彼氏Dさん&台湾出身の元保護犬Coco(2020年没)と共にひっそりと
慎ましく暮す男の地味でありふれた 日常生活日記
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いつも我が家の庭にやってくるリスたちですが、この日はどこからかオレンジを見つけたらしくそれをもってやってきていました。リスは木の実だけを食べるのかと思っていましたが、オレンジのような柑橘系の果物も食べるのですね。桃やリンゴという果物ならば簡単に想像できるのですが、酸っぱいこのようなフルーツは予想もしていませんでした。
なぜかといいますと、Cocoはリンゴも桃も好きでありましたが、柑橘系が大嫌いでして近くに持ってくるだけで顔をしかめて逃げていくのです。そういう経験もあったせいで、人間以外の動物が柑橘系を喜んで食べることがないという考えが自分の中に生まれていたようですね。両手で上手にオレンジをつかんで美味しそうに食べている姿をDさんとのほほ~んとした気分で見させてもらいました。
さすがに完食できなかったようで、暫くした後半分くらい残して姿を消していましたが、次の日またやってきてきれいに残りの中身を食べたようでした(笑)。疑問ですが、さすがのリスたちも同じ柑橘系であっても、レモンはかじらないですよね?どうなんでしょう・・・
この日の夕飯は鮭をムニエル風に焼き上げて、自家製のタルタルソースを添えました。付け合わせはアスパラガスとスナップエンドウに赤ピーマンの塩コショウ炒め。鮭の下に見える白いご飯のように見えるものは、みじん切りになったカリフラワー炒めです。最近このカリフラワーライスなるものを冷凍食品エリアでよく見かけるようになりまして、Stay in Homeで食料の買い出しの時に初めて試しに買ってみたのです。
ご飯のように使えますが、炭水化物ではなく完全に野菜なのです。しかしながら味の方も食感もシンプルなためか、何にでも合いとっても美味しいのです。それに僕よりもDさんがこのカリフラワーライスにハマってしまったようで大喜びでした。これならカロリーも低いのでたくさん食べても心配ないですね。変に味付けをしてない分、いい箸休め的な機能を担ってくれているようです。
今までこのカリフラワーライスは、あくまでもご飯の代替品として低炭水化物ダイエットのためにしょうがなく使うものであり、あまり美味しくないものだろうなと思っていましたが、その先入観が吹き飛ばされた感じでした。これは冷凍庫にレギュラー選手として待機してもらってもいいというポジションになります。ちなみに、Made in Italyなのだそうですよ。
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この日の夕飯は鮭をムニエル風に焼き上げて、自家製のタルタルソースを添えました。付け合わせはアスパラガスとスナップエンドウに赤ピーマンの塩コショウ炒め。鮭の下に見える白いご飯のように見えるものは、みじん切りになったカリフラワー炒めです。最近このカリフラワーライスなるものを冷凍食品エリアでよく見かけるようになりまして、Stay in Homeで食料の買い出しの時に初めて試しに買ってみたのです。
今までこのカリフラワーライスは、あくまでもご飯の代替品として低炭水化物ダイエットのためにしょうがなく使うものであり、あまり美味しくないものだろうなと思っていましたが、その先入観が吹き飛ばされた感じでした。これは冷凍庫にレギュラー選手として待機してもらってもいいというポジションになります。ちなみに、Made in Italyなのだそうですよ。
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南カリフォルニアの方で熱波がきて、そこでビーチが再解放されたので凄い数の人たちがどっと押し寄せて、イモ洗い状態に近い感じになったそうですね。それを見た州知事が激怒したとのことです。ビーチに出かけるのを肯定するつもりはないのですが、この閉塞感の重い時に熱い太陽が照りだして、ビーチが解放となればそこに行きたくなるのは理解できなくはないです。
南カリフォルニアと違って、北カリフォルニアのサンフランシスコベイエリアは夏になってもそれほど暑くなることはなく、むしろ霧が出て寒くなってしまうことの方が多いのですが、ここ数日はその霧と内陸部の熱が駆け引きをしているように、日中は内陸部からの乾いた暑い空気が入り込んだり、朝晩は海からの霧を含む寒い空気が交互にやってきています。
この日もDさんと一緒に近所の散歩道をみっちり歩いてから、自宅勤務に励みました。
レストラン業界をサポートするといっても毎日のようにお持ち帰り食を買うわけにもいきませんので、我が家でも自宅で自炊する日がとっても多くなりました。以前と違い、現在は食材を買いに行くのもいささかストレス的なものなので、気軽に食材の買い出しに行きたいと思えません。ですから、自炊するにも今現在家にあるものでどうして作り上げていくかというのが大きな課題になります。
この日は、まずみじん切りのニンニク&生姜、セロリ、為ねぎをじっくり炒めまして、そこに牛のひき肉を入れさらに炒めます。すりおろしのにんじんを加え、缶トマトや生のトマトも入れてじっくり煮込みます。茅乃舎の野菜出汁も袋を破って入れて塩コショウ、砂糖少々で味を調えてさらに煮込みました。家中にミートソースのいい香りが漂ってきて、Dさんも匂いにつられてキッチンにやってきました。
味見をしてみると、十分美味しいのですが僕としては味の深みにいまいち納得ができませんでした。そこで投入したのが、自家製の味噌でありました。どこかの記事でミートソースに味噌を少々入れると味に深みが出ると書いていたのを思い出したからなのです。ちょどいいから早速やってみましょう~と麻婆豆腐の時にも使った自家製の美味しい手前味噌を入れたのです。
すると、ミートソースに複雑な味の厚みが増えてまろやかでとっても美味しい満足できるものになりました。味噌は隠し味程度なので味噌の味もぜずかすかな風味がかろうじて感じられるだけですが、味の方は数段階のレベルアップしたように思えました。これに野菜サラダをパンを添えでスパゲッティーミートソース夕飯の完成です。Dさんも激うま!を連発するほど喜んでくれました。
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レストラン業界をサポートするといっても毎日のようにお持ち帰り食を買うわけにもいきませんので、我が家でも自宅で自炊する日がとっても多くなりました。以前と違い、現在は食材を買いに行くのもいささかストレス的なものなので、気軽に食材の買い出しに行きたいと思えません。ですから、自炊するにも今現在家にあるものでどうして作り上げていくかというのが大きな課題になります。
味見をしてみると、十分美味しいのですが僕としては味の深みにいまいち納得ができませんでした。そこで投入したのが、自家製の味噌でありました。どこかの記事でミートソースに味噌を少々入れると味に深みが出ると書いていたのを思い出したからなのです。ちょどいいから早速やってみましょう~と麻婆豆腐の時にも使った自家製の美味しい手前味噌を入れたのです。
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新しい週が始まりました。カレンダーを見てみると、今週は4月最後の週になっていて、今週末(金曜日)から、驚くことに5月が始まるのですね。コロナ騒動でドタバタしているうちに3月が終わり、ほんの少し前に4月に入ったと思っていたらその4月も終わってしまい、5月に突入しようとしていると思うと、このコロナは外出だけでなく人々のゆったりとした時間までも奪っているような気がします。
ストレスが溜まっているせいか、ここのところ妙に甘いものが欲しくなってきました。僕がこういうものを欲する時は波がありまして、全くいらないときと無性に欲しくなる時が交互にやってきます。今現在はもう自分でも訳が分からないくらい甘いものが食べたくなり、ハチミツを大量になめたり、アイスクリームを食べたりきりがない状態で困っています。
そんな延長上で、日系食料品店で買い物をしている時に冷凍食品コーナーに今川焼があったので買ってしまいました。米国生活が長いですが、今まで今川焼を買ったことはほとんどなかったような気がします。これを電子レンジで解凍して、フライパンで両面をパリっと焼き付けたら完成です。朝食にいただきましたが、美味しすぎました~。幸せな気分になれ嬉しい限りです。
さて、サンフランシスコベイエリアでは、このStay in Homeの外出禁止令が見事に5月31日まで延長されるようです。ここで疑問に思うのはそれまでにワクチンや劇的な治療緩和薬が開発されなかった場合、また延長になるのだろうかということであります。これらの抜本的な対応策がない限り、開放すればまた感染が広がるわけですので終わりの見えないトンネルの中を歩いているような感じです。
この外出禁止令により経済が滞り、倒産する会社や失業する人たちがたくさん出ています。現在は政府が景気刺激対策や、コロナ救済策としてお金をばらまいていますが、これは僕からしてみると嘘のお金のようなものであります。実際に経済活動によって生まれたものではなく、政府が無理やり作り出した裏付けのないまやかし的なお金なのだと思っています。
政府も税収がないのにこのようなお金を永遠に供給することは不可能で、いつかはどこかで破綻してしまいます。つまり政府であっても、いつまでも救済のお金を供給し続けることは不可能なのです。そして、そのツケを払うのは納税している市民なのです。そう考えると自分たちを含み一体どれだけの人たちが経済的困難にこれから直面することになるのだろうと思うと恐ろしい限りです。だからといってStay in Homeを反対しているわけでもないのです・・・何が正しいのかもうわからないという状態ですね。
さて、この日の夕飯は麻婆豆腐とインゲンとアスパラとエビの塩炒めを作ってみました。麻婆豆腐はネギがなかったのでポロねぎで代用し、市販の豆板醤と自家製の味噌を使用しましたが、うまくできました。コクがあってとっても美味しかったです。そういえば、米国では食肉加工業界でコロナ感染が多発して工場が停止してしまい、肉の供給が止まるのではないかとニュースになっています。これにより肉の買い占めが始まるのでしょう。品切れが紙類、消毒衛生品そして肉類にまで及び、ますます住みにくい世の中になりそうです。
このストレスフルな生活があと1か月以上もつつくのかと思うと、何らかの画期的な打開策を打ち出してください!神様何とかしてください!と願いたくなります。そういえば、中国は治療薬もワクチンも開発されていないのに、北京や上海などの大都市も外出禁止令が解けていますね。これにより大きなコロナ感染の劇的な第2波がやってきて、再度閉鎖とも聞かれないのですが、いったいどうやって禁止令を解き、その上コロナ感染の再激炎上を防いでいるのが知りたいものであります。4千年の国の神業かな・・・
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ストレスが溜まっているせいか、ここのところ妙に甘いものが欲しくなってきました。僕がこういうものを欲する時は波がありまして、全くいらないときと無性に欲しくなる時が交互にやってきます。今現在はもう自分でも訳が分からないくらい甘いものが食べたくなり、ハチミツを大量になめたり、アイスクリームを食べたりきりがない状態で困っています。
さて、サンフランシスコベイエリアでは、このStay in Homeの外出禁止令が見事に5月31日まで延長されるようです。ここで疑問に思うのはそれまでにワクチンや劇的な治療緩和薬が開発されなかった場合、また延長になるのだろうかということであります。これらの抜本的な対応策がない限り、開放すればまた感染が広がるわけですので終わりの見えないトンネルの中を歩いているような感じです。
この外出禁止令により経済が滞り、倒産する会社や失業する人たちがたくさん出ています。現在は政府が景気刺激対策や、コロナ救済策としてお金をばらまいていますが、これは僕からしてみると嘘のお金のようなものであります。実際に経済活動によって生まれたものではなく、政府が無理やり作り出した裏付けのないまやかし的なお金なのだと思っています。
政府も税収がないのにこのようなお金を永遠に供給することは不可能で、いつかはどこかで破綻してしまいます。つまり政府であっても、いつまでも救済のお金を供給し続けることは不可能なのです。そして、そのツケを払うのは納税している市民なのです。そう考えると自分たちを含み一体どれだけの人たちが経済的困難にこれから直面することになるのだろうと思うと恐ろしい限りです。だからといってStay in Homeを反対しているわけでもないのです・・・何が正しいのかもうわからないという状態ですね。
このストレスフルな生活があと1か月以上もつつくのかと思うと、何らかの画期的な打開策を打ち出してください!神様何とかしてください!と願いたくなります。そういえば、中国は治療薬もワクチンも開発されていないのに、北京や上海などの大都市も外出禁止令が解けていますね。これにより大きなコロナ感染の劇的な第2波がやってきて、再度閉鎖とも聞かれないのですが、いったいどうやって禁止令を解き、その上コロナ感染の再激炎上を防いでいるのが知りたいものであります。4千年の国の神業かな・・・
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週末はいつもだらだらとベットの上で時間を過ごし、飽きたくらいにやっと動き出す2人ではあります。しかしStay in Homeになってから、これをすると途方もなくメリハリのない週末になってしまうので切り替えのために、この日は朝散歩をすることにしました。Cocoがいた時は晴れても雨でも、風の日でも朝散歩を欠かしたことがありませんでした。
しかし、Cocoが亡くなってしまってからはその朝散歩がプツリと途絶えました。そこに加えてStay in Homeで出勤もしなくなってしまいましたので、一気に今まで長いこと続いていた生活のリズムが崩れ去ってしまったのであります。このままではいけないと2人は思い、この日は少し風が冷たいものの天気もまずまずでしたので、近所の限定解放の私有地の散歩をしてきました。
ぐるりと1時間かけて緩やかな坂道を行ったり来たりして、少し汗をかくくらいの運動をしてきました。
体にいいことをした気分になり、こもりきりだった気分にもいい清涼剤となりました。
この日Dさんはランチは家で
彼のフライドポテトのこだわりは、前もってポテトを切って氷水にしばらく浸しておくということのようでした。彼曰く、こうすることによりクリスピーでサクサクポテトになるとのことでした。確かに切った時にでんぷん質を落とすために洗い流すと、でんぷん質のべったりとした感じが少なくなると聞きますが、本当のところどうなのでしょう…?(笑)
Stay in Homeで仕事を家でやるようになったDさんは、ひげもそらず髪もぼうぼうでいつもと違う様子になっております・・・
まずは第一段階のポテトの仕込みが終わりました。そして彼は第二段階ブラッディ・マリーを作る!作業に取り掛かりました。とはいうものの、ブラッディ・マリーは前もって購入してあった市販のもうすでにスパイスなどが調合されたブラッディ・マリーMIXに氷とウォッカを入れるだけです。
それでも出来上がったブラッディ・マリーを嬉しそうに持ってきてくれるDさんは、面白い人であります。これをブログ用に乾杯のわざとらしい写真を撮ってからいただきました。すごくスパイスが効いていて、辛口のブラッディ・マリーはなかなか美味しいものでありました。ちなみにこのブラッディ・マリーMIXの塩分含有量は恐ろしいことになっていました・・・(汗)
気持ちよくほろ酔いになったところで、そろそろハンバーガーの準備をしないといけないという時点で、僕がハンバーガーを作る担当大臣に任命されていたことが判明しました・・・全部自分でやるのではなかったのですね・・・そんな訳でしたので、ひき肉にスパイスを混ぜてハンバーガーのパティ(肉生地)を作り、トマト、玉ねぎ、マッシュルームを切ってBBQグリルで焼きます。
ハンバーガーは230g。前回テレビで見た時にハンバーガーは片面4分ずつ、計8分ほどでミディアムに焼きあがるとのことでしたのでそれを実践してみました。そうなると野菜はもっと時間がかかるので早めにグリルに乗せておきました。Dさんのポテトフライのこだわりは第二弾は2度揚げなのだそうです。一度上げたものを休ませて、2度目にまた脂の中をくぐらせてカリッと揚げました。
今回もパンは使用せずレタス巻きバーガーにしようということでしたので、レタス巻き用のレタスを作って、アボカドを添えてみました。すべてが出来上がったのでお皿に盛ってテーブルに並べて、やっと食事にありつけました。ハンバーガーはほとんどの場合は外で食べますので、気分的には気軽にできるお手軽料理というイメージがあります。
しかし家でゼロから作り上げようとすると本当に手間のかかる、様々な食材も用意しなくてはいけない結構面倒くさい料理でありました。久しぶりにハンバーガー家でハンバーガーを作って改めて、そう思わされました。さて、料理の方の出来はまずまずで、とっても美味しくいただけました!ブラッディ・マリーのおかげでほろ酔いでいい気分に満足にもなれました。
しっかりとヘビー&アルコールのランチを食べた後は、昼寝です。Stay in Homeで精神的なストレスが多くなりうまく夜に寝れませんし、夜のお酒もあまり睡眠の助けになってくれません。しかし昼間のお酒はいい気分で昼寝ができるので、ここぞとばかりしっかり昼寝をしてみました。起きてみると少し鉛のような疲れが軽減されたような気がします。
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ぐるりと1時間かけて緩やかな坂道を行ったり来たりして、少し汗をかくくらいの運動をしてきました。
体にいいことをした気分になり、こもりきりだった気分にもいい清涼剤となりました。
この日Dさんはランチは家で
ハンバーガーをやるぞ~!
自分でポテトフライをつくるぞ~!
ブラッディ・マリーをのむぞ~!
と意気込んできたので彼に任せることにしました。
Stay in Homeで仕事を家でやるようになったDさんは、ひげもそらず髪もぼうぼうでいつもと違う様子になっております・・・
まずは第一段階のポテトの仕込みが終わりました。そして彼は第二段階ブラッディ・マリーを作る!作業に取り掛かりました。とはいうものの、ブラッディ・マリーは前もって購入してあった市販のもうすでにスパイスなどが調合されたブラッディ・マリーMIXに氷とウォッカを入れるだけです。
気持ちよくほろ酔いになったところで、そろそろハンバーガーの準備をしないといけないという時点で、僕がハンバーガーを作る担当大臣に任命されていたことが判明しました・・・全部自分でやるのではなかったのですね・・・そんな訳でしたので、ひき肉にスパイスを混ぜてハンバーガーのパティ(肉生地)を作り、トマト、玉ねぎ、マッシュルームを切ってBBQグリルで焼きます。
今回もパンは使用せずレタス巻きバーガーにしようということでしたので、レタス巻き用のレタスを作って、アボカドを添えてみました。すべてが出来上がったのでお皿に盛ってテーブルに並べて、やっと食事にありつけました。ハンバーガーはほとんどの場合は外で食べますので、気分的には気軽にできるお手軽料理というイメージがあります。
しっかりとヘビー&アルコールのランチを食べた後は、昼寝です。Stay in Homeで精神的なストレスが多くなりうまく夜に寝れませんし、夜のお酒もあまり睡眠の助けになってくれません。しかし昼間のお酒はいい気分で昼寝ができるので、ここぞとばかりしっかり昼寝をしてみました。起きてみると少し鉛のような疲れが軽減されたような気がします。
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以前にもよく書いているのですが、Cocoがいなくなってから裏庭にヒマワリの種を頻繁に置くようになりました。Coocが元気な時は、Cocoの食事を作っていて大量に発生するカボチャの種の再利用ということリスにあげるため裏庭に置いていました。またCocoは裏庭に出かけれリスたちを見かけると、元気いっぱいにリスを追いかけてしまい、リスには申し訳なく思っていました。
しかし、Cocoは次第に食欲をなくしCocoご飯は作らなくなり、僕はカボチャの種を置くことができなくなりました。それでも真面目にやって来るリスたちの姿を見るたびに不憫に思っていたので、ホームセンターで10㎏のヒマワリの種を買ってきて、あげるようになりました。Coocも最後の方はリスを追いかける気力もなく、彼らがきても黙ってじっと見ているような感じになっていました。
また、リスが来るたびにむしろ珍しそうに見ているCocoの姿がかわいかった最後の思い出が残っています。そんなこともありましたので、CocoがいなくなってからCocoのごはん用のどんぶりにヒマワリの種を入れてあげるようになっています。彼らもそれを理解したらしく毎日真面目に出勤するサラリーマンのようにうちの裏庭にやってくるのです。
別々にやってくるときもあれば3匹が一緒にやってくるときもあります。3匹は決して仲が良いというわけでもないらしく、いろいろな力関係で威嚇しあったり、追いかけあったり、一緒に食べたりとなかなか複雑なものがあるようです。この日も3匹一緒にやってきたのでシャッターチャンス、と思って撮ってみました。喧嘩せずに食べれるように3か所以上にヒマワリの種を置いてあります!
この日の夕飯は近所のThaiレストランからのお持ち帰り食でありました。ここのThaiレストランは家族経営の小さなお店なのですが、オーナーさんが近所に住んでいてCocoの散歩中にはよくあいさつを交わす仲でありました。こじんまりとして比較的手ごろな価格の小さなレストランですが、Thaiで作られるように、ハーブもふんだんに入っていてとっても美味しいのです。
ただ僕たちはあまり夕飯を外食することがなかったため、今まで彼らのレストランもランチのみ行ったことがあるだけでした。ランチメニューとディナーメニューは違うものを提供しているので、今回は初めてのディナーメニューからの選択となりましたので、今まで頼んだことのないものを頼むことにし、電話でオーダーした後にピックアップに行ってきました。
頼んだものはこちらです。写真上部のエビとチキンのココナッツスープ。時計回りに、トマトとバジルのチキンレッドカレー炒め。シーフードミックスとインゲン豆のThaiチリオイル炒めとなりました。お味の方は文句なく美味しかった~です。ランチに行くとヌードル好きな僕はほぼ必ずといっていいくらいヌードル系などのものを頼んでしまうので、今回の料理は新鮮でした。
どれも名前すらよくわからないのですが、いろいろなハーブがふんだんに仕込まれていて複雑な味わいを出していました。野菜も肉もシーフードも、炒めすぎることなくちょうどいい感じの炒め具合になっていて、ぷりぷり感やしっとり感もしっかりと楽しむことができました。本格的なThai夕飯となり満足しました。次は何を頼みましょうか?
前回の記事のコメント欄が間違って閉じられていました。申し訳ありませんでした・・・m(_ _)m
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しかし、Cocoは次第に食欲をなくしCocoご飯は作らなくなり、僕はカボチャの種を置くことができなくなりました。それでも真面目にやって来るリスたちの姿を見るたびに不憫に思っていたので、ホームセンターで10㎏のヒマワリの種を買ってきて、あげるようになりました。Coocも最後の方はリスを追いかける気力もなく、彼らがきても黙ってじっと見ているような感じになっていました。
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この日の夕飯は近所のThaiレストランからのお持ち帰り食でありました。ここのThaiレストランは家族経営の小さなお店なのですが、オーナーさんが近所に住んでいてCocoの散歩中にはよくあいさつを交わす仲でありました。こじんまりとして比較的手ごろな価格の小さなレストランですが、Thaiで作られるように、ハーブもふんだんに入っていてとっても美味しいのです。
ただ僕たちはあまり夕飯を外食することがなかったため、今まで彼らのレストランもランチのみ行ったことがあるだけでした。ランチメニューとディナーメニューは違うものを提供しているので、今回は初めてのディナーメニューからの選択となりましたので、今まで頼んだことのないものを頼むことにし、電話でオーダーした後にピックアップに行ってきました。
どれも名前すらよくわからないのですが、いろいろなハーブがふんだんに仕込まれていて複雑な味わいを出していました。野菜も肉もシーフードも、炒めすぎることなくちょうどいい感じの炒め具合になっていて、ぷりぷり感やしっとり感もしっかりと楽しむことができました。本格的なThai夕飯となり満足しました。次は何を頼みましょうか?
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コロナウイルスのニュースが毎日暗い情報を運んできます。僕の職場にもいろいろな悲しい状況の人たちがやってきては助けを求めています。行政もそれに対応していろいろな緊急対応策を打ち出しています。日々新しい対策が打ち出されますので、その情報読んでシステムを理解して、その行政の救済対策にどんな人が当てはまるのかなどをチェックしています。
そんな時、驚きの…いや…知っていたといえばそうかもしれませんが、ちょっとした発見をしましたのでそれをお知らせしましょう。現在職を失って収入が断たれた人が多くいます。失業や収入減のため、家賃を払うのが困難なった人たちが求めるのが家賃の救済措置のプログラムであります。このプログラムにはやはり収入の上限が設定があり、低所得者のカテゴリーに当てはまる人のみが申し込めるのです。
つまり独り者が1,000万円ほど稼いでも低所得者、夫婦と子供が2人いる家族では1,500万円の収入があっても低所得者のカテゴリーに当てはまるというわけなのです。今までこのような情報を聞きかじることがありましたので知っていたといえば知っていたのですが、これが政府の正式に認める低所得者というカテゴリーとしてこの目で確認したのは初めてだったような気がします。
ちなみにサンフランシスコの収入の中央値は1,500万円のようです。おかげさまで?といいますか、依頼者の収入はしっかり低所得者のカテゴリーにはまっていましたので、この救済措置策に応募できる資格がありました。サンフランシスコでは、医師、弁護士、投資家や、中から上級レベルの役職の会社員や公務員やIT系の職にない限り皆さん低所得者になるというわけなのでしょう。
今回のコロナウィルスの経済刺激策として支給される約$1,200(13万円)ほどのというお金も、サンフランシスコのほどんどの人が、低所得者のカテゴリーに当てはまるものの支給資格がないという事態にもなるということなのでしょう。こちらで←チェックしてみると独り者の低所得者リミット1千万円の収入では支給額無し、2人の17歳以下の子供がいる1,500万円の家で3万円ほどもらえるようです。
家の値段も家賃も高いし、ガソリン代も高い、外食も普通の食料品も高く、お金がたまらないと知り合いの人たちがこぼしているのを聞きますが、なるほどサンフランシスコでは子供が2人いて、1千500万円の収入では確かにやっていくのは厳しいだろうなと素直にうなずけます。おまけにホームレスがたくさんいて衛生な問題が多々生じていますので住む環境も素晴らしいわけでもないのですよね・・・
悲しい世の中です。ちなみにニューヨークでチェックしてみましたが、サンフランシスコほど低所得者のカテゴリーが高い数値ではありませんでした。たぶん、マンハッタンだけの数値ですと、サンフランシスコと同じくらいになるのではないでしょうか? サンフランシスコがいかに物価高になっているのかよくわかる数値であります。恐ろしい限りです。
暗くなってしまいましたので話題を変えましょう。この日の夕飯はお好み焼きにしました。キャベツの代わりにそろそろ使わないとまずいだろう・・・というLeek(ポロねぎ)をたっぷりと使ってチキン、エビ、焼きそばの代わりに白滝を使い低カロリーのヘルシーお好み焼きにしてみました。ポロねぎってお好み焼きにあいますね!ボリュームがあって、美味しい良い満足感でありました。
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そんな時、驚きの…いや…知っていたといえばそうかもしれませんが、ちょっとした発見をしましたのでそれをお知らせしましょう。現在職を失って収入が断たれた人が多くいます。失業や収入減のため、家賃を払うのが困難なった人たちが求めるのが家賃の救済措置のプログラムであります。このプログラムにはやはり収入の上限が設定があり、低所得者のカテゴリーに当てはまる人のみが申し込めるのです。
(↑クリックすると大きな画像になります)
依頼者の収入を確認して、この低所得者用のプログラムの申請の資格があるのかチェックしてみました。すると・・・サンフランシスコの低所得者というカテゴリーを見てため息を漏らしてしまいました。サンフランシスコの低所得者の範囲は、1世帯に1人の場合は約1,050万円まで、4人家族の場合1,500万円までの範囲と定められているそうなのです。再度言いますが低所得者です(笑)。つまり独り者が1,000万円ほど稼いでも低所得者、夫婦と子供が2人いる家族では1,500万円の収入があっても低所得者のカテゴリーに当てはまるというわけなのです。今までこのような情報を聞きかじることがありましたので知っていたといえば知っていたのですが、これが政府の正式に認める低所得者というカテゴリーとしてこの目で確認したのは初めてだったような気がします。
ちなみにサンフランシスコの収入の中央値は1,500万円のようです。おかげさまで?といいますか、依頼者の収入はしっかり低所得者のカテゴリーにはまっていましたので、この救済措置策に応募できる資格がありました。サンフランシスコでは、医師、弁護士、投資家や、中から上級レベルの役職の会社員や公務員やIT系の職にない限り皆さん低所得者になるというわけなのでしょう。
(↓ブルーベリーの苗を買ってきて植えてみました!)
家の値段も家賃も高いし、ガソリン代も高い、外食も普通の食料品も高く、お金がたまらないと知り合いの人たちがこぼしているのを聞きますが、なるほどサンフランシスコでは子供が2人いて、1千500万円の収入では確かにやっていくのは厳しいだろうなと素直にうなずけます。おまけにホームレスがたくさんいて衛生な問題が多々生じていますので住む環境も素晴らしいわけでもないのですよね・・・
暗くなってしまいましたので話題を変えましょう。この日の夕飯はお好み焼きにしました。キャベツの代わりにそろそろ使わないとまずいだろう・・・というLeek(ポロねぎ)をたっぷりと使ってチキン、エビ、焼きそばの代わりに白滝を使い低カロリーのヘルシーお好み焼きにしてみました。ポロねぎってお好み焼きにあいますね!ボリュームがあって、美味しい良い満足感でありました。
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カリフォルニアを含み、米国の各町で外出禁止令に反対するデモが起こってきました。テレビのニュースで見ると白人のトランプ大統領支持を謳っている人たちがこのデモの中心人物のような感じの放送がありましたが、メディアとはうまい具合にセンセーショナルな情報に捏造することが長けているので鵜呑みにはできません。確かに外出禁止令にうんざりしている人が多いのは事実でしょう。
でも多くの人たちが、公衆衛生という大きな目的を知っているし、ここでこの禁止令を何の対策もなく止めてしまえば今までの努力が水の泡になってしまうということを理解しているので、政府の明確な判断を待っているのでしょう。こんな今の常用の生活を喜んで受けいれている人などいないでしょうし、この閉塞感のある生活脱却のための禁止令反対デモをしたい気持ちもわかります。
しかしながら、同じデモをするのならやみくもにぐちゃぐちゃに集まって盲目的に反対するようなやり方ではなく、もっと他の人たちの賛成を引き出せるようなやり方がなかったのかと思ってしまいます。このデモのおかげでコロナにかかったらどうするつもりなのでしょうね。まあ、そういう考え方ができないからこういう稚拙なデモの形になってしまったのかもしれないとも思えますが・・・
さて僕たちは最近近所のとある緑の広がるきれいな場所を散歩するようになりました。こちらは公共の公園ではなく、完全な私有地なので以前は一般人の立ち入りが禁止されていました。ところが、この外出禁止令に伴い近所の人たちの運動の場を提供しようという趣旨のもと、現在一般開放されているのです。なんとも素敵な心遣いであります。
この広大な緑の広がる場所をぐるりと一周するとちょうど1時間ほどの散歩になります。家に籠っている僕たちにとって、緩やかな坂で構成された道のりはちょうどいい散歩道であります。景色がよくきれいに手入れされたこの場所は、運動不足になったご近所さんの憩いの場所的な存在になっているようで、皆さん子の隠れた穴場を楽しそうに歩いています。
今まで一般人進入禁止でありましたから、僕たちもここを歩くのは初めてです。もちろんCocoと歩いたこともありませんので、散歩してもCocoとの思い出が思い起こされないのです。今までの近所の散歩はどこを歩いてもCocoとの思い出が詰まっているので、どうしてもしんみりしてしまう2人でありましたが、この場所ですとそれがないので気分的にも散歩に集中できます。
今になるとどうしてお皿に移し替えて食べるべきなのか、両親の意図がわかるような気がします。陶器のお皿に盛りつけるひと手間、使い終わった後にお皿を洗わなくてはいけないひと手間が増えますが食事の時にその手間の分、豊かな味わいを感じることができます。食事って鰺さえよければいいというものではないということが、この状況下で再度思い出すことができました。
もちろん面倒くさくてやらないときも、お弁当やピザやブリトーの時も買ってきてそのまま出します(笑)。今回購入した詰め合わせセットは時計回りに左上がホタテ入りの白和え、右上が豚の角煮となす、その下がウニとサーモンのクリームコロッケきんぴらごぼう添え、それに鮭、ハマチ、蛸の刺身盛り合わせでした。とっても豪華です!
僕たちはこれに、スナップエンドウ豆の胡麻和えとご飯とみそ汁を用意していただきました。スナップエンドウ豆は小さな袋詰めを買ったつもりだったのですが、意外と量が入っていまして、何度も登場してもらっています。それに結構日持ちがするようで、1週間経ってもしなびることなくシャキシャキのままでした。こういう状況下ですと、日持ちする野菜って重宝しますね!
それでもって、こちらのお持ち帰り豪華日本食は、激ウマでした!Dさんはウニサーモンコロッケがとっても気に入ったようでしたし、僕はホタテの白和えの久しぶりのお味に感激しました。もちろんのことながらお刺身の盛り合わせも新鮮で、2人とも大喜びでしっかりすべて平らげることができました。そう頻繁には購入できませんが、それでもこれで$25ですからお得です。
こういう状況下では美味しいものを食べるしかエンターテイメントがないので、どうしても食に重きがいってしまいます。体重の増加だけには気を付ければ、まあ少しでも気分がよくなるのならそれはそれでいいことでありましょう。当たり前のように美味しいものを美味しいと思っていただくことができる喜びに心から感謝します。
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この広大な緑の広がる場所をぐるりと一周するとちょうど1時間ほどの散歩になります。家に籠っている僕たちにとって、緩やかな坂で構成された道のりはちょうどいい散歩道であります。景色がよくきれいに手入れされたこの場所は、運動不足になったご近所さんの憩いの場所的な存在になっているようで、皆さん子の隠れた穴場を楽しそうに歩いています。
今まで一般人進入禁止でありましたから、僕たちもここを歩くのは初めてです。もちろんCocoと歩いたこともありませんので、散歩してもCocoとの思い出が思い起こされないのです。今までの近所の散歩はどこを歩いてもCocoとの思い出が詰まっているので、どうしてもしんみりしてしまう2人でありましたが、この場所ですとそれがないので気分的にも散歩に集中できます。
2566 B Telegraph Ave
Berkeley, California 94704
この日の夕飯は前回お持ち帰り夕飯をしてとんでもなく美味しかった、こちらのお店のリピートをしてみました。日本の実家ではもちろん出来合いのものを買って食べるのはOKなのですが、そのまま食卓には出さず必ずお皿に移し替えないといけないという不思議な不文律がありました。そんな環境で育ったのでこちらでもお持ち帰りの食事でも極力お皿に移し替えていただきます。今になるとどうしてお皿に移し替えて食べるべきなのか、両親の意図がわかるような気がします。陶器のお皿に盛りつけるひと手間、使い終わった後にお皿を洗わなくてはいけないひと手間が増えますが食事の時にその手間の分、豊かな味わいを感じることができます。食事って鰺さえよければいいというものではないということが、この状況下で再度思い出すことができました。
もちろん面倒くさくてやらないときも、お弁当やピザやブリトーの時も買ってきてそのまま出します(笑)。今回購入した詰め合わせセットは時計回りに左上がホタテ入りの白和え、右上が豚の角煮となす、その下がウニとサーモンのクリームコロッケきんぴらごぼう添え、それに鮭、ハマチ、蛸の刺身盛り合わせでした。とっても豪華です!
僕たちはこれに、スナップエンドウ豆の胡麻和えとご飯とみそ汁を用意していただきました。スナップエンドウ豆は小さな袋詰めを買ったつもりだったのですが、意外と量が入っていまして、何度も登場してもらっています。それに結構日持ちがするようで、1週間経ってもしなびることなくシャキシャキのままでした。こういう状況下ですと、日持ちする野菜って重宝しますね!
こういう状況下では美味しいものを食べるしかエンターテイメントがないので、どうしても食に重きがいってしまいます。体重の増加だけには気を付ければ、まあ少しでも気分がよくなるのならそれはそれでいいことでありましょう。当たり前のように美味しいものを美味しいと思っていただくことができる喜びに心から感謝します。
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サンフランシスコベイエリアの桜ももう終わりですね。今年の春は、嵐のようにやってきて様々なものを蹴散らしているような感じがありましたので、ゆっくりと桜などの春の草花を楽しむことができなかったような気がします。未だにその嵐の真っただ中にあって、心の底からのんびりとすることもできない気分であります。この状況が長くなればなるほど、その疲れが大きくなります。
たくさんの人が仕事を失ったり、仕事の再開のめどが立っていなかったり暗いニュースが続いて気がめいってしまう人も多いらしく、米国では抗鬱剤の処方数が大幅に増えているということも報告されています。僕もDさんも今のところ仕事を失ったり、仕事の時間が減らされるといったようなネガティブな要素はないので嬉しい限りですが、全く安泰というわけでもないのです。
Dさんは公務員、僕は政府系からの基金をもらっての仕事をしています。つまり2人とも基本的に税金が収入のもとになっているということなのです。こういうお金は景気の左右が影響するものの、その影響が形になって表れるのが1~2年後になるのです。ですから、コロナ不景気がこのまま続くと、その影響が未来にやってくる可能性が高いので、今はよくても先行きの不安がぬぐえません。
さて、この日の夕飯は、チキンを焼いてみました。塩コショウで焼いたチキンに、仕上げにバターを絡ませて、ライムジュースをたっぷりと入れて味を調えました。付け合わせには、アボカドをたっぷり入れたポテトサラダと、イングリッシュスナップ豆の塩ゆでを添えてみました。レストランのお持ち帰り食は美味しいので嬉しいのですが、やはり野菜が不足してしまいがちになります。
ですから、家で作るときはなるべく多めの野菜を取るように心がけています。基本的に2人とも野菜が好きなので、やはり野菜が少ないと物足りない気分になってしまいます。このイングリッシュスナップ豆は甘く、シャキシャキ感があってとっても美味しかったです。ポテトサラダもマヨネーズの量は1/4にして、あとは無脂肪ヨーグルトとリンゴ酢をたっぷり入れたので体にいいはず!
インス映えするような素敵でオサレな夕飯ではないですが、これはこれで健康的でおいしかったので2人とも満足しています。いつになったら普通の生活ができるようになるのか? 当たり前と思っていた普通の生活が、ここまで貴重で素晴らしいものだったのだと失って身をもって感じている今日この頃です。
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Dさんは公務員、僕は政府系からの基金をもらっての仕事をしています。つまり2人とも基本的に税金が収入のもとになっているということなのです。こういうお金は景気の左右が影響するものの、その影響が形になって表れるのが1~2年後になるのです。ですから、コロナ不景気がこのまま続くと、その影響が未来にやってくる可能性が高いので、今はよくても先行きの不安がぬぐえません。
さて、この日の夕飯は、チキンを焼いてみました。塩コショウで焼いたチキンに、仕上げにバターを絡ませて、ライムジュースをたっぷりと入れて味を調えました。付け合わせには、アボカドをたっぷり入れたポテトサラダと、イングリッシュスナップ豆の塩ゆでを添えてみました。レストランのお持ち帰り食は美味しいので嬉しいのですが、やはり野菜が不足してしまいがちになります。
インス映えするような素敵でオサレな夕飯ではないですが、これはこれで健康的でおいしかったので2人とも満足しています。いつになったら普通の生活ができるようになるのか? 当たり前と思っていた普通の生活が、ここまで貴重で素晴らしいものだったのだと失って身をもって感じている今日この頃です。
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暖かくいい天気だったサンフランシスコベイエリアですが、一転して霧が出て少し肌寒い日が続くようになりました。在宅勤務をとはいえ、やはり青空が広がっている方が気分がいいですね。最近の在宅勤務ではお昼を食べた後Dさんの一緒に近所の散歩を30分程するようにしています。ずっと家に籠っているよりも、この方が外の空気も吸え、いい気分転換になります。
でも、近所の散歩はCocoの思い出がたくさん詰まっているのでやはり散歩中出てくる話は、Cocoはここでこんなことしたよね~やCocoはここでおしっこするのが定番だったよね~と言うもので少し悲しくなってしまいます。この藤の花の前も何度も歩いたことを思い出して、2人ともしんみりとしてしまいます。2人での近所の散歩はまだまだ物悲しさを伴うものでありました。
この日のランチは家の冷蔵庫に買い置きしてあった、メキシカン風マリネのされてあるスカート(ハラミ)ステーキを引っ張り出して庭のBBQグリルの方で焼いてみました。付け合わせの玉ねぎ、マッシュルーム、パプリカのグリル同じグリルでじっくりと焼き上げてみました。今までこのメキシカン風にマリネされていたお肉は買ったことがなかったように思います。
今回は家籠りに備えて家のストックにと、今まで買ったことがないものもとりあえず購入しているのですが、このお肉もそれらの一つでもありました。僕はステーキは霜降りの脂いっぱいのものよりも脂の少ない部位が好きでして、スカート(ハラミ)の部分は大好きでありました。今までなぜこのお肉を買わなかったのだろう、気が付かなかったのだろうと思ってしまうくらいです。
さて、お肉を焼いている間にアボカドをつぶしてワカモレを作って、チーズ、サルサ、ご飯と豆も用意しました。低炭水化物Taosということでトルティアの代わりにレタスで巻いてみることにしました。お肉が美味しそうに焼けて、焼き野菜もいい感じに仕上がりました。熱々に熱したステーキ用の鉄板にステーキなどの熱々で食べたいものをのせて出来上がりです。
Dさんがブラッディ・マリーを作ってくれましたのでそれで週末ランチに乾杯しました。レタスにお好みのものをのせて巻いて食べました。お味の方は、このスカートステーキ激ウマでした!複雑なさまざまなスパイスに付け込んでありますし、適度に弾力があるけれど口の中で簡単にかみ砕くことができ、脂分のない肉のうまみが口の中に広がるお肉でした。
これはリピートありですね。
Dさんもメキシカン風ランチ@Homeを喜んでくれました。
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この日のランチは家の冷蔵庫に買い置きしてあった、メキシカン風マリネのされてあるスカート(ハラミ)ステーキを引っ張り出して庭のBBQグリルの方で焼いてみました。付け合わせの玉ねぎ、マッシュルーム、パプリカのグリル同じグリルでじっくりと焼き上げてみました。今までこのメキシカン風にマリネされていたお肉は買ったことがなかったように思います。
さて、お肉を焼いている間にアボカドをつぶしてワカモレを作って、チーズ、サルサ、ご飯と豆も用意しました。低炭水化物Taosということでトルティアの代わりにレタスで巻いてみることにしました。お肉が美味しそうに焼けて、焼き野菜もいい感じに仕上がりました。熱々に熱したステーキ用の鉄板にステーキなどの熱々で食べたいものをのせて出来上がりです。
これはリピートありですね。
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家に籠って仕事をしているのは、僕の今までの人生でなかったことなのでかなり疲れますが、もう数週間経つので、だいぶ慣れてきました。やはり職場と違って同僚と話をしたり、少し外に出てランチ休憩をすることもないので思ったよりも仕事がはかどるような気がします。また、職場が家になっているので精神的な切り替えがうまくできない僕であります。
そんな感じなので、仕事がはかどればはかどるほどその分、精神的な負担が大きくなっているような感もぬぐえません。IT系の人たちは家での仕事が多くあると聞きましたが、それはそれですごい精神力だなと、今更ながら感心してしまいます。やはり長年培った習慣のせいか、僕は仕事は職場でやる方が楽だな。。。と痛いほど感じています。
ただ、面白いことに今まで僕と同様自宅勤務などしたことがないDさんの方は、僕とは逆に自宅勤務をえらく気に入ったらしく、コロナウィルスが収拾してもこのまま自宅勤務を続けたいといっているのには驚きました。そんな2人の自宅勤務の大きな息抜きはCocoの代わりの庭にやって来るリスたちでした。いつも来る3匹が喧嘩しつつもヒマワリの種を食む姿はとっても癒されますね。
でもやはり・・・小さく可愛い彼らですが、あの白犬の代わりにはなれませんので、2人してCocoに会いたいね・・・としんみりしてしまうこともしばしあります。やはりCocoは僕たちの心の中の大きな大事な部分のしっかりと食い込んでいた家族の一員でありました。最近よく見る夢はCocoが回復して喜んでいるというストーリー。偶然僕もDさんも同じ夜に同じ漢字の夢を見るのです。
自宅勤務の2人のもう一つの息抜きはランチタイムであります。基本的にランチは個々に好きなものを食べるという感じで、僕は大体前の日の夕飯の残りを食べて、Dさんは冷凍食品のランチセットを食べています。しかし前回僕が食べていたサッポロ一番塩ラーメンの匂いがとっても美味しそうに感じられたらしく、リクエストがあったので作ってあげることにしました。
今回のサッポロ一番塩ラーメンには家にあった菜の花、茹で卵、焼き豚をトッピングに乗せて、最後にちょこっとバターを散らしていただきました。さすがサッポロ一番塩ラーメン!いいお味ですね。Dさんも大喜びで楽しんでいただけたようです。コロナ騒動の初期にストックしてよかった~(笑)。日本のインスタントラーメンはインスタントといえども味がいいので満足できますね。
焼き豚は中華街で買っていたものを冷凍してストックしてありますので便利です。見栄えがいまいちで美味しくなさそうに見えますが、美味しかったです!サッポロ一番は僕は塩味が一番好きです。皆さんはどの味派なのでしょうか?
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そんな感じなので、仕事がはかどればはかどるほどその分、精神的な負担が大きくなっているような感もぬぐえません。IT系の人たちは家での仕事が多くあると聞きましたが、それはそれですごい精神力だなと、今更ながら感心してしまいます。やはり長年培った習慣のせいか、僕は仕事は職場でやる方が楽だな。。。と痛いほど感じています。
でもやはり・・・小さく可愛い彼らですが、あの白犬の代わりにはなれませんので、2人してCocoに会いたいね・・・としんみりしてしまうこともしばしあります。やはりCocoは僕たちの心の中の大きな大事な部分のしっかりと食い込んでいた家族の一員でありました。最近よく見る夢はCocoが回復して喜んでいるというストーリー。偶然僕もDさんも同じ夜に同じ漢字の夢を見るのです。
自宅勤務の2人のもう一つの息抜きはランチタイムであります。基本的にランチは個々に好きなものを食べるという感じで、僕は大体前の日の夕飯の残りを食べて、Dさんは冷凍食品のランチセットを食べています。しかし前回僕が食べていたサッポロ一番塩ラーメンの匂いがとっても美味しそうに感じられたらしく、リクエストがあったので作ってあげることにしました。
焼き豚は中華街で買っていたものを冷凍してストックしてありますので便利です。見栄えがいまいちで美味しくなさそうに見えますが、美味しかったです!サッポロ一番は僕は塩味が一番好きです。皆さんはどの味派なのでしょうか?
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在宅勤務に飽きたので、この日は職場の方へ仕事へ行ってきました。僕は在宅勤務でも職場に来てもどちらでもいいので、たまに飽きると職場の方で仕事をします。僕の職場は最近移転して僕のデスクは事務所の小さな一角にあり、僕と僕の直属の部下以外誰もいません。そして直属の部下は皆さん自宅勤務なので、実質狭い事務所に一人だけなのであります。
そんな状況なので、車で通勤して職場に行っても全く誰とも接触することがないのでコロナの感染の心配がほとんどないということなのです。自宅勤務もそれなりにいい点があるのですが、ダイニングテーブルでの仕事は体中が痛くなってしまうのが最大の難点です。その点、職場のセッティングですと体のどこも痛むことなく一日を終えることができるのですごく楽でありました。
この日は7PMからひとつZoomのミーティングが入っていたので夕飯を作るのがきついな、と思ったので何か食べるものを買って帰ろうとしていました。そこで、Berkeley Bowl West@920 Heinz Ave. Berkeley, CAで日本人による美味しい日本食を提供するB-damaさんのお弁当を買うことができると最近知りましたので、それを買って帰ろうじゃないか!と思いつきました。
携帯電話でオーダーをしてピックアップにBerkeley Bowl Westの方に行ってみると、こちらのお店の方は長蛇の列でありました。まさか、これに並ばないといけないのか?と思ったのですが、お弁当の方は併設するカフェの方でのピックアップで、列がなくて安心しました。お店の方で名前を告げて清算を済ませると、B-damaさんのオーナーさんが僕に気付いてくれました。
彼が持つ3件のお店は今回のCOVID19 で大打撃を受けてしまっているとのことでした。お店を開ければ開けるほど赤字になるのでこのお持ち帰りご飯に集中しているとのことでした。飲食業界は本当に多変ですね。僕は偶然インスタのアップで彼のお持ち帰り食のことを知りましたので、さっそくやってきました。大きな力にはなりませんが、やはりこういう地元のビジネスを応援したいですね。
僕は豚キムチと鮭の味噌焼き弁当。Dさんは日本のハンバーグが好きなので、ハンバーグと鮭の味噌焼き弁当を選んでみました。家に帰って、午後7時からのZoomミーティングが終わって、お弁当を温めなおして、Dさんと2人でいただきました。おお~!さすが人気店が作ったお弁当というお味でした。鮭のみそ焼きはほんのり甘い味噌と鮭がしっかりマッチしてご飯がすすみます。
僕の豚キムチはキムチも豚肉もボリュームばっちりに入っていて満足できました。Dさんは、ハンバーグを口にしたとたん、これは日本のハンバーグの味だ!と大喜びでした。付け合わせのポテトサラダも、日本の上品なポテトサラダのお味でとっても美味しかったです。これはお勧めできます。興味のある方はぜひトライしてみてください。詳しくはこちらのページへ➡B-damaさん
お弁当のほかにも寿司、丼物、おつまみ系などいろいろな種類があるようです。次回はちらしずしなどの丼物を頼んでみようかと思っています。僕もDさんも幸い仕事を解雇されることもなく今まで通り収入を得ることができていて幸運な境遇であります。そんな訳ですから、微力ながらも地元のビジネスをサポートしていきたいですね。
しかしやはり、早くお店の方でゆっくり食事を楽しむことができるような世の中になってもらいたいですね。
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そんな状況なので、車で通勤して職場に行っても全く誰とも接触することがないのでコロナの感染の心配がほとんどないということなのです。自宅勤務もそれなりにいい点があるのですが、ダイニングテーブルでの仕事は体中が痛くなってしまうのが最大の難点です。その点、職場のセッティングですと体のどこも痛むことなく一日を終えることができるのですごく楽でありました。
携帯電話でオーダーをしてピックアップにBerkeley Bowl Westの方に行ってみると、こちらのお店の方は長蛇の列でありました。まさか、これに並ばないといけないのか?と思ったのですが、お弁当の方は併設するカフェの方でのピックアップで、列がなくて安心しました。お店の方で名前を告げて清算を済ませると、B-damaさんのオーナーさんが僕に気付いてくれました。
彼が持つ3件のお店は今回のCOVID19 で大打撃を受けてしまっているとのことでした。お店を開ければ開けるほど赤字になるのでこのお持ち帰りご飯に集中しているとのことでした。飲食業界は本当に多変ですね。僕は偶然インスタのアップで彼のお持ち帰り食のことを知りましたので、さっそくやってきました。大きな力にはなりませんが、やはりこういう地元のビジネスを応援したいですね。
お弁当のほかにも寿司、丼物、おつまみ系などいろいろな種類があるようです。次回はちらしずしなどの丼物を頼んでみようかと思っています。僕もDさんも幸い仕事を解雇されることもなく今まで通り収入を得ることができていて幸運な境遇であります。そんな訳ですから、微力ながらも地元のビジネスをサポートしていきたいですね。
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我が家の目の前の通りは道幅が広いわりに車の往来が少なく、すぐ近くに公園もあるためかもともとたくさんの人たちが犬の散歩をしたり、ジョギングをしたりしているルートになっていました。そして外出禁止令が出されると、今までジムなので体を鍛えていた人たちがジムの閉鎖により自己トレーニングに繰り出すようになりました。
その上、ここのところ暖かくいい天気が続きましたのでイケメンさんたちが半身裸で往来していますので、在宅勤務につかれた体にはいい目の保養になります。この日は、家から風景の写真を気晴らしに撮っていたら、たまたま家の前を通っていたイケメンさんが偶然映り込んでしまいました。純粋に家の周りの風景写真を撮りたかったのに・・・残念です。
しかし、せっかく撮った写真なのでとりあえず載せておきましょう。
この日の夕飯は家で簡単な手巻きずしにしてきました。外出禁止令とは言え食材に買い出しは自由にできますし、近所の日本食料品では入店するために並ぶこともなくすんなり入れました。今回は安価なマグロと鮭の切り落としが手に入りましたので、さっとみりんと醤油なので漬けにしました。あとは、イカ、ヒラメのエンガワ、北寄貝のサラダ、海藻サラダとウニを買ってみました。
酢飯にはきゅうり3本分のスライスを塩もみして絞ったものを混ぜてご飯の摂取を抑えるようにし、ゴマを散らしてみました。このキュウリもみ混ぜ酢飯が手巻き寿司にはすごく合うのです。これに味噌汁を付けて完成です。新鮮なお刺身は美味しかったし、体も重くならないので嬉しい限りです。やはり日本人ですね。お肉を食べた時よりも心も体も大満足できました。
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家に長いこといると家の前を通る人たちを眺めることが多くなりました。外出禁止令でも犬の散歩や運動のための外出はOKなので、意外と多くの人たちが散歩やジョギングを楽しんでいるのを見かけます。たぶん今まではジムなので体を鍛えていた人や、職場への通勤で歩いたりしていた人たちは運動量が減ったことで、散歩をするらしく今まで見かけた以上にたくさんの人が歩いています。
この日ふと窓の外を見てみると2匹の犬を連れた人がいたのですが、ずっと同じ場所でおろおろして何か困っているようでした。Dさんにそれを告げると、正義の味方Dさんは早速このご婦人に近寄って何か助けることができないかと聞いたようです。何でもこの黒&茶の犬はレスキュー犬で大きな音が苦手なのだそうです。
先ほどの大きな音を立てて車が走ったとに驚いて動かなくなってしまったそうです。かわいそうに・・・白い犬の方は全く問題なかったのですが、どうしても黒&茶の犬が動かなくなってしまったので旦那さんに電話して車で迎えに来てもらうことにしたそうです。レスキュー犬はいろいろなトラウマを抱えていることがありますので、ここの対応が重要ですね。
さて、この日は僕とDさんの共通の友人のKarenさんとRoyさんからオンラインHappy Hourに誘われていました。皆さん不必要な外出を避け、外部との直接的な接触を極力避けるようにしていますし、多くの職場は自宅勤務になり他の人たちとのコミュニケーションが極端に減っています。そういう環境にフラストレーションを感じる人が多く、オンランを使ってのお茶会や飲み会が増えてきました。
Karen&Royさんも積極的にいろいろな人とオンラインで会話しているようで、これはこれでなかなか良いストレス解消になっているとのことでした。会話を始めてみると、驚きなことを彼らは話し始めました。なんと、彼らはなんと3月の初めにポルトガルへ休暇に行っていたそうなのです。この時期にヨーロッパに行ったのか!?と驚きをもって話を聞いてみました。
この旅行はツアーで行ったそうなのですが、ツアーは中止ではなく決行となり、ツアー会社も問題ないと判断して米国を飛び立ったそうなのです。そして到着した時もまったく問題はなく、ツアー参加者とツアー会社の職員とコロナなんて気にしない~!と旅行を楽しみましょうという雰囲気であったそうなのです。現地の雰囲気も全く普通で、レストランに行って美味しい食事もとれたそうです。
ところが、それから2日後くらいにトランプ大統領がヨーロッパからの飛行機を禁止させると発表してから事態が急転。米国にいる家族から帰ってこい!の電話が多数かかってきて焦りはじめたそうです。そしてツアー会社が急遽2週間のツアーの中止を決定。すぐに帰国の手続きをはじめ、ヨーロッパ便米国入国禁止の前日にポルトガルから5日間の滞在で戻ってきたそうなのです。
彼らは半月ほどの隔離生活をして、何の症状もなく社会復帰を果たしたそうなのです。そんな話を聞いて僕とDさんは、3月の初旬はもうすでに米国でも必要不可欠な旅行は避けるように勧告していたし、ヨーロッパがコロナでまずいことになっていると報道していたのは周知の通りなのだけれど、まさかこの時期にこんな近くにヨーロッパに行く人がいただなんて驚く以外リアクションがありませんでした。
今回は感染がなかったからよかったものの、これで感染していたらどうなっていたのだろうと想像すると恐ろしい限りです。しかしながら、当事者からするときっといろいろなことを考慮してと今この時期に旅行をすることがかなり危険な行為であるとわかっていても、どこかでもしかしたら大丈夫かもしれないということが頭をよぎるのでしょうね。
幸いなことに僕たちは家のローン早期返済計画のため今年は一切の旅行を計画していませんでした。でも、もし計画していたら正しい判断ができていたのだろうかと考えます。健康第一とわかっていても、待ち望んでいた休暇、払い戻しのきかないホテル代や航空券・・・いろいろなものを天秤にかけると、冷静な判断を下すのは難しいのだろうなと、彼らの話を聞いて思わされました。
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さて、この日は僕とDさんの共通の友人のKarenさんとRoyさんからオンラインHappy Hourに誘われていました。皆さん不必要な外出を避け、外部との直接的な接触を極力避けるようにしていますし、多くの職場は自宅勤務になり他の人たちとのコミュニケーションが極端に減っています。そういう環境にフラストレーションを感じる人が多く、オンランを使ってのお茶会や飲み会が増えてきました。
Karen&Royさんも積極的にいろいろな人とオンラインで会話しているようで、これはこれでなかなか良いストレス解消になっているとのことでした。会話を始めてみると、驚きなことを彼らは話し始めました。なんと、彼らはなんと3月の初めにポルトガルへ休暇に行っていたそうなのです。この時期にヨーロッパに行ったのか!?と驚きをもって話を聞いてみました。
ところが、それから2日後くらいにトランプ大統領がヨーロッパからの飛行機を禁止させると発表してから事態が急転。米国にいる家族から帰ってこい!の電話が多数かかってきて焦りはじめたそうです。そしてツアー会社が急遽2週間のツアーの中止を決定。すぐに帰国の手続きをはじめ、ヨーロッパ便米国入国禁止の前日にポルトガルから5日間の滞在で戻ってきたそうなのです。
彼らは半月ほどの隔離生活をして、何の症状もなく社会復帰を果たしたそうなのです。そんな話を聞いて僕とDさんは、3月の初旬はもうすでに米国でも必要不可欠な旅行は避けるように勧告していたし、ヨーロッパがコロナでまずいことになっていると報道していたのは周知の通りなのだけれど、まさかこの時期にこんな近くにヨーロッパに行く人がいただなんて驚く以外リアクションがありませんでした。
今回は感染がなかったからよかったものの、これで感染していたらどうなっていたのだろうと想像すると恐ろしい限りです。しかしながら、当事者からするときっといろいろなことを考慮してと今この時期に旅行をすることがかなり危険な行為であるとわかっていても、どこかでもしかしたら大丈夫かもしれないということが頭をよぎるのでしょうね。
(夕飯はステーキを焼いてみまして、付け合わせは焼き野菜。アボカドポテトサラダです)
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Shelter-in-Placeという、外出禁止令が出されてしばらくたっているカリフォルニア州。こちらの外出禁止令は確かに営業できる業種が制限されているものの、ヨーロッパや中国に出された都市封鎖的なものよりもだいぶ緩く、罰金はあるものの大きな意味で基本的に皆さん自由に外を出歩くことができますので、食事も食料の購入は思い立った時にすることができています。
そんな比較的緩い外出禁止令ですが、皆さんしっかりと家に籠り感染拡大を防ごうと努力をしているようで、この日高速道路を走ってみると車はあまり走っておらずがらんとしたものになっていました。この外出禁止令が1か月ほど経ち街の様子はすっかり変わり、営業できる事業は制限され、株価は暴落、街に失業者があふれるようになりました。
そんな街の様子を見て僕が思ったのは、行政、お役所というか政府というものの存在です。普通に暮らしていると、お役所の存在はそれほどはっきりと目に映らないような気がします。通常の生活ですと、お役所のやっていることは基本的に市民が生活を円滑に行えるよう補助的な役割をしていると感じていました。実際そうであろうと思います。
しかし、今のような状況下になるって見て分かったのは、お役所というところは僕たちが思っている以上にものすごい力を持っている機関なのだということです。今回は疫病の広がりを止めるためのものですから全く問題ありません。何の異議もありません。しかしながら、いったんお役所がこうだ!と決めたことは、ものすごい統制力を持って実行できるという事実には驚愕します。
ちなみに上の写真はSF日本街にある日本食料品店ですが、入店人数の制限により食品購入には長い列ができています。SFの大多数の食料品店、ドラッグストアーなどではこのような行列はもう一般的になっているくらいによく見かける光景です。幸い僕たちは郊外に住んでいるので食料品購入に並ぶということはほとんど経験しておらず、彼らよりもずっと楽な生活を送ることができていて幸運に思えます。
話を戻して、今回のこの外出禁止令なのですが、こういうことを話していて、こういう計画があって、こういう意図があって、こういう専門機関と合議しているという過程が前もって知らされることなく、僕としてはほぼいきなりの形で発令されたような印象があります。(もちろん、一刻を争うことでありますし、公衆衛生という名のもとのアクションですから異論はありませんよ。)
そしてそのまま、そのまま営業を許可される業種、閉鎖に追い込まれる業種、(強制ではないがそれに近いものがある)自宅勤務の強い奨励などが、あれよあれよという間に決められて、州民の皆さんがそれに従っているのです。業務停止による金銭的補償も最初の時点ではほとんど話されることなく、あっという間に営業の制限&禁止が決定されていたように感じました。
また、日本街では今週は1968年から行われている第53回目の北カリフォルニア桜祭りがおこなわれるはずでありました。これも州か郡の規制により、53年の歴史上初めての開催中止となりました。これも、もちろん新規感染を止めるためにはこれもやむおえないことであって反対はありません。ただ、こうして振り返ってみるとお役所って物凄い力を持っているのだなということであります。
そして住民も従順にお役所の指示に従っています。こういう部分ではアメリカ人って意外と素直にお役所のことを聞くものなのだなと感心しています。もちろん公衆衛生だからこそここまでやるのであってそれ以外には、これらの権力で住民の生活を脅かすことはないのでしょうけれど、もし万が一この権力を一部の人の利権や考えのために使われたらどうなるのだろうと想像すると恐ろしい気もします。
(Fillmoreの通りではたくさんのお店のショーウィンドウには、ベニヤ板が打ち付かれ、万が一の略奪に備えているようですが、その板に描いてある感染防止啓発用のマスクをつけたクマの絵がかわいかったです。)
日本では外出禁止令的なものではあるものの、法的な強制力もなく皆さんにお願いする形をとっていて、たくさんの方たちがそれでは効力が薄まると反対の声を上げています。これに関して僕はいろいろな邪推をしてしまっています。第二次世界大戦(特に太平洋戦争)は、日本国家が国民総動員法をもって物資や国民の生活を強く統制して戦争への道へ突き進んでいきました。
敗戦後たぶん日本は国家の力をもって国民の生活を統制したことがなかったように思います。日本政府は前例がないとなかなか動きませんが、いったん前例があるとそのノウハウを最大限に発揮して比較的簡単に次の行動をとるような気がします。今回は日本国家がお願いの形をとったのは前例がなくきっと前に進めない形なのでしょう。何となくそれは想像できます。
そんな狙いがあるのだろうかとも考えてしまいます。目的はなんであってもいったん日本政府が強制的な力をもって国民を統制するすべを学ぶと、次はこのノウハウを何に使いたくなるのでしょう。国家の危機があった時に、国民みんなでそれを乗り越えるのは素晴らしいことではあると思います。(実際そこまで日本政府が賢いのか、今の行動を見ていると疑問ですが…笑)
ただ僕は世論というものがとっても無責任で無慈悲で暴力的な力も持っていますし、日本から離れて日本を見ている人間として、どこの国でも多かれ少なかれあるのですが日本人は長いものに巻かれろ的な部分が強く、自分の力で物事を考えることが欠如している人の割合が比較的大きいと感じます。これらを考慮すると、いったん世論を味方につけたその時の政府がこのノウハウをもっていったいどんなことをしてしまうのかと考えてしまいます。
日本政府に余計な前例を作らないためにも、今はここの人間が自らの力で考えて行動してこの感染を最大限に抑える努力をしないといけないときなのではないかと思ってしまいます。政府の指導力を非難するだけでは不十分ですし、あまり賢いこうでもないように目に映ります。
また別の邪推は、日本政府はもしかしたら他のアジア諸国への配慮もあって今期あの緊急事態宣言をお願いという形をとっているということです。先に述べたように、日本はそれほど強い力で国民を統制したことは戦後ないと思われます。日本政府が強い強制力をもって自国民を統制することはやはり国家総動員法を思い起こさせ、アジア諸国からの内政干渉の機会が起こってしまうでしょう。
そういう配慮もあるのかもしれないな~とも思ったりします。自宅での時間がたくさんあって、今まで経験したことのない生活環境になると、頭の中でのいろいろなくだらない想像が湧き出てきますので、頭の中を整理するという意味でダラダラと書き綴ってみました。思いっきりの妄想ですのであまり深く考えないで読んでくださると幸いです。
要するに何が一番言いたいのかというと、このコロナウィルスはたくさんの人を死に至らしめています。人間の命は尊いものですので、大切な人の命を落とさせないためにも、政府がどうこうというよりの一人ひとりが自分の行動を見つめて自分の力で考えて、適度に心地よく暮らすためにも過度に制限することなく、責任を持って行動していくことが大切なのであろうということです。
今回の外出禁止令で精神的圧迫(ストレス)を感じ鬱になる人が多いと報道されています。僕も生活環境、仕事環境の変化でストレスを強く感じ睡眠障害も大きく出てきまして、薬で何とか散らしている感じです。そんな状況なので僕とDさんはいっぱいいっぱいになってきましたので、気晴らしにドライブをしてきました。精神的ケアも自分の力で行うことは重要だと考えます。
そういう理由でのドライブは、結構いい気晴らしになりました。日本街の桜観賞とランチ以外は車から出ておらず、マスクをして最低限の外的接触に抑えて常に消毒をしていましたので、これはこれで感染拡大を抑える原則にのっとったまあ、許される範囲の必要性のある外出だったのではないかとしておきました。
戦時下の隣組のような、正義という名義の他人の行動を監視/避難する暴力は避け、感染拡大防止に協力しつつ、心地よい生活をしていきましょう。ちなみに僕は政治的に右でもなけれは左でもないどちらかと言えば中立的な立場な人間だと思っています。
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そんな街の様子を見て僕が思ったのは、行政、お役所というか政府というものの存在です。普通に暮らしていると、お役所の存在はそれほどはっきりと目に映らないような気がします。通常の生活ですと、お役所のやっていることは基本的に市民が生活を円滑に行えるよう補助的な役割をしていると感じていました。実際そうであろうと思います。
ちなみに上の写真はSF日本街にある日本食料品店ですが、入店人数の制限により食品購入には長い列ができています。SFの大多数の食料品店、ドラッグストアーなどではこのような行列はもう一般的になっているくらいによく見かける光景です。幸い僕たちは郊外に住んでいるので食料品購入に並ぶということはほとんど経験しておらず、彼らよりもずっと楽な生活を送ることができていて幸運に思えます。
話を戻して、今回のこの外出禁止令なのですが、こういうことを話していて、こういう計画があって、こういう意図があって、こういう専門機関と合議しているという過程が前もって知らされることなく、僕としてはほぼいきなりの形で発令されたような印象があります。(もちろん、一刻を争うことでありますし、公衆衛生という名のもとのアクションですから異論はありませんよ。)
また、日本街では今週は1968年から行われている第53回目の北カリフォルニア桜祭りがおこなわれるはずでありました。これも州か郡の規制により、53年の歴史上初めての開催中止となりました。これも、もちろん新規感染を止めるためにはこれもやむおえないことであって反対はありません。ただ、こうして振り返ってみるとお役所って物凄い力を持っているのだなということであります。
そして住民も従順にお役所の指示に従っています。こういう部分ではアメリカ人って意外と素直にお役所のことを聞くものなのだなと感心しています。もちろん公衆衛生だからこそここまでやるのであってそれ以外には、これらの権力で住民の生活を脅かすことはないのでしょうけれど、もし万が一この権力を一部の人の利権や考えのために使われたらどうなるのだろうと想像すると恐ろしい気もします。
(Fillmoreの通りではたくさんのお店のショーウィンドウには、ベニヤ板が打ち付かれ、万が一の略奪に備えているようですが、その板に描いてある感染防止啓発用のマスクをつけたクマの絵がかわいかったです。)
敗戦後たぶん日本は国家の力をもって国民の生活を統制したことがなかったように思います。日本政府は前例がないとなかなか動きませんが、いったん前例があるとそのノウハウを最大限に発揮して比較的簡単に次の行動をとるような気がします。今回は日本国家がお願いの形をとったのは前例がなくきっと前に進めない形なのでしょう。何となくそれは想像できます。
(ランチはカストロ近くのハンバーガーでした)

もしここで日本が、ヨーロッパが現在行っているようなより強い強制力を持つ方法をとった時、日本政府はこれにより前例を作ることになるでしょう。 今回の緊急事態宣言は、まず第一段階で法的拘束力のないものを出し、国民にお願いする。そして第二段階では、それが効力がないのでやむおえないという形でより強い法的拘束力を持つものを出す。そんな狙いがあるのだろうかとも考えてしまいます。目的はなんであってもいったん日本政府が強制的な力をもって国民を統制するすべを学ぶと、次はこのノウハウを何に使いたくなるのでしょう。国家の危機があった時に、国民みんなでそれを乗り越えるのは素晴らしいことではあると思います。(実際そこまで日本政府が賢いのか、今の行動を見ていると疑問ですが…笑)
ただ僕は世論というものがとっても無責任で無慈悲で暴力的な力も持っていますし、日本から離れて日本を見ている人間として、どこの国でも多かれ少なかれあるのですが日本人は長いものに巻かれろ的な部分が強く、自分の力で物事を考えることが欠如している人の割合が比較的大きいと感じます。これらを考慮すると、いったん世論を味方につけたその時の政府がこのノウハウをもっていったいどんなことをしてしまうのかと考えてしまいます。
日本政府に余計な前例を作らないためにも、今はここの人間が自らの力で考えて行動してこの感染を最大限に抑える努力をしないといけないときなのではないかと思ってしまいます。政府の指導力を非難するだけでは不十分ですし、あまり賢いこうでもないように目に映ります。
(コロナビールを箱買いしているイケメン発見!)
そういう配慮もあるのかもしれないな~とも思ったりします。自宅での時間がたくさんあって、今まで経験したことのない生活環境になると、頭の中でのいろいろなくだらない想像が湧き出てきますので、頭の中を整理するという意味でダラダラと書き綴ってみました。思いっきりの妄想ですのであまり深く考えないで読んでくださると幸いです。
要するに何が一番言いたいのかというと、このコロナウィルスはたくさんの人を死に至らしめています。人間の命は尊いものですので、大切な人の命を落とさせないためにも、政府がどうこうというよりの一人ひとりが自分の行動を見つめて自分の力で考えて、適度に心地よく暮らすためにも過度に制限することなく、責任を持って行動していくことが大切なのであろうということです。
今回の外出禁止令で精神的圧迫(ストレス)を感じ鬱になる人が多いと報道されています。僕も生活環境、仕事環境の変化でストレスを強く感じ睡眠障害も大きく出てきまして、薬で何とか散らしている感じです。そんな状況なので僕とDさんはいっぱいいっぱいになってきましたので、気晴らしにドライブをしてきました。精神的ケアも自分の力で行うことは重要だと考えます。
(フィッシャーマンズワーフも人がおらずゴーストタウン化していました)
戦時下の隣組のような、正義という名義の他人の行動を監視/避難する暴力は避け、感染拡大防止に協力しつつ、心地よい生活をしていきましょう。ちなみに僕は政治的に右でもなけれは左でもないどちらかと言えば中立的な立場な人間だと思っています。
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コロナウイルスののおかげで、マスクやゴーグル、消毒用アルコール、消毒用紙ナプキンが長いこと売り切れる事態になっています。職場の方ではいち早くそれらを確保したということなので問題ないのですが、自宅においては全くそれらがない状態でした。ところがテレビで現役のお医者さんが消毒用のハンドジェルは簡単に作れるといて、実際作っている番組を見ました。
意外と簡単なので僕も作ってみよう~!と家の中を探してみると必要なものがちゃんとありました。消毒用ハンドジェルに必要なのはアロエジェル(左)とアルコール(右)だけです。消毒用アルコールはクーロゼットの奥の救急箱に数年眠っていたのがありまして、アロエジェルはハワイに行った時に買った古いものがありました。これらをアルコール2:アロエジェル1の割合で混ぜるだけとのことでした。
僕はこれに天然レモンオイルを数滴混ぜました。混ぜた後は、ほとんどなくなってしまったカラのハンドジェルの容器(中央)に入れれば完成です。完成品はレモンの香りがしてなかなかいい感じであります!ここでの注意点は、完成品はアルコールを入れても大丈夫とされているプラスチックの容器、もしくはガラスの容器に入れないとアルコールが容器に溶け出してしまうとのことでした。
僕の使った容器はプラスチックではありますが、もともとアルコール消毒ジェルが入っていたものですから大丈夫であろうと推測されます。これでしばらくは気兼ねなく手の消毒ができます。
さて、僕の仕事はもともと在宅ワークができるようなものでもなかったのですが、先週からより強化された外出禁止令により、ついに僕の職場もぎりぎりの線まで在宅勤務の幅を広げるようになりました。僕はオフィスに来てもいいとは言われたのですが、できれば在宅勤務してほしいと言われたので在宅勤務90%くらいになりました。それにしてもこの在宅勤務って大変ですね。
今まで仕事の必要なものが仕事場にありましたが、それらを全部家に作り上げないといけないのです。今必要な書類やファイルなどはすべて職場のネットワークの中のオンライン倉庫の中にあるのですが、僕の職場では職場から提供されたPCでないとそれらにはアクセスできないようになっています。僕は既に会社から提供されるラップトップを持っていたのですが、僕よりも多くの患者を担当する部下が、よりそれを必要としていました。
ですのでそちらを彼にあげて、僕はで会社から提供されるラップトップを順番待ちし、それが来るまではオフィスに来て仕事をしていました。しばらくして会社支給のラップトップが手に入り、いろいろとセットアップして家に持ち込んで在宅勤務をし始めました。しかし、やはり職場においてあるちょっとしたものが必要になったりして不便でもあります。
簡単な確認も口頭ではなく、すべてメールやオンライン上のチャットとなりますので、反応が思ったように返ってこなかったり、あの人はこのメッセージを読んだのだろうか?そして仕事に取り掛かっている途中なのだろうか?それともまだ読んでいなくて在宅勤務をいいことに長期の休憩を取っているのだろうか?など、今まで必要のなかった時間と労力と心労が増えました。
それに家の椅子は仕事用の椅子と違いますので、長いこと座っていると足、腰、肩、お尻が痛くなります。結構な痛みですので、その痛みをほぐそうと近所を散歩するようになりました。近所の散歩はCocoとのことを思い出すので全くしなくなっていたのです。近所の散歩道がすべてCocoとつながっているからしょうがないですよね。
それでも、気分転換と運動を兼ねて近所を散歩してみると桜の花が7部咲き位になっていてとってもきれいでした。コロナウイルスの騒動であまり気を付けてみていなかったし、感じることが鈍くなっていましたが、確実に春が訪れているようです。そしてこれらの桜を見てすぐに思い出したのは、あぁ・・・去年ここでDさんにCocoを持ち上げてもらって、無理やり記念撮影したんだなということでした。
家に帰ってブログをたどってみるとやはり去年の今頃にありました。この日も去年と同じくらいの曇り空でいまいちこれでは桜が映えない!と文句を言いながら写真を撮った記憶があります。あの時は桜の花は青空の下で撮らないといまいちだから、まだ今度にしようか~とも一瞬思ったのですが、思い直して無理やり撮ったことも思い出しました。
来年も撮ろうね~と言っていたのに、さくらは今年もきれいに咲いたのに、もうCocoはここにいないのですね。去年の今頃、この写真がCocoと桜の最後の写真になるとは思ってもみませんでした。Dさんにこの写真を見せたら、目を潤ませながらこの写真を撮った時のこと今でも鮮明に覚えていると言って悲しそうでした。あぁぁ、Cocoは本当にもうこの世にいないのだな・・・
悲しすぎる。
桜はきれいに咲いたけれど、
本当に本当に悲しい・・・
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意外と簡単なので僕も作ってみよう~!と家の中を探してみると必要なものがちゃんとありました。消毒用ハンドジェルに必要なのはアロエジェル(左)とアルコール(右)だけです。消毒用アルコールはクーロゼットの奥の救急箱に数年眠っていたのがありまして、アロエジェルはハワイに行った時に買った古いものがありました。これらをアルコール2:アロエジェル1の割合で混ぜるだけとのことでした。
僕の使った容器はプラスチックではありますが、もともとアルコール消毒ジェルが入っていたものですから大丈夫であろうと推測されます。これでしばらくは気兼ねなく手の消毒ができます。
さて、僕の仕事はもともと在宅ワークができるようなものでもなかったのですが、先週からより強化された外出禁止令により、ついに僕の職場もぎりぎりの線まで在宅勤務の幅を広げるようになりました。僕はオフィスに来てもいいとは言われたのですが、できれば在宅勤務してほしいと言われたので在宅勤務90%くらいになりました。それにしてもこの在宅勤務って大変ですね。
今まで仕事の必要なものが仕事場にありましたが、それらを全部家に作り上げないといけないのです。今必要な書類やファイルなどはすべて職場のネットワークの中のオンライン倉庫の中にあるのですが、僕の職場では職場から提供されたPCでないとそれらにはアクセスできないようになっています。僕は既に会社から提供されるラップトップを持っていたのですが、僕よりも多くの患者を担当する部下が、よりそれを必要としていました。
簡単な確認も口頭ではなく、すべてメールやオンライン上のチャットとなりますので、反応が思ったように返ってこなかったり、あの人はこのメッセージを読んだのだろうか?そして仕事に取り掛かっている途中なのだろうか?それともまだ読んでいなくて在宅勤務をいいことに長期の休憩を取っているのだろうか?など、今まで必要のなかった時間と労力と心労が増えました。
それに家の椅子は仕事用の椅子と違いますので、長いこと座っていると足、腰、肩、お尻が痛くなります。結構な痛みですので、その痛みをほぐそうと近所を散歩するようになりました。近所の散歩はCocoとのことを思い出すので全くしなくなっていたのです。近所の散歩道がすべてCocoとつながっているからしょうがないですよね。
それでも、気分転換と運動を兼ねて近所を散歩してみると桜の花が7部咲き位になっていてとってもきれいでした。コロナウイルスの騒動であまり気を付けてみていなかったし、感じることが鈍くなっていましたが、確実に春が訪れているようです。そしてこれらの桜を見てすぐに思い出したのは、あぁ・・・去年ここでDさんにCocoを持ち上げてもらって、無理やり記念撮影したんだなということでした。
家に帰ってブログをたどってみるとやはり去年の今頃にありました。この日も去年と同じくらいの曇り空でいまいちこれでは桜が映えない!と文句を言いながら写真を撮った記憶があります。あの時は桜の花は青空の下で撮らないといまいちだから、まだ今度にしようか~とも一瞬思ったのですが、思い直して無理やり撮ったことも思い出しました。
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サンフランシスコベイエリアに緊急事態宣言が出されてもう少しで1か月が経とうとしています。最初のうちは手探り状態で、次第にたくさんのビジネスがストップして、ほとんどの人が自宅からの勤務、車の往来がぐっと減り、レストランでの外食もできなくなり、理容店での散髪もできないので髪は伸び放題となる・・・が定番となるとかなりストレスが溜まってきますね。
そんなストレス解消の相手は、今までならばCocoでした。Cocoが相手をしてくれることにより落ち込んだ気分も随分と紛らわしてもらっていました。Cocoがいなくなって分かったのは、この家にいたCocoという存在そのものが、どれだけ僕たちの精神安定剤になってのだろうかということです。今更ながら、ものも言わぬ白犬は僕たちの大きな心のよりどころになっていました。
さて、Cocoのごはん用のどんぶりは、やはり捨てることができないのです。でも再利用していないとDさんに捨てられる恐れがあるので何としても、利用法を思いつかないといけません!そんな訳でリスのヒマワリの種入れとして庭の方において置くことにしました。すると毎日のようにリスがやってきてヒマワリの種を食べに来るようになりました。
これがまた面白くって、庭の木の上、その木の下、そしてベランダの3か所にヒマワリの種を置くようにしたのですが、朝来るリスや昼過ぎに来るリス、そして夕方に3匹でやって来るリスなどがいまして、在宅勤務に疲れた時にぼ~とみているとなかなか楽しいものがあります。もちろん、Cocoの癒しに比べると微々たるものではありますが、Cocoのごはん丼を使ってくれているのを見ると嬉しくなります。
緊急事態宣言が発令された後のカリフォルニアではレストランの営業が続くものの、お持ち帰りのみの営業が許可されているのみで、レストランでの食事は禁止されました。そのため、レストランの営業そのものを休止するところが多くなりました。そんな環境下で生き残りにかけて、お持ち帰り充実作戦を実行するお店もちらほらと聞かれるようになりました。
こちらのレストランは、通常営業時には一度も訪問したことがないお店でありました。この緊急事態宣言でお持ち帰りのみになったことにより、お持ち帰りができるお店のリストで、どんなお店なら食べ物を買うことができるのだろうと何気なく見た時、こちらのお店を見つけました。今までお持ち帰りをほとんどやっていなかったお店でさえもお持ち帰りをするようになったのを多くみるようになりました。
今回頼んだものはミステリーバックなる、その日によって違うものが詰めわせとなるもの。 ミステリーバックには、照り焼きチキン、ホタテのマカロニサラダ、鮭のフライタルタルソース付け、刺身盛り合わせが入っていまして、2人でこれは十分だろうという量でした。そして味の方は、どの料理も文句ないほどおいしくて、刺身の新鮮さと質の良さはうなってしまうほどでありました。
今回は初めてだったのでミステリーバックがどれくらいの量か分からなかったので足りないと困ると思い、これに加えてミニちらしもオーダーしました。そしてこのミニちらしはミニとは言いつつも成人男性一人が食べるのには十分な量でありました。いくら、マグロ、鮭、ウナギ、白身魚、ホタテ、エビなどがのり結構な豪華バージョンでありました。これらの料理に僕もDさんも大満足!
地元の小さなビジネスには頑張ってもらいたいですし、働いている人たちの生活も保障してもらいたいですから、仕事をクビにならず安定したお給料をいただいている僕たちはなるべくこういうお持ち帰りをして、地元のビジネスを支えてあげたいものです。
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そんなストレス解消の相手は、今までならばCocoでした。Cocoが相手をしてくれることにより落ち込んだ気分も随分と紛らわしてもらっていました。Cocoがいなくなって分かったのは、この家にいたCocoという存在そのものが、どれだけ僕たちの精神安定剤になってのだろうかということです。今更ながら、ものも言わぬ白犬は僕たちの大きな心のよりどころになっていました。
これがまた面白くって、庭の木の上、その木の下、そしてベランダの3か所にヒマワリの種を置くようにしたのですが、朝来るリスや昼過ぎに来るリス、そして夕方に3匹でやって来るリスなどがいまして、在宅勤務に疲れた時にぼ~とみているとなかなか楽しいものがあります。もちろん、Cocoの癒しに比べると微々たるものではありますが、Cocoのごはん丼を使ってくれているのを見ると嬉しくなります。
緊急事態宣言が発令された後のカリフォルニアではレストランの営業が続くものの、お持ち帰りのみの営業が許可されているのみで、レストランでの食事は禁止されました。そのため、レストランの営業そのものを休止するところが多くなりました。そんな環境下で生き残りにかけて、お持ち帰り充実作戦を実行するお店もちらほらと聞かれるようになりました。
こちらのレストランは、通常営業時には一度も訪問したことがないお店でありました。この緊急事態宣言でお持ち帰りのみになったことにより、お持ち帰りができるお店のリストで、どんなお店なら食べ物を買うことができるのだろうと何気なく見た時、こちらのお店を見つけました。今までお持ち帰りをほとんどやっていなかったお店でさえもお持ち帰りをするようになったのを多くみるようになりました。
2566 B Telegraph Ave
Berkeley, California 94704
こちらのきらくさんは急展開なレストランの閉店(持ち帰りのみOK) により市場で過剰になった食材を裁くためお得な値段で提供しているとのことでした。見てみるとなかなか美味しそうなものがたくさん並んでいまして、評判もよさそうでありました。それじゃ、試しに一度頼んでみましょうか?と電話してほしいものを告げて、ピックアップは5時ということでオーダーを完了しました。今回頼んだものはミステリーバックなる、その日によって違うものが詰めわせとなるもの。 ミステリーバックには、照り焼きチキン、ホタテのマカロニサラダ、鮭のフライタルタルソース付け、刺身盛り合わせが入っていまして、2人でこれは十分だろうという量でした。そして味の方は、どの料理も文句ないほどおいしくて、刺身の新鮮さと質の良さはうなってしまうほどでありました。
地元の小さなビジネスには頑張ってもらいたいですし、働いている人たちの生活も保障してもらいたいですから、仕事をクビにならず安定したお給料をいただいている僕たちはなるべくこういうお持ち帰りをして、地元のビジネスを支えてあげたいものです。
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コロナ騒動で皆さん食料を多めに購入しています。僕たちの家は基本的にストック食品の量が普通の家よりも多いせいか、これといった買いだめをすることなくいつもの普通の量を買えば結構な期間は大丈夫な家であります。しかしながら、生鮮食料品はこまめに買っておかないといけないのですね。そろそろ買い出しに行かなくてはいけないなという時期になってきました。
そのため冷蔵庫の収納量をチェックすべく、いろいろと整理していたら冷蔵庫の野菜を入れる引き戸の奥の方に忘れ去られていたサツマイモが入っていました。僕は基本的に好き嫌いが少なく何でも食べることができるのですが、実はサツマイモがいまいち好きではなく出されれば食べることができるものの、どちらかというと苦手なものに入るのです。
なぜそのさつまいもがあるかと言いますと、そうなのです・・・これは僕がCocoの食事のために毎回使っていたサツマイモなのでありました。Cocoが食事をしなくなって、僕たちが右往左往しているころから冷蔵庫の片隅で忘れ去られた存在になりました。Cocoのために今まで作っていたもの以外の食べ物を探してCocoに食べさせていて、そしてCocoが亡くなるまでじっと冷蔵庫で彼らは息をひそめていたのです。
長い期間冷蔵庫で寝かしつけられたせいで、少ししなびてしまっていました。これどうしようか・・・?と思っていると、Dさんはもう食べれないし、君はサツマイモ好きでもないし、捨てしまえばいい!というのですが、Cocoに関するものをなかなか捨てることができない僕は、Cocoのために買ったこんなサツマイモさえも愛おしく感じてしまい、捨てることができない心情でありました。
しかし半分しなびたサツマイモにはそれほど存在価値がありません。捨てるしかないのか?と思った時に僕が思いついたこのサツマイモの活用法は・・・庭に植える!ということでした。多少しなびていても、土の中に植えれば芽が出るかもしれないし、そしてそこからまた新たな生命が息吹き、新たなサツマイモが収穫できるかもしれません。
そうしたらサツマイモ好きなDさんにサツマイモの料理を作ってあげることができ、Cocoの思い出にもなるかもしれない。そんな訳でありまして、あきれているDさんを横目で見ながら一生懸命泥だらけになって庭の花壇に穴をあけ、腐葉土をかけサツマイモを植えてみました。このサツマイモに第二のチャンスを与えてみることにしたということです。
そういえば、Cocoも殺処分から第二のチャンスで我が家にやってきたのだのですよね。そう思うと何となくいいことをしたというような自己満足感が満たされます。さてそのCocoにとって、4月7日はCocoが亡くなってから1カ月たちまして初めての月命日となりました。コロナ騒動のせいもあって毎日がドタバタしていて、Cocoが亡くなってからそんなに経ってしまったのかという感じがあります。
それと同時にまだあれから1カ月しかたっていないのか、という感じも同時にあるのです。Cocoがいつもの定位置に座っていた場所に、今は小さな遺灰があるのを見るとまだまだ悲しみが強く沸き起こります。Cocoに触れることができたのがつい先ほどであったような気もするし、もう遠い昔のような気もする、全くもって落ち着かない混同した心持の毎日であります。
Dさんと2人でCocoを亡くしたことは、あまりの大きな痛みに打ちひしがれています。
この日の夕飯は以前作ったミートソースが冷凍庫の中に眠っていたのでそれを利用してスパゲッティーミートソースにしました。コロナの外出禁止令に伴い、家で食べることが多くなりました。そこで冷蔵庫も冷凍庫もしっかりと再見分したので、いろいろと眠っている食材を掘り起こして在庫整理も一緒にしてしまおうと実行しています。
巷ではスパゲッティーなどの乾麺系がなかなか手に入らないと言われています。しかし我が家ではしっかりいつも通りストックがなされていました。低炭水化物食事をするように心がけるようになってからはあまり家でパスタを食べなくなりましたので、余計に十分なストックがあるという感じであります。写真奥のパンも、以前買ったものが冷凍しておいたったのでそれもオーブンで温めました。
これに野菜サラダを付け合わせれば、まあOKな夕飯になりました。
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そのため冷蔵庫の収納量をチェックすべく、いろいろと整理していたら冷蔵庫の野菜を入れる引き戸の奥の方に忘れ去られていたサツマイモが入っていました。僕は基本的に好き嫌いが少なく何でも食べることができるのですが、実はサツマイモがいまいち好きではなく出されれば食べることができるものの、どちらかというと苦手なものに入るのです。
長い期間冷蔵庫で寝かしつけられたせいで、少ししなびてしまっていました。これどうしようか・・・?と思っていると、Dさんはもう食べれないし、君はサツマイモ好きでもないし、捨てしまえばいい!というのですが、Cocoに関するものをなかなか捨てることができない僕は、Cocoのために買ったこんなサツマイモさえも愛おしく感じてしまい、捨てることができない心情でありました。
しかし半分しなびたサツマイモにはそれほど存在価値がありません。捨てるしかないのか?と思った時に僕が思いついたこのサツマイモの活用法は・・・庭に植える!ということでした。多少しなびていても、土の中に植えれば芽が出るかもしれないし、そしてそこからまた新たな生命が息吹き、新たなサツマイモが収穫できるかもしれません。
そうしたらサツマイモ好きなDさんにサツマイモの料理を作ってあげることができ、Cocoの思い出にもなるかもしれない。そんな訳でありまして、あきれているDさんを横目で見ながら一生懸命泥だらけになって庭の花壇に穴をあけ、腐葉土をかけサツマイモを植えてみました。このサツマイモに第二のチャンスを与えてみることにしたということです。
それと同時にまだあれから1カ月しかたっていないのか、という感じも同時にあるのです。Cocoがいつもの定位置に座っていた場所に、今は小さな遺灰があるのを見るとまだまだ悲しみが強く沸き起こります。Cocoに触れることができたのがつい先ほどであったような気もするし、もう遠い昔のような気もする、全くもって落ち着かない混同した心持の毎日であります。
Dさんと2人でCocoを亡くしたことは、あまりの大きな痛みに打ちひしがれています。
この日の夕飯は以前作ったミートソースが冷凍庫の中に眠っていたのでそれを利用してスパゲッティーミートソースにしました。コロナの外出禁止令に伴い、家で食べることが多くなりました。そこで冷蔵庫も冷凍庫もしっかりと再見分したので、いろいろと眠っている食材を掘り起こして在庫整理も一緒にしてしまおうと実行しています。
これに野菜サラダを付け合わせれば、まあOKな夕飯になりました。
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この日記は前回の続きです
1.シカモア温泉へ
2.Goshi Sushi @ San Luis Obispo
温泉に入って束の間の休息をして、夕飯には美味しい海鮮を食べて、また温泉に入ってゆっくりと眠りました。と・・・言いたいところでしたが、このホテルはどうも壁が薄いらしく僕たちの上に泊まっていた若いカップルが、この個室温泉で燃え上がったらしく夜も朝もベットのきしむ音と男女の絡む喘ぎ声が聞こえてきて、リラックスする暇を与えてくれませんでした・・・
上の階なのに、すぐそばでむつみあっているくらいの臨場感あふれるサラウンド音響効果はなかなかのものでした。女性よりも男性の声が多かったのが印象的でした。そんな訳でそんな燃え上がる音で朝早くから目が覚めてしまったので、寝るのはあきらめてベランダのバスタブにお湯を入れて朝風呂を楽しむことにしました。少し冷えた外で入る温泉はいいものですね。気持ちよかったです。
朝温泉をした後は、荷物をまとめて宿をチェックアウトして、ランチは宿に併設されたレストランの方でとることにしました。
ここの宿ですが、アメリカにしては皆さん接客大度がすごく良くてチェックインも、チェックアウトの時も大変親切で温かみのある対応をしてくれました。レストランの方でも従業員がちゃんとした接客をしてくれたのが印象的でした。どの従業員もちゃんとした接客をしてくれるので、きっとマネージメントで接客に関してしっかりとしたトレーニングをしているのでありましょう。
さてこちらのレストランでは、Dさんは朝からブラッディマリーを頼みました。僕は前の日にシャンパンをしっかりと飲みすぎたのでこの日はもうアルコールはいいという気分でしたので、水だけにしておきました。すると、Dさんは飲まないの?じゃあぁ、運転頼んでいい?そしたらもっと飲める~と嬉しそうでした。この人本当に酒が好きです・・・
ランチの方ですが、前日の夕飯が海鮮でしたので僕なお肉食べたいモードになっていました。するとメニューにNYステーキとポテトフライが書かれていましたので、迷わずこちらの方を選びました。8ozということですから約226gという、ランチにはちょうどいいくらいの大きさであります。こちらをミディアムレアに焼いてもらうことにしました。
そしてやってきたのがこちらです! 肉厚のニューヨークステーキは上手にミディアムレアに焼き上げてありまして、大変美味しかったです。ポテトフライの方はチーズやハーブなどが振りかかって、アイオリソースも添えられていてひと手間かけてありました。味も、量もお昼ごはんにはちょうど良く、大満足することができた一品でありました。
Dさんの方は朝からバーガーな気分だったそうですので、当然のごとくハンバーガーを頼みました。日本食も好き嫌いなく食べる人ではありますが、ハンバーガーやピザが好き好んでオーダーするのを見るたびに、やっぱりこの人はアメリカ~ンなんだなぁと思わされます。そしてやってきたのがこちらのベーコン入りのクラシックバーガーであります。
付け合わせにポテトフライかサラダが選ぶことができるそうで、サラダを選んだようです。ドレッシングにはシンブルにバルサミコ酢とオリーブオイルにしてこれらを適度に混ぜて振りかけました。さて、肝心のバーガーの方ですが、彼曰く激うま!だったそうです。とにかく肉質がよく、焼き方も絶妙だったのでこれはリピートしたい、ハンバーガーであったそうです。
満足ランチを食べた後は、2人で車に乗って家に戻ります。僕はアルコールを一切取っていなかったので運転係となりました。山道をグネグネと走らなくてはいけないレイクタホやマウントシャスタと違って、こちらへの道のりは至って平たんなので気分的に多変楽でした。おまけに一番のネックとなるサンフランシスコベイエリアに入っても外出禁止令のため渋滞もありませんでした。
初めてのシカモア温泉は残念ながら1泊となってしまい、そこまでのんびりとできるものではありませんでしたが、それでも美味しいものを食べて温泉に入ることができていい気晴らしになりました。昼はラーメン、温泉に入った後は、日本食の海鮮。まるで日本にでも来たかのような夢のような一日でありました。
このシカモア温泉は予想以上にいいものでしたので、次回は連泊してゆっくりとした時間を過ごしたいと思います。帰り道にら時をから流れるニュースを聞くと新型コロナウイルスの報道が流れてきます。この時は、そこまで深刻な感じがなかったのですが、この日の2日後にカリフォルニア州全体に外出禁止令が出されました。
そして、カリフォルニア州をはじめとする米国はCOVID-19攻防戦に深く暗く巻き込まれていきました。
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2.Goshi Sushi @ San Luis Obispo
温泉に入って束の間の休息をして、夕飯には美味しい海鮮を食べて、また温泉に入ってゆっくりと眠りました。と・・・言いたいところでしたが、このホテルはどうも壁が薄いらしく僕たちの上に泊まっていた若いカップルが、この個室温泉で燃え上がったらしく夜も朝もベットのきしむ音と男女の絡む喘ぎ声が聞こえてきて、リラックスする暇を与えてくれませんでした・・・
朝温泉をした後は、荷物をまとめて宿をチェックアウトして、ランチは宿に併設されたレストランの方でとることにしました。
ここの宿ですが、アメリカにしては皆さん接客大度がすごく良くてチェックインも、チェックアウトの時も大変親切で温かみのある対応をしてくれました。レストランの方でも従業員がちゃんとした接客をしてくれたのが印象的でした。どの従業員もちゃんとした接客をしてくれるので、きっとマネージメントで接客に関してしっかりとしたトレーニングをしているのでありましょう。
ランチの方ですが、前日の夕飯が海鮮でしたので僕なお肉食べたいモードになっていました。するとメニューにNYステーキとポテトフライが書かれていましたので、迷わずこちらの方を選びました。8ozということですから約226gという、ランチにはちょうどいいくらいの大きさであります。こちらをミディアムレアに焼いてもらうことにしました。
Dさんの方は朝からバーガーな気分だったそうですので、当然のごとくハンバーガーを頼みました。日本食も好き嫌いなく食べる人ではありますが、ハンバーガーやピザが好き好んでオーダーするのを見るたびに、やっぱりこの人はアメリカ~ンなんだなぁと思わされます。そしてやってきたのがこちらのベーコン入りのクラシックバーガーであります。
満足ランチを食べた後は、2人で車に乗って家に戻ります。僕はアルコールを一切取っていなかったので運転係となりました。山道をグネグネと走らなくてはいけないレイクタホやマウントシャスタと違って、こちらへの道のりは至って平たんなので気分的に多変楽でした。おまけに一番のネックとなるサンフランシスコベイエリアに入っても外出禁止令のため渋滞もありませんでした。
初めてのシカモア温泉は残念ながら1泊となってしまい、そこまでのんびりとできるものではありませんでしたが、それでも美味しいものを食べて温泉に入ることができていい気晴らしになりました。昼はラーメン、温泉に入った後は、日本食の海鮮。まるで日本にでも来たかのような夢のような一日でありました。
そして、カリフォルニア州をはじめとする米国はCOVID-19攻防戦に深く暗く巻き込まれていきました。
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カリフォルニアではレストランの営業はお持ち帰りのみになっている現在。
この日記は禁止令が始まる直前の出来事であります。
1.シカモア温泉へ
カリフォルニア州知事とサンフランシスコベイエリア周辺の6カウンティの出した外出禁止令が発令された日、僕たちはその数時間前に沖縄そばを食べ、サンフランシスコベイエリアから4時間半ほど南に向かった町に行っていました。この町ではまだ外出禁止令が出されていなかったので、平穏そのものの様子でありましたが、この3日後にカリフォルニア州全体に禁止令が出されました。
とにかくかろうじて禁止令が出る直前にシカモア温泉の方にやってきたという感じです。本当は2泊ほどのんびりするつもりでしたが、サンフランシスコベイエリアに外出禁止令が出されたため、2人とも仕事場でその対処に追われるだろうと休暇になっていたのですが、仕事に戻ることに決めて1泊だけこの町の方に泊まることにしました。ですから完全リラックスというものではありませんでした。
こんな田舎町だから日本食もなんちゃってでありましょう~と全然期待していない僕でありました。Dさんはどうしてここに惹かれたのかよくわかりませんが、たぶん僕を元気づけようとしてここを探してきてくれたのでしょう。予約を入れてその時間に店の方に行くと、受付の女性は日本から来た日本人らしき人でありました。他にも日本人の従業員がいました。
寿司を握っているメインの方は日本から来た日本人のようで、他の日本人従業員とはなんちゃって日本語ではなく、普通に日本語で話しています。もう一人いる寿司シェフはラティーノのようでして、日本人数名の従業員のほかは後はラティーノが占めているようですが、日本人がちゃんと要所要所に働いているのを見ると、なんちゃってではなくまともな寿司屋なのかも?と期待感が出てきました。
メニューを見てみると、お寿司がメインではあるものの照り焼きや、焼き魚、すき焼き、天麩羅などもありまして、お値段はサンフランシスコベイエリアに匹敵するものでもありました。僕はすごくお腹がすいていたので鶏のから揚げをおつまみに頼みまして、Dさんは梅酒、僕は運転なのでお茶で乾杯です。から揚げは日本の普通の鶏のから揚げで美味しかったです。
握り寿司を個々で頼むか、握り寿司セットにしようか、それともコンビネーションディナーにしようかと悩んでいた時に目に入ってきたのがちらし寿司でした。握りも好きですが僕はちらし寿司も大好きなので北海丼か生ちらしにしようか悩んでいたところ、Dさんもちらし寿司にしたいとのことでしたので、かぶらないように北海丼にしてみました。これにはサラダとみそ汁が付きました。
そしてやってきたのがDさんの生ちらしどんぶりでありました。いくら、エビ、ホタテ、味のたたき、ハマチ、鮭、ホタルイカ、鯛、〆サバ、ヒラメ、マグロ、ウニが入った大変豪華なものでありました。これにはDさんも大喜びです。これで$28ですから、決してお安くはないのですが上にのっている海鮮の種類を考えると、そんなに悪くはないような気がします。
そしてこちらが僕の頼んだ北海丼であります。こちらには鮭、いくら、カニ、ホタテ、北寄貝、ボタンエビ、ウニがのったこれまた豪華などんぶりでありました。そして肝心の魚介類ですが、新鮮で文句のつけよがないくらい質の良いものを提供しているようでした。こんな場所でここまでハイクオリティーの海鮮が食べれるなんて思ってもみませんでした。
お店は日曜日の夜にも関わらずしっかり混んでいました。お店は95%ほど白人の客でしめられていましたし、彼らの頼むものは相変わらずわけのわからない巻物が多かったのはやはりアメリカ~ンな感じではありましたが、メインの寿司シェフはしっかり修業を積んだ方のように見えまして、お寿司を握っている姿も凛々しいものでありました。
Dさんと2人で満足してお腹がいっぱいになってきましたが、ちらし寿司でさえここまで美味しいのなら、握りずしも食べておいた方がいいかもね~と一つだけ頼んでみました。それがこちらの、バフンウニとホタテの握りでありました。醤油を少しだけさして、一気に丸ごと口の中に入れてみました。すると、ウニとホタテの海の幸の甘みが口に広がります。
ウニ独特の濃い風味と、ぷりぷりの食感のあまりホタテがすし飯と素晴らしいハーモニーを口の中で奏でてくれました。ちらし寿司も握りもとっても美味しかったので大喜びしていた2人ですが、それを見た寿司シェフが、明日は休みなのでもしよかったらあん肝でもなんでもお出ししますよ!と伝えてくれました。あと10年若かったら多分、喜んで恥も外聞もなくいただいたことでしょう。
しかしながら、本当に2人ともお腹がいっぱいでこれ以上食べたら今までの美味しい経験が行き過ぎ経験になってしまうと思い、丁重にお断りしました。サービスも食事も満足できましたのでDさんと2人でもしもまたシカモア温泉に来るのならここもリピートしなくてはいけないねと話していました。ごちそうさまでした、大変美味しかったです。
ちなみに寿司シェフと若い日本人男子の2人のウェイターさんは親子関係なのだそうです。客にはとってもまろやかな対応をしている寿司シェフが、厳しい口調でウェイター男子に接しているのでもしかしたら?と思ってウェイター君に聞いたら、”はい、そうです。私の父です!”と答えてくれました。家族で頑張る日本食屋さん、応援したいですね!
今考えるとこれがコロナ騒動前の最後の外食夕飯となりました。しっかり食べてしっかり満足して、少し部屋で休んでお腹が落ち着いた後はまた、温泉をたっぷりと湯船にためて、寝る前の温泉を楽しませていただきました。
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この日記は禁止令が始まる直前の出来事であります。
1.シカモア温泉へ
カリフォルニア州知事とサンフランシスコベイエリア周辺の6カウンティの出した外出禁止令が発令された日、僕たちはその数時間前に沖縄そばを食べ、サンフランシスコベイエリアから4時間半ほど南に向かった町に行っていました。この町ではまだ外出禁止令が出されていなかったので、平穏そのものの様子でありましたが、この3日後にカリフォルニア州全体に禁止令が出されました。
とにかくかろうじて禁止令が出る直前にシカモア温泉の方にやってきたという感じです。本当は2泊ほどのんびりするつもりでしたが、サンフランシスコベイエリアに外出禁止令が出されたため、2人とも仕事場でその対処に追われるだろうと休暇になっていたのですが、仕事に戻ることに決めて1泊だけこの町の方に泊まることにしました。ですから完全リラックスというものではありませんでした。
570 Higuera St #155,
San Luis Obispo, CA 93401
それでも、ちょこっとだけでも温泉に入って美味しいものを食べることができたのは、外出禁止令が2カ月近く伸ばされてしまった今の状況を考えると行ってよかったなと思えます。さて、温泉に入って、シャンパンを飲んで酔いをすっかり醒ました後に夕飯に繰り出しました。やってきたのは日本食レストランです。これは僕の希望ではなく、Dさんが探してここに行こう~と提案してくれた場所です。San Luis Obispo, CA 93401
こんな田舎町だから日本食もなんちゃってでありましょう~と全然期待していない僕でありました。Dさんはどうしてここに惹かれたのかよくわかりませんが、たぶん僕を元気づけようとしてここを探してきてくれたのでしょう。予約を入れてその時間に店の方に行くと、受付の女性は日本から来た日本人らしき人でありました。他にも日本人の従業員がいました。
メニューを見てみると、お寿司がメインではあるものの照り焼きや、焼き魚、すき焼き、天麩羅などもありまして、お値段はサンフランシスコベイエリアに匹敵するものでもありました。僕はすごくお腹がすいていたので鶏のから揚げをおつまみに頼みまして、Dさんは梅酒、僕は運転なのでお茶で乾杯です。から揚げは日本の普通の鶏のから揚げで美味しかったです。
握り寿司を個々で頼むか、握り寿司セットにしようか、それともコンビネーションディナーにしようかと悩んでいた時に目に入ってきたのがちらし寿司でした。握りも好きですが僕はちらし寿司も大好きなので北海丼か生ちらしにしようか悩んでいたところ、Dさんもちらし寿司にしたいとのことでしたので、かぶらないように北海丼にしてみました。これにはサラダとみそ汁が付きました。
そしてこちらが僕の頼んだ北海丼であります。こちらには鮭、いくら、カニ、ホタテ、北寄貝、ボタンエビ、ウニがのったこれまた豪華などんぶりでありました。そして肝心の魚介類ですが、新鮮で文句のつけよがないくらい質の良いものを提供しているようでした。こんな場所でここまでハイクオリティーの海鮮が食べれるなんて思ってもみませんでした。
Dさんと2人で満足してお腹がいっぱいになってきましたが、ちらし寿司でさえここまで美味しいのなら、握りずしも食べておいた方がいいかもね~と一つだけ頼んでみました。それがこちらの、バフンウニとホタテの握りでありました。醤油を少しだけさして、一気に丸ごと口の中に入れてみました。すると、ウニとホタテの海の幸の甘みが口に広がります。
ウニ独特の濃い風味と、ぷりぷりの食感のあまりホタテがすし飯と素晴らしいハーモニーを口の中で奏でてくれました。ちらし寿司も握りもとっても美味しかったので大喜びしていた2人ですが、それを見た寿司シェフが、明日は休みなのでもしよかったらあん肝でもなんでもお出ししますよ!と伝えてくれました。あと10年若かったら多分、喜んで恥も外聞もなくいただいたことでしょう。
ちなみに寿司シェフと若い日本人男子の2人のウェイターさんは親子関係なのだそうです。客にはとってもまろやかな対応をしている寿司シェフが、厳しい口調でウェイター男子に接しているのでもしかしたら?と思ってウェイター君に聞いたら、”はい、そうです。私の父です!”と答えてくれました。家族で頑張る日本食屋さん、応援したいですね!
今考えるとこれがコロナ騒動前の最後の外食夕飯となりました。しっかり食べてしっかり満足して、少し部屋で休んでお腹が落ち着いた後はまた、温泉をたっぷりと湯船にためて、寝る前の温泉を楽しませていただきました。
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Cocoが亡くなってから、2人ともすっかり落ち込んで年を取って老け込んでしまった感があります。家のどこかでCocoの足音のようなものが聞こえると、Cocoがいないのに2人とも過敏に反応してしまい、がっかりしていることが多々あります。暖炉の上にCocoにまつわるものを集めてお線香をあげてCocoのいなくなった家が少しでも寂しくないようにしようとしていますが、結構無駄な努力でもあります。
Cocoの写真を見ても涙ぐんでしまいますし、家の中でふとしたところにCocoのために買い求めたものがふと現れてくると、あぁ~あんなときにこれはCocoのために買ったんだよね。。。と2人どもしんみりとしてしまい、何を見ても落ち込んでしまうという悲しみのスパイラルの深みにはまりこんでいる毎日でありました。Coco Lostのインパクトはすさまじいものがあります。
PCの前に座って、いつものように日記を書こうとするのですが日記にはCocoの写真がたくさん掲載されているのでそれを見るたびに、せっかくPCの前に座って書こうとしていた意欲が注がれてしまい、なかなか書き進めることができませんでした。今回の日記ももう結構前のことですがようやく書くことができるようになったという感じです。
近所の人たちが最近Coco散歩しないわね?と聞いてきたのでCocoの亡くなったことを話したら、それを聞きつけた優しき隣人たちがCocoの死を悼むカードを送ってくれました。それも結構な数の人たちが送ってくれたのですが、やはり彼らはご自身が愛犬、愛猫を亡くした経験を持っているそうで、彼らの添えてくれたメッセージは読んだ僕たちが再び涙を流すような、温かな優しい気持ちがあふれていました。
Cocoが亡くなって3日後、仕事の帰りになぜかその日に限っていつもと違う道を通りかえっていたら、元同僚のKLさんに偶然会うことがありました。KLさんは僕の働く職場で医師として働いていた方で、この職場を去った後もずっと仲良くさせてもらっています。この家に移ってからホームパーティーで、一緒に皆さんと手巻き寿司を食べたこともあります。
そう頻繁に会うこともないのですが、久しぶりに会い世間話で済ませるつもりだったのですが、KLさんがCocoはどう?元気にしてる?と聞いてきたので隠すことでもないので、Cocoが亡くなったことを話したら、案の定僕は涙大放出の状態になってしまい、それにつられてKLさんも涙を流す事態になっていました。一区切りついてまた会おうね~と言ってお別れしました。
ところが、その数時間後KLさんは奥さんと娘さんを伴って3人でCocoのことは残念だったねと僕たちの家の方に蘭の花とワインと食べ物を持ってきてくれたのです。たまにしか会わなかった3人ですが、彼らはCocoには優しく接してくれましたが、わざわざこうして家の方までやってきてくれプレゼントを持ってきてくれた優しさに僕もDさんも感謝の涙を流してしまいました。
自分たちは大丈夫と思っていても、こうして他の方たちの優しく温かな心に触れるとやはり人っていいものだな~と素直に思えます。
さて、この日記のタイムラインははカリフォルニアではコロナウイルスのことが話題になっていてもそこまで深刻な頃ではありません。僕たちは月と火の2日間の休暇を申請して、Cocoのことでハートブレイクした気持ちをいやすために温泉旅行に行こうと決めていました。そして、その週末にコロナウイルスの問題がどんどんと報道されるようになったのです。
ですから、万が一のことを考えて2泊で泊まる予定だった宿を1泊だけにして、状況が問題ないようであれば、宿の方でもう1泊伸ばしてもらうようにしようと決めまして、出発しました。お昼少し前に家の方を出発して、ちょうどお昼ごとに南の街にやってきましたので久しぶりにDさんの好きなラーメン屋の方へ寄ってみることにしました。
そんな訳で僕たちが食べたのはソーキ無しの沖縄そばでした。しかし、久しぶりの沖縄そばはラーメンと違った味わいがありまして十分満足することができました。この頃はコロナウイルスの影響でレストラン業界は客足が落ち込んでいましたが、まだレストランでの食事ができていました。実はこの3時間後にサンフランシスコベイエリアではレストランでの食事が禁止になりました。
沖縄そばを食べて3時間後にDさんは職場から電話がかかってきてもうすぐ知事が大きな発表をしてサンフランシスコベイエリアに大きな外出禁止勧告を出すとの連絡がありました。そして、すぐに車で聞いていたラジオ放送で、知事がサンフランシスコべエリアに外出禁止勧告を出しました。これを聞いて僕とDさんは、温泉は2泊じゃなくて1泊で仕事に戻らないといけないね~と判断しました。
さて、車で南下すること4時半で今回の目的地であるSan Luis Obispoにある、シカモア温泉の方に到着しました。このシカモア温泉は米国、カリフォルニアに住む日本人の間では結構有名な温泉ホテルでありまして、僕は長いこと名前を聞いていて一度は行きたいな~と思っていたものの一度も行ったことがなかった場所でありました。
なんでもここの温泉は硫黄泉特有の匂いがするので、アメリカンな人たちはその匂いが体中につき、服にも匂いがついてしまうのを嫌がるそうでありまして、その要望に応えグレードの高い部屋はあまり温泉の匂いのしない水で薄めた温泉になっているとのことでした。僕もDさんも硫黄泉の匂いは好きなので源泉かけ流しのできる部屋の方に泊まることにしました。
最初はマウントシャスタの方に行こうか~とも言っていたのですが、マウントシャスタはCocoと一緒に何度も行った思い出の地であります。ですから、2人ともきっと寂しくなってしまうであろうと考え、Cocoと一緒に行ったことのない場所を選んでいて、最初はサンタバーバラを上げていたのですが、温泉っていいじゃないか~と思いこの場所にたどり着いたということであります。
ベランダに備え付けてあるアメリカ~んな普通の風情も何もないプラスチックのバスタブにお湯を入れ始めると、硫黄泉独特のいい香りが漂ってきてDさんも僕も、あぁ~日本の温泉の匂いがする~と喜んでいました。大きなバスタブにお湯を入れている間に家から持ってきたシャンパンを開けて、この前の夏に行ったフランスのカンヌで買ってきたフォアグラも開けてDさんと2人で精進落としもどき。
2人で明るくCocoの思い出話をして大笑いしたり、たくさんの涙を流したりしてストレスを発散させました。
温泉の方は源泉をふんだんにプラスチックのバスタブに放出させました。硫黄泉独特の匂いがしまして、温泉自体は透明で少し青みがかかったような感じでありました。温度は日本でいう熱めのお湯という感じではないのですが、米国にしたら熱めのお湯という感じの温度でありまして、僕とDさんにはちょうどいいお湯加減でありました。
お湯の方はしばらくすると化学反応のためなのかどうかはわかりませんが白く濁ってきて、白濁温泉となりましてなかなかいいものでありました。シャンパンをちびちびと飲み、小説を読んでじっくり1時間以上のんびりと温泉を楽しませていただきました。曇り空ではありましたが、周りの緑が大変きれいで貸切露天風呂には、束の間ではありましたが心も体も癒すことができたような気がします。
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近所の人たちが最近Coco散歩しないわね?と聞いてきたのでCocoの亡くなったことを話したら、それを聞きつけた優しき隣人たちがCocoの死を悼むカードを送ってくれました。それも結構な数の人たちが送ってくれたのですが、やはり彼らはご自身が愛犬、愛猫を亡くした経験を持っているそうで、彼らの添えてくれたメッセージは読んだ僕たちが再び涙を流すような、温かな優しい気持ちがあふれていました。
Cocoが亡くなって3日後、仕事の帰りになぜかその日に限っていつもと違う道を通りかえっていたら、元同僚のKLさんに偶然会うことがありました。KLさんは僕の働く職場で医師として働いていた方で、この職場を去った後もずっと仲良くさせてもらっています。この家に移ってからホームパーティーで、一緒に皆さんと手巻き寿司を食べたこともあります。
ところが、その数時間後KLさんは奥さんと娘さんを伴って3人でCocoのことは残念だったねと僕たちの家の方に蘭の花とワインと食べ物を持ってきてくれたのです。たまにしか会わなかった3人ですが、彼らはCocoには優しく接してくれましたが、わざわざこうして家の方までやってきてくれプレゼントを持ってきてくれた優しさに僕もDさんも感謝の涙を流してしまいました。
自分たちは大丈夫と思っていても、こうして他の方たちの優しく温かな心に触れるとやはり人っていいものだな~と素直に思えます。
さて、この日記のタイムラインははカリフォルニアではコロナウイルスのことが話題になっていてもそこまで深刻な頃ではありません。僕たちは月と火の2日間の休暇を申請して、Cocoのことでハートブレイクした気持ちをいやすために温泉旅行に行こうと決めていました。そして、その週末にコロナウイルスの問題がどんどんと報道されるようになったのです。
ですから、万が一のことを考えて2泊で泊まる予定だった宿を1泊だけにして、状況が問題ないようであれば、宿の方でもう1泊伸ばしてもらうようにしようと決めまして、出発しました。お昼少し前に家の方を出発して、ちょうどお昼ごとに南の街にやってきましたので久しぶりにDさんの好きなラーメン屋の方へ寄ってみることにしました。
487 Saratoga Ave
San Jose, CA 95129
こちらのお店にはラーメンのほかに沖縄そばがありまして、Dさんはこちらの沖縄そばが気に入っているのでそちらをオーダー。僕も久しぶりに沖縄そばもいいな~と思い同じものをオーダーしました。失敗したのは沖縄そばの基本形にはソーキ(豚の角煮)がついていなかったのです。ソーキはトッピングとしてオーダーしなくてはいけないことをすっかり忘れていました。そんな訳で僕たちが食べたのはソーキ無しの沖縄そばでした。しかし、久しぶりの沖縄そばはラーメンと違った味わいがありまして十分満足することができました。この頃はコロナウイルスの影響でレストラン業界は客足が落ち込んでいましたが、まだレストランでの食事ができていました。実はこの3時間後にサンフランシスコベイエリアではレストランでの食事が禁止になりました。
沖縄そばを食べて3時間後にDさんは職場から電話がかかってきてもうすぐ知事が大きな発表をしてサンフランシスコベイエリアに大きな外出禁止勧告を出すとの連絡がありました。そして、すぐに車で聞いていたラジオ放送で、知事がサンフランシスコべエリアに外出禁止勧告を出しました。これを聞いて僕とDさんは、温泉は2泊じゃなくて1泊で仕事に戻らないといけないね~と判断しました。
さて、車で南下すること4時半で今回の目的地であるSan Luis Obispoにある、シカモア温泉の方に到着しました。このシカモア温泉は米国、カリフォルニアに住む日本人の間では結構有名な温泉ホテルでありまして、僕は長いこと名前を聞いていて一度は行きたいな~と思っていたものの一度も行ったことがなかった場所でありました。
1215 Avila Beach Drive
San Luis Obispo, California, 93405
緑に囲まれた広い敷地にはこじんまりとしたメインの建物にフロントデスクとレストランがありました。事前に得た情報によると、こちらの宿泊施設には各個室に露天風呂が備え付けられていて、天然温泉を楽しめるとのことでした。ただ、源泉かけ流しができる部屋が一番グレードの低いものになっているそうです。日本人からしてみるとなぜなのだろうと思ってしまいます。なんでもここの温泉は硫黄泉特有の匂いがするので、アメリカンな人たちはその匂いが体中につき、服にも匂いがついてしまうのを嫌がるそうでありまして、その要望に応えグレードの高い部屋はあまり温泉の匂いのしない水で薄めた温泉になっているとのことでした。僕もDさんも硫黄泉の匂いは好きなので源泉かけ流しのできる部屋の方に泊まることにしました。
最初はマウントシャスタの方に行こうか~とも言っていたのですが、マウントシャスタはCocoと一緒に何度も行った思い出の地であります。ですから、2人ともきっと寂しくなってしまうであろうと考え、Cocoと一緒に行ったことのない場所を選んでいて、最初はサンタバーバラを上げていたのですが、温泉っていいじゃないか~と思いこの場所にたどり着いたということであります。
2人で明るくCocoの思い出話をして大笑いしたり、たくさんの涙を流したりしてストレスを発散させました。
温泉の方は源泉をふんだんにプラスチックのバスタブに放出させました。硫黄泉独特の匂いがしまして、温泉自体は透明で少し青みがかかったような感じでありました。温度は日本でいう熱めのお湯という感じではないのですが、米国にしたら熱めのお湯という感じの温度でありまして、僕とDさんにはちょうどいいお湯加減でありました。
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米国はコロナウイルスで騒然としています。
僕の職場は医療関係なので混乱状態です。
ここにCocoの米国10周年記念から亡くなるまでをまとめておきました。
Cocoが亡くなってから、茫然としていたところにコロナウイルス騒動がやってきてしまったので、なかなか心も体も対応しきれずにかなり苦しい毎日を過ごしています。慣れない対応をして仕事場から家に帰ってきて、Cocoの最後の日記を書き終えなくてはと思っていても、いざPCの前に座って亡くなった日の日記を目にすると、涙があふれてきて心が息苦しくなってしまうので無理をせずに暫く日記は休むことにしました。
たかが犬なのに、犬1匹亡くしてしまっただけでここまで心理的なダメージを受けている自分にも驚きました。何とかCocoの最後をしっかりと覚えておこうと書き綴った日記でしたが、その時の詳細をブログを書くことはCocoを亡くすというトラウマの再現にもなりましたので、書いていてかなり精神的にもきつかったことでした。
でも自分の記憶が薄れていることが確実に起こるので、Cocoの最後の日々の詳細を忘れる前に、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたかったので頑張って書いたのですが、やはり亡くなった日を書いたとたん気力がぷつんと切れてしまいましたので、最後の日記をかけずにいました。まだまだ、心理的に余裕がないのですがそれでも途中で終わらせたくないと思い書き始めました。
Cocoが亡くなる1か月前にセカンドオピニオンの獣医さんが、もしリンパ腫だったらもって1ヵ月でしょうと言われたとき、僕もDさんもいったいこの獣医さんは何を素っ頓狂なことを言っているのだろうと感じまして、その告知をまともに受け止めることさえしなかったような気がします。ただ、Cocoが同じ部屋の中で静かに座り神妙に彼女の話を聞いていた姿が思い出されます。
今思うと、この獣医さんの言ったことはしっかり的中していました。もっとまともに聞いてここからの1か月をより濃くCocoと過ごすことができたかもしれないと思うと胸が痛くなります。でも、この頃のCocoは1か月後に亡くなるとは僕たちが想像できないくらい普通で、かわいくてそんな影があまりなかったのです。しかし残念ながら、獣医さんの告知通りこの日の1か月後にCocoは亡くなってしまいました。
10年前台湾からやってきたCoco(生い立ち)は、僕たちの第一選択肢の犬ではなく第二候補も書いていいみたいだからとりあえず書いておきましょう~とあまり注意を払わなかった第二選択肢でありました。シェルターから電話で第一希望がすでに養子縁組が決まったので、第二希望のCocoでもいいかと電話で言われ、OKしたら記憶にもあまりないCocoがうちにやってきたという、なんともいい加減ないきさつがCocoとの縁でありました。
最初のCocoとの対面は2人ともとってもこわごわ、おどおどしていてCocoの方がよっぽどどっしりと構えていたように、つい最近のことのように思い出されます。あれから本当に10年たってしまったのか…?本当にCocoとそんなに長い間一緒に暮らしていたのだろうかと、とてもあやふやで夢のような一瞬だったと感じ、今この日記を書きながら不思議な気持ちになってしまいます。
Cocoが亡くなった次の日、僕たちはCocoを火葬してくれるところを探したところ、Berkeleyのアニマルシェルターで受け付けてくれていると知りそちらに連絡を取り、Cocoの亡骸をいつもの車のCocoが座っていた席に寝かしてやってきました。アニマルシェルターの係員の人たちはとっても親切に僕たちを手助けしてくれ、Cocoを抱きかかえる僕からCocoの亡骸を受け取りました。
係員の女性がCocoを奥の部屋へ抱いて連れていき、僕たちの目の前からCocoの姿が見えなくなりました。ここで本当にCocoとの最後の別れとなります。もうCocoに触れることも、抱きしめてあげることもできなくなりました。Dさんも僕も、人前なのに涙があふれ出て止めることができませんでした。
手続きを終えて、茫然とした姿で帰ろうとすると、先ほどの係員の女性が僕たちを呼び止めました。そして彼女が手に持っていた白いコースターを渡してくれました。一体何なのだろうと僕たちが不思議に思っていると彼女は、Cocoの手形を取ったから持って帰ってねと言ってくれたのです。
彼女が渡してくれたコースターを改めてみてみると、そこにはCocoの手形がついていたのです。これを見てまた2人ともまた涙が出てきて止まることができなくなりました。お礼を言って急いで車に戻り、先ほどまでCocoが寝ていたバックシートをみて、ふたり暫く無言で涙を流していました。
このまま、家に帰るのもつらいので気分転換を兼ねて近所のイタリアンのレストランの方へランチを取りに行きました。この頃はまだコロナウイルスがそこまで大きな問題になっていなかったサンフランシスコベイリアであります。2人でシャンパンを頼み、Cocoの命の存在に、Cocoと一緒に過ごせた10年間にありがとう~と乾杯しました。
僕はスパゲッティーイタリアンソーセージトマトソース。Dさんはグリーンピースのスープとチキンサンドイッチを頼みました。2人でCocoと過ごした10年間の思い出話をしながらなるべく明るく話すようにしていましたが、やはり心の底から湧き出てくる悲しみをごまかすことができませんでした。
これは数日後の話なのですが、Dさんは同じように犬を亡くした同僚に、犬が亡くなってほっとした部分はありませんか?と聞かれたそうなのです。すると彼はその同僚に、全くそんなことはなく、ただただ悲しいだけであると話したそうなのです。信じられないくらいの速さで病魔にむしばまれているCocoを見てほっとするなって全く感じなかったと、その同僚にさえ強い反発も覚えたといっていました。
これを聞いた時、あぁ~この人は僕が経験したものを感じていなかったんだな~と初めて知りました。きっと彼の同僚は僕と同じような心の葛藤に毎日さいなまれていたのだな~と理解することができました。ですから僕は僕がどれだけ毎日苦しかったのか、それから解放されてほっとした気持ちがあり、また僕がそんな風にほっとする自分がいることにも罪悪感を感じていることは彼は知らないのだね、と伝えました。
僕はCocoが亡くなってしまった時に脱力感と喪失感と共にほんの小さな部分でほっとしている自分がいるのも感じられました。Cocoのためにご飯を作っても食べてくれない。こんなにしているのにどうして食べてくれないのだろうという焦りと怒りがどうしても出てきてしまい、Cocoのせいではないのをわかっているのに、そんな感情が湧き出てきてしまう自分にも情けなく感じたりしました。
薬をあげるとのどに引っかかり苦しくむせてしまうので、僕が薬をあげようとすると嫌がることも多々ありました。本当ならばそんなことしたくないし、Cocoが嫌がることをしたくないのにどうしても、薬だけはあげないと後で痛みがきてしまいます。Cocoは僕が拷問をしていると思っているのではないかと考えるとすごく苦しくてつらかったのですが、Dさんはそれらの経験をしていなかったのです。
ご飯を作るのも、それをあげるのも、薬をあげるのもすべて僕がやっていたので、幸いにも彼には僕が感じていた葛藤も苦しみもなく、純粋にCocoの病気を心配しているだけでよかったのです。僕が感じていた葛藤や苦しみを知らせ、彼の同僚が感じていたほっとした気分がどういうことなのか告げると、彼は驚きと共にはじめて僕が今までどんな気持ちでいたのか理解したようでした。
同じ犬を飼っていても、愛情の与え方もかかわり方も違う形になるのですが、それはそれでいいのでしょう。やはりとっても大事に思っていたという気持ちはCocoにはきっと伝わっていたのでしょうから。 しかしながら、すべてできることはしたとは言うものの、これをすればよかったのでは?あれをすればよかったのでは?と様々な考えが今でも心の中を陰巡り暗い気分になってしまいます。
思い出しながらこうして日記に綴ることはつらい気持ちの再現になり、結構なトラウマ的なものをもたらしましたが、同時に日本語で綴ることによって、絡まった糸が少しほぐれた気がしたこともあります。今Dさんと話すのはCocoと過ごした10年が本当にあっという間の一瞬で、そんなに長く一緒にいたのだろうか?夢だったのではないかとさえ思えるくらい束の間の時間のような経験に感じていることです。
1週間後、Cocoは小さくなって帰ってきました。アニマルシェルターからCocoの遺灰が戻ってきたと知らせの電話の時、”Coco is back!"と言われて一瞬何のことがわからなかった、頭が真っ白になったとDさん。僕もDさんに”Coco is back!"と言われて真剣にCocoは亡くなったのではなくて迷子になっただけだったのかと思ってしまったくらいでした。
Cocoのベットはきれいに洗って、家の今までの場所に置いてありますので、Cocoがのんびりと寝ていることができるようにとCoco遺灰はそのベットの上にしばらく置いておくことにしました。Cocoが亡くなってから一度もCocoの夢を見なかった2人ですが、不思議なことにCocoの遺灰が戻ってきたその日の夜に2人ともCocoの夢を見たのでした。
その後、Cocoは何度も僕たちの夢に出てきているのでスピリチュアルな世界を全く信じない僕たちではありますが、あぁ~Cocoが家に戻ってきているんだな~と実感として持つことができました。でも、あのお腹にも、頭にも、肉球を触ることも、つぶらな瞳をじっと見つめることももう永遠にできなくなりました。
Cocoは2010年1月17日に台湾からやってきました。
その頃の初期のビデオです。 不安そうな表情とあどけない感じの混合した可愛い顔。
おでこの傷は虫刺されのようでした(笑)
今まで長い間あまり楽しくもない、どちらかと言えばつらいCoco日記にお付き合いいただきましてありがとうございます。なかなか書き終えることができず時間が経ってしまいました。その間、優しく温かなメッセージをいただきまして心より感謝しております。言葉でうまく言い表せないのですが、Cocoがもたらしてくれたオンライン上のかすかではあるものの、この温かな善意は大きな喪失感を抱えた僕たちには偉大な癒しとなりました。本当にありがとうございました。
これからはCocoはいなくなってしまいますが、また少しずつ地味で何のとりえもない垂れ流し日記を書いていこうと思いますのでお付き合いの方よろしくお願いいたします。たまにCocoには思い出し日記、お蔵入り写真取り出し時にでも出演してもらいたいと思っています。
Cocoありがとう。
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僕の職場は医療関係なので混乱状態です。
ここにCocoの米国10周年記念から亡くなるまでをまとめておきました。
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AnhedoniaCocoが亡くなってから、茫然としていたところにコロナウイルス騒動がやってきてしまったので、なかなか心も体も対応しきれずにかなり苦しい毎日を過ごしています。慣れない対応をして仕事場から家に帰ってきて、Cocoの最後の日記を書き終えなくてはと思っていても、いざPCの前に座って亡くなった日の日記を目にすると、涙があふれてきて心が息苦しくなってしまうので無理をせずに暫く日記は休むことにしました。
たかが犬なのに、犬1匹亡くしてしまっただけでここまで心理的なダメージを受けている自分にも驚きました。何とかCocoの最後をしっかりと覚えておこうと書き綴った日記でしたが、その時の詳細をブログを書くことはCocoを亡くすというトラウマの再現にもなりましたので、書いていてかなり精神的にもきつかったことでした。
でも自分の記憶が薄れていることが確実に起こるので、Cocoの最後の日々の詳細を忘れる前に、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたかったので頑張って書いたのですが、やはり亡くなった日を書いたとたん気力がぷつんと切れてしまいましたので、最後の日記をかけずにいました。まだまだ、心理的に余裕がないのですがそれでも途中で終わらせたくないと思い書き始めました。
Cocoが亡くなる1か月前にセカンドオピニオンの獣医さんが、もしリンパ腫だったらもって1ヵ月でしょうと言われたとき、僕もDさんもいったいこの獣医さんは何を素っ頓狂なことを言っているのだろうと感じまして、その告知をまともに受け止めることさえしなかったような気がします。ただ、Cocoが同じ部屋の中で静かに座り神妙に彼女の話を聞いていた姿が思い出されます。
10年前台湾からやってきたCoco(生い立ち)は、僕たちの第一選択肢の犬ではなく第二候補も書いていいみたいだからとりあえず書いておきましょう~とあまり注意を払わなかった第二選択肢でありました。シェルターから電話で第一希望がすでに養子縁組が決まったので、第二希望のCocoでもいいかと電話で言われ、OKしたら記憶にもあまりないCocoがうちにやってきたという、なんともいい加減ないきさつがCocoとの縁でありました。
最初のCocoとの対面は2人ともとってもこわごわ、おどおどしていてCocoの方がよっぽどどっしりと構えていたように、つい最近のことのように思い出されます。あれから本当に10年たってしまったのか…?本当にCocoとそんなに長い間一緒に暮らしていたのだろうかと、とてもあやふやで夢のような一瞬だったと感じ、今この日記を書きながら不思議な気持ちになってしまいます。
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Cocoが亡くなった次の日、僕たちはCocoを火葬してくれるところを探したところ、Berkeleyのアニマルシェルターで受け付けてくれていると知りそちらに連絡を取り、Cocoの亡骸をいつもの車のCocoが座っていた席に寝かしてやってきました。アニマルシェルターの係員の人たちはとっても親切に僕たちを手助けしてくれ、Cocoを抱きかかえる僕からCocoの亡骸を受け取りました。
手続きを終えて、茫然とした姿で帰ろうとすると、先ほどの係員の女性が僕たちを呼び止めました。そして彼女が手に持っていた白いコースターを渡してくれました。一体何なのだろうと僕たちが不思議に思っていると彼女は、Cocoの手形を取ったから持って帰ってねと言ってくれたのです。
このまま、家に帰るのもつらいので気分転換を兼ねて近所のイタリアンのレストランの方へランチを取りに行きました。この頃はまだコロナウイルスがそこまで大きな問題になっていなかったサンフランシスコベイリアであります。2人でシャンパンを頼み、Cocoの命の存在に、Cocoと一緒に過ごせた10年間にありがとう~と乾杯しました。
僕はスパゲッティーイタリアンソーセージトマトソース。Dさんはグリーンピースのスープとチキンサンドイッチを頼みました。2人でCocoと過ごした10年間の思い出話をしながらなるべく明るく話すようにしていましたが、やはり心の底から湧き出てくる悲しみをごまかすことができませんでした。
これを聞いた時、あぁ~この人は僕が経験したものを感じていなかったんだな~と初めて知りました。きっと彼の同僚は僕と同じような心の葛藤に毎日さいなまれていたのだな~と理解することができました。ですから僕は僕がどれだけ毎日苦しかったのか、それから解放されてほっとした気持ちがあり、また僕がそんな風にほっとする自分がいることにも罪悪感を感じていることは彼は知らないのだね、と伝えました。
僕はCocoが亡くなってしまった時に脱力感と喪失感と共にほんの小さな部分でほっとしている自分がいるのも感じられました。Cocoのためにご飯を作っても食べてくれない。こんなにしているのにどうして食べてくれないのだろうという焦りと怒りがどうしても出てきてしまい、Cocoのせいではないのをわかっているのに、そんな感情が湧き出てきてしまう自分にも情けなく感じたりしました。
薬をあげるとのどに引っかかり苦しくむせてしまうので、僕が薬をあげようとすると嫌がることも多々ありました。本当ならばそんなことしたくないし、Cocoが嫌がることをしたくないのにどうしても、薬だけはあげないと後で痛みがきてしまいます。Cocoは僕が拷問をしていると思っているのではないかと考えるとすごく苦しくてつらかったのですが、Dさんはそれらの経験をしていなかったのです。
ご飯を作るのも、それをあげるのも、薬をあげるのもすべて僕がやっていたので、幸いにも彼には僕が感じていた葛藤も苦しみもなく、純粋にCocoの病気を心配しているだけでよかったのです。僕が感じていた葛藤や苦しみを知らせ、彼の同僚が感じていたほっとした気分がどういうことなのか告げると、彼は驚きと共にはじめて僕が今までどんな気持ちでいたのか理解したようでした。
同じ犬を飼っていても、愛情の与え方もかかわり方も違う形になるのですが、それはそれでいいのでしょう。やはりとっても大事に思っていたという気持ちはCocoにはきっと伝わっていたのでしょうから。 しかしながら、すべてできることはしたとは言うものの、これをすればよかったのでは?あれをすればよかったのでは?と様々な考えが今でも心の中を陰巡り暗い気分になってしまいます。
思い出しながらこうして日記に綴ることはつらい気持ちの再現になり、結構なトラウマ的なものをもたらしましたが、同時に日本語で綴ることによって、絡まった糸が少しほぐれた気がしたこともあります。今Dさんと話すのはCocoと過ごした10年が本当にあっという間の一瞬で、そんなに長く一緒にいたのだろうか?夢だったのではないかとさえ思えるくらい束の間の時間のような経験に感じていることです。
1週間後、Cocoは小さくなって帰ってきました。アニマルシェルターからCocoの遺灰が戻ってきたと知らせの電話の時、”Coco is back!"と言われて一瞬何のことがわからなかった、頭が真っ白になったとDさん。僕もDさんに”Coco is back!"と言われて真剣にCocoは亡くなったのではなくて迷子になっただけだったのかと思ってしまったくらいでした。
その後、Cocoは何度も僕たちの夢に出てきているのでスピリチュアルな世界を全く信じない僕たちではありますが、あぁ~Cocoが家に戻ってきているんだな~と実感として持つことができました。でも、あのお腹にも、頭にも、肉球を触ることも、つぶらな瞳をじっと見つめることももう永遠にできなくなりました。
Cocoは2010年1月17日に台湾からやってきました。
その頃の初期のビデオです。 不安そうな表情とあどけない感じの混合した可愛い顔。
おでこの傷は虫刺されのようでした(笑)
今まで長い間あまり楽しくもない、どちらかと言えばつらいCoco日記にお付き合いいただきましてありがとうございます。なかなか書き終えることができず時間が経ってしまいました。その間、優しく温かなメッセージをいただきまして心より感謝しております。言葉でうまく言い表せないのですが、Cocoがもたらしてくれたオンライン上のかすかではあるものの、この温かな善意は大きな喪失感を抱えた僕たちには偉大な癒しとなりました。本当にありがとうございました。
これからはCocoはいなくなってしまいますが、また少しずつ地味で何のとりえもない垂れ流し日記を書いていこうと思いますのでお付き合いの方よろしくお願いいたします。たまにCocoには思い出し日記、お蔵入り写真取り出し時にでも出演してもらいたいと思っています。
Cocoありがとう。
お帰り前のこちらのクリックもよろしくお願いします!~(*´Д`)ノ


土曜日の朝からCocoは息苦しそうでしたが、夜になってより呼吸がそれ以上に乱れてきました。たくさんのお水をあげても、お水を口から飲まないので吐き出してしまいますし、鼻の頭が乾ききっているのを見るとかなりの断水症状になっていることがわかります。これはまずい!と思い直腸は水分をしっかりと吸収する機能を持ているはずと、お水と鎮痛剤を直腸から注入してみました。
これですとのどが痛くても吐き出してしまうという心配もなくすんなりと薬も水分吸収ができたような気がします。ただ医学的に本当に正しいことなのかは不明ではありますが、人間でも鎮痛剤の薬をお尻から入れる場合もありますのでそこまでひどい勘違いではないのではと思っていました。飲めない薬も直腸から入れますとすんなりと入り、暫くするとのどの痛みを伴った時の咳も少なくなりました。
この頃になるとCocoは自力で立ち上がることもままならないので数時間ごとに寝ている向きを変えたり、体の位置を変えたりしてあげました。抱き枕を足の間に挟んでで見たところ心地よいらしくうっとりとした表情になってくれました。もっと早くこの抱き枕を作ってあげればよかったな・・・もっと早く直腸水分補給をしてあげればよかったなといろいろな考えが頭の中を駆け巡ります。
この日は土曜日ですし、次の日はみんな予定がないんでゆっくりできます。Cocoが眠りにつくまで3人でCocoの手を握ってあげたり、マッサージをしてあげたりすると、目を小さくして気持ちいい~と言う表情をしてくれますのでこちらもほっとできました。何もしないとその痛みを集中的に意識してしまうことにより、痛みがより一層強く感じてしまうことがるようです。
人間もそうですが、体に痛みがあるときに優しくマッサージしてもらうとその痛みが緩和ができてうれしいようですね。手を当てるとは文字通りの手当の効果があるようです。手当というか手を当てて他の部分を触ってあげるだけでも気持ちの良いもの。人間だってストレスがたまった時にスパやマッサージでその緩和を試みますものです。じっくりマッサージをしてもらってCocoもとっても満足そうになりました。
Cocoも眠そうになり、安らかなとってもいい顔になってきました。11時過ぎになりましたので、今日はこれくらいにしてまた明日ね~とDさんが床に就きました。僕はまだ目が冴えていたので、Cocoのそばに寄り添って骨と皮ばかりになって痛々しい背中をゆっくりとなでていました。すると呼吸の方もだんだんと緩やかになり、Cocoの表情もより優しい顔になってきました。
このまま今日は眠ってしまうかな?まあ、眠ってしまうまでゆっくり手をつないで今までの思い出話でもしましょうか~。とっても安らかな表情になり、これならばもう一安心だろうと思い、時間を見るともうすぐ夜中の12時になろうとしていました。
午前3時か4時くらいにはまた、鎮痛剤をあげないといけないし、自分もだいぶ疲れてきたので寝なくっちゃな~とCocoの手を放し自分のベットに行ってベットを整えて10分くらいで戻ってきて、寝る前のお休み~と言うためにCocoを見てみるとしっかり眠っているようでした。僕がCocoの手を放してから10分の間は物音ひとつしませんでした。
咳もしなかったし、痛みで体を動かそうとした形跡もなく10分前と変わらずそのまま静かな寝顔でした。しかし、一つだけ違ったことがありました。僕が最後にお休みを言いに戻ってきたときにはもうCocoは息をしていませんでした。眠っているように亡くなっていたのです。急いでCocoの名前を呼びましたが、もう反応はなく、まだ十分温かな体であるCocoの体を一生懸命マッサージをしましたが、全く反応見られませんでした。
Dさんをいそいで起こして診てもらいましたが、結果は同じでした。Cocoは本当に眠っているかのようにそのまま安らかに天の方に召されてしまっていました。Cocoの普通に眠っているような柔らかな表情は、起こせはびっくりして飛び起きてしまうのではないかと思うくらい自然な表情でした。僕がちょっとだけ手を放している間に行ってしまうなんて。。。最後の最後まで手を離さないよと言ったのに・・・
僕はまだ十分温かいCocoの体を抱き起こして、抱きしめて何度も何度もCocoの名前を呼びましたが、残念ながらCocoはもう僕の声には反応してくれませんでした。Dさんがそばで、もういいよ、Cocoはきっともう安心したから向こう側へ行ったんだよと、僕のCocoを抱きしめる腕に手を添えてもう十分だよと涙を流して無言で伝えていました。
僕はあきらめて、Cocoをベットに寝かしタオルを敷いてCocoが最後に心地よく眠れるようにベットを作り、お線香を一本立てて、Dさんと泣きながら夜を明かしました。どうしてあの時、あの手を放してしまったのだろう。Cocoの最後の最後まで手をつないてあげることができなかったのだろう。傍にいたのならすぐに異変に気が付いたのではないかと、次から次へともう嘆いてもしょうがないのはわかっているのにもしももしも・・・が繰り返し頭の中を回り続けました。
せめてもの救いは、この日の夜は3人で夜遅くまで一緒にいられたこと、そしてCocoは僕たちが仲良く一緒にいる姿を見ながら、ようやく苦しみから解放されたということです。いつもはCocoの寝床の写真はそれほど撮らなかった僕なのですが、この日に限ってなぜなのかわからないのですが、たくさんの写真を撮っていてDさんにあきれられたくらいだったのです。
でも、今になるとこうしてバカ丸出しで思いのままに写真を撮っておいてよかったな、と素直に思えます。 Cocoは最後の最後には本当に優しい顔で眠るように僕たちから静かに去っていきました。Cocoに会えて、Cocoと10年一緒に過ごせて僕たちは本当にしあわせでした。普通の白犬でしたが、僕たちにとって特別な大切な存在でした。
Cocoも同じ思いだったらいいな・・・
台湾から僕たちのもとに来てくれて、ありがとう
↑ クリック応援よろしくお願いいたします~
この頃になるとCocoは自力で立ち上がることもままならないので数時間ごとに寝ている向きを変えたり、体の位置を変えたりしてあげました。抱き枕を足の間に挟んでで見たところ心地よいらしくうっとりとした表情になってくれました。もっと早くこの抱き枕を作ってあげればよかったな・・・もっと早く直腸水分補給をしてあげればよかったなといろいろな考えが頭の中を駆け巡ります。
人間もそうですが、体に痛みがあるときに優しくマッサージしてもらうとその痛みが緩和ができてうれしいようですね。手を当てるとは文字通りの手当の効果があるようです。手当というか手を当てて他の部分を触ってあげるだけでも気持ちの良いもの。人間だってストレスがたまった時にスパやマッサージでその緩和を試みますものです。じっくりマッサージをしてもらってCocoもとっても満足そうになりました。
このまま今日は眠ってしまうかな?まあ、眠ってしまうまでゆっくり手をつないで今までの思い出話でもしましょうか~。とっても安らかな表情になり、これならばもう一安心だろうと思い、時間を見るともうすぐ夜中の12時になろうとしていました。
午前3時か4時くらいにはまた、鎮痛剤をあげないといけないし、自分もだいぶ疲れてきたので寝なくっちゃな~とCocoの手を放し自分のベットに行ってベットを整えて10分くらいで戻ってきて、寝る前のお休み~と言うためにCocoを見てみるとしっかり眠っているようでした。僕がCocoの手を放してから10分の間は物音ひとつしませんでした。
咳もしなかったし、痛みで体を動かそうとした形跡もなく10分前と変わらずそのまま静かな寝顔でした。しかし、一つだけ違ったことがありました。僕が最後にお休みを言いに戻ってきたときにはもうCocoは息をしていませんでした。眠っているように亡くなっていたのです。急いでCocoの名前を呼びましたが、もう反応はなく、まだ十分温かな体であるCocoの体を一生懸命マッサージをしましたが、全く反応見られませんでした。
僕はまだ十分温かいCocoの体を抱き起こして、抱きしめて何度も何度もCocoの名前を呼びましたが、残念ながらCocoはもう僕の声には反応してくれませんでした。Dさんがそばで、もういいよ、Cocoはきっともう安心したから向こう側へ行ったんだよと、僕のCocoを抱きしめる腕に手を添えてもう十分だよと涙を流して無言で伝えていました。
僕はあきらめて、Cocoをベットに寝かしタオルを敷いてCocoが最後に心地よく眠れるようにベットを作り、お線香を一本立てて、Dさんと泣きながら夜を明かしました。どうしてあの時、あの手を放してしまったのだろう。Cocoの最後の最後まで手をつないてあげることができなかったのだろう。傍にいたのならすぐに異変に気が付いたのではないかと、次から次へともう嘆いてもしょうがないのはわかっているのにもしももしも・・・が繰り返し頭の中を回り続けました。
せめてもの救いは、この日の夜は3人で夜遅くまで一緒にいられたこと、そしてCocoは僕たちが仲良く一緒にいる姿を見ながら、ようやく苦しみから解放されたということです。いつもはCocoの寝床の写真はそれほど撮らなかった僕なのですが、この日に限ってなぜなのかわからないのですが、たくさんの写真を撮っていてDさんにあきれられたくらいだったのです。
でも、今になるとこうしてバカ丸出しで思いのままに写真を撮っておいてよかったな、と素直に思えます。 Cocoは最後の最後には本当に優しい顔で眠るように僕たちから静かに去っていきました。Cocoに会えて、Cocoと10年一緒に過ごせて僕たちは本当にしあわせでした。普通の白犬でしたが、僕たちにとって特別な大切な存在でした。
Cocoも同じ思いだったらいいな・・・
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こんな歌があるのを最近知りました。
僕の今の気持ちにはすごく、ぐっと来てしまいましたので忘備録として残しておきます。
Cocoがこんな気持ちなのかな~なんて思ったら涙が出てきました。
不安がなくなるまでずっと手をつないでいてあげたいです。
たいせつなひと
さだまさし
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
寂しいと口にすれば 生きることは寂しい
喜びと悲しみは 光と影のように いつでも 寄り添うもの
幸せと口にすれば 不幸せばかりが映る
何故かこの世に生まれ 迷いながらも生きる あなたに 届くために
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
愛ばかりを集めたら 憎しみまで寄り添う
ささやかに傷ついて ささやかに満たされて
このいのちを生きたい
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った そのたいせつなひと
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僕の今の気持ちにはすごく、ぐっと来てしまいましたので忘備録として残しておきます。
Cocoがこんな気持ちなのかな~なんて思ったら涙が出てきました。
不安がなくなるまでずっと手をつないでいてあげたいです。
たいせつなひと
さだまさし
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
寂しいと口にすれば 生きることは寂しい
喜びと悲しみは 光と影のように いつでも 寄り添うもの
幸せと口にすれば 不幸せばかりが映る
何故かこの世に生まれ 迷いながらも生きる あなたに 届くために
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
愛ばかりを集めたら 憎しみまで寄り添う
ささやかに傷ついて ささやかに満たされて
このいのちを生きたい
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った そのたいせつなひと
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土曜日、週末になりました。Cocoの方はもう全く動く気力もないようで、水さえも飲むことができません。ぐったりしたままでだるいのでしょう。無理やり起こすことをせず、注射器で水と薬をあげてのんびりとさせてあげることにしました。それでも僕たちのことは気になるらしく、つぶらな瞳でキョロキョロとこちらの様子をうかがっているのがわかります。
ですから僕とDさんはこの日は全く予定を入れていなかったので、Cocoが寝ている時を避けて起きている時にマッサージをしてあげたり、床ずれが起きないように寝ている位置を変えたりしてあげました。マッサージをしてあげるととっても嬉しそうな満足げな顔になるので何度でもやってあげたくなります。犬にとっても痛みがあるときのマッサージはいい痛み緩和になるのでしょう。
Cocoのやせこけた顔を見ると僕とDさんは涙ぐんでしまいますが、今できるすべてのことをやっているという自負があるくせに、それと同時に本当に今やっていることが正しいことなのだろうかという疑念が常に心の中に渦巻いてしまいます。それでもCocoの前ではなるべく暗いかをしないで明るい顔を作っているのですが、涙腺の弱い2人は涙が流れるのを止めることができませんでした。
Dさんは、Coocの前では今まで通りのいいお父さん役をしてくれるので、Cocoもそれが嬉しいらしく今までのように尻尾も振りさえします。悔しいけれど、口うるさい飼い主の僕よりも、寛大で甘やかし放題のお父さんの方が好きなんですよね~。僕もそんなCocoとDさんの関係を見るのは大好きでしたので、それはそれでいいか~と思ったりもします。
今まで僕たちは2人とも、犬を飼っている人たちが自分の子供のように接するのを見て、あぁ~やだやだ・・・絶対僕たちはああなりたくないね~犬はやっぱり犬じゃないか~とDさんと冷めた目で言っていたのに、いつの間にか僕たちは同じ類の人間になっていました(笑)。特に子供がいないうちで犬を飼うとそうなってしまうものなのだな~と身をもって感じました。そしてこれは大きな喜びでもありました。
僕はCocoのすぐそばのコーヒーテーブルで、いつものようにブログを書いています。僕はこのブログを書いて約15年が経つのです。はじめの頃は支離滅裂な今日のおにいさんなどという半裸のおにいさんの写真を載せたりして迷走していました(笑)。それはそれで楽しかったので良かったのですが、その頃はゲイのカップルとは特殊なものでいい方に理解はされていなかった印象があります。
ゲイということで、特殊で性的倒錯者というフィルダーで見られ、色者扱いされて訪問者も限られた人たちでした。しかし、その数年後我が家にCocoがやってきました。Cocoは気づいているのでしょうか?15年書いているブログのうちの10年は、Cocoがこのブログをけん引してきたといっても過言ではないのです。ここのブログのスーパーアイドルでありました。
Cocoの登場のおかげでゲイや性的倒錯者には興味がないよ~と言う人でさえも、Coocの様子を見るためにこちらにやってきてくれるようになりました。そのうちCocoが目当ての彼らも、僕とDさんの一般人と変わらない何の変哲もない地味な生活を見て、(当たり前なのですが・・・)へ~ゲイのカップルって言っても普通の人たちと一緒だね~と偏見の垣根さえも低くしてくれたのです。
Cocoはゲイへの差別や偏見の取り除きにさえ大きく貢献してくれたともいえるのでしょう~!おかげさまでここでは毎日たくさんの人たちがCocoの様子を見たり、地味で代り映えしない中年ゲイカップルの生活を覗きに来てくれるようになりました。皆様の暖かなご訪問を心より感謝しております。
CocoはLGBTの世界に大きく貢献しましたよ(笑)。
さて、Cocoの痛み止めが今週末にはなくなりそうなのでまたもらいに行ってきました。もうCocoは車に乗りたがりはしないのですが、ひとりで家に残すのも不安でしたのでバックシートに大きなCocoのベットを入れて心地よく寝れる空間を作って一緒にHerculesの街の方へ行ってきました。薬はあっという間にもらうことができましたので、ついでにランチにも行ってきました。
前回行ったカフェがよかったので今回もそちらの方へお邪魔しました。まず最初は生ガキとシャンパンで~もちろん、Cocoと僕たちのライフに乾杯です。僕はダンジュネスクラブのサンドイッチを頼みました。これはサラダとポテトフライがついていてなかなか美味しいセットでした。これはリピートオーダーありですね!Dさんの方は普通のハンバーガーを頼みました。
こちらのバーガーも、普通ではありますがしっかりと丁寧に作られていて大変美味しかったようです。美味しいランチに満足して家に帰りました。前回はここで食後のランチ散歩をしましたが、Cocoはもう散歩ができる状態ではないのでそのまま直帰となりました。Cocoにランチの残りをあげることもできないし、散歩もできないのはとっても寂しいのですが、Cocoがこうしていてくれるだけで十分の喜びです。
家に着いたら家で一番日当たりもよく景色のいい場所にCocoのベット真に新しいきれいなタオルを敷いて、寝かしてあげました。いつもの自分のベットルームだと暗いですし景色も見えないのでこちらの方がいいかな~などという人間の自分勝手な自己満足ではありますが、自己満足、大いに結構~と開き直ります。Cocoはこの日息がいつもより荒いようなので、水を飲ませてげっぷを手伝って、僕たちの目の届くそちらの方で休んでもらいました。
Cocoの様子が人間の病気のスピードには予想がつかないほどの速さで進行しているのがよくわかりまして、毎日DさんとこうしてCocoと過ごせる時間があることを感謝して過ごしています。Cocoとの時間が永遠に綴ような気がしていた僕たちには、永遠なんて時間はないんだよ、もっと今あるささやかな毎日を感謝して楽しまなくちゃいけないんだよ~とCocoが教えたくれた気がしました。
Dさんが昼寝に入り、Cocoも昼寝。僕は昼寝をする気分ではなかったので家の中でCocoを見つめながらぼーっとしていました。すると心の中にものすごい焦燥感がでてきまして、このままCocoが僕たちの前からいなくなってしまうことに対して耐えられない苦痛と心理的な不安にさいなまれてしまいました。これは去年の3月に味わったパニックアタックにそっくりな症状です。
たかが犬をなくすくらいでパニック状態になる自分にも情けないな~とは思いつつ、これも自分なんだよな~しょうがないよな~とあまり焦らないで本当につらくなったらまた薬を飲めばいいか~と構えるように言い聞かせました。人間の心って本当にもろいですね他人のちょっとした一言に、行動に、犬がいなくなることで、こんなにも動揺するなんて・・・
そしてこのパニック症状と同じくやってくるのが、母親が進行性の早いがんになってもう何も打つ手がなくなってしまってただ見守るだけしかできないときの焦りのような圧迫感でした。これらが同時に僕の心の中にやってくると激しい頭痛と心拍の上昇などが身体的な症状となって表れるのが本当にきつかったです。ただ今回は、この両方をすでに経験してるので全く未知の痛みではなかったことです。
僕この動揺をしっかり認めて、できる限り否定せずそのまま自分を動揺させてあげました。しかしながら、この日はいつも以上にものすごいレベルの大きな症状がありましたので、Dさんに助けてもらって何と乗り越えようとしました。Dさんも僕のこの状態を見て辛そうでありました。パニック障害を起こすなんて人に自慢できる代物でもないのですが隠すことでもないので、これも自分を形成する一つということで共存していけるようにしないといけませんね。でないとCoocがまた心配してしまいます。
とにかくこんな感じで今まで経験したことのないような、かなりひどい心理状態になり、ボロボロになりそうになった土曜日の午後でしたが、心の中のざわつきは収まらなかったものの、Cocoがまどろみから目を覚まし、Dさんがそばにいてくれてからはだいぶ安定しました。そして、土曜日の夕方は穏やかに滑らかに過ぎ去っていこうとしていました。
今はぐったりと寝ているだけのCocoですがMt.Shastaでこんなに元気に飛び回ったこともありましたね~
台湾犬なのに雪が大好きでした。
元気いっぱいな姿を見るとぼくとDさんの顔には微笑みが溢れますが、同時に涙もあふれてしまいました。
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今まで僕たちは2人とも、犬を飼っている人たちが自分の子供のように接するのを見て、あぁ~やだやだ・・・絶対僕たちはああなりたくないね~犬はやっぱり犬じゃないか~とDさんと冷めた目で言っていたのに、いつの間にか僕たちは同じ類の人間になっていました(笑)。特に子供がいないうちで犬を飼うとそうなってしまうものなのだな~と身をもって感じました。そしてこれは大きな喜びでもありました。
僕はCocoのすぐそばのコーヒーテーブルで、いつものようにブログを書いています。僕はこのブログを書いて約15年が経つのです。はじめの頃は支離滅裂な今日のおにいさんなどという半裸のおにいさんの写真を載せたりして迷走していました(笑)。それはそれで楽しかったので良かったのですが、その頃はゲイのカップルとは特殊なものでいい方に理解はされていなかった印象があります。
ゲイということで、特殊で性的倒錯者というフィルダーで見られ、色者扱いされて訪問者も限られた人たちでした。しかし、その数年後我が家にCocoがやってきました。Cocoは気づいているのでしょうか?15年書いているブログのうちの10年は、Cocoがこのブログをけん引してきたといっても過言ではないのです。ここのブログのスーパーアイドルでありました。
Cocoはゲイへの差別や偏見の取り除きにさえ大きく貢献してくれたともいえるのでしょう~!おかげさまでここでは毎日たくさんの人たちがCocoの様子を見たり、地味で代り映えしない中年ゲイカップルの生活を覗きに来てくれるようになりました。皆様の暖かなご訪問を心より感謝しております。
CocoはLGBTの世界に大きく貢献しましたよ(笑)。
さて、Cocoの痛み止めが今週末にはなくなりそうなのでまたもらいに行ってきました。もうCocoは車に乗りたがりはしないのですが、ひとりで家に残すのも不安でしたのでバックシートに大きなCocoのベットを入れて心地よく寝れる空間を作って一緒にHerculesの街の方へ行ってきました。薬はあっという間にもらうことができましたので、ついでにランチにも行ってきました。
2132 Railroad Avenue
Hercules, California 94547
こちらのバーガーも、普通ではありますがしっかりと丁寧に作られていて大変美味しかったようです。美味しいランチに満足して家に帰りました。前回はここで食後のランチ散歩をしましたが、Cocoはもう散歩ができる状態ではないのでそのまま直帰となりました。Cocoにランチの残りをあげることもできないし、散歩もできないのはとっても寂しいのですが、Cocoがこうしていてくれるだけで十分の喜びです。
家に着いたら家で一番日当たりもよく景色のいい場所にCocoのベット真に新しいきれいなタオルを敷いて、寝かしてあげました。いつもの自分のベットルームだと暗いですし景色も見えないのでこちらの方がいいかな~などという人間の自分勝手な自己満足ではありますが、自己満足、大いに結構~と開き直ります。Cocoはこの日息がいつもより荒いようなので、水を飲ませてげっぷを手伝って、僕たちの目の届くそちらの方で休んでもらいました。
Dさんが昼寝に入り、Cocoも昼寝。僕は昼寝をする気分ではなかったので家の中でCocoを見つめながらぼーっとしていました。すると心の中にものすごい焦燥感がでてきまして、このままCocoが僕たちの前からいなくなってしまうことに対して耐えられない苦痛と心理的な不安にさいなまれてしまいました。これは去年の3月に味わったパニックアタックにそっくりな症状です。
たかが犬をなくすくらいでパニック状態になる自分にも情けないな~とは思いつつ、これも自分なんだよな~しょうがないよな~とあまり焦らないで本当につらくなったらまた薬を飲めばいいか~と構えるように言い聞かせました。人間の心って本当にもろいですね他人のちょっとした一言に、行動に、犬がいなくなることで、こんなにも動揺するなんて・・・
僕この動揺をしっかり認めて、できる限り否定せずそのまま自分を動揺させてあげました。しかしながら、この日はいつも以上にものすごいレベルの大きな症状がありましたので、Dさんに助けてもらって何と乗り越えようとしました。Dさんも僕のこの状態を見て辛そうでありました。パニック障害を起こすなんて人に自慢できる代物でもないのですが隠すことでもないので、これも自分を形成する一つということで共存していけるようにしないといけませんね。でないとCoocがまた心配してしまいます。
とにかくこんな感じで今まで経験したことのないような、かなりひどい心理状態になり、ボロボロになりそうになった土曜日の午後でしたが、心の中のざわつきは収まらなかったものの、Cocoがまどろみから目を覚まし、Dさんがそばにいてくれてからはだいぶ安定しました。そして、土曜日の夕方は穏やかに滑らかに過ぎ去っていこうとしていました。
今はぐったりと寝ているだけのCocoですがMt.Shastaでこんなに元気に飛び回ったこともありましたね~
台湾犬なのに雪が大好きでした。
元気いっぱいな姿を見るとぼくとDさんの顔には微笑みが溢れますが、同時に涙もあふれてしまいました。
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カリフォルニアは夏時間になりましたので、ブログのデザインも夏用に変えてみました。
朝になりました。この日Cocoはなぜか暖炉の横で寝ていました。よろけながらもここにたどり着いたのでしょう。そういえば、ここもCocoが家の中で好きなスポットでした。Cocoの様態は毎日書いているように、恐ろしいスピードで病魔に侵されているようです。昨日できたことがもう次の日にはできなくなっているというもので、2人ともどうしていいのかわらない混乱状態でありました。
食べるものの飲むものもほとんど絶ってしまっているCocoはいったい何を考えているのでしょうか? 本当はもう向こうの世界に行きたいのに、何かが気になってしまいこちらにとどまっているようにも見えます。Cocoを我が家に迎えた時、僕たちの関係はそれほど良好ではありませんでした。たくさんシリアスなケンカもしていたし別居もしたくらいでした。
それだからというわけではなく全く違う別のタイミングでCocoを迎え入れることになったのですが、この決断は今にしてみると神に与えられた幸運のような出来事だったかもしれないな~と僕は時々思ったりします。Cocoを一生懸命育てることで僕たち2人は養育の仕方の齟齬で僕たちはよくケンカもしました。そのたびにCocoは2人の間に立っておろおろしてくれました。
でも、その喧嘩の根本にあることはCocoにとって何がベストなのかということでしたので、喧嘩と言いつつも、それによって強い絆が3人の間に培われていったような気がします。僕たちはもう大丈夫、喧嘩もほどほどにしかしないからそんなに心配しないでくださいね。僕たちは2人でここ数日はCocoにもう心配しなくて大丈夫だよ~と言い聞かせていました。
この日の午後は少しだけ自力で立つことができたCocoは裏庭のパトロールをしてボ~とした後、フラフラの足取りで家に戻てきました。
何か気になることがあったのかな?
そのあとCocoは、やはりくぐったりとなってしまいました。すごく弱っているのがよくわかります。食事をせずに1週間、水もほとんど飲みません。最後に口にしたのは僕が作った甘酒、鶏のささ身、Dさんのベーコンとスクランブルエッグ、そして僕の作ったおかゆだけでした。そんな状態ですから今はもう自分のも持つ体力という貯金も使い果たしてしまい、気力だけで生命を維持しているような気がします。
そんなCocoさんはぐったり自分でも動けませんのでリビングのDさんの脇で横になってもらいまた。ここはかつてCocoの指定席でありまして、何があってもここの場所にいつでも戻ってくると言うくらい家の中でもお気に入りの場所でした。悪さをして怒られるとここに逃げてきて、大喜びで自分でコントロールができなくなってもこの場所に来て、僕たちがベットに入るまでここで横になったりしていました。
それなのに具合が悪くなってからこの場所には来ることはあまりなくなり、自分のベットルームでじっとしていることが多かったのです。Dさんと2人で、やっぱりCocoはこの場所にいてくれるとこちらもしっくりほっとするよね~と話していました。
そのあとはCocoがキッチンに移動してきましたので、少し元気になったのかな~?よかったね~と、もっと元気になれ~!!とシャンパンを上げてCocoの存在と、その可愛い顔に乾杯をしてみました。Cocoが生まれてきたこと、台湾で生き抜いてきたこと、僕たちと出会えたこと、そして家族になれたこと、この10年に起こったすべての出来事のためにに乾杯をしました。
アーカンソーからあそこでは生きていけないという危機感をもってカリフォルニアにやってきたアメリカ人のDさん、ゲイであることをひた隠しそのまま隠れるだけの人生に見切りをつけて日本脱出してきた日本人の僕、そして台湾から殺処分の危機になりながら、なんとかここ米国までやってきたCoco。そういうことを思うと、こうして同じ場所で一緒に暮らすことができただなんて、天文学的な奇跡の偶然ですね。
こんな不完全で、いびつな過去を持つ3人がこうしてここで出会い、肩を寄せ合い温かい家族になり、たとえたった10年という月日だけではありましたが、素敵な時間をこの地でひっそりとけがえのない時間を送れたのは本当に素晴らしいものでした。病気になって、あと残りのないCocoではありますが、こうして一緒に生きていき楽しい時間を過ごせたことは、それだけも大いに感謝喜ぶべきことなのですよね。すべてにありがとうと、心から言いたいです。
この日はファーマーズマーケットで菜の花の野菜が買ってきたので胡麻和えにしてみました。最近の野菜は季節感がなくなりましたが、この菜の花はいつまでたってもこの時期にしか食べることができないので必ず買って食材を使って出すようにしています。
さっとゆでて、めんつゆに、酢とゴマをふって、ゴマ油で和えれば美味しい旬の1品が出来上がりました。
これにわせるメインの食事はなんと・・・KFC!
ここのところすごく忙しくて、この日も何も作る気がしなかったので久しぶりならいいか~とKFCにしてみました。久しぶりに食べたKFCは意外とおいしくって、Dさんは大満足してくれましたし、僕もしっかり楽しむことができました。一応菜の花の胡麻和えもあるのですが、KFCの不健康さには焼け石に水のような気がしますが、美味しければいいのです!
美味しいと思えるうちに美味しいと思えるものを程よく、心地よく食べるのがよいことなのです。
そういえば、Cocoはお餅が好きでした~
僕が自分用にお餅を買うと、すぐに察知して私にもちょうだい~!攻撃がすごかったです(笑)
もっとたくさん食べさせてあげればよかったな・・・
↑ クリック応援よろしくお願いいたします~
朝になりました。この日Cocoはなぜか暖炉の横で寝ていました。よろけながらもここにたどり着いたのでしょう。そういえば、ここもCocoが家の中で好きなスポットでした。Cocoの様態は毎日書いているように、恐ろしいスピードで病魔に侵されているようです。昨日できたことがもう次の日にはできなくなっているというもので、2人ともどうしていいのかわらない混乱状態でありました。
それだからというわけではなく全く違う別のタイミングでCocoを迎え入れることになったのですが、この決断は今にしてみると神に与えられた幸運のような出来事だったかもしれないな~と僕は時々思ったりします。Cocoを一生懸命育てることで僕たち2人は養育の仕方の齟齬で僕たちはよくケンカもしました。そのたびにCocoは2人の間に立っておろおろしてくれました。
この日の午後は少しだけ自力で立つことができたCocoは裏庭のパトロールをしてボ~とした後、フラフラの足取りで家に戻てきました。
何か気になることがあったのかな?
そのあとCocoは、やはりくぐったりとなってしまいました。すごく弱っているのがよくわかります。食事をせずに1週間、水もほとんど飲みません。最後に口にしたのは僕が作った甘酒、鶏のささ身、Dさんのベーコンとスクランブルエッグ、そして僕の作ったおかゆだけでした。そんな状態ですから今はもう自分のも持つ体力という貯金も使い果たしてしまい、気力だけで生命を維持しているような気がします。
それなのに具合が悪くなってからこの場所には来ることはあまりなくなり、自分のベットルームでじっとしていることが多かったのです。Dさんと2人で、やっぱりCocoはこの場所にいてくれるとこちらもしっくりほっとするよね~と話していました。
そのあとはCocoがキッチンに移動してきましたので、少し元気になったのかな~?よかったね~と、もっと元気になれ~!!とシャンパンを上げてCocoの存在と、その可愛い顔に乾杯をしてみました。Cocoが生まれてきたこと、台湾で生き抜いてきたこと、僕たちと出会えたこと、そして家族になれたこと、この10年に起こったすべての出来事のためにに乾杯をしました。
こんな不完全で、いびつな過去を持つ3人がこうしてここで出会い、肩を寄せ合い温かい家族になり、たとえたった10年という月日だけではありましたが、素敵な時間をこの地でひっそりとけがえのない時間を送れたのは本当に素晴らしいものでした。病気になって、あと残りのないCocoではありますが、こうして一緒に生きていき楽しい時間を過ごせたことは、それだけも大いに感謝喜ぶべきことなのですよね。すべてにありがとうと、心から言いたいです。
この日はファーマーズマーケットで菜の花の野菜が買ってきたので胡麻和えにしてみました。最近の野菜は季節感がなくなりましたが、この菜の花はいつまでたってもこの時期にしか食べることができないので必ず買って食材を使って出すようにしています。
これにわせるメインの食事はなんと・・・KFC!
美味しいと思えるうちに美味しいと思えるものを程よく、心地よく食べるのがよいことなのです。
そういえば、Cocoはお餅が好きでした~
僕が自分用にお餅を買うと、すぐに察知して私にもちょうだい~!攻撃がすごかったです(笑)
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↓何人ここにいるのかな?
人です。。。

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