米国人彼氏Dさんと雑種犬Coco(没2020)と共にひっそりと 慎ましく暮す男の
地味でありふれた たれ流し的日常生活日記
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家に長いこといると家の前を通る人たちを眺めることが多くなりました。外出禁止令でも犬の散歩や運動のための外出はOKなので、意外と多くの人たちが散歩やジョギングを楽しんでいるのを見かけます。たぶん今まではジムなので体を鍛えていた人や、職場への通勤で歩いたりしていた人たちは運動量が減ったことで、散歩をするらしく今まで見かけた以上にたくさんの人が歩いています。
この日ふと窓の外を見てみると2匹の犬を連れた人がいたのですが、ずっと同じ場所でおろおろして何か困っているようでした。Dさんにそれを告げると、正義の味方Dさんは早速このご婦人に近寄って何か助けることができないかと聞いたようです。何でもこの黒&茶の犬はレスキュー犬で大きな音が苦手なのだそうです。
先ほどの大きな音を立てて車が走ったとに驚いて動かなくなってしまったそうです。かわいそうに・・・白い犬の方は全く問題なかったのですが、どうしても黒&茶の犬が動かなくなってしまったので旦那さんに電話して車で迎えに来てもらうことにしたそうです。レスキュー犬はいろいろなトラウマを抱えていることがありますので、ここの対応が重要ですね。
さて、この日は僕とDさんの共通の友人のKarenさんとRoyさんからオンラインHappy Hourに誘われていました。皆さん不必要な外出を避け、外部との直接的な接触を極力避けるようにしていますし、多くの職場は自宅勤務になり他の人たちとのコミュニケーションが極端に減っています。そういう環境にフラストレーションを感じる人が多く、オンランを使ってのお茶会や飲み会が増えてきました。
Karen&Royさんも積極的にいろいろな人とオンラインで会話しているようで、これはこれでなかなか良いストレス解消になっているとのことでした。会話を始めてみると、驚きなことを彼らは話し始めました。なんと、彼らはなんと3月の初めにポルトガルへ休暇に行っていたそうなのです。この時期にヨーロッパに行ったのか!?と驚きをもって話を聞いてみました。
この旅行はツアーで行ったそうなのですが、ツアーは中止ではなく決行となり、ツアー会社も問題ないと判断して米国を飛び立ったそうなのです。そして到着した時もまったく問題はなく、ツアー参加者とツアー会社の職員とコロナなんて気にしない~!と旅行を楽しみましょうという雰囲気であったそうなのです。現地の雰囲気も全く普通で、レストランに行って美味しい食事もとれたそうです。
ところが、それから2日後くらいにトランプ大統領がヨーロッパからの飛行機を禁止させると発表してから事態が急転。米国にいる家族から帰ってこい!の電話が多数かかってきて焦りはじめたそうです。そしてツアー会社が急遽2週間のツアーの中止を決定。すぐに帰国の手続きをはじめ、ヨーロッパ便米国入国禁止の前日にポルトガルから5日間の滞在で戻ってきたそうなのです。
彼らは半月ほどの隔離生活をして、何の症状もなく社会復帰を果たしたそうなのです。そんな話を聞いて僕とDさんは、3月の初旬はもうすでに米国でも必要不可欠な旅行は避けるように勧告していたし、ヨーロッパがコロナでまずいことになっていると報道していたのは周知の通りなのだけれど、まさかこの時期にこんな近くにヨーロッパに行く人がいただなんて驚く以外リアクションがありませんでした。
今回は感染がなかったからよかったものの、これで感染していたらどうなっていたのだろうと想像すると恐ろしい限りです。しかしながら、当事者からするときっといろいろなことを考慮してと今この時期に旅行をすることがかなり危険な行為であるとわかっていても、どこかでもしかしたら大丈夫かもしれないということが頭をよぎるのでしょうね。
幸いなことに僕たちは家のローン早期返済計画のため今年は一切の旅行を計画していませんでした。でも、もし計画していたら正しい判断ができていたのだろうかと考えます。健康第一とわかっていても、待ち望んでいた休暇、払い戻しのきかないホテル代や航空券・・・いろいろなものを天秤にかけると、冷静な判断を下すのは難しいのだろうなと、彼らの話を聞いて思わされました。
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先ほどの大きな音を立てて車が走ったとに驚いて動かなくなってしまったそうです。かわいそうに・・・白い犬の方は全く問題なかったのですが、どうしても黒&茶の犬が動かなくなってしまったので旦那さんに電話して車で迎えに来てもらうことにしたそうです。レスキュー犬はいろいろなトラウマを抱えていることがありますので、ここの対応が重要ですね。
さて、この日は僕とDさんの共通の友人のKarenさんとRoyさんからオンラインHappy Hourに誘われていました。皆さん不必要な外出を避け、外部との直接的な接触を極力避けるようにしていますし、多くの職場は自宅勤務になり他の人たちとのコミュニケーションが極端に減っています。そういう環境にフラストレーションを感じる人が多く、オンランを使ってのお茶会や飲み会が増えてきました。
Karen&Royさんも積極的にいろいろな人とオンラインで会話しているようで、これはこれでなかなか良いストレス解消になっているとのことでした。会話を始めてみると、驚きなことを彼らは話し始めました。なんと、彼らはなんと3月の初めにポルトガルへ休暇に行っていたそうなのです。この時期にヨーロッパに行ったのか!?と驚きをもって話を聞いてみました。
ところが、それから2日後くらいにトランプ大統領がヨーロッパからの飛行機を禁止させると発表してから事態が急転。米国にいる家族から帰ってこい!の電話が多数かかってきて焦りはじめたそうです。そしてツアー会社が急遽2週間のツアーの中止を決定。すぐに帰国の手続きをはじめ、ヨーロッパ便米国入国禁止の前日にポルトガルから5日間の滞在で戻ってきたそうなのです。
彼らは半月ほどの隔離生活をして、何の症状もなく社会復帰を果たしたそうなのです。そんな話を聞いて僕とDさんは、3月の初旬はもうすでに米国でも必要不可欠な旅行は避けるように勧告していたし、ヨーロッパがコロナでまずいことになっていると報道していたのは周知の通りなのだけれど、まさかこの時期にこんな近くにヨーロッパに行く人がいただなんて驚く以外リアクションがありませんでした。
今回は感染がなかったからよかったものの、これで感染していたらどうなっていたのだろうと想像すると恐ろしい限りです。しかしながら、当事者からするときっといろいろなことを考慮してと今この時期に旅行をすることがかなり危険な行為であるとわかっていても、どこかでもしかしたら大丈夫かもしれないということが頭をよぎるのでしょうね。
(夕飯はステーキを焼いてみまして、付け合わせは焼き野菜。アボカドポテトサラダです)
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Shelter-in-Placeという、外出禁止令が出されてしばらくたっているカリフォルニア州。こちらの外出禁止令は確かに営業できる業種が制限されているものの、ヨーロッパや中国に出された都市封鎖的なものよりもだいぶ緩く、罰金はあるものの大きな意味で基本的に皆さん自由に外を出歩くことができますので、食事も食料の購入は思い立った時にすることができています。
そんな比較的緩い外出禁止令ですが、皆さんしっかりと家に籠り感染拡大を防ごうと努力をしているようで、この日高速道路を走ってみると車はあまり走っておらずがらんとしたものになっていました。この外出禁止令が1か月ほど経ち街の様子はすっかり変わり、営業できる事業は制限され、株価は暴落、街に失業者があふれるようになりました。
そんな街の様子を見て僕が思ったのは、行政、お役所というか政府というものの存在です。普通に暮らしていると、お役所の存在はそれほどはっきりと目に映らないような気がします。通常の生活ですと、お役所のやっていることは基本的に市民が生活を円滑に行えるよう補助的な役割をしていると感じていました。実際そうであろうと思います。
しかし、今のような状況下になるって見て分かったのは、お役所というところは僕たちが思っている以上にものすごい力を持っている機関なのだということです。今回は疫病の広がりを止めるためのものですから全く問題ありません。何の異議もありません。しかしながら、いったんお役所がこうだ!と決めたことは、ものすごい統制力を持って実行できるという事実には驚愕します。
ちなみに上の写真はSF日本街にある日本食料品店ですが、入店人数の制限により食品購入には長い列ができています。SFの大多数の食料品店、ドラッグストアーなどではこのような行列はもう一般的になっているくらいによく見かける光景です。幸い僕たちは郊外に住んでいるので食料品購入に並ぶということはほとんど経験しておらず、彼らよりもずっと楽な生活を送ることができていて幸運に思えます。
話を戻して、今回のこの外出禁止令なのですが、こういうことを話していて、こういう計画があって、こういう意図があって、こういう専門機関と合議しているという過程が前もって知らされることなく、僕としてはほぼいきなりの形で発令されたような印象があります。(もちろん、一刻を争うことでありますし、公衆衛生という名のもとのアクションですから異論はありませんよ。)
そしてそのまま、そのまま営業を許可される業種、閉鎖に追い込まれる業種、(強制ではないがそれに近いものがある)自宅勤務の強い奨励などが、あれよあれよという間に決められて、州民の皆さんがそれに従っているのです。業務停止による金銭的補償も最初の時点ではほとんど話されることなく、あっという間に営業の制限&禁止が決定されていたように感じました。
また、日本街では今週は1968年から行われている第53回目の北カリフォルニア桜祭りがおこなわれるはずでありました。これも州か郡の規制により、53年の歴史上初めての開催中止となりました。これも、もちろん新規感染を止めるためにはこれもやむおえないことであって反対はありません。ただ、こうして振り返ってみるとお役所って物凄い力を持っているのだなということであります。
そして住民も従順にお役所の指示に従っています。こういう部分ではアメリカ人って意外と素直にお役所のことを聞くものなのだなと感心しています。もちろん公衆衛生だからこそここまでやるのであってそれ以外には、これらの権力で住民の生活を脅かすことはないのでしょうけれど、もし万が一この権力を一部の人の利権や考えのために使われたらどうなるのだろうと想像すると恐ろしい気もします。
(Fillmoreの通りではたくさんのお店のショーウィンドウには、ベニヤ板が打ち付かれ、万が一の略奪に備えているようですが、その板に描いてある感染防止啓発用のマスクをつけたクマの絵がかわいかったです。)
日本では外出禁止令的なものではあるものの、法的な強制力もなく皆さんにお願いする形をとっていて、たくさんの方たちがそれでは効力が薄まると反対の声を上げています。これに関して僕はいろいろな邪推をしてしまっています。第二次世界大戦(特に太平洋戦争)は、日本国家が国民総動員法をもって物資や国民の生活を強く統制して戦争への道へ突き進んでいきました。
敗戦後たぶん日本は国家の力をもって国民の生活を統制したことがなかったように思います。日本政府は前例がないとなかなか動きませんが、いったん前例があるとそのノウハウを最大限に発揮して比較的簡単に次の行動をとるような気がします。今回は日本国家がお願いの形をとったのは前例がなくきっと前に進めない形なのでしょう。何となくそれは想像できます。
そんな狙いがあるのだろうかとも考えてしまいます。目的はなんであってもいったん日本政府が強制的な力をもって国民を統制するすべを学ぶと、次はこのノウハウを何に使いたくなるのでしょう。国家の危機があった時に、国民みんなでそれを乗り越えるのは素晴らしいことではあると思います。(実際そこまで日本政府が賢いのか、今の行動を見ていると疑問ですが…笑)
ただ僕は世論というものがとっても無責任で無慈悲で暴力的な力も持っていますし、日本から離れて日本を見ている人間として、どこの国でも多かれ少なかれあるのですが日本人は長いものに巻かれろ的な部分が強く、自分の力で物事を考えることが欠如している人の割合が比較的大きいと感じます。これらを考慮すると、いったん世論を味方につけたその時の政府がこのノウハウをもっていったいどんなことをしてしまうのかと考えてしまいます。
日本政府に余計な前例を作らないためにも、今はここの人間が自らの力で考えて行動してこの感染を最大限に抑える努力をしないといけないときなのではないかと思ってしまいます。政府の指導力を非難するだけでは不十分ですし、あまり賢いこうでもないように目に映ります。
また別の邪推は、日本政府はもしかしたら他のアジア諸国への配慮もあって今期あの緊急事態宣言をお願いという形をとっているということです。先に述べたように、日本はそれほど強い力で国民を統制したことは戦後ないと思われます。日本政府が強い強制力をもって自国民を統制することはやはり国家総動員法を思い起こさせ、アジア諸国からの内政干渉の機会が起こってしまうでしょう。
そういう配慮もあるのかもしれないな~とも思ったりします。自宅での時間がたくさんあって、今まで経験したことのない生活環境になると、頭の中でのいろいろなくだらない想像が湧き出てきますので、頭の中を整理するという意味でダラダラと書き綴ってみました。思いっきりの妄想ですのであまり深く考えないで読んでくださると幸いです。
要するに何が一番言いたいのかというと、このコロナウィルスはたくさんの人を死に至らしめています。人間の命は尊いものですので、大切な人の命を落とさせないためにも、政府がどうこうというよりの一人ひとりが自分の行動を見つめて自分の力で考えて、適度に心地よく暮らすためにも過度に制限することなく、責任を持って行動していくことが大切なのであろうということです。
今回の外出禁止令で精神的圧迫(ストレス)を感じ鬱になる人が多いと報道されています。僕も生活環境、仕事環境の変化でストレスを強く感じ睡眠障害も大きく出てきまして、薬で何とか散らしている感じです。そんな状況なので僕とDさんはいっぱいいっぱいになってきましたので、気晴らしにドライブをしてきました。精神的ケアも自分の力で行うことは重要だと考えます。
そういう理由でのドライブは、結構いい気晴らしになりました。日本街の桜観賞とランチ以外は車から出ておらず、マスクをして最低限の外的接触に抑えて常に消毒をしていましたので、これはこれで感染拡大を抑える原則にのっとったまあ、許される範囲の必要性のある外出だったのではないかとしておきました。
戦時下の隣組のような、正義という名義の他人の行動を監視/避難する暴力は避け、感染拡大防止に協力しつつ、心地よい生活をしていきましょう。ちなみに僕は政治的に右でもなけれは左でもないどちらかと言えば中立的な立場な人間だと思っています。
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そんな街の様子を見て僕が思ったのは、行政、お役所というか政府というものの存在です。普通に暮らしていると、お役所の存在はそれほどはっきりと目に映らないような気がします。通常の生活ですと、お役所のやっていることは基本的に市民が生活を円滑に行えるよう補助的な役割をしていると感じていました。実際そうであろうと思います。
ちなみに上の写真はSF日本街にある日本食料品店ですが、入店人数の制限により食品購入には長い列ができています。SFの大多数の食料品店、ドラッグストアーなどではこのような行列はもう一般的になっているくらいによく見かける光景です。幸い僕たちは郊外に住んでいるので食料品購入に並ぶということはほとんど経験しておらず、彼らよりもずっと楽な生活を送ることができていて幸運に思えます。
話を戻して、今回のこの外出禁止令なのですが、こういうことを話していて、こういう計画があって、こういう意図があって、こういう専門機関と合議しているという過程が前もって知らされることなく、僕としてはほぼいきなりの形で発令されたような印象があります。(もちろん、一刻を争うことでありますし、公衆衛生という名のもとのアクションですから異論はありませんよ。)
また、日本街では今週は1968年から行われている第53回目の北カリフォルニア桜祭りがおこなわれるはずでありました。これも州か郡の規制により、53年の歴史上初めての開催中止となりました。これも、もちろん新規感染を止めるためにはこれもやむおえないことであって反対はありません。ただ、こうして振り返ってみるとお役所って物凄い力を持っているのだなということであります。
そして住民も従順にお役所の指示に従っています。こういう部分ではアメリカ人って意外と素直にお役所のことを聞くものなのだなと感心しています。もちろん公衆衛生だからこそここまでやるのであってそれ以外には、これらの権力で住民の生活を脅かすことはないのでしょうけれど、もし万が一この権力を一部の人の利権や考えのために使われたらどうなるのだろうと想像すると恐ろしい気もします。
(Fillmoreの通りではたくさんのお店のショーウィンドウには、ベニヤ板が打ち付かれ、万が一の略奪に備えているようですが、その板に描いてある感染防止啓発用のマスクをつけたクマの絵がかわいかったです。)
敗戦後たぶん日本は国家の力をもって国民の生活を統制したことがなかったように思います。日本政府は前例がないとなかなか動きませんが、いったん前例があるとそのノウハウを最大限に発揮して比較的簡単に次の行動をとるような気がします。今回は日本国家がお願いの形をとったのは前例がなくきっと前に進めない形なのでしょう。何となくそれは想像できます。
(ランチはカストロ近くのハンバーガーでした)
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もしここで日本が、ヨーロッパが現在行っているようなより強い強制力を持つ方法をとった時、日本政府はこれにより前例を作ることになるでしょう。 今回の緊急事態宣言は、まず第一段階で法的拘束力のないものを出し、国民にお願いする。そして第二段階では、それが効力がないのでやむおえないという形でより強い法的拘束力を持つものを出す。そんな狙いがあるのだろうかとも考えてしまいます。目的はなんであってもいったん日本政府が強制的な力をもって国民を統制するすべを学ぶと、次はこのノウハウを何に使いたくなるのでしょう。国家の危機があった時に、国民みんなでそれを乗り越えるのは素晴らしいことではあると思います。(実際そこまで日本政府が賢いのか、今の行動を見ていると疑問ですが…笑)
ただ僕は世論というものがとっても無責任で無慈悲で暴力的な力も持っていますし、日本から離れて日本を見ている人間として、どこの国でも多かれ少なかれあるのですが日本人は長いものに巻かれろ的な部分が強く、自分の力で物事を考えることが欠如している人の割合が比較的大きいと感じます。これらを考慮すると、いったん世論を味方につけたその時の政府がこのノウハウをもっていったいどんなことをしてしまうのかと考えてしまいます。
日本政府に余計な前例を作らないためにも、今はここの人間が自らの力で考えて行動してこの感染を最大限に抑える努力をしないといけないときなのではないかと思ってしまいます。政府の指導力を非難するだけでは不十分ですし、あまり賢いこうでもないように目に映ります。
(コロナビールを箱買いしているイケメン発見!)
そういう配慮もあるのかもしれないな~とも思ったりします。自宅での時間がたくさんあって、今まで経験したことのない生活環境になると、頭の中でのいろいろなくだらない想像が湧き出てきますので、頭の中を整理するという意味でダラダラと書き綴ってみました。思いっきりの妄想ですのであまり深く考えないで読んでくださると幸いです。
要するに何が一番言いたいのかというと、このコロナウィルスはたくさんの人を死に至らしめています。人間の命は尊いものですので、大切な人の命を落とさせないためにも、政府がどうこうというよりの一人ひとりが自分の行動を見つめて自分の力で考えて、適度に心地よく暮らすためにも過度に制限することなく、責任を持って行動していくことが大切なのであろうということです。
今回の外出禁止令で精神的圧迫(ストレス)を感じ鬱になる人が多いと報道されています。僕も生活環境、仕事環境の変化でストレスを強く感じ睡眠障害も大きく出てきまして、薬で何とか散らしている感じです。そんな状況なので僕とDさんはいっぱいいっぱいになってきましたので、気晴らしにドライブをしてきました。精神的ケアも自分の力で行うことは重要だと考えます。
(フィッシャーマンズワーフも人がおらずゴーストタウン化していました)
戦時下の隣組のような、正義という名義の他人の行動を監視/避難する暴力は避け、感染拡大防止に協力しつつ、心地よい生活をしていきましょう。ちなみに僕は政治的に右でもなけれは左でもないどちらかと言えば中立的な立場な人間だと思っています。
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コロナウイルスののおかげで、マスクやゴーグル、消毒用アルコール、消毒用紙ナプキンが長いこと売り切れる事態になっています。職場の方ではいち早くそれらを確保したということなので問題ないのですが、自宅においては全くそれらがない状態でした。ところがテレビで現役のお医者さんが消毒用のハンドジェルは簡単に作れるといて、実際作っている番組を見ました。
意外と簡単なので僕も作ってみよう~!と家の中を探してみると必要なものがちゃんとありました。消毒用ハンドジェルに必要なのはアロエジェル(左)とアルコール(右)だけです。消毒用アルコールはクーロゼットの奥の救急箱に数年眠っていたのがありまして、アロエジェルはハワイに行った時に買った古いものがありました。これらをアルコール2:アロエジェル1の割合で混ぜるだけとのことでした。
僕はこれに天然レモンオイルを数滴混ぜました。混ぜた後は、ほとんどなくなってしまったカラのハンドジェルの容器(中央)に入れれば完成です。完成品はレモンの香りがしてなかなかいい感じであります!ここでの注意点は、完成品はアルコールを入れても大丈夫とされているプラスチックの容器、もしくはガラスの容器に入れないとアルコールが容器に溶け出してしまうとのことでした。
僕の使った容器はプラスチックではありますが、もともとアルコール消毒ジェルが入っていたものですから大丈夫であろうと推測されます。これでしばらくは気兼ねなく手の消毒ができます。
さて、僕の仕事はもともと在宅ワークができるようなものでもなかったのですが、先週からより強化された外出禁止令により、ついに僕の職場もぎりぎりの線まで在宅勤務の幅を広げるようになりました。僕はオフィスに来てもいいとは言われたのですが、できれば在宅勤務してほしいと言われたので在宅勤務90%くらいになりました。それにしてもこの在宅勤務って大変ですね。
今まで仕事の必要なものが仕事場にありましたが、それらを全部家に作り上げないといけないのです。今必要な書類やファイルなどはすべて職場のネットワークの中のオンライン倉庫の中にあるのですが、僕の職場では職場から提供されたPCでないとそれらにはアクセスできないようになっています。僕は既に会社から提供されるラップトップを持っていたのですが、僕よりも多くの患者を担当する部下が、よりそれを必要としていました。
ですのでそちらを彼にあげて、僕はで会社から提供されるラップトップを順番待ちし、それが来るまではオフィスに来て仕事をしていました。しばらくして会社支給のラップトップが手に入り、いろいろとセットアップして家に持ち込んで在宅勤務をし始めました。しかし、やはり職場においてあるちょっとしたものが必要になったりして不便でもあります。
簡単な確認も口頭ではなく、すべてメールやオンライン上のチャットとなりますので、反応が思ったように返ってこなかったり、あの人はこのメッセージを読んだのだろうか?そして仕事に取り掛かっている途中なのだろうか?それともまだ読んでいなくて在宅勤務をいいことに長期の休憩を取っているのだろうか?など、今まで必要のなかった時間と労力と心労が増えました。
それに家の椅子は仕事用の椅子と違いますので、長いこと座っていると足、腰、肩、お尻が痛くなります。結構な痛みですので、その痛みをほぐそうと近所を散歩するようになりました。近所の散歩はCocoとのことを思い出すので全くしなくなっていたのです。近所の散歩道がすべてCocoとつながっているからしょうがないですよね。
それでも、気分転換と運動を兼ねて近所を散歩してみると桜の花が7部咲き位になっていてとってもきれいでした。コロナウイルスの騒動であまり気を付けてみていなかったし、感じることが鈍くなっていましたが、確実に春が訪れているようです。そしてこれらの桜を見てすぐに思い出したのは、あぁ・・・去年ここでDさんにCocoを持ち上げてもらって、無理やり記念撮影したんだなということでした。
家に帰ってブログをたどってみるとやはり去年の今頃にありました。この日も去年と同じくらいの曇り空でいまいちこれでは桜が映えない!と文句を言いながら写真を撮った記憶があります。あの時は桜の花は青空の下で撮らないといまいちだから、まだ今度にしようか~とも一瞬思ったのですが、思い直して無理やり撮ったことも思い出しました。
来年も撮ろうね~と言っていたのに、さくらは今年もきれいに咲いたのに、もうCocoはここにいないのですね。去年の今頃、この写真がCocoと桜の最後の写真になるとは思ってもみませんでした。Dさんにこの写真を見せたら、目を潤ませながらこの写真を撮った時のこと今でも鮮明に覚えていると言って悲しそうでした。あぁぁ、Cocoは本当にもうこの世にいないのだな・・・
悲しすぎる。
桜はきれいに咲いたけれど、
本当に本当に悲しい・・・
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意外と簡単なので僕も作ってみよう~!と家の中を探してみると必要なものがちゃんとありました。消毒用ハンドジェルに必要なのはアロエジェル(左)とアルコール(右)だけです。消毒用アルコールはクーロゼットの奥の救急箱に数年眠っていたのがありまして、アロエジェルはハワイに行った時に買った古いものがありました。これらをアルコール2:アロエジェル1の割合で混ぜるだけとのことでした。
僕の使った容器はプラスチックではありますが、もともとアルコール消毒ジェルが入っていたものですから大丈夫であろうと推測されます。これでしばらくは気兼ねなく手の消毒ができます。
さて、僕の仕事はもともと在宅ワークができるようなものでもなかったのですが、先週からより強化された外出禁止令により、ついに僕の職場もぎりぎりの線まで在宅勤務の幅を広げるようになりました。僕はオフィスに来てもいいとは言われたのですが、できれば在宅勤務してほしいと言われたので在宅勤務90%くらいになりました。それにしてもこの在宅勤務って大変ですね。
今まで仕事の必要なものが仕事場にありましたが、それらを全部家に作り上げないといけないのです。今必要な書類やファイルなどはすべて職場のネットワークの中のオンライン倉庫の中にあるのですが、僕の職場では職場から提供されたPCでないとそれらにはアクセスできないようになっています。僕は既に会社から提供されるラップトップを持っていたのですが、僕よりも多くの患者を担当する部下が、よりそれを必要としていました。
簡単な確認も口頭ではなく、すべてメールやオンライン上のチャットとなりますので、反応が思ったように返ってこなかったり、あの人はこのメッセージを読んだのだろうか?そして仕事に取り掛かっている途中なのだろうか?それともまだ読んでいなくて在宅勤務をいいことに長期の休憩を取っているのだろうか?など、今まで必要のなかった時間と労力と心労が増えました。
それに家の椅子は仕事用の椅子と違いますので、長いこと座っていると足、腰、肩、お尻が痛くなります。結構な痛みですので、その痛みをほぐそうと近所を散歩するようになりました。近所の散歩はCocoとのことを思い出すので全くしなくなっていたのです。近所の散歩道がすべてCocoとつながっているからしょうがないですよね。
それでも、気分転換と運動を兼ねて近所を散歩してみると桜の花が7部咲き位になっていてとってもきれいでした。コロナウイルスの騒動であまり気を付けてみていなかったし、感じることが鈍くなっていましたが、確実に春が訪れているようです。そしてこれらの桜を見てすぐに思い出したのは、あぁ・・・去年ここでDさんにCocoを持ち上げてもらって、無理やり記念撮影したんだなということでした。
家に帰ってブログをたどってみるとやはり去年の今頃にありました。この日も去年と同じくらいの曇り空でいまいちこれでは桜が映えない!と文句を言いながら写真を撮った記憶があります。あの時は桜の花は青空の下で撮らないといまいちだから、まだ今度にしようか~とも一瞬思ったのですが、思い直して無理やり撮ったことも思い出しました。
悲しすぎる。
桜はきれいに咲いたけれど、
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サンフランシスコベイエリアに緊急事態宣言が出されてもう少しで1か月が経とうとしています。最初のうちは手探り状態で、次第にたくさんのビジネスがストップして、ほとんどの人が自宅からの勤務、車の往来がぐっと減り、レストランでの外食もできなくなり、理容店での散髪もできないので髪は伸び放題となる・・・が定番となるとかなりストレスが溜まってきますね。
そんなストレス解消の相手は、今までならばCocoでした。Cocoが相手をしてくれることにより落ち込んだ気分も随分と紛らわしてもらっていました。Cocoがいなくなって分かったのは、この家にいたCocoという存在そのものが、どれだけ僕たちの精神安定剤になってのだろうかということです。今更ながら、ものも言わぬ白犬は僕たちの大きな心のよりどころになっていました。
さて、Cocoのごはん用のどんぶりは、やはり捨てることができないのです。でも再利用していないとDさんに捨てられる恐れがあるので何としても、利用法を思いつかないといけません!そんな訳でリスのヒマワリの種入れとして庭の方において置くことにしました。すると毎日のようにリスがやってきてヒマワリの種を食べに来るようになりました。
これがまた面白くって、庭の木の上、その木の下、そしてベランダの3か所にヒマワリの種を置くようにしたのですが、朝来るリスや昼過ぎに来るリス、そして夕方に3匹でやって来るリスなどがいまして、在宅勤務に疲れた時にぼ~とみているとなかなか楽しいものがあります。もちろん、Cocoの癒しに比べると微々たるものではありますが、Cocoのごはん丼を使ってくれているのを見ると嬉しくなります。
緊急事態宣言が発令された後のカリフォルニアではレストランの営業が続くものの、お持ち帰りのみの営業が許可されているのみで、レストランでの食事は禁止されました。そのため、レストランの営業そのものを休止するところが多くなりました。そんな環境下で生き残りにかけて、お持ち帰り充実作戦を実行するお店もちらほらと聞かれるようになりました。
こちらのレストランは、通常営業時には一度も訪問したことがないお店でありました。この緊急事態宣言でお持ち帰りのみになったことにより、お持ち帰りができるお店のリストで、どんなお店なら食べ物を買うことができるのだろうと何気なく見た時、こちらのお店を見つけました。今までお持ち帰りをほとんどやっていなかったお店でさえもお持ち帰りをするようになったのを多くみるようになりました。
今回頼んだものはミステリーバックなる、その日によって違うものが詰めわせとなるもの。 ミステリーバックには、照り焼きチキン、ホタテのマカロニサラダ、鮭のフライタルタルソース付け、刺身盛り合わせが入っていまして、2人でこれは十分だろうという量でした。そして味の方は、どの料理も文句ないほどおいしくて、刺身の新鮮さと質の良さはうなってしまうほどでありました。
今回は初めてだったのでミステリーバックがどれくらいの量か分からなかったので足りないと困ると思い、これに加えてミニちらしもオーダーしました。そしてこのミニちらしはミニとは言いつつも成人男性一人が食べるのには十分な量でありました。いくら、マグロ、鮭、ウナギ、白身魚、ホタテ、エビなどがのり結構な豪華バージョンでありました。これらの料理に僕もDさんも大満足!
地元の小さなビジネスには頑張ってもらいたいですし、働いている人たちの生活も保障してもらいたいですから、仕事をクビにならず安定したお給料をいただいている僕たちはなるべくこういうお持ち帰りをして、地元のビジネスを支えてあげたいものです。
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そんなストレス解消の相手は、今までならばCocoでした。Cocoが相手をしてくれることにより落ち込んだ気分も随分と紛らわしてもらっていました。Cocoがいなくなって分かったのは、この家にいたCocoという存在そのものが、どれだけ僕たちの精神安定剤になってのだろうかということです。今更ながら、ものも言わぬ白犬は僕たちの大きな心のよりどころになっていました。
これがまた面白くって、庭の木の上、その木の下、そしてベランダの3か所にヒマワリの種を置くようにしたのですが、朝来るリスや昼過ぎに来るリス、そして夕方に3匹でやって来るリスなどがいまして、在宅勤務に疲れた時にぼ~とみているとなかなか楽しいものがあります。もちろん、Cocoの癒しに比べると微々たるものではありますが、Cocoのごはん丼を使ってくれているのを見ると嬉しくなります。
緊急事態宣言が発令された後のカリフォルニアではレストランの営業が続くものの、お持ち帰りのみの営業が許可されているのみで、レストランでの食事は禁止されました。そのため、レストランの営業そのものを休止するところが多くなりました。そんな環境下で生き残りにかけて、お持ち帰り充実作戦を実行するお店もちらほらと聞かれるようになりました。
こちらのレストランは、通常営業時には一度も訪問したことがないお店でありました。この緊急事態宣言でお持ち帰りのみになったことにより、お持ち帰りができるお店のリストで、どんなお店なら食べ物を買うことができるのだろうと何気なく見た時、こちらのお店を見つけました。今までお持ち帰りをほとんどやっていなかったお店でさえもお持ち帰りをするようになったのを多くみるようになりました。
2566 B Telegraph Ave
Berkeley, California 94704
こちらのきらくさんは急展開なレストランの閉店(持ち帰りのみOK) により市場で過剰になった食材を裁くためお得な値段で提供しているとのことでした。見てみるとなかなか美味しそうなものがたくさん並んでいまして、評判もよさそうでありました。それじゃ、試しに一度頼んでみましょうか?と電話してほしいものを告げて、ピックアップは5時ということでオーダーを完了しました。今回頼んだものはミステリーバックなる、その日によって違うものが詰めわせとなるもの。 ミステリーバックには、照り焼きチキン、ホタテのマカロニサラダ、鮭のフライタルタルソース付け、刺身盛り合わせが入っていまして、2人でこれは十分だろうという量でした。そして味の方は、どの料理も文句ないほどおいしくて、刺身の新鮮さと質の良さはうなってしまうほどでありました。
地元の小さなビジネスには頑張ってもらいたいですし、働いている人たちの生活も保障してもらいたいですから、仕事をクビにならず安定したお給料をいただいている僕たちはなるべくこういうお持ち帰りをして、地元のビジネスを支えてあげたいものです。
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コロナ騒動で皆さん食料を多めに購入しています。僕たちの家は基本的にストック食品の量が普通の家よりも多いせいか、これといった買いだめをすることなくいつもの普通の量を買えば結構な期間は大丈夫な家であります。しかしながら、生鮮食料品はこまめに買っておかないといけないのですね。そろそろ買い出しに行かなくてはいけないなという時期になってきました。
そのため冷蔵庫の収納量をチェックすべく、いろいろと整理していたら冷蔵庫の野菜を入れる引き戸の奥の方に忘れ去られていたサツマイモが入っていました。僕は基本的に好き嫌いが少なく何でも食べることができるのですが、実はサツマイモがいまいち好きではなく出されれば食べることができるものの、どちらかというと苦手なものに入るのです。
なぜそのさつまいもがあるかと言いますと、そうなのです・・・これは僕がCocoの食事のために毎回使っていたサツマイモなのでありました。Cocoが食事をしなくなって、僕たちが右往左往しているころから冷蔵庫の片隅で忘れ去られた存在になりました。Cocoのために今まで作っていたもの以外の食べ物を探してCocoに食べさせていて、そしてCocoが亡くなるまでじっと冷蔵庫で彼らは息をひそめていたのです。
長い期間冷蔵庫で寝かしつけられたせいで、少ししなびてしまっていました。これどうしようか・・・?と思っていると、Dさんはもう食べれないし、君はサツマイモ好きでもないし、捨てしまえばいい!というのですが、Cocoに関するものをなかなか捨てることができない僕は、Cocoのために買ったこんなサツマイモさえも愛おしく感じてしまい、捨てることができない心情でありました。
しかし半分しなびたサツマイモにはそれほど存在価値がありません。捨てるしかないのか?と思った時に僕が思いついたこのサツマイモの活用法は・・・庭に植える!ということでした。多少しなびていても、土の中に植えれば芽が出るかもしれないし、そしてそこからまた新たな生命が息吹き、新たなサツマイモが収穫できるかもしれません。
そうしたらサツマイモ好きなDさんにサツマイモの料理を作ってあげることができ、Cocoの思い出にもなるかもしれない。そんな訳でありまして、あきれているDさんを横目で見ながら一生懸命泥だらけになって庭の花壇に穴をあけ、腐葉土をかけサツマイモを植えてみました。このサツマイモに第二のチャンスを与えてみることにしたということです。
そういえば、Cocoも殺処分から第二のチャンスで我が家にやってきたのだのですよね。そう思うと何となくいいことをしたというような自己満足感が満たされます。さてそのCocoにとって、4月7日はCocoが亡くなってから1カ月たちまして初めての月命日となりました。コロナ騒動のせいもあって毎日がドタバタしていて、Cocoが亡くなってからそんなに経ってしまったのかという感じがあります。
それと同時にまだあれから1カ月しかたっていないのか、という感じも同時にあるのです。Cocoがいつもの定位置に座っていた場所に、今は小さな遺灰があるのを見るとまだまだ悲しみが強く沸き起こります。Cocoに触れることができたのがつい先ほどであったような気もするし、もう遠い昔のような気もする、全くもって落ち着かない混同した心持の毎日であります。
Dさんと2人でCocoを亡くしたことは、あまりの大きな痛みに打ちひしがれています。
この日の夕飯は以前作ったミートソースが冷凍庫の中に眠っていたのでそれを利用してスパゲッティーミートソースにしました。コロナの外出禁止令に伴い、家で食べることが多くなりました。そこで冷蔵庫も冷凍庫もしっかりと再見分したので、いろいろと眠っている食材を掘り起こして在庫整理も一緒にしてしまおうと実行しています。
巷ではスパゲッティーなどの乾麺系がなかなか手に入らないと言われています。しかし我が家ではしっかりいつも通りストックがなされていました。低炭水化物食事をするように心がけるようになってからはあまり家でパスタを食べなくなりましたので、余計に十分なストックがあるという感じであります。写真奥のパンも、以前買ったものが冷凍しておいたったのでそれもオーブンで温めました。
これに野菜サラダを付け合わせれば、まあOKな夕飯になりました。
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そのため冷蔵庫の収納量をチェックすべく、いろいろと整理していたら冷蔵庫の野菜を入れる引き戸の奥の方に忘れ去られていたサツマイモが入っていました。僕は基本的に好き嫌いが少なく何でも食べることができるのですが、実はサツマイモがいまいち好きではなく出されれば食べることができるものの、どちらかというと苦手なものに入るのです。
長い期間冷蔵庫で寝かしつけられたせいで、少ししなびてしまっていました。これどうしようか・・・?と思っていると、Dさんはもう食べれないし、君はサツマイモ好きでもないし、捨てしまえばいい!というのですが、Cocoに関するものをなかなか捨てることができない僕は、Cocoのために買ったこんなサツマイモさえも愛おしく感じてしまい、捨てることができない心情でありました。
しかし半分しなびたサツマイモにはそれほど存在価値がありません。捨てるしかないのか?と思った時に僕が思いついたこのサツマイモの活用法は・・・庭に植える!ということでした。多少しなびていても、土の中に植えれば芽が出るかもしれないし、そしてそこからまた新たな生命が息吹き、新たなサツマイモが収穫できるかもしれません。
そうしたらサツマイモ好きなDさんにサツマイモの料理を作ってあげることができ、Cocoの思い出にもなるかもしれない。そんな訳でありまして、あきれているDさんを横目で見ながら一生懸命泥だらけになって庭の花壇に穴をあけ、腐葉土をかけサツマイモを植えてみました。このサツマイモに第二のチャンスを与えてみることにしたということです。
それと同時にまだあれから1カ月しかたっていないのか、という感じも同時にあるのです。Cocoがいつもの定位置に座っていた場所に、今は小さな遺灰があるのを見るとまだまだ悲しみが強く沸き起こります。Cocoに触れることができたのがつい先ほどであったような気もするし、もう遠い昔のような気もする、全くもって落ち着かない混同した心持の毎日であります。
Dさんと2人でCocoを亡くしたことは、あまりの大きな痛みに打ちひしがれています。
この日の夕飯は以前作ったミートソースが冷凍庫の中に眠っていたのでそれを利用してスパゲッティーミートソースにしました。コロナの外出禁止令に伴い、家で食べることが多くなりました。そこで冷蔵庫も冷凍庫もしっかりと再見分したので、いろいろと眠っている食材を掘り起こして在庫整理も一緒にしてしまおうと実行しています。
これに野菜サラダを付け合わせれば、まあOKな夕飯になりました。
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この日記は前回の続きです
1.シカモア温泉へ
2.Goshi Sushi @ San Luis Obispo
温泉に入って束の間の休息をして、夕飯には美味しい海鮮を食べて、また温泉に入ってゆっくりと眠りました。と・・・言いたいところでしたが、このホテルはどうも壁が薄いらしく僕たちの上に泊まっていた若いカップルが、この個室温泉で燃え上がったらしく夜も朝もベットのきしむ音と男女の絡む喘ぎ声が聞こえてきて、リラックスする暇を与えてくれませんでした・・・
上の階なのに、すぐそばでむつみあっているくらいの臨場感あふれるサラウンド音響効果はなかなかのものでした。女性よりも男性の声が多かったのが印象的でした。そんな訳でそんな燃え上がる音で朝早くから目が覚めてしまったので、寝るのはあきらめてベランダのバスタブにお湯を入れて朝風呂を楽しむことにしました。少し冷えた外で入る温泉はいいものですね。気持ちよかったです。
朝温泉をした後は、荷物をまとめて宿をチェックアウトして、ランチは宿に併設されたレストランの方でとることにしました。
ここの宿ですが、アメリカにしては皆さん接客大度がすごく良くてチェックインも、チェックアウトの時も大変親切で温かみのある対応をしてくれました。レストランの方でも従業員がちゃんとした接客をしてくれたのが印象的でした。どの従業員もちゃんとした接客をしてくれるので、きっとマネージメントで接客に関してしっかりとしたトレーニングをしているのでありましょう。
さてこちらのレストランでは、Dさんは朝からブラッディマリーを頼みました。僕は前の日にシャンパンをしっかりと飲みすぎたのでこの日はもうアルコールはいいという気分でしたので、水だけにしておきました。すると、Dさんは飲まないの?じゃあぁ、運転頼んでいい?そしたらもっと飲める~と嬉しそうでした。この人本当に酒が好きです・・・
ランチの方ですが、前日の夕飯が海鮮でしたので僕なお肉食べたいモードになっていました。するとメニューにNYステーキとポテトフライが書かれていましたので、迷わずこちらの方を選びました。8ozということですから約226gという、ランチにはちょうどいいくらいの大きさであります。こちらをミディアムレアに焼いてもらうことにしました。
そしてやってきたのがこちらです! 肉厚のニューヨークステーキは上手にミディアムレアに焼き上げてありまして、大変美味しかったです。ポテトフライの方はチーズやハーブなどが振りかかって、アイオリソースも添えられていてひと手間かけてありました。味も、量もお昼ごはんにはちょうど良く、大満足することができた一品でありました。
Dさんの方は朝からバーガーな気分だったそうですので、当然のごとくハンバーガーを頼みました。日本食も好き嫌いなく食べる人ではありますが、ハンバーガーやピザが好き好んでオーダーするのを見るたびに、やっぱりこの人はアメリカ~ンなんだなぁと思わされます。そしてやってきたのがこちらのベーコン入りのクラシックバーガーであります。
付け合わせにポテトフライかサラダが選ぶことができるそうで、サラダを選んだようです。ドレッシングにはシンブルにバルサミコ酢とオリーブオイルにしてこれらを適度に混ぜて振りかけました。さて、肝心のバーガーの方ですが、彼曰く激うま!だったそうです。とにかく肉質がよく、焼き方も絶妙だったのでこれはリピートしたい、ハンバーガーであったそうです。
満足ランチを食べた後は、2人で車に乗って家に戻ります。僕はアルコールを一切取っていなかったので運転係となりました。山道をグネグネと走らなくてはいけないレイクタホやマウントシャスタと違って、こちらへの道のりは至って平たんなので気分的に多変楽でした。おまけに一番のネックとなるサンフランシスコベイエリアに入っても外出禁止令のため渋滞もありませんでした。
初めてのシカモア温泉は残念ながら1泊となってしまい、そこまでのんびりとできるものではありませんでしたが、それでも美味しいものを食べて温泉に入ることができていい気晴らしになりました。昼はラーメン、温泉に入った後は、日本食の海鮮。まるで日本にでも来たかのような夢のような一日でありました。
このシカモア温泉は予想以上にいいものでしたので、次回は連泊してゆっくりとした時間を過ごしたいと思います。帰り道にら時をから流れるニュースを聞くと新型コロナウイルスの報道が流れてきます。この時は、そこまで深刻な感じがなかったのですが、この日の2日後にカリフォルニア州全体に外出禁止令が出されました。
そして、カリフォルニア州をはじめとする米国はCOVID-19攻防戦に深く暗く巻き込まれていきました。
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2.Goshi Sushi @ San Luis Obispo
温泉に入って束の間の休息をして、夕飯には美味しい海鮮を食べて、また温泉に入ってゆっくりと眠りました。と・・・言いたいところでしたが、このホテルはどうも壁が薄いらしく僕たちの上に泊まっていた若いカップルが、この個室温泉で燃え上がったらしく夜も朝もベットのきしむ音と男女の絡む喘ぎ声が聞こえてきて、リラックスする暇を与えてくれませんでした・・・
朝温泉をした後は、荷物をまとめて宿をチェックアウトして、ランチは宿に併設されたレストランの方でとることにしました。
ここの宿ですが、アメリカにしては皆さん接客大度がすごく良くてチェックインも、チェックアウトの時も大変親切で温かみのある対応をしてくれました。レストランの方でも従業員がちゃんとした接客をしてくれたのが印象的でした。どの従業員もちゃんとした接客をしてくれるので、きっとマネージメントで接客に関してしっかりとしたトレーニングをしているのでありましょう。
ランチの方ですが、前日の夕飯が海鮮でしたので僕なお肉食べたいモードになっていました。するとメニューにNYステーキとポテトフライが書かれていましたので、迷わずこちらの方を選びました。8ozということですから約226gという、ランチにはちょうどいいくらいの大きさであります。こちらをミディアムレアに焼いてもらうことにしました。
Dさんの方は朝からバーガーな気分だったそうですので、当然のごとくハンバーガーを頼みました。日本食も好き嫌いなく食べる人ではありますが、ハンバーガーやピザが好き好んでオーダーするのを見るたびに、やっぱりこの人はアメリカ~ンなんだなぁと思わされます。そしてやってきたのがこちらのベーコン入りのクラシックバーガーであります。
満足ランチを食べた後は、2人で車に乗って家に戻ります。僕はアルコールを一切取っていなかったので運転係となりました。山道をグネグネと走らなくてはいけないレイクタホやマウントシャスタと違って、こちらへの道のりは至って平たんなので気分的に多変楽でした。おまけに一番のネックとなるサンフランシスコベイエリアに入っても外出禁止令のため渋滞もありませんでした。
初めてのシカモア温泉は残念ながら1泊となってしまい、そこまでのんびりとできるものではありませんでしたが、それでも美味しいものを食べて温泉に入ることができていい気晴らしになりました。昼はラーメン、温泉に入った後は、日本食の海鮮。まるで日本にでも来たかのような夢のような一日でありました。
そして、カリフォルニア州をはじめとする米国はCOVID-19攻防戦に深く暗く巻き込まれていきました。
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カリフォルニアではレストランの営業はお持ち帰りのみになっている現在。
この日記は禁止令が始まる直前の出来事であります。
1.シカモア温泉へ
カリフォルニア州知事とサンフランシスコベイエリア周辺の6カウンティの出した外出禁止令が発令された日、僕たちはその数時間前に沖縄そばを食べ、サンフランシスコベイエリアから4時間半ほど南に向かった町に行っていました。この町ではまだ外出禁止令が出されていなかったので、平穏そのものの様子でありましたが、この3日後にカリフォルニア州全体に禁止令が出されました。
とにかくかろうじて禁止令が出る直前にシカモア温泉の方にやってきたという感じです。本当は2泊ほどのんびりするつもりでしたが、サンフランシスコベイエリアに外出禁止令が出されたため、2人とも仕事場でその対処に追われるだろうと休暇になっていたのですが、仕事に戻ることに決めて1泊だけこの町の方に泊まることにしました。ですから完全リラックスというものではありませんでした。
こんな田舎町だから日本食もなんちゃってでありましょう~と全然期待していない僕でありました。Dさんはどうしてここに惹かれたのかよくわかりませんが、たぶん僕を元気づけようとしてここを探してきてくれたのでしょう。予約を入れてその時間に店の方に行くと、受付の女性は日本から来た日本人らしき人でありました。他にも日本人の従業員がいました。
寿司を握っているメインの方は日本から来た日本人のようで、他の日本人従業員とはなんちゃって日本語ではなく、普通に日本語で話しています。もう一人いる寿司シェフはラティーノのようでして、日本人数名の従業員のほかは後はラティーノが占めているようですが、日本人がちゃんと要所要所に働いているのを見ると、なんちゃってではなくまともな寿司屋なのかも?と期待感が出てきました。
メニューを見てみると、お寿司がメインではあるものの照り焼きや、焼き魚、すき焼き、天麩羅などもありまして、お値段はサンフランシスコベイエリアに匹敵するものでもありました。僕はすごくお腹がすいていたので鶏のから揚げをおつまみに頼みまして、Dさんは梅酒、僕は運転なのでお茶で乾杯です。から揚げは日本の普通の鶏のから揚げで美味しかったです。
握り寿司を個々で頼むか、握り寿司セットにしようか、それともコンビネーションディナーにしようかと悩んでいた時に目に入ってきたのがちらし寿司でした。握りも好きですが僕はちらし寿司も大好きなので北海丼か生ちらしにしようか悩んでいたところ、Dさんもちらし寿司にしたいとのことでしたので、かぶらないように北海丼にしてみました。これにはサラダとみそ汁が付きました。
そしてやってきたのがDさんの生ちらしどんぶりでありました。いくら、エビ、ホタテ、味のたたき、ハマチ、鮭、ホタルイカ、鯛、〆サバ、ヒラメ、マグロ、ウニが入った大変豪華なものでありました。これにはDさんも大喜びです。これで$28ですから、決してお安くはないのですが上にのっている海鮮の種類を考えると、そんなに悪くはないような気がします。
そしてこちらが僕の頼んだ北海丼であります。こちらには鮭、いくら、カニ、ホタテ、北寄貝、ボタンエビ、ウニがのったこれまた豪華などんぶりでありました。そして肝心の魚介類ですが、新鮮で文句のつけよがないくらい質の良いものを提供しているようでした。こんな場所でここまでハイクオリティーの海鮮が食べれるなんて思ってもみませんでした。
お店は日曜日の夜にも関わらずしっかり混んでいました。お店は95%ほど白人の客でしめられていましたし、彼らの頼むものは相変わらずわけのわからない巻物が多かったのはやはりアメリカ~ンな感じではありましたが、メインの寿司シェフはしっかり修業を積んだ方のように見えまして、お寿司を握っている姿も凛々しいものでありました。
Dさんと2人で満足してお腹がいっぱいになってきましたが、ちらし寿司でさえここまで美味しいのなら、握りずしも食べておいた方がいいかもね~と一つだけ頼んでみました。それがこちらの、バフンウニとホタテの握りでありました。醤油を少しだけさして、一気に丸ごと口の中に入れてみました。すると、ウニとホタテの海の幸の甘みが口に広がります。
ウニ独特の濃い風味と、ぷりぷりの食感のあまりホタテがすし飯と素晴らしいハーモニーを口の中で奏でてくれました。ちらし寿司も握りもとっても美味しかったので大喜びしていた2人ですが、それを見た寿司シェフが、明日は休みなのでもしよかったらあん肝でもなんでもお出ししますよ!と伝えてくれました。あと10年若かったら多分、喜んで恥も外聞もなくいただいたことでしょう。
しかしながら、本当に2人ともお腹がいっぱいでこれ以上食べたら今までの美味しい経験が行き過ぎ経験になってしまうと思い、丁重にお断りしました。サービスも食事も満足できましたのでDさんと2人でもしもまたシカモア温泉に来るのならここもリピートしなくてはいけないねと話していました。ごちそうさまでした、大変美味しかったです。
ちなみに寿司シェフと若い日本人男子の2人のウェイターさんは親子関係なのだそうです。客にはとってもまろやかな対応をしている寿司シェフが、厳しい口調でウェイター男子に接しているのでもしかしたら?と思ってウェイター君に聞いたら、”はい、そうです。私の父です!”と答えてくれました。家族で頑張る日本食屋さん、応援したいですね!
今考えるとこれがコロナ騒動前の最後の外食夕飯となりました。しっかり食べてしっかり満足して、少し部屋で休んでお腹が落ち着いた後はまた、温泉をたっぷりと湯船にためて、寝る前の温泉を楽しませていただきました。
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1.シカモア温泉へ
カリフォルニア州知事とサンフランシスコベイエリア周辺の6カウンティの出した外出禁止令が発令された日、僕たちはその数時間前に沖縄そばを食べ、サンフランシスコベイエリアから4時間半ほど南に向かった町に行っていました。この町ではまだ外出禁止令が出されていなかったので、平穏そのものの様子でありましたが、この3日後にカリフォルニア州全体に禁止令が出されました。
とにかくかろうじて禁止令が出る直前にシカモア温泉の方にやってきたという感じです。本当は2泊ほどのんびりするつもりでしたが、サンフランシスコベイエリアに外出禁止令が出されたため、2人とも仕事場でその対処に追われるだろうと休暇になっていたのですが、仕事に戻ることに決めて1泊だけこの町の方に泊まることにしました。ですから完全リラックスというものではありませんでした。
570 Higuera St #155,
San Luis Obispo, CA 93401
それでも、ちょこっとだけでも温泉に入って美味しいものを食べることができたのは、外出禁止令が2カ月近く伸ばされてしまった今の状況を考えると行ってよかったなと思えます。さて、温泉に入って、シャンパンを飲んで酔いをすっかり醒ました後に夕飯に繰り出しました。やってきたのは日本食レストランです。これは僕の希望ではなく、Dさんが探してここに行こう~と提案してくれた場所です。San Luis Obispo, CA 93401
こんな田舎町だから日本食もなんちゃってでありましょう~と全然期待していない僕でありました。Dさんはどうしてここに惹かれたのかよくわかりませんが、たぶん僕を元気づけようとしてここを探してきてくれたのでしょう。予約を入れてその時間に店の方に行くと、受付の女性は日本から来た日本人らしき人でありました。他にも日本人の従業員がいました。
メニューを見てみると、お寿司がメインではあるものの照り焼きや、焼き魚、すき焼き、天麩羅などもありまして、お値段はサンフランシスコベイエリアに匹敵するものでもありました。僕はすごくお腹がすいていたので鶏のから揚げをおつまみに頼みまして、Dさんは梅酒、僕は運転なのでお茶で乾杯です。から揚げは日本の普通の鶏のから揚げで美味しかったです。
握り寿司を個々で頼むか、握り寿司セットにしようか、それともコンビネーションディナーにしようかと悩んでいた時に目に入ってきたのがちらし寿司でした。握りも好きですが僕はちらし寿司も大好きなので北海丼か生ちらしにしようか悩んでいたところ、Dさんもちらし寿司にしたいとのことでしたので、かぶらないように北海丼にしてみました。これにはサラダとみそ汁が付きました。
そしてこちらが僕の頼んだ北海丼であります。こちらには鮭、いくら、カニ、ホタテ、北寄貝、ボタンエビ、ウニがのったこれまた豪華などんぶりでありました。そして肝心の魚介類ですが、新鮮で文句のつけよがないくらい質の良いものを提供しているようでした。こんな場所でここまでハイクオリティーの海鮮が食べれるなんて思ってもみませんでした。
Dさんと2人で満足してお腹がいっぱいになってきましたが、ちらし寿司でさえここまで美味しいのなら、握りずしも食べておいた方がいいかもね~と一つだけ頼んでみました。それがこちらの、バフンウニとホタテの握りでありました。醤油を少しだけさして、一気に丸ごと口の中に入れてみました。すると、ウニとホタテの海の幸の甘みが口に広がります。
ウニ独特の濃い風味と、ぷりぷりの食感のあまりホタテがすし飯と素晴らしいハーモニーを口の中で奏でてくれました。ちらし寿司も握りもとっても美味しかったので大喜びしていた2人ですが、それを見た寿司シェフが、明日は休みなのでもしよかったらあん肝でもなんでもお出ししますよ!と伝えてくれました。あと10年若かったら多分、喜んで恥も外聞もなくいただいたことでしょう。
ちなみに寿司シェフと若い日本人男子の2人のウェイターさんは親子関係なのだそうです。客にはとってもまろやかな対応をしている寿司シェフが、厳しい口調でウェイター男子に接しているのでもしかしたら?と思ってウェイター君に聞いたら、”はい、そうです。私の父です!”と答えてくれました。家族で頑張る日本食屋さん、応援したいですね!
今考えるとこれがコロナ騒動前の最後の外食夕飯となりました。しっかり食べてしっかり満足して、少し部屋で休んでお腹が落ち着いた後はまた、温泉をたっぷりと湯船にためて、寝る前の温泉を楽しませていただきました。
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Cocoが亡くなってから、2人ともすっかり落ち込んで年を取って老け込んでしまった感があります。家のどこかでCocoの足音のようなものが聞こえると、Cocoがいないのに2人とも過敏に反応してしまい、がっかりしていることが多々あります。暖炉の上にCocoにまつわるものを集めてお線香をあげてCocoのいなくなった家が少しでも寂しくないようにしようとしていますが、結構無駄な努力でもあります。
Cocoの写真を見ても涙ぐんでしまいますし、家の中でふとしたところにCocoのために買い求めたものがふと現れてくると、あぁ~あんなときにこれはCocoのために買ったんだよね。。。と2人どもしんみりとしてしまい、何を見ても落ち込んでしまうという悲しみのスパイラルの深みにはまりこんでいる毎日でありました。Coco Lostのインパクトはすさまじいものがあります。
PCの前に座って、いつものように日記を書こうとするのですが日記にはCocoの写真がたくさん掲載されているのでそれを見るたびに、せっかくPCの前に座って書こうとしていた意欲が注がれてしまい、なかなか書き進めることができませんでした。今回の日記ももう結構前のことですがようやく書くことができるようになったという感じです。
近所の人たちが最近Coco散歩しないわね?と聞いてきたのでCocoの亡くなったことを話したら、それを聞きつけた優しき隣人たちがCocoの死を悼むカードを送ってくれました。それも結構な数の人たちが送ってくれたのですが、やはり彼らはご自身が愛犬、愛猫を亡くした経験を持っているそうで、彼らの添えてくれたメッセージは読んだ僕たちが再び涙を流すような、温かな優しい気持ちがあふれていました。
Cocoが亡くなって3日後、仕事の帰りになぜかその日に限っていつもと違う道を通りかえっていたら、元同僚のKLさんに偶然会うことがありました。KLさんは僕の働く職場で医師として働いていた方で、この職場を去った後もずっと仲良くさせてもらっています。この家に移ってからホームパーティーで、一緒に皆さんと手巻き寿司を食べたこともあります。
そう頻繁に会うこともないのですが、久しぶりに会い世間話で済ませるつもりだったのですが、KLさんがCocoはどう?元気にしてる?と聞いてきたので隠すことでもないので、Cocoが亡くなったことを話したら、案の定僕は涙大放出の状態になってしまい、それにつられてKLさんも涙を流す事態になっていました。一区切りついてまた会おうね~と言ってお別れしました。
ところが、その数時間後KLさんは奥さんと娘さんを伴って3人でCocoのことは残念だったねと僕たちの家の方に蘭の花とワインと食べ物を持ってきてくれたのです。たまにしか会わなかった3人ですが、彼らはCocoには優しく接してくれましたが、わざわざこうして家の方までやってきてくれプレゼントを持ってきてくれた優しさに僕もDさんも感謝の涙を流してしまいました。
自分たちは大丈夫と思っていても、こうして他の方たちの優しく温かな心に触れるとやはり人っていいものだな~と素直に思えます。
さて、この日記のタイムラインははカリフォルニアではコロナウイルスのことが話題になっていてもそこまで深刻な頃ではありません。僕たちは月と火の2日間の休暇を申請して、Cocoのことでハートブレイクした気持ちをいやすために温泉旅行に行こうと決めていました。そして、その週末にコロナウイルスの問題がどんどんと報道されるようになったのです。
ですから、万が一のことを考えて2泊で泊まる予定だった宿を1泊だけにして、状況が問題ないようであれば、宿の方でもう1泊伸ばしてもらうようにしようと決めまして、出発しました。お昼少し前に家の方を出発して、ちょうどお昼ごとに南の街にやってきましたので久しぶりにDさんの好きなラーメン屋の方へ寄ってみることにしました。
そんな訳で僕たちが食べたのはソーキ無しの沖縄そばでした。しかし、久しぶりの沖縄そばはラーメンと違った味わいがありまして十分満足することができました。この頃はコロナウイルスの影響でレストラン業界は客足が落ち込んでいましたが、まだレストランでの食事ができていました。実はこの3時間後にサンフランシスコベイエリアではレストランでの食事が禁止になりました。
沖縄そばを食べて3時間後にDさんは職場から電話がかかってきてもうすぐ知事が大きな発表をしてサンフランシスコベイエリアに大きな外出禁止勧告を出すとの連絡がありました。そして、すぐに車で聞いていたラジオ放送で、知事がサンフランシスコべエリアに外出禁止勧告を出しました。これを聞いて僕とDさんは、温泉は2泊じゃなくて1泊で仕事に戻らないといけないね~と判断しました。
さて、車で南下すること4時半で今回の目的地であるSan Luis Obispoにある、シカモア温泉の方に到着しました。このシカモア温泉は米国、カリフォルニアに住む日本人の間では結構有名な温泉ホテルでありまして、僕は長いこと名前を聞いていて一度は行きたいな~と思っていたものの一度も行ったことがなかった場所でありました。
なんでもここの温泉は硫黄泉特有の匂いがするので、アメリカンな人たちはその匂いが体中につき、服にも匂いがついてしまうのを嫌がるそうでありまして、その要望に応えグレードの高い部屋はあまり温泉の匂いのしない水で薄めた温泉になっているとのことでした。僕もDさんも硫黄泉の匂いは好きなので源泉かけ流しのできる部屋の方に泊まることにしました。
最初はマウントシャスタの方に行こうか~とも言っていたのですが、マウントシャスタはCocoと一緒に何度も行った思い出の地であります。ですから、2人ともきっと寂しくなってしまうであろうと考え、Cocoと一緒に行ったことのない場所を選んでいて、最初はサンタバーバラを上げていたのですが、温泉っていいじゃないか~と思いこの場所にたどり着いたということであります。
ベランダに備え付けてあるアメリカ~んな普通の風情も何もないプラスチックのバスタブにお湯を入れ始めると、硫黄泉独特のいい香りが漂ってきてDさんも僕も、あぁ~日本の温泉の匂いがする~と喜んでいました。大きなバスタブにお湯を入れている間に家から持ってきたシャンパンを開けて、この前の夏に行ったフランスのカンヌで買ってきたフォアグラも開けてDさんと2人で精進落としもどき。
2人で明るくCocoの思い出話をして大笑いしたり、たくさんの涙を流したりしてストレスを発散させました。
温泉の方は源泉をふんだんにプラスチックのバスタブに放出させました。硫黄泉独特の匂いがしまして、温泉自体は透明で少し青みがかかったような感じでありました。温度は日本でいう熱めのお湯という感じではないのですが、米国にしたら熱めのお湯という感じの温度でありまして、僕とDさんにはちょうどいいお湯加減でありました。
お湯の方はしばらくすると化学反応のためなのかどうかはわかりませんが白く濁ってきて、白濁温泉となりましてなかなかいいものでありました。シャンパンをちびちびと飲み、小説を読んでじっくり1時間以上のんびりと温泉を楽しませていただきました。曇り空ではありましたが、周りの緑が大変きれいで貸切露天風呂には、束の間ではありましたが心も体も癒すことができたような気がします。
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PCの前に座って、いつものように日記を書こうとするのですが日記にはCocoの写真がたくさん掲載されているのでそれを見るたびに、せっかくPCの前に座って書こうとしていた意欲が注がれてしまい、なかなか書き進めることができませんでした。今回の日記ももう結構前のことですがようやく書くことができるようになったという感じです。
近所の人たちが最近Coco散歩しないわね?と聞いてきたのでCocoの亡くなったことを話したら、それを聞きつけた優しき隣人たちがCocoの死を悼むカードを送ってくれました。それも結構な数の人たちが送ってくれたのですが、やはり彼らはご自身が愛犬、愛猫を亡くした経験を持っているそうで、彼らの添えてくれたメッセージは読んだ僕たちが再び涙を流すような、温かな優しい気持ちがあふれていました。
Cocoが亡くなって3日後、仕事の帰りになぜかその日に限っていつもと違う道を通りかえっていたら、元同僚のKLさんに偶然会うことがありました。KLさんは僕の働く職場で医師として働いていた方で、この職場を去った後もずっと仲良くさせてもらっています。この家に移ってからホームパーティーで、一緒に皆さんと手巻き寿司を食べたこともあります。
ところが、その数時間後KLさんは奥さんと娘さんを伴って3人でCocoのことは残念だったねと僕たちの家の方に蘭の花とワインと食べ物を持ってきてくれたのです。たまにしか会わなかった3人ですが、彼らはCocoには優しく接してくれましたが、わざわざこうして家の方までやってきてくれプレゼントを持ってきてくれた優しさに僕もDさんも感謝の涙を流してしまいました。
自分たちは大丈夫と思っていても、こうして他の方たちの優しく温かな心に触れるとやはり人っていいものだな~と素直に思えます。
さて、この日記のタイムラインははカリフォルニアではコロナウイルスのことが話題になっていてもそこまで深刻な頃ではありません。僕たちは月と火の2日間の休暇を申請して、Cocoのことでハートブレイクした気持ちをいやすために温泉旅行に行こうと決めていました。そして、その週末にコロナウイルスの問題がどんどんと報道されるようになったのです。
ですから、万が一のことを考えて2泊で泊まる予定だった宿を1泊だけにして、状況が問題ないようであれば、宿の方でもう1泊伸ばしてもらうようにしようと決めまして、出発しました。お昼少し前に家の方を出発して、ちょうどお昼ごとに南の街にやってきましたので久しぶりにDさんの好きなラーメン屋の方へ寄ってみることにしました。
487 Saratoga Ave
San Jose, CA 95129
こちらのお店にはラーメンのほかに沖縄そばがありまして、Dさんはこちらの沖縄そばが気に入っているのでそちらをオーダー。僕も久しぶりに沖縄そばもいいな~と思い同じものをオーダーしました。失敗したのは沖縄そばの基本形にはソーキ(豚の角煮)がついていなかったのです。ソーキはトッピングとしてオーダーしなくてはいけないことをすっかり忘れていました。そんな訳で僕たちが食べたのはソーキ無しの沖縄そばでした。しかし、久しぶりの沖縄そばはラーメンと違った味わいがありまして十分満足することができました。この頃はコロナウイルスの影響でレストラン業界は客足が落ち込んでいましたが、まだレストランでの食事ができていました。実はこの3時間後にサンフランシスコベイエリアではレストランでの食事が禁止になりました。
沖縄そばを食べて3時間後にDさんは職場から電話がかかってきてもうすぐ知事が大きな発表をしてサンフランシスコベイエリアに大きな外出禁止勧告を出すとの連絡がありました。そして、すぐに車で聞いていたラジオ放送で、知事がサンフランシスコべエリアに外出禁止勧告を出しました。これを聞いて僕とDさんは、温泉は2泊じゃなくて1泊で仕事に戻らないといけないね~と判断しました。
さて、車で南下すること4時半で今回の目的地であるSan Luis Obispoにある、シカモア温泉の方に到着しました。このシカモア温泉は米国、カリフォルニアに住む日本人の間では結構有名な温泉ホテルでありまして、僕は長いこと名前を聞いていて一度は行きたいな~と思っていたものの一度も行ったことがなかった場所でありました。
1215 Avila Beach Drive
San Luis Obispo, California, 93405
緑に囲まれた広い敷地にはこじんまりとしたメインの建物にフロントデスクとレストランがありました。事前に得た情報によると、こちらの宿泊施設には各個室に露天風呂が備え付けられていて、天然温泉を楽しめるとのことでした。ただ、源泉かけ流しができる部屋が一番グレードの低いものになっているそうです。日本人からしてみるとなぜなのだろうと思ってしまいます。なんでもここの温泉は硫黄泉特有の匂いがするので、アメリカンな人たちはその匂いが体中につき、服にも匂いがついてしまうのを嫌がるそうでありまして、その要望に応えグレードの高い部屋はあまり温泉の匂いのしない水で薄めた温泉になっているとのことでした。僕もDさんも硫黄泉の匂いは好きなので源泉かけ流しのできる部屋の方に泊まることにしました。
最初はマウントシャスタの方に行こうか~とも言っていたのですが、マウントシャスタはCocoと一緒に何度も行った思い出の地であります。ですから、2人ともきっと寂しくなってしまうであろうと考え、Cocoと一緒に行ったことのない場所を選んでいて、最初はサンタバーバラを上げていたのですが、温泉っていいじゃないか~と思いこの場所にたどり着いたということであります。
2人で明るくCocoの思い出話をして大笑いしたり、たくさんの涙を流したりしてストレスを発散させました。
温泉の方は源泉をふんだんにプラスチックのバスタブに放出させました。硫黄泉独特の匂いがしまして、温泉自体は透明で少し青みがかかったような感じでありました。温度は日本でいう熱めのお湯という感じではないのですが、米国にしたら熱めのお湯という感じの温度でありまして、僕とDさんにはちょうどいいお湯加減でありました。
コメント欄再開しました。
楽しいコメントこれからもよろしくお願いいたします。
お帰り前のこちらのクリックもよろしくお願いします!~(*´Д`)ノ
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米国はコロナウイルスで騒然としています。
僕の職場は医療関係なので混乱状態です。
ここにCocoの米国10周年記念から亡くなるまでをまとめておきました。
Cocoが亡くなってから、茫然としていたところにコロナウイルス騒動がやってきてしまったので、なかなか心も体も対応しきれずにかなり苦しい毎日を過ごしています。慣れない対応をして仕事場から家に帰ってきて、Cocoの最後の日記を書き終えなくてはと思っていても、いざPCの前に座って亡くなった日の日記を目にすると、涙があふれてきて心が息苦しくなってしまうので無理をせずに暫く日記は休むことにしました。
たかが犬なのに、犬1匹亡くしてしまっただけでここまで心理的なダメージを受けている自分にも驚きました。何とかCocoの最後をしっかりと覚えておこうと書き綴った日記でしたが、その時の詳細をブログを書くことはCocoを亡くすというトラウマの再現にもなりましたので、書いていてかなり精神的にもきつかったことでした。
でも自分の記憶が薄れていることが確実に起こるので、Cocoの最後の日々の詳細を忘れる前に、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたかったので頑張って書いたのですが、やはり亡くなった日を書いたとたん気力がぷつんと切れてしまいましたので、最後の日記をかけずにいました。まだまだ、心理的に余裕がないのですがそれでも途中で終わらせたくないと思い書き始めました。
Cocoが亡くなる1か月前にセカンドオピニオンの獣医さんが、もしリンパ腫だったらもって1ヵ月でしょうと言われたとき、僕もDさんもいったいこの獣医さんは何を素っ頓狂なことを言っているのだろうと感じまして、その告知をまともに受け止めることさえしなかったような気がします。ただ、Cocoが同じ部屋の中で静かに座り神妙に彼女の話を聞いていた姿が思い出されます。
今思うと、この獣医さんの言ったことはしっかり的中していました。もっとまともに聞いてここからの1か月をより濃くCocoと過ごすことができたかもしれないと思うと胸が痛くなります。でも、この頃のCocoは1か月後に亡くなるとは僕たちが想像できないくらい普通で、かわいくてそんな影があまりなかったのです。しかし残念ながら、獣医さんの告知通りこの日の1か月後にCocoは亡くなってしまいました。
10年前台湾からやってきたCoco(生い立ち)は、僕たちの第一選択肢の犬ではなく第二候補も書いていいみたいだからとりあえず書いておきましょう~とあまり注意を払わなかった第二選択肢でありました。シェルターから電話で第一希望がすでに養子縁組が決まったので、第二希望のCocoでもいいかと電話で言われ、OKしたら記憶にもあまりないCocoがうちにやってきたという、なんともいい加減ないきさつがCocoとの縁でありました。
最初のCocoとの対面は2人ともとってもこわごわ、おどおどしていてCocoの方がよっぽどどっしりと構えていたように、つい最近のことのように思い出されます。あれから本当に10年たってしまったのか…?本当にCocoとそんなに長い間一緒に暮らしていたのだろうかと、とてもあやふやで夢のような一瞬だったと感じ、今この日記を書きながら不思議な気持ちになってしまいます。
Cocoが亡くなった次の日、僕たちはCocoを火葬してくれるところを探したところ、Berkeleyのアニマルシェルターで受け付けてくれていると知りそちらに連絡を取り、Cocoの亡骸をいつもの車のCocoが座っていた席に寝かしてやってきました。アニマルシェルターの係員の人たちはとっても親切に僕たちを手助けしてくれ、Cocoを抱きかかえる僕からCocoの亡骸を受け取りました。
係員の女性がCocoを奥の部屋へ抱いて連れていき、僕たちの目の前からCocoの姿が見えなくなりました。ここで本当にCocoとの最後の別れとなります。もうCocoに触れることも、抱きしめてあげることもできなくなりました。Dさんも僕も、人前なのに涙があふれ出て止めることができませんでした。
手続きを終えて、茫然とした姿で帰ろうとすると、先ほどの係員の女性が僕たちを呼び止めました。そして彼女が手に持っていた白いコースターを渡してくれました。一体何なのだろうと僕たちが不思議に思っていると彼女は、Cocoの手形を取ったから持って帰ってねと言ってくれたのです。
彼女が渡してくれたコースターを改めてみてみると、そこにはCocoの手形がついていたのです。これを見てまた2人ともまた涙が出てきて止まることができなくなりました。お礼を言って急いで車に戻り、先ほどまでCocoが寝ていたバックシートをみて、ふたり暫く無言で涙を流していました。
このまま、家に帰るのもつらいので気分転換を兼ねて近所のイタリアンのレストランの方へランチを取りに行きました。この頃はまだコロナウイルスがそこまで大きな問題になっていなかったサンフランシスコベイリアであります。2人でシャンパンを頼み、Cocoの命の存在に、Cocoと一緒に過ごせた10年間にありがとう~と乾杯しました。
僕はスパゲッティーイタリアンソーセージトマトソース。Dさんはグリーンピースのスープとチキンサンドイッチを頼みました。2人でCocoと過ごした10年間の思い出話をしながらなるべく明るく話すようにしていましたが、やはり心の底から湧き出てくる悲しみをごまかすことができませんでした。
これは数日後の話なのですが、Dさんは同じように犬を亡くした同僚に、犬が亡くなってほっとした部分はありませんか?と聞かれたそうなのです。すると彼はその同僚に、全くそんなことはなく、ただただ悲しいだけであると話したそうなのです。信じられないくらいの速さで病魔にむしばまれているCocoを見てほっとするなって全く感じなかったと、その同僚にさえ強い反発も覚えたといっていました。
これを聞いた時、あぁ~この人は僕が経験したものを感じていなかったんだな~と初めて知りました。きっと彼の同僚は僕と同じような心の葛藤に毎日さいなまれていたのだな~と理解することができました。ですから僕は僕がどれだけ毎日苦しかったのか、それから解放されてほっとした気持ちがあり、また僕がそんな風にほっとする自分がいることにも罪悪感を感じていることは彼は知らないのだね、と伝えました。
僕はCocoが亡くなってしまった時に脱力感と喪失感と共にほんの小さな部分でほっとしている自分がいるのも感じられました。Cocoのためにご飯を作っても食べてくれない。こんなにしているのにどうして食べてくれないのだろうという焦りと怒りがどうしても出てきてしまい、Cocoのせいではないのをわかっているのに、そんな感情が湧き出てきてしまう自分にも情けなく感じたりしました。
薬をあげるとのどに引っかかり苦しくむせてしまうので、僕が薬をあげようとすると嫌がることも多々ありました。本当ならばそんなことしたくないし、Cocoが嫌がることをしたくないのにどうしても、薬だけはあげないと後で痛みがきてしまいます。Cocoは僕が拷問をしていると思っているのではないかと考えるとすごく苦しくてつらかったのですが、Dさんはそれらの経験をしていなかったのです。
ご飯を作るのも、それをあげるのも、薬をあげるのもすべて僕がやっていたので、幸いにも彼には僕が感じていた葛藤も苦しみもなく、純粋にCocoの病気を心配しているだけでよかったのです。僕が感じていた葛藤や苦しみを知らせ、彼の同僚が感じていたほっとした気分がどういうことなのか告げると、彼は驚きと共にはじめて僕が今までどんな気持ちでいたのか理解したようでした。
同じ犬を飼っていても、愛情の与え方もかかわり方も違う形になるのですが、それはそれでいいのでしょう。やはりとっても大事に思っていたという気持ちはCocoにはきっと伝わっていたのでしょうから。 しかしながら、すべてできることはしたとは言うものの、これをすればよかったのでは?あれをすればよかったのでは?と様々な考えが今でも心の中を陰巡り暗い気分になってしまいます。
思い出しながらこうして日記に綴ることはつらい気持ちの再現になり、結構なトラウマ的なものをもたらしましたが、同時に日本語で綴ることによって、絡まった糸が少しほぐれた気がしたこともあります。今Dさんと話すのはCocoと過ごした10年が本当にあっという間の一瞬で、そんなに長く一緒にいたのだろうか?夢だったのではないかとさえ思えるくらい束の間の時間のような経験に感じていることです。
1週間後、Cocoは小さくなって帰ってきました。アニマルシェルターからCocoの遺灰が戻ってきたと知らせの電話の時、”Coco is back!"と言われて一瞬何のことがわからなかった、頭が真っ白になったとDさん。僕もDさんに”Coco is back!"と言われて真剣にCocoは亡くなったのではなくて迷子になっただけだったのかと思ってしまったくらいでした。
Cocoのベットはきれいに洗って、家の今までの場所に置いてありますので、Cocoがのんびりと寝ていることができるようにとCoco遺灰はそのベットの上にしばらく置いておくことにしました。Cocoが亡くなってから一度もCocoの夢を見なかった2人ですが、不思議なことにCocoの遺灰が戻ってきたその日の夜に2人ともCocoの夢を見たのでした。
その後、Cocoは何度も僕たちの夢に出てきているのでスピリチュアルな世界を全く信じない僕たちではありますが、あぁ~Cocoが家に戻ってきているんだな~と実感として持つことができました。でも、あのお腹にも、頭にも、肉球を触ることも、つぶらな瞳をじっと見つめることももう永遠にできなくなりました。
Cocoは2010年1月17日に台湾からやってきました。
その頃の初期のビデオです。 不安そうな表情とあどけない感じの混合した可愛い顔。
おでこの傷は虫刺されのようでした(笑)
今まで長い間あまり楽しくもない、どちらかと言えばつらいCoco日記にお付き合いいただきましてありがとうございます。なかなか書き終えることができず時間が経ってしまいました。その間、優しく温かなメッセージをいただきまして心より感謝しております。言葉でうまく言い表せないのですが、Cocoがもたらしてくれたオンライン上のかすかではあるものの、この温かな善意は大きな喪失感を抱えた僕たちには偉大な癒しとなりました。本当にありがとうございました。
これからはCocoはいなくなってしまいますが、また少しずつ地味で何のとりえもない垂れ流し日記を書いていこうと思いますのでお付き合いの方よろしくお願いいたします。たまにCocoには思い出し日記、お蔵入り写真取り出し時にでも出演してもらいたいと思っています。
Cocoありがとう。
↑ クリック応援よろしくお願いいたします~
僕の職場は医療関係なので混乱状態です。
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AnhedoniaCocoが亡くなってから、茫然としていたところにコロナウイルス騒動がやってきてしまったので、なかなか心も体も対応しきれずにかなり苦しい毎日を過ごしています。慣れない対応をして仕事場から家に帰ってきて、Cocoの最後の日記を書き終えなくてはと思っていても、いざPCの前に座って亡くなった日の日記を目にすると、涙があふれてきて心が息苦しくなってしまうので無理をせずに暫く日記は休むことにしました。
たかが犬なのに、犬1匹亡くしてしまっただけでここまで心理的なダメージを受けている自分にも驚きました。何とかCocoの最後をしっかりと覚えておこうと書き綴った日記でしたが、その時の詳細をブログを書くことはCocoを亡くすというトラウマの再現にもなりましたので、書いていてかなり精神的にもきつかったことでした。
でも自分の記憶が薄れていることが確実に起こるので、Cocoの最後の日々の詳細を忘れる前に、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたかったので頑張って書いたのですが、やはり亡くなった日を書いたとたん気力がぷつんと切れてしまいましたので、最後の日記をかけずにいました。まだまだ、心理的に余裕がないのですがそれでも途中で終わらせたくないと思い書き始めました。
Cocoが亡くなる1か月前にセカンドオピニオンの獣医さんが、もしリンパ腫だったらもって1ヵ月でしょうと言われたとき、僕もDさんもいったいこの獣医さんは何を素っ頓狂なことを言っているのだろうと感じまして、その告知をまともに受け止めることさえしなかったような気がします。ただ、Cocoが同じ部屋の中で静かに座り神妙に彼女の話を聞いていた姿が思い出されます。
10年前台湾からやってきたCoco(生い立ち)は、僕たちの第一選択肢の犬ではなく第二候補も書いていいみたいだからとりあえず書いておきましょう~とあまり注意を払わなかった第二選択肢でありました。シェルターから電話で第一希望がすでに養子縁組が決まったので、第二希望のCocoでもいいかと電話で言われ、OKしたら記憶にもあまりないCocoがうちにやってきたという、なんともいい加減ないきさつがCocoとの縁でありました。
最初のCocoとの対面は2人ともとってもこわごわ、おどおどしていてCocoの方がよっぽどどっしりと構えていたように、つい最近のことのように思い出されます。あれから本当に10年たってしまったのか…?本当にCocoとそんなに長い間一緒に暮らしていたのだろうかと、とてもあやふやで夢のような一瞬だったと感じ、今この日記を書きながら不思議な気持ちになってしまいます。
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Cocoが亡くなった次の日、僕たちはCocoを火葬してくれるところを探したところ、Berkeleyのアニマルシェルターで受け付けてくれていると知りそちらに連絡を取り、Cocoの亡骸をいつもの車のCocoが座っていた席に寝かしてやってきました。アニマルシェルターの係員の人たちはとっても親切に僕たちを手助けしてくれ、Cocoを抱きかかえる僕からCocoの亡骸を受け取りました。
手続きを終えて、茫然とした姿で帰ろうとすると、先ほどの係員の女性が僕たちを呼び止めました。そして彼女が手に持っていた白いコースターを渡してくれました。一体何なのだろうと僕たちが不思議に思っていると彼女は、Cocoの手形を取ったから持って帰ってねと言ってくれたのです。
このまま、家に帰るのもつらいので気分転換を兼ねて近所のイタリアンのレストランの方へランチを取りに行きました。この頃はまだコロナウイルスがそこまで大きな問題になっていなかったサンフランシスコベイリアであります。2人でシャンパンを頼み、Cocoの命の存在に、Cocoと一緒に過ごせた10年間にありがとう~と乾杯しました。
僕はスパゲッティーイタリアンソーセージトマトソース。Dさんはグリーンピースのスープとチキンサンドイッチを頼みました。2人でCocoと過ごした10年間の思い出話をしながらなるべく明るく話すようにしていましたが、やはり心の底から湧き出てくる悲しみをごまかすことができませんでした。
これを聞いた時、あぁ~この人は僕が経験したものを感じていなかったんだな~と初めて知りました。きっと彼の同僚は僕と同じような心の葛藤に毎日さいなまれていたのだな~と理解することができました。ですから僕は僕がどれだけ毎日苦しかったのか、それから解放されてほっとした気持ちがあり、また僕がそんな風にほっとする自分がいることにも罪悪感を感じていることは彼は知らないのだね、と伝えました。
僕はCocoが亡くなってしまった時に脱力感と喪失感と共にほんの小さな部分でほっとしている自分がいるのも感じられました。Cocoのためにご飯を作っても食べてくれない。こんなにしているのにどうして食べてくれないのだろうという焦りと怒りがどうしても出てきてしまい、Cocoのせいではないのをわかっているのに、そんな感情が湧き出てきてしまう自分にも情けなく感じたりしました。
薬をあげるとのどに引っかかり苦しくむせてしまうので、僕が薬をあげようとすると嫌がることも多々ありました。本当ならばそんなことしたくないし、Cocoが嫌がることをしたくないのにどうしても、薬だけはあげないと後で痛みがきてしまいます。Cocoは僕が拷問をしていると思っているのではないかと考えるとすごく苦しくてつらかったのですが、Dさんはそれらの経験をしていなかったのです。
ご飯を作るのも、それをあげるのも、薬をあげるのもすべて僕がやっていたので、幸いにも彼には僕が感じていた葛藤も苦しみもなく、純粋にCocoの病気を心配しているだけでよかったのです。僕が感じていた葛藤や苦しみを知らせ、彼の同僚が感じていたほっとした気分がどういうことなのか告げると、彼は驚きと共にはじめて僕が今までどんな気持ちでいたのか理解したようでした。
同じ犬を飼っていても、愛情の与え方もかかわり方も違う形になるのですが、それはそれでいいのでしょう。やはりとっても大事に思っていたという気持ちはCocoにはきっと伝わっていたのでしょうから。 しかしながら、すべてできることはしたとは言うものの、これをすればよかったのでは?あれをすればよかったのでは?と様々な考えが今でも心の中を陰巡り暗い気分になってしまいます。
思い出しながらこうして日記に綴ることはつらい気持ちの再現になり、結構なトラウマ的なものをもたらしましたが、同時に日本語で綴ることによって、絡まった糸が少しほぐれた気がしたこともあります。今Dさんと話すのはCocoと過ごした10年が本当にあっという間の一瞬で、そんなに長く一緒にいたのだろうか?夢だったのではないかとさえ思えるくらい束の間の時間のような経験に感じていることです。
1週間後、Cocoは小さくなって帰ってきました。アニマルシェルターからCocoの遺灰が戻ってきたと知らせの電話の時、”Coco is back!"と言われて一瞬何のことがわからなかった、頭が真っ白になったとDさん。僕もDさんに”Coco is back!"と言われて真剣にCocoは亡くなったのではなくて迷子になっただけだったのかと思ってしまったくらいでした。
その後、Cocoは何度も僕たちの夢に出てきているのでスピリチュアルな世界を全く信じない僕たちではありますが、あぁ~Cocoが家に戻ってきているんだな~と実感として持つことができました。でも、あのお腹にも、頭にも、肉球を触ることも、つぶらな瞳をじっと見つめることももう永遠にできなくなりました。
Cocoは2010年1月17日に台湾からやってきました。
その頃の初期のビデオです。 不安そうな表情とあどけない感じの混合した可愛い顔。
おでこの傷は虫刺されのようでした(笑)
今まで長い間あまり楽しくもない、どちらかと言えばつらいCoco日記にお付き合いいただきましてありがとうございます。なかなか書き終えることができず時間が経ってしまいました。その間、優しく温かなメッセージをいただきまして心より感謝しております。言葉でうまく言い表せないのですが、Cocoがもたらしてくれたオンライン上のかすかではあるものの、この温かな善意は大きな喪失感を抱えた僕たちには偉大な癒しとなりました。本当にありがとうございました。
これからはCocoはいなくなってしまいますが、また少しずつ地味で何のとりえもない垂れ流し日記を書いていこうと思いますのでお付き合いの方よろしくお願いいたします。たまにCocoには思い出し日記、お蔵入り写真取り出し時にでも出演してもらいたいと思っています。
Cocoありがとう。
お帰り前のこちらのクリックもよろしくお願いします!~(*´Д`)ノ
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土曜日の朝からCocoは息苦しそうでしたが、夜になってより呼吸がそれ以上に乱れてきました。たくさんのお水をあげても、お水を口から飲まないので吐き出してしまいますし、鼻の頭が乾ききっているのを見るとかなりの断水症状になっていることがわかります。これはまずい!と思い直腸は水分をしっかりと吸収する機能を持ているはずと、お水と鎮痛剤を直腸から注入してみました。
これですとのどが痛くても吐き出してしまうという心配もなくすんなりと薬も水分吸収ができたような気がします。ただ医学的に本当に正しいことなのかは不明ではありますが、人間でも鎮痛剤の薬をお尻から入れる場合もありますのでそこまでひどい勘違いではないのではと思っていました。飲めない薬も直腸から入れますとすんなりと入り、暫くするとのどの痛みを伴った時の咳も少なくなりました。
この頃になるとCocoは自力で立ち上がることもままならないので数時間ごとに寝ている向きを変えたり、体の位置を変えたりしてあげました。抱き枕を足の間に挟んでで見たところ心地よいらしくうっとりとした表情になってくれました。もっと早くこの抱き枕を作ってあげればよかったな・・・もっと早く直腸水分補給をしてあげればよかったなといろいろな考えが頭の中を駆け巡ります。
この日は土曜日ですし、次の日はみんな予定がないんでゆっくりできます。Cocoが眠りにつくまで3人でCocoの手を握ってあげたり、マッサージをしてあげたりすると、目を小さくして気持ちいい~と言う表情をしてくれますのでこちらもほっとできました。何もしないとその痛みを集中的に意識してしまうことにより、痛みがより一層強く感じてしまうことがるようです。
人間もそうですが、体に痛みがあるときに優しくマッサージしてもらうとその痛みが緩和ができてうれしいようですね。手を当てるとは文字通りの手当の効果があるようです。手当というか手を当てて他の部分を触ってあげるだけでも気持ちの良いもの。人間だってストレスがたまった時にスパやマッサージでその緩和を試みますものです。じっくりマッサージをしてもらってCocoもとっても満足そうになりました。
Cocoも眠そうになり、安らかなとってもいい顔になってきました。11時過ぎになりましたので、今日はこれくらいにしてまた明日ね~とDさんが床に就きました。僕はまだ目が冴えていたので、Cocoのそばに寄り添って骨と皮ばかりになって痛々しい背中をゆっくりとなでていました。すると呼吸の方もだんだんと緩やかになり、Cocoの表情もより優しい顔になってきました。
このまま今日は眠ってしまうかな?まあ、眠ってしまうまでゆっくり手をつないで今までの思い出話でもしましょうか~。とっても安らかな表情になり、これならばもう一安心だろうと思い、時間を見るともうすぐ夜中の12時になろうとしていました。
午前3時か4時くらいにはまた、鎮痛剤をあげないといけないし、自分もだいぶ疲れてきたので寝なくっちゃな~とCocoの手を放し自分のベットに行ってベットを整えて10分くらいで戻ってきて、寝る前のお休み~と言うためにCocoを見てみるとしっかり眠っているようでした。僕がCocoの手を放してから10分の間は物音ひとつしませんでした。
咳もしなかったし、痛みで体を動かそうとした形跡もなく10分前と変わらずそのまま静かな寝顔でした。しかし、一つだけ違ったことがありました。僕が最後にお休みを言いに戻ってきたときにはもうCocoは息をしていませんでした。眠っているように亡くなっていたのです。急いでCocoの名前を呼びましたが、もう反応はなく、まだ十分温かな体であるCocoの体を一生懸命マッサージをしましたが、全く反応見られませんでした。
Dさんをいそいで起こして診てもらいましたが、結果は同じでした。Cocoは本当に眠っているかのようにそのまま安らかに天の方に召されてしまっていました。Cocoの普通に眠っているような柔らかな表情は、起こせはびっくりして飛び起きてしまうのではないかと思うくらい自然な表情でした。僕がちょっとだけ手を放している間に行ってしまうなんて。。。最後の最後まで手を離さないよと言ったのに・・・
僕はまだ十分温かいCocoの体を抱き起こして、抱きしめて何度も何度もCocoの名前を呼びましたが、残念ながらCocoはもう僕の声には反応してくれませんでした。Dさんがそばで、もういいよ、Cocoはきっともう安心したから向こう側へ行ったんだよと、僕のCocoを抱きしめる腕に手を添えてもう十分だよと涙を流して無言で伝えていました。
僕はあきらめて、Cocoをベットに寝かしタオルを敷いてCocoが最後に心地よく眠れるようにベットを作り、お線香を一本立てて、Dさんと泣きながら夜を明かしました。どうしてあの時、あの手を放してしまったのだろう。Cocoの最後の最後まで手をつないてあげることができなかったのだろう。傍にいたのならすぐに異変に気が付いたのではないかと、次から次へともう嘆いてもしょうがないのはわかっているのにもしももしも・・・が繰り返し頭の中を回り続けました。
せめてもの救いは、この日の夜は3人で夜遅くまで一緒にいられたこと、そしてCocoは僕たちが仲良く一緒にいる姿を見ながら、ようやく苦しみから解放されたということです。いつもはCocoの寝床の写真はそれほど撮らなかった僕なのですが、この日に限ってなぜなのかわからないのですが、たくさんの写真を撮っていてDさんにあきれられたくらいだったのです。
でも、今になるとこうしてバカ丸出しで思いのままに写真を撮っておいてよかったな、と素直に思えます。 Cocoは最後の最後には本当に優しい顔で眠るように僕たちから静かに去っていきました。Cocoに会えて、Cocoと10年一緒に過ごせて僕たちは本当にしあわせでした。普通の白犬でしたが、僕たちにとって特別な大切な存在でした。
Cocoも同じ思いだったらいいな・・・
台湾から僕たちのもとに来てくれて、ありがとう
↑ クリック応援よろしくお願いいたします~
この頃になるとCocoは自力で立ち上がることもままならないので数時間ごとに寝ている向きを変えたり、体の位置を変えたりしてあげました。抱き枕を足の間に挟んでで見たところ心地よいらしくうっとりとした表情になってくれました。もっと早くこの抱き枕を作ってあげればよかったな・・・もっと早く直腸水分補給をしてあげればよかったなといろいろな考えが頭の中を駆け巡ります。
人間もそうですが、体に痛みがあるときに優しくマッサージしてもらうとその痛みが緩和ができてうれしいようですね。手を当てるとは文字通りの手当の効果があるようです。手当というか手を当てて他の部分を触ってあげるだけでも気持ちの良いもの。人間だってストレスがたまった時にスパやマッサージでその緩和を試みますものです。じっくりマッサージをしてもらってCocoもとっても満足そうになりました。
このまま今日は眠ってしまうかな?まあ、眠ってしまうまでゆっくり手をつないで今までの思い出話でもしましょうか~。とっても安らかな表情になり、これならばもう一安心だろうと思い、時間を見るともうすぐ夜中の12時になろうとしていました。
午前3時か4時くらいにはまた、鎮痛剤をあげないといけないし、自分もだいぶ疲れてきたので寝なくっちゃな~とCocoの手を放し自分のベットに行ってベットを整えて10分くらいで戻ってきて、寝る前のお休み~と言うためにCocoを見てみるとしっかり眠っているようでした。僕がCocoの手を放してから10分の間は物音ひとつしませんでした。
咳もしなかったし、痛みで体を動かそうとした形跡もなく10分前と変わらずそのまま静かな寝顔でした。しかし、一つだけ違ったことがありました。僕が最後にお休みを言いに戻ってきたときにはもうCocoは息をしていませんでした。眠っているように亡くなっていたのです。急いでCocoの名前を呼びましたが、もう反応はなく、まだ十分温かな体であるCocoの体を一生懸命マッサージをしましたが、全く反応見られませんでした。
僕はまだ十分温かいCocoの体を抱き起こして、抱きしめて何度も何度もCocoの名前を呼びましたが、残念ながらCocoはもう僕の声には反応してくれませんでした。Dさんがそばで、もういいよ、Cocoはきっともう安心したから向こう側へ行ったんだよと、僕のCocoを抱きしめる腕に手を添えてもう十分だよと涙を流して無言で伝えていました。
僕はあきらめて、Cocoをベットに寝かしタオルを敷いてCocoが最後に心地よく眠れるようにベットを作り、お線香を一本立てて、Dさんと泣きながら夜を明かしました。どうしてあの時、あの手を放してしまったのだろう。Cocoの最後の最後まで手をつないてあげることができなかったのだろう。傍にいたのならすぐに異変に気が付いたのではないかと、次から次へともう嘆いてもしょうがないのはわかっているのにもしももしも・・・が繰り返し頭の中を回り続けました。
せめてもの救いは、この日の夜は3人で夜遅くまで一緒にいられたこと、そしてCocoは僕たちが仲良く一緒にいる姿を見ながら、ようやく苦しみから解放されたということです。いつもはCocoの寝床の写真はそれほど撮らなかった僕なのですが、この日に限ってなぜなのかわからないのですが、たくさんの写真を撮っていてDさんにあきれられたくらいだったのです。
でも、今になるとこうしてバカ丸出しで思いのままに写真を撮っておいてよかったな、と素直に思えます。 Cocoは最後の最後には本当に優しい顔で眠るように僕たちから静かに去っていきました。Cocoに会えて、Cocoと10年一緒に過ごせて僕たちは本当にしあわせでした。普通の白犬でしたが、僕たちにとって特別な大切な存在でした。
Cocoも同じ思いだったらいいな・・・
台湾から僕たちのもとに来てくれて、ありがとう
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↓何人ここにいるのかな?
人です。。。
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