回ってきて お腹も膨れてくると 2人は睡魔との闘いとなってしまいました・・・
ちなみにこのお店大変トレンディ~で 男の子が女の子にデートでいい印象を得るために
ちょっと無理して背伸びしてがんばっている20代後半から30代前半のカップルでいっぱいでした(笑)
このあとは 秋野菜のてんぷらや
炭焼きのスペアーリブが出てきましたがどれも本当においしい!
日本の繊細な料理はいいものです
生きていてよかった! 生きるとは食べること
可能ならばおいしいものを食べていたいものです
最後の〆は 煮干ラーメンと 寿司
美味しくて 幸せなのですが・・・
続く★
いつもいつもありがとう!
無事 Dさんとも合流することが出来まして 東京銀座方面へ向かいました
東京でのお泊りは 厳密には銀座ではないんですが 歩いて銀座へいける距離にある由緒あるホテル もうすでにクリスマスデコレーションが施されていて大変きれいです
何でもこのホテルは120周年記念を迎えるようで 大きなイベントがあるようです
歴史のあるホテルはいいもので 男2人で1つのベットの部屋にチェックインしようが
顔色一つ変えない 微笑のままのせービスで 気持ちがいいものです
東京の高級新興ホテルも スタイリッシュできれいでそれなりに好きなのですが
老舗ホテルには それに勝る余裕と貫禄 落ち着いた感じがあっていいですね
僕たちの部屋から銀座の町が一望できて イルミネーションが宝石のよう
あ~あそこに 三越 資生堂 プラダにグッチ 面白いようにいろんなものが見えます
このビルディングの真下にはJRが通っていまして新幹線やいろんな電車が走り
新幹線大好きDさんは大喜びでした
シャワーを浴びてすっきりして 落ち着いたところで
夕飯は友人が進めてくれた銀座のレストランでの食事です
いかにも銀座のオサレな店~って感じでお客さんもかなり最先端のファッション!
12時間のフライトのあとに空港から来た疲れきった顔をした人たちは僕たち以外いませんでした・・・
まずは冷酒で乾杯です
なんかよくわからないけど すっきりしておいしい日本酒でした!
こういう創作和食レストランではどういうものを頼んでいいのかわからない2人でしたので
お勧めのコースメニューを頼んでみることにしました
まず最初 秋野菜の漬物と辛子味噌和え
右は チーズの味噌漬け ゴマ豆腐 ままかり 牛蒡の豆乳摺り
こういう料理は米国にいるとなかなか食べることが出来ないので嬉しいです
Dさんはこういう料理に慣れていないので おっかなびっくり食べていたようです
刺身は シマアジ 金目鯛 生たこ
お刺身はちゃんと慣れているものですから 怖がることなくおいしそうに食べていました(笑)
実際 大変新鮮でおいしいお刺身でした
どれも一技もふた技も入っていておいしくていいのですが
長旅のあとですのでかなり体がだるく 最大限に味わえていないような気もします~
お酒も回ってきて お腹も膨れてくると 2人は睡魔との闘いとなってしまいました・・・
ちなみにこのお店大変トレンディ~で 男の子が女の子にデートでいい印象を得るために
ちょっと無理して背伸びしてがんばっている20代後半から30代前半のカップルでいっぱいでした(笑)
このあとは 秋野菜のてんぷらや
炭焼きのスペアーリブが出てきましたがどれも本当においしい!
日本の繊細な料理はいいものです
食べ物がこんなにおいしいとは嬉しくなります
可能ならばおいしいものを食べていたいものです
最後の〆は 煮干ラーメンと 寿司
デザートは柚子シャーベット
美味しくて 幸せなのですが・・・
もう限界 眠いです
お休みなさいませ続く★
いつもいつもありがとう!
さて 祖母の葬儀に参列するために日本へ向かいました
いつもは ANAかUALを使うのですが・・・
実は 友人がデルタ航空のとってもいい席の航空券をプレゼントしてくれまして
ずうずうしくも使わせていただきました
ありがとうございます
この座席マッサージ機能もついていてかなり快適です
この飛行機には日系エアライン顔負けの美人のアテンダントさんもいて
思わず盗撮!
たいへん働き者の素晴らしい方でした~♪
美人ですね~♪
さて飛行機は順調に飛び立ち カクテルサービス
いつもは隣にDさんがいるのですが
今回は一人でこの飛行機に乗り込みましたのでお酒も控え目になります
まあぁ~この一杯で真っ赤になったのは言うまでもありません・・・(笑)
ちなみに 僕の席の担当のアテンダントさんは~こんな感じの
いかつい白人の男性!
いかつい外見に似合わず きめ細かなサービスが素敵でした!
食事の方は こんな感じで まずサラダ 前菜が出てきまして
エアラインの食事には珍しく スープも入っていました
なかなかいいお味です
3~4種類から選べるメニューでは 一番軽そうなポークと青梗菜の一品を
日本へ向かうのですし日本食は日本で 他の洋食はたいへん重そうだったので これにしてみました
あっさりとした味でよかったです
食後はデザートとチーズのチョイスがありまして
もちろん僕はアイスクリーム ベリー&ナッツがけを頂きました
このフライトは11時間以上 座っているだけでも体が痛くなりますので
散歩の方へも出かけてみました
こちらはエコノミークラス 革張りの席に個人モニターも付いていて
好きなときに好きな映画やゲームが出来るという なかなかの優れものです!
半分くらい行ったところで ランチを半分しか食べなかったおかげでお腹がすいてきました
美人の日本人アテンダントさんに聞いたら ラーメンが用意できると言うことなのでそれを頂きました!
大福まで持ってきてくれました
それでもまだまだ 飛行機は半分ちょっと行ったくらい
だいぶ疲れてきましたので この後眠ることに・・・
でも 疲れすぎていたせいか? 精神的に興奮状態なのか?あまり眠れませんでした
日本へ近くなってきた頃 朝ごはんがサーブされました
タマゴ料理や コールドプレートなどのチョイスもありましたが
僕はこれまた一番軽い シリアル系の朝食
これも半分くらいしか食べられなかったな・・・
長時間のフライトはたいした運動もなく座っているだけですので食欲があまりわきませんね
そんなこんなで日本が見えてきました
あ~
快適なフライトだったけど 疲れた・・・
入国管理を通って 荷物を持って~
北ウイングのゲートを出てみると・・・
見慣れた姿が お辞儀をしています(写真中央)
あれ!? Dさんだ~♪
ははは~
彼はUAのマイルがほしかったので この素晴らしいデルタの座席を断って
UALで1時間先に 日本へ到着しておりました~
続く★
いつもいつもありがとう!
いつもは ANAかUALを使うのですが・・・
今まで使ったことのないエアライン
ノースウェストと言っていましたが吸収合併されて今はデルタに
実は 友人がデルタ航空のとってもいい席の航空券をプレゼントしてくれまして
ずうずうしくも使わせていただきました
ありがとうございます
この座席マッサージ機能もついていてかなり快適です
この飛行機には日系エアライン顔負けの美人のアテンダントさんもいて
思わず盗撮!
たいへん働き者の素晴らしい方でした~♪
美人ですね~♪
さて飛行機は順調に飛び立ち カクテルサービス
いつもは隣にDさんがいるのですが
今回は一人でこの飛行機に乗り込みましたのでお酒も控え目になります
まあぁ~この一杯で真っ赤になったのは言うまでもありません・・・(笑)
ちなみに 僕の席の担当のアテンダントさんは~こんな感じの
いかつい白人の男性!
いかつい外見に似合わず きめ細かなサービスが素敵でした!
食事の方は こんな感じで まずサラダ 前菜が出てきまして
エアラインの食事には珍しく スープも入っていました
なかなかいいお味です
3~4種類から選べるメニューでは 一番軽そうなポークと青梗菜の一品を
日本へ向かうのですし日本食は日本で 他の洋食はたいへん重そうだったので これにしてみました
あっさりとした味でよかったです
食後はデザートとチーズのチョイスがありまして
もちろん僕はアイスクリーム ベリー&ナッツがけを頂きました
このフライトは11時間以上 座っているだけでも体が痛くなりますので
散歩の方へも出かけてみました
こちらはエコノミークラス 革張りの席に個人モニターも付いていて
好きなときに好きな映画やゲームが出来るという なかなかの優れものです!
半分くらい行ったところで ランチを半分しか食べなかったおかげでお腹がすいてきました
美人の日本人アテンダントさんに聞いたら ラーメンが用意できると言うことなのでそれを頂きました!
それでもまだまだ 飛行機は半分ちょっと行ったくらい
だいぶ疲れてきましたので この後眠ることに・・・
でも 疲れすぎていたせいか? 精神的に興奮状態なのか?あまり眠れませんでした
日本へ近くなってきた頃 朝ごはんがサーブされました
タマゴ料理や コールドプレートなどのチョイスもありましたが
僕はこれまた一番軽い シリアル系の朝食
これも半分くらいしか食べられなかったな・・・
長時間のフライトはたいした運動もなく座っているだけですので食欲があまりわきませんね
そんなこんなで日本が見えてきました
あ~
快適なフライトだったけど 疲れた・・・
入国管理を通って 荷物を持って~
北ウイングのゲートを出てみると・・・
見慣れた姿が お辞儀をしています(写真中央)
あれ!? Dさんだ~♪
ははは~
彼はUAのマイルがほしかったので この素晴らしいデルタの座席を断って
UALで1時間先に 日本へ到着しておりました~
続く★
いつもいつもありがとう!
このたびは たくさんの温かいメッセージをありがとうございました
既にお会いした方も またお会いしたこともない方たちからもこうやって優しい言葉を頂き
ブログを通して素晴らしい縁が出来たことをたいへん幸せに思い 心より感謝しております
メッセージが届くたびたいへん嬉しかったです
お心遣い本当にありがとうございました
時間があって 精神的にも余裕が出てきたらお返事するようにはしますが
今のところ心の整理がつかないので しばらくお待ちください
40にもなった大人が 祖母の他界でこれほど悲しみにくれるのは滑稽ですが
祖母とはたいへん近かったせいか 自分でも驚くほど悲嘆に暮れてしまいました
これがたいへん近い祖母であったから この悲しみなのか
それとも これが自分の直接の親となると これ以上の強い喪失感を感じるのか
親 兄弟 友人 そして・・・もっと近い人
そんなことを考えると この人生で必ずまた繰り返されるこの寂しさに堪えることが出来るのか不安です
親 兄弟の場合は距離に阻まれてそう簡単には会いにいけなくなるだろうし
それ以上に近い人が亡くなった場合 一体どんな痛みと喪失感を感じるのか
想像もしたくないのに 想像しようとしてしまいます
出来れば こちらが先に逝きたいものです
そういう人ほど長生きしそうですが・・・(汗)
そんなことを考えならも今回 祖母の死に直面し深い痛みを抱えながら
それと同時に そんな悲しい状況に酔っているような自分が見えるのです
家族とのやりとりで 胸がいっぱいになってしまったり
Dさんとの会話の中で 祖母の思い出話が出てきて2人でしんみりして
純粋に悲しんでいるのは本当なのですが
その中にも別の 上手くいえないけど この出来事が他人事のような
冷静と言うのではなく 楽しんでいるわけでもないのですが
どこか この状況を行事的に分析している この悲しみに沿ったものとは違う心持がありました
小学校の頃 祖父が亡くなった時そんな気持ちもなく100%純粋に悲しんでいたものですが
それ以来幸いにも近い親類の葬儀を行なう必要もなく過ごすことが出来ました
数十年過ぎて今回こうして近い親類を亡くして 心の痛みを抱えながら
もう昔のように純粋に死を悲しむ自分がいないことに気がつきました
やっぱりそれなりに年をとって 死というものがより身近になり
小学校の時の頃には悲しみしか見えなく 死と言う得体の知れない恐怖感よりも
それなりに死を冷ややかな目で見るようになり付随する様々な事柄が見えるようになったのかもしれません
そして そういう自分になってきているせいなのか
もちろん 今でも心の底より祖母の死は悲しいのですが 自分で思ったよりもそこまで打ちのめされておらず
心のどこかでこれはもう起こってしまったもの 祖母はもう逝ってしまった
自分の中でしっかり整理をつけて 前に進んでいかなくてはと思ったりもしたりして
悲しみだけで単純に片付けてしまうことが出来ない自分を見つけました
そういった心中の上に成り立つ悲しみって
一歩下がって 自分を安全なところへおいての悲しみのような気がして
なんか 憂鬱になります
さて 祖母の方ですが 最後の一日は 本当にごく普通の一日で 家族のお見舞いを楽しんで
食事もしっかりとり これといった痛みもなく 一人カラオケで楽しんでいて
そのまま ふっと息を引き取ったようです
僕の職場の老人の患者を多く抱えている医師数人と話していて 出てきたのが
もちろん残された者は悲しいけど ある意味祖母の場合それは理想の死だったのかもしれない
体に管を繋がれるわけでもなく 延命機械での命でもない 薬漬けでもない
一日を楽しんで しっかり食事をして 十分満足してふっと息を引き取る
これだけ医療の進歩したこの世界でもそんな死を迎えることができるのはほんの一握り
どんなに金持ちだろうが どんなに社会的地位名誉のある人だろうがそれは選べない
だから 悲しいだろうけど この死はある意味羨ましいくらいのいい逝き方なのではと言われ
確かになるほどな~と納得してしまいました
祖母の最後の時は見舞いの人も職員の人もちょうど目を放した隙でしたので
実際 本当に彼女が痛みを感じなかったのかと言えば疑問も残りますが
まあ~ 全体としては そんなに悪くないなって思うことが出来ます
食欲も満たされ 温かい親類に囲まれ 金銭的な苦労もなく年をとり そのまま・・・
確かに理想的な最後だったのかもしれません
そう思うと 流石 生き方も 逝き方も たいへん粋な人だ!
見習いたいものですと言いたくなります
僕もできれば 悲しみも痛みもなく 眠るように死を迎えたいものだ
さて それでは葬儀に出席してきます
おしまい★
いつもいつもありがとう!
既にお会いした方も またお会いしたこともない方たちからもこうやって優しい言葉を頂き
ブログを通して素晴らしい縁が出来たことをたいへん幸せに思い 心より感謝しております
メッセージが届くたびたいへん嬉しかったです
お心遣い本当にありがとうございました
時間があって 精神的にも余裕が出てきたらお返事するようにはしますが
今のところ心の整理がつかないので しばらくお待ちください
40にもなった大人が 祖母の他界でこれほど悲しみにくれるのは滑稽ですが
祖母とはたいへん近かったせいか 自分でも驚くほど悲嘆に暮れてしまいました
これがたいへん近い祖母であったから この悲しみなのか
それとも これが自分の直接の親となると これ以上の強い喪失感を感じるのか
親 兄弟 友人 そして・・・もっと近い人
そんなことを考えると この人生で必ずまた繰り返されるこの寂しさに堪えることが出来るのか不安です
親 兄弟の場合は距離に阻まれてそう簡単には会いにいけなくなるだろうし
それ以上に近い人が亡くなった場合 一体どんな痛みと喪失感を感じるのか
想像もしたくないのに 想像しようとしてしまいます
出来れば こちらが先に逝きたいものです
そういう人ほど長生きしそうですが・・・(汗)
そんなことを考えならも今回 祖母の死に直面し深い痛みを抱えながら
それと同時に そんな悲しい状況に酔っているような自分が見えるのです
家族とのやりとりで 胸がいっぱいになってしまったり
Dさんとの会話の中で 祖母の思い出話が出てきて2人でしんみりして
純粋に悲しんでいるのは本当なのですが
その中にも別の 上手くいえないけど この出来事が他人事のような
冷静と言うのではなく 楽しんでいるわけでもないのですが
どこか この状況を行事的に分析している この悲しみに沿ったものとは違う心持がありました
小学校の頃 祖父が亡くなった時そんな気持ちもなく100%純粋に悲しんでいたものですが
それ以来幸いにも近い親類の葬儀を行なう必要もなく過ごすことが出来ました
数十年過ぎて今回こうして近い親類を亡くして 心の痛みを抱えながら
もう昔のように純粋に死を悲しむ自分がいないことに気がつきました
やっぱりそれなりに年をとって 死というものがより身近になり
小学校の時の頃には悲しみしか見えなく 死と言う得体の知れない恐怖感よりも
それなりに死を冷ややかな目で見るようになり付随する様々な事柄が見えるようになったのかもしれません
そして そういう自分になってきているせいなのか
もちろん 今でも心の底より祖母の死は悲しいのですが 自分で思ったよりもそこまで打ちのめされておらず
心のどこかでこれはもう起こってしまったもの 祖母はもう逝ってしまった
自分の中でしっかり整理をつけて 前に進んでいかなくてはと思ったりもしたりして
悲しみだけで単純に片付けてしまうことが出来ない自分を見つけました
そういった心中の上に成り立つ悲しみって
一歩下がって 自分を安全なところへおいての悲しみのような気がして
なんか 憂鬱になります
さて 祖母の方ですが 最後の一日は 本当にごく普通の一日で 家族のお見舞いを楽しんで
食事もしっかりとり これといった痛みもなく 一人カラオケで楽しんでいて
そのまま ふっと息を引き取ったようです
僕の職場の老人の患者を多く抱えている医師数人と話していて 出てきたのが
もちろん残された者は悲しいけど ある意味祖母の場合それは理想の死だったのかもしれない
体に管を繋がれるわけでもなく 延命機械での命でもない 薬漬けでもない
一日を楽しんで しっかり食事をして 十分満足してふっと息を引き取る
これだけ医療の進歩したこの世界でもそんな死を迎えることができるのはほんの一握り
どんなに金持ちだろうが どんなに社会的地位名誉のある人だろうがそれは選べない
だから 悲しいだろうけど この死はある意味羨ましいくらいのいい逝き方なのではと言われ
確かになるほどな~と納得してしまいました
祖母の最後の時は見舞いの人も職員の人もちょうど目を放した隙でしたので
実際 本当に彼女が痛みを感じなかったのかと言えば疑問も残りますが
まあ~ 全体としては そんなに悪くないなって思うことが出来ます
食欲も満たされ 温かい親類に囲まれ 金銭的な苦労もなく年をとり そのまま・・・
確かに理想的な最後だったのかもしれません
そう思うと 流石 生き方も 逝き方も たいへん粋な人だ!
見習いたいものですと言いたくなります
僕もできれば 悲しみも痛みもなく 眠るように死を迎えたいものだ
さて それでは葬儀に出席してきます
おしまい★
いつもいつもありがとう!
兄が作った戦前戦後の歌謡曲集がお気に入りで 毎日大きな声で歌って~♪
前回僕と歌ったこの歌も歌ったのだろうか? そうだといいんだけどな~
お昼も夕飯も デザートさえもしっかり食べて
でも
ケアホームの職員さんが10分ほど他の用事で目をはなして
戻ってきた時にはもう息をしておらず
祖母は 本当に眠るように 永眠したそうです
これといった疾患もなく 痛みも全くなく ごく自然な老衰
90歳の誕生日も無事迎え 年は越すことができなかったけど
家族が毎日のように見舞いに来て たくさんの人に囲まれていたし
もう一度会うことが叶わなかったけど Dさんにもう一度会わせてあげられなかったけど
寂しい最後じゃなくってよかったね
まあ、いい大往生だったでしょう・・・
不思議にもここのところ毎日のようにおばあちゃんのことが気になっていて
昨日もDさんと話していて 今年中にもう一度Dさんを連れて日本へ帰ろ!と言っていたんです
東京千代田区麹町で生まれ育って 女学校へも行って 英語もしゃべれて
とってもモダンでおしゃれだったおばあちゃん 大好きでした
子供の頃から たくさんたくさんの想い出ありがとうございました
日本へ帰るたびに引っ張りまわしてしまったね
優しい心もありがとう いろいろ素晴らしいことも教えてくれてありがとう
日本へ行っても もうおばあちゃんをダシにしてパフェも食べに行けなくなってしまった・・・
もう少し待ってくれれば会えたかもしれないのにな・・・・
こういう時 家が遠いなって切実に感じます
そして やはり家に帰りたくなってしまった・・・
さようならおばあちゃん
9月に会いに行ってよかった
その時は僕のために あんなに元気になってくれて 心より感謝します
実は来週末に日本へおばあちゃんに会いに行く予定になっていました
Dさんも仕事の都合がついて昨日チケットを押さえたばかりだったのです
こんなに早く逝ってしまうなんて誰も思っていなかった・・・
時間って永遠にあるような気がするけど 本当は永遠じゃない
会いたい人には 無理してでも会っておいて 先延ばしにしないのがいい
この9月 最高に忙しくて 本当はそんな時間もなかったけど
Dさんが押してくれたし 母も強く勧めてくれたおかげで こうして 会いに行って
今になってみると 最後にたくさん時間も過ごすことが出来ました
お金よりも時間よりも
仕事よりももっと大事なことがわかる人が周りに居てくれて幸せです
もちろん 今は悲しすぎるほど悲しいけど
おかげで思ったより後悔を感じないでいれるのがせめてもの救いです
これ以上続けると 支離滅裂になりそうなので一時ここで気持ちをとどめておきます
2007.11
2007.08
前回僕と歌ったこの歌も歌ったのだろうか? そうだといいんだけどな~
お昼も夕飯も デザートさえもしっかり食べて
でも
ケアホームの職員さんが10分ほど他の用事で目をはなして
戻ってきた時にはもう息をしておらず
祖母は 本当に眠るように 永眠したそうです
これといった疾患もなく 痛みも全くなく ごく自然な老衰
90歳の誕生日も無事迎え 年は越すことができなかったけど
家族が毎日のように見舞いに来て たくさんの人に囲まれていたし
もう一度会うことが叶わなかったけど Dさんにもう一度会わせてあげられなかったけど
寂しい最後じゃなくってよかったね
まあ、いい大往生だったでしょう・・・
不思議にもここのところ毎日のようにおばあちゃんのことが気になっていて
昨日もDさんと話していて 今年中にもう一度Dさんを連れて日本へ帰ろ!と言っていたんです
東京千代田区麹町で生まれ育って 女学校へも行って 英語もしゃべれて
とってもモダンでおしゃれだったおばあちゃん 大好きでした
子供の頃から たくさんたくさんの想い出ありがとうございました
日本へ帰るたびに引っ張りまわしてしまったね
優しい心もありがとう いろいろ素晴らしいことも教えてくれてありがとう
もう会えないのが残念ですが しょうがない
しっかり 休んでください
日本へ行っても もうおばあちゃんをダシにしてパフェも食べに行けなくなってしまった・・・
もう少し待ってくれれば会えたかもしれないのにな・・・・
こういう時 家が遠いなって切実に感じます
そして やはり家に帰りたくなってしまった・・・
さようならおばあちゃん
9月に会いに行ってよかった
その時は僕のために あんなに元気になってくれて 心より感謝します
実は来週末に日本へおばあちゃんに会いに行く予定になっていました
Dさんも仕事の都合がついて昨日チケットを押さえたばかりだったのです
こんなに早く逝ってしまうなんて誰も思っていなかった・・・
時間って永遠にあるような気がするけど 本当は永遠じゃない
会いたい人には 無理してでも会っておいて 先延ばしにしないのがいい
この9月 最高に忙しくて 本当はそんな時間もなかったけど
Dさんが押してくれたし 母も強く勧めてくれたおかげで こうして 会いに行って
今になってみると 最後にたくさん時間も過ごすことが出来ました
お金よりも時間よりも
仕事よりももっと大事なことがわかる人が周りに居てくれて幸せです
もちろん 今は悲しすぎるほど悲しいけど
おかげで思ったより後悔を感じないでいれるのがせめてもの救いです
これ以上続けると 支離滅裂になりそうなので一時ここで気持ちをとどめておきます
2007.11
2007.08
男2人フルタイムで働いていると 家が汚れます・・・
今住んでいる家では 基本的に食事の準備片付けは僕が担当して
掃除 洗濯は分担しているのですが 週末になると洗濯で手一杯
バストイレは自分専用のものがありますから自己責任ですが
正直言ってうちのバストイレ・・・
やっぱり週末はゆっくりしたいし 洗濯は必要だし
そんな状況下 何とか生きていけるということで掃除がおろそかになります
眼の届くところはいいけど 届かない場所はどんどんと埃がたまる一方で
埃だけならいいけど 見るもおぞましい様相を呈してきたので
このままではいけないと思い 家政婦さん雇ってみました
でもね・・・
こんな人が来たら うちの悪事や裏の裏の情報まで暴かれてしまいそうなので日本人は避けて
ラティーナのおばさんたちにメイドサービスとして来てもらいました
僕達は男2人の暮らしですので やっぱりそういう部分に関しても問題のない
心の広いビジネスを視点にしている人の方を雇った方が心地よいですので
同性愛者向けのビジネス紹介誌 Pink Spots で探してみて そこに広告があったのが今回雇った人たちなんです
こういう人たちなら 家に2人の写真が飾ってあってもな~んてことないし
こちらも この人たちはちゃんと理解があるんだと思うと安心しますもんね!
そんな感じのお掃除おばさんたち これがね~いいんですよ~
今まで 見える部分しかしていなかった掃除でしたが
彼女達が来たら も~う キレイ
キッチンとバストイレを重点的にやってもらったのですが
いいものですね~自分たちがやったのではなくきれいになった部屋
そこらじゅうピカピカ Dさんと共に 自然と顔がほころんできます
もちろんお金を払わなくてはいけないけど
精神衛生上 その代償に見合う分いい気持ちにさせてもらったし
やっぱりきれいな家に住むっていいものです って・・・あたりまえ?!
帰ってきたら ベットが綺麗にセットされていて トイレもお風呂もキッチンも
磨きたてのようにキレイ~ あ~毎日でも来てもらいたいものだ (それは無理)
ラティーナねいさんたちは一生懸命働いてくれます
心の安らぎときれいな家の御提供 心より感謝します
これからちょくちょく来てくださいね でも余計なものには目をつぶっていてください・・・
ラティーナ続きで(ちょっと強引な持っていきかた?)
この週末にメキシカンフードを食べてきました La Hacienda
3815 Redwood Hwy
San Rafael, CA 94901
(415) 479-7800
ここはDさんのお気に入りのお店です
アメリカ人も出身地にも寄るところが多いですが 基本的にアメリカ人って
アメリカ風メキシカンフードが好きな人って多いような気がします
日本人が日本人用にアレンジした中華料理を好きなような感覚なんだろうか・・・?
僕はメキシカンフード 決して嫌いではありませんが
この僕の知る一般的なアメリカ人たちのように頻繁には体が欲しません
そんな僕が今回頼んだものは~ 手前が僕のあっさりチキンスープと サルサ乗せのナチョスです
このチキンスープはシンプルな塩味でライムをたくさん搾っていただきます
メキシカンフードでは僕はこれが一番好きだな~
Dさんは写真奥のシーフードなんとか・・・(名前忘れた~)
チーズがかかってクリームがかかって たいへんヘヴィーなもの
ダイエットダイエットって騒いでいる割には いつもたいへん重たいなもの頼んでいますな~
前回もベトナム料理で脂身たっぷりのポークチョップだったよね・・・?
豚肉が魚介類になっただけでも進歩なのかもしれない~かな?(笑)
これじゃあダイエットがうまくいかないわけです
川 ̄ι ̄川フフフ
おしまい★
↓
掃除洗濯炊事もして 稼ぎのいい かわいい旦那がほしいものだ~
< on >
いつもいつもありがとう!
今住んでいる家では 基本的に食事の準備片付けは僕が担当して
掃除 洗濯は分担しているのですが 週末になると洗濯で手一杯
バストイレは自分専用のものがありますから自己責任ですが
正直言ってうちのバストイレ・・・
汚いです! /(´ヘ`;)\コマッタナァー
やっぱり週末はゆっくりしたいし 洗濯は必要だし
そんな状況下 何とか生きていけるということで掃除がおろそかになります
眼の届くところはいいけど 届かない場所はどんどんと埃がたまる一方で
埃だけならいいけど 見るもおぞましい様相を呈してきたので
このままではいけないと思い 家政婦さん雇ってみました
||| \( ̄▽ ̄;)/ |||ワーイ?
でもね・・・
こんな人が来たら うちの悪事や裏の裏の情報まで暴かれてしまいそうなので日本人は避けて
ラティーナのおばさんたちにメイドサービスとして来てもらいました
僕達は男2人の暮らしですので やっぱりそういう部分に関しても問題のない
心の広いビジネスを視点にしている人の方を雇った方が心地よいですので
同性愛者向けのビジネス紹介誌 Pink Spots で探してみて そこに広告があったのが今回雇った人たちなんです
こういう人たちなら 家に2人の写真が飾ってあってもな~んてことないし
こちらも この人たちはちゃんと理解があるんだと思うと安心しますもんね!
そんな感じのお掃除おばさんたち これがね~いいんですよ~
今まで 見える部分しかしていなかった掃除でしたが
彼女達が来たら も~う キレイ
キッチンとバストイレを重点的にやってもらったのですが
いいものですね~自分たちがやったのではなくきれいになった部屋
そこらじゅうピカピカ Dさんと共に 自然と顔がほころんできます
もちろんお金を払わなくてはいけないけど
精神衛生上 その代償に見合う分いい気持ちにさせてもらったし
やっぱりきれいな家に住むっていいものです って・・・あたりまえ?!
帰ってきたら ベットが綺麗にセットされていて トイレもお風呂もキッチンも
磨きたてのようにキレイ~ あ~毎日でも来てもらいたいものだ (それは無理)
ラティーナねいさんたちは一生懸命働いてくれます
心の安らぎときれいな家の御提供 心より感謝します
これからちょくちょく来てくださいね でも余計なものには目をつぶっていてください・・・
ラティーナ続きで(ちょっと強引な持っていきかた?)
この週末にメキシカンフードを食べてきました La Hacienda
3815 Redwood Hwy
San Rafael, CA 94901
(415) 479-7800
ここはDさんのお気に入りのお店です
アメリカ人も出身地にも寄るところが多いですが 基本的にアメリカ人って
アメリカ風メキシカンフードが好きな人って多いような気がします
日本人が日本人用にアレンジした中華料理を好きなような感覚なんだろうか・・・?
僕はメキシカンフード 決して嫌いではありませんが
この僕の知る一般的なアメリカ人たちのように頻繁には体が欲しません
そんな僕が今回頼んだものは~ 手前が僕のあっさりチキンスープと サルサ乗せのナチョスです
このチキンスープはシンプルな塩味でライムをたくさん搾っていただきます
メキシカンフードでは僕はこれが一番好きだな~
Dさんは写真奥のシーフードなんとか・・・(名前忘れた~)
チーズがかかってクリームがかかって たいへんヘヴィーなもの
ダイエットダイエットって騒いでいる割には いつもたいへん重たいなもの頼んでいますな~
前回もベトナム料理で脂身たっぷりのポークチョップだったよね・・・?
豚肉が魚介類になっただけでも進歩なのかもしれない~かな?(笑)
これじゃあダイエットがうまくいかないわけです
川 ̄ι ̄川フフフ
おしまい★
↓
掃除洗濯炊事もして 稼ぎのいい かわいい旦那がほしいものだ~
< on >
いつもいつもありがとう!
夏の終わり母親から連絡があり 祖母の様態が思わしくないので帰ってくるようにといわれ
前回 祖母のお見舞いに日本へ行ってきました 決して100%元気とはいえないものの
思ったより体の方も頭の方も何とか持ちこたえてるようでホッとしたのも記憶に新しい
その後 ほぼ週一回の母親とのやり取りでは健康状態も安定して
精神的にもしっかりしているようだと連絡があり安心しています
最初は年内はもうだめだと思われていたのも 良い意味で裏切られる形になりそうです
兄が戦前戦後に流行った歌謡曲などを入れた音楽集を作ってあげたところ
たいへん気に入ってくれて毎日のように大きな声を出して歌っているようです
歌うって肉体的にも精神的にもいいことですよね!
なかなかいいプレゼント!兄を褒めてあげましょう~♪ ははは
そして食いしん坊のうちの祖母は 毎日の食事を楽しみにしているらしく
ケアホームの食事時間の前に食堂へ行き メニューを声に出して読んで
これはおいしそうね~やこれは初めてね~と感想を述べて
目もしっかりしていて 漢字のメニューもしっかり読むことが出来るそうで
それをネタにケアホームにいる他の入所者の方たちと一緒に話もするそうです
なかなかアクティブでよろしい!
うちの母は毎週のように祖母を見舞いに行って
そんな祖母の様子をメールや電話で報告してくれていました
おおむね順調のようでいつもホッとしています
そんなある時 ごく普通のいつもの報告が いつものように来ました
こんな歌を歌っていました とか こんな話しました とメールに書いてあったのですが
最後のところで 行くたびに静かになるようで…寂しい…よ と本音がちらりと書いてありました
うちの母親はたいへん気丈で あっけらかんとしていている人
今までの人生で人には言えないたいへんな苦労があっても笑ってやり過ごしたといいます
まあ~愚痴は言うけど 基本的には前向きで たいへんポジティブな人
たいへん気風もよく 来るもの拒まず 去るもの追わずといった感じのイキのいい女性
おばあちゃんが入院した時も
あの人は若い頃からお嬢様で好き勝手し放題だったし
自分の好きなことやった人生でもう90だし これはこれでいいのよ~
痛みもひどく感じないうちにいければ本当にいい人生といえるんじゃない?
なんて 自分の母親にしてはかなりドライな感想を述べていて
へ~そんなもんか~なんて思ったりもしましたけど
その後も ちゃんと見舞いに行くし 看護も心をこめてやっていたけど
なんて言うのかな~? 感情移入もそれほどしないで冷静だったんですよね
自分の母親が90にもなればこれくらいの覚悟はできています!っていう感じ
だからそれはそれであっぱれだし 変にウェットな感情を出されるよりは
周りの人も こういうドライな対処の方が楽だし まあそんなもんか~と思っていました
いつものメールでも
おばちゃんは元気です~! サンフランシスコからのチョコレートたくさん食べてます~など
どれだけおばあちゃんが元気になっているかを強調するメールが多かった
だから僕も安心していたんです でも・・・
本当は僕を安心させるために 余計な心配をさせないために あえて自分の感情を押し殺して
こんなあっけらかんとしたメール 態度をとっていたのかなっとも思ったんです
考えてみれば自分の母親 どれだけ年をとっても やっぱり母親は母親
その自分を生んでくれた母親が 会いに行く度に小さくなり ぼけていくのは見ていて辛いことでしょう
そんなこと当たり前すぎて わかりきったことなのに
それなのに周りのことを気にして そんな感情も出さずに元気に振舞っている
今回 母のメールの最後の短いフレーズに 隠していた母の心情を垣間見たようで
今までそんな気持ちに気がつけなかった情けない自分に腑甲斐なさを感じます
人間 あっけらかんとしても その気持ちは本当の姿ではなく
もしかしたら それとは正反対の表には出せないものが沢山あるのかもしれない
逆に あっけらかんと ドライな態度をとっている人ほど 実は
心の中にいろいろな葛藤と抑圧を抱えているのかもしれない
もっと思慮深いつもりでいた自分だったのに
40になってもまだまだ人の心の奥が見えない
うわべのものしか見えていない自分にがっかりもしました
今度 日本へ行っておばあちゃんを見舞うことが出来たら
母親の方ともちゃんと時間をとって 母の話もしっかり聞いてあげたいものです
というか・・・
あげたいものですという大外れた態度ではなく
気持ちを共有する時間を持つ とか 話を聞かせてもらうという
一緒におばあちゃんをネタにいろんな話ができたらいいんだろうなって・・・
今まで母親が話した事もないおばあちゃんのエピソードを聞かせてもらおう~
そんなことを考えて郷愁に抱かれた寒い夜の夕飯は 心温まる おでん! やっぱりいいな~寒い日にDさんと一緒に鍋をつつくこういう食事
な~んとなく 体の奥の方まで満腹になった気がします
一緒に誰かと食べるのって 心も体も満たされます
おばあちゃんもそして 母親もそんな食事をしているのだろうか・・・
そしてこれを読んでいるあなたは・・・?
おしまい★
↓
人恋し 神楽月
< on >
いつもいつもありがとう!
前回 祖母のお見舞いに日本へ行ってきました 決して100%元気とはいえないものの
思ったより体の方も頭の方も何とか持ちこたえてるようでホッとしたのも記憶に新しい
その後 ほぼ週一回の母親とのやり取りでは健康状態も安定して
精神的にもしっかりしているようだと連絡があり安心しています
最初は年内はもうだめだと思われていたのも 良い意味で裏切られる形になりそうです
兄が戦前戦後に流行った歌謡曲などを入れた音楽集を作ってあげたところ
たいへん気に入ってくれて毎日のように大きな声を出して歌っているようです
歌うって肉体的にも精神的にもいいことですよね!
なかなかいいプレゼント!兄を褒めてあげましょう~♪ ははは
そして食いしん坊のうちの祖母は 毎日の食事を楽しみにしているらしく
ケアホームの食事時間の前に食堂へ行き メニューを声に出して読んで
これはおいしそうね~やこれは初めてね~と感想を述べて
目もしっかりしていて 漢字のメニューもしっかり読むことが出来るそうで
それをネタにケアホームにいる他の入所者の方たちと一緒に話もするそうです
なかなかアクティブでよろしい!
うちの母は毎週のように祖母を見舞いに行って
そんな祖母の様子をメールや電話で報告してくれていました
おおむね順調のようでいつもホッとしています
そんなある時 ごく普通のいつもの報告が いつものように来ました
こんな歌を歌っていました とか こんな話しました とメールに書いてあったのですが
最後のところで 行くたびに静かになるようで…寂しい…よ と本音がちらりと書いてありました
うちの母親はたいへん気丈で あっけらかんとしていている人
今までの人生で人には言えないたいへんな苦労があっても笑ってやり過ごしたといいます
まあ~愚痴は言うけど 基本的には前向きで たいへんポジティブな人
たいへん気風もよく 来るもの拒まず 去るもの追わずといった感じのイキのいい女性
おばあちゃんが入院した時も
あの人は若い頃からお嬢様で好き勝手し放題だったし
自分の好きなことやった人生でもう90だし これはこれでいいのよ~
痛みもひどく感じないうちにいければ本当にいい人生といえるんじゃない?
なんて 自分の母親にしてはかなりドライな感想を述べていて
へ~そんなもんか~なんて思ったりもしましたけど
その後も ちゃんと見舞いに行くし 看護も心をこめてやっていたけど
なんて言うのかな~? 感情移入もそれほどしないで冷静だったんですよね
自分の母親が90にもなればこれくらいの覚悟はできています!っていう感じ
だからそれはそれであっぱれだし 変にウェットな感情を出されるよりは
周りの人も こういうドライな対処の方が楽だし まあそんなもんか~と思っていました
いつものメールでも
おばちゃんは元気です~! サンフランシスコからのチョコレートたくさん食べてます~など
どれだけおばあちゃんが元気になっているかを強調するメールが多かった
だから僕も安心していたんです でも・・・
本当は僕を安心させるために 余計な心配をさせないために あえて自分の感情を押し殺して
こんなあっけらかんとしたメール 態度をとっていたのかなっとも思ったんです
考えてみれば自分の母親 どれだけ年をとっても やっぱり母親は母親
その自分を生んでくれた母親が 会いに行く度に小さくなり ぼけていくのは見ていて辛いことでしょう
そんなこと当たり前すぎて わかりきったことなのに
それなのに周りのことを気にして そんな感情も出さずに元気に振舞っている
今回 母のメールの最後の短いフレーズに 隠していた母の心情を垣間見たようで
今までそんな気持ちに気がつけなかった情けない自分に腑甲斐なさを感じます
人間 あっけらかんとしても その気持ちは本当の姿ではなく
もしかしたら それとは正反対の表には出せないものが沢山あるのかもしれない
逆に あっけらかんと ドライな態度をとっている人ほど 実は
心の中にいろいろな葛藤と抑圧を抱えているのかもしれない
もっと思慮深いつもりでいた自分だったのに
40になってもまだまだ人の心の奥が見えない
うわべのものしか見えていない自分にがっかりもしました
今度 日本へ行っておばあちゃんを見舞うことが出来たら
母親の方ともちゃんと時間をとって 母の話もしっかり聞いてあげたいものです
というか・・・
あげたいものですという大外れた態度ではなく
気持ちを共有する時間を持つ とか 話を聞かせてもらうという
一緒におばあちゃんをネタにいろんな話ができたらいいんだろうなって・・・
今まで母親が話した事もないおばあちゃんのエピソードを聞かせてもらおう~
そんなことを考えて郷愁に抱かれた寒い夜の夕飯は 心温まる おでん! やっぱりいいな~寒い日にDさんと一緒に鍋をつつくこういう食事
な~んとなく 体の奥の方まで満腹になった気がします
一緒に誰かと食べるのって 心も体も満たされます
おばあちゃんもそして 母親もそんな食事をしているのだろうか・・・
そしてこれを読んでいるあなたは・・・?
おしまい★
↓
人恋し 神楽月
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いつもいつもありがとう!
↓何人ここにいるのかな?
人です。。。
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