彼氏Dさん&台湾出身の元保護犬Coco(2020年没)と共にひっそりと
慎ましく暮す男の地味でありふれた 日常生活日記
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この日のランチは珍しく職場の部下たちとビストロの方へ行ってきました。個人的には一人ランチが好きなのですが、流れで4人で行くことになってしまい少しがっかり(笑)。こちらのビストロは学生さんにより自習を兼ねた実験台的なレストランですので、サービスは少しちぐはぐではありますが、料理の方はほどほどおいしく、値段もお手頃でおまけに税金がつかないという特典ですのでうちの職場の人は結構利用しているようです。 この日僕が頼んだのはケールのサラダとビーフステーキでありました。ケールサラダにはブドウやリンゴがちりばめてありまして、軽く酢を中心としたドレッシングでしたので野菜のおいしさを引き出してなかなかおいしかったです。ステーキの方はミディアムに上手に焼けあがった中々なものでした。サラダが$6でステーキが$12ですからかなりお手おゴロで皆さん大満足でした。
それに実習の一環ということもあってTaxもTip基本的に払う必要がないのでお得感が高いですね!
僕は一応Tipだけはおいて置きますよ~
仕事を終えて家に帰ると立てないながらもCocoが顔を上げて出迎えてくれるようなしぐさで下の少しうれしかったです。僕たちがいない間のJennyさんの情報ですとCocoは全く元気がなくぐったりしていてほとんど横になっているだけだったとのことで、日に日に力もなくなっていくのがよくわかると教えてくれていたので心配でした。この病気の進行度には恨みさえ覚えます。 水はこの頃は強制的に注射器のようなものを口に入れて飲ませるようにしていますが、食べ物の方はどうあがいても食べてくれないので諦めました。薬を使って食欲を増進させる方法もまだあるのですが、そこまでしお腹が減って口にして、喉の腫瘍で引っかかって吐き戻させるということの繰り返しにはもう僕たちは選択肢の一つに入れないことにしたからなのです。
僕は家で甘酒を造りまして、それを細かく砕いて注射器に入れて飲ませてみました。数回はよかったのですが、やはりのどに引っかかり吐き出してしまいました。もっともっと薄めて少しづつあげてみると何と飲み込んでくれますが、それだけでは明らかにカロリー不足の食事ですね。人から見ると酷かもしれませんが、もう食べないと決めたのならそれを尊重してあげることにしました。 するとCocoは無理やり食べさせられるという恐怖が亡くなったように少し穏やかな顔つきにもなった気がします。この日の人間の夕飯は豚肉にアスパラ、ネギ、パプリカを巻いたものを焼いてみました。巻物は簡単ですが、切った時にいろいろな色が浮き出て綺麗な模様を作ってくれるので楽しい料理です。
突合せにはキノア、作り置きのキャベツの酢漬け、そしてほうれん草とベーコンの炒め物にしてみました。作り置きがあると少しだけお皿に花が増えていいものですね~
今日のCocoはこちらの方で睡眠をすることを決めたようです。
夜中に踏んづけないように気を付けなくっちゃいけませんね。 痛み止めも飲んだし、今日もゆっくりいい夢見れるといいですね!
かつてはCocoも巻物が好きでしたね~
もう自力で立つこともほとんどできなくなりましたので、僕とDさんが補助しなら裏庭に連れて行ってあげます。水もほとんどとらず、食べ物も取らないので尿も分も出ないのですが、一応したい気分になるかもしれないので毎日朝庭の方に連れていきます 。薬が効いているせいか、食欲は全くないものの痛みを感じるようなしぐさも声も全くなく、まるで悟りの境地に到達したお坊さんのように穏やかな表情をしているくらいなので、こちらとしても悲しみが少しだけ緩やかになることができます。Cocoなりの配慮なのかもしれないな~なんて2んでいいように解釈しています(笑)。
さて、Cocoの様態が僕たちの想像を上回る速度で悪化していく中、僕はそれでもCocoに関しての様子をこのブログやインスタグラムアップしています。僕は記憶力が悪いので多分この件に関しても、喉元過ぎれば熱さを忘れるということになるかもしれませんし、人間の記憶自体があやふやなので今のような思いも感情も二度と戻ってくることはないと確信しています。 そんな自分を見越して、今ここでCocoの記憶の記録をしっかりと残しておいておきたいのです。この記録は僕なりのCocoという命がこの世に存在したということのあかし。感情的にも時間的にも実はこの作業かなり過酷でありまして、すごくしんどいです。しかし絶対にしっかりと最後まで一緒に寄り添ったよ~と自信をもってCoco言ってあげたいのです。もちろん自己満足です。
ですからコメント欄などはすべて閉鎖させてもらっています。もちろんコメントををいただくのはとっても嬉しいですし、すごく心強いですが、返信にもかなりの時間を要しますし、ランダムに開けておくと、中にはこんなかわいそうな姿さらすのは考えた方がいいのではないか?と言われたり、感情ダダ漏れで情けないといわれるのはあまり心地よいものではないのです。
それでも、ダイレクトメールやインスタ、知り合いではLINEなどからメッセージが届きます。コメント欄を閉じていてもこうしてメッセージを送ってくださる方には心より感謝していますし、素直にうれしいと思っています。本当にありがとうございます。Cocoにも皆さんの温かい気持ちをしっかり伝えていますので、Cocoも喜んでいると信じでいます。
先日のメッセージでは自分の犬の最後の時はプリンを美味しそうに食べたということを教えていただきましたので、もしかして!と思い早速、夜プリンを買いに行ってCocoにあげてみました。残念ながら匂いを嗅いだだけで全くダメでしたが、こうして気にかけてくれる方たちの思いやりにはとっても救われています。
Cocoはいつもは自分の部屋で寝るようになっていましたが、この日はDさんがベットルームに入るとよろよろとした足取りでその後ろについていこうとしました。ですからDさんがこちらに来たいのかと抱っこして連れてくると満足そうにそちらで横になりました。久しぶりのCocoの夜伽にDさんもまんざら悪い気はしなかったみたいですね! しっかり眠っていい夢を見ることができればいいね~
前の家には鹿がよく来てCocoはテリトリーを荒らされるのが嫌だったみたいです(笑)
JennyさんはCocoを裏庭に出しておしっこをさせたり日向ぼっこをさせてくれるので安心です。近所にこういう人がいるということは本当に心強いものです。以前は彼女が散歩もすべてやってくれていましたが、もうCocoには普通の散歩をする体力がないのでJennyさんの手伝いを断ろうと思ったのですが、Cocoに必要なこと何でもやるから気にしないで~!と手伝いを継続してくれました。
彼女はその日のCocoの様子をTextメッセージで送ってくれるので心強い限りです。
また僕が家から帰ってくると大体先にDさんが到着していますので、彼からの連絡がないとCocoは安泰なのだろう~と少しだけ安心することができます。しかし、帰ってきてCocoのぐったりとした姿を見てしまうと、涙腺があっという間に緩み始めてしてしまいます。年を取ると涙腺のコントロールがうまくいかなくなると聞きますが、本当にそうですね。もう毎日崩壊しまくっています。 Dさんが、君はこの10年でおばあちゃん、お母さん、そしてCocoと、自分の人生で最も大切な命を次々となくしていってしまいすごく辛そうだといっていました。ふと考えると本当にそうですね。日本に帰るたびにイチゴパフェデートをしたおばあちゃんが亡くなり、家族で唯一心を許せることのできた母親も亡くなってしまい、今度はCocoの番になりそうなのです。
自分では人間関係に疎遠でドライで、人との付き合いもあまり密にしたくない人間のつもりでいましたが、実は密になる人間が少ない分その濃さが深くなってしまい、その存在が失われた時の喪失感が普通の人よりも大きくなってしまうのかもしれませんね。人付きあいが苦手だけれど人は嫌いではないので、逆にたくさんの友人であふれていて適度な度合いで切り上げる力を持っている人が羨ましくもあります。
毎日精神的にも肉体的につらい日々が続いていますが、それでも作り置き料理を駆使しして何とか簡単な夕飯も作っています。ただ、現在の住んでいる家は間接照明で家が全体的に暗いのです。まあ、僕もDさんも日本のリビングダイニングのような高校と明かりがついているのは苦手なのですが、夕飯写真を撮ると必要以上にまずそうに見えてしまうので困っていました(笑)
基本的に僕の料理は見せる料理でもなんでもないのですが、それでも物凄くまずく映ってしまうので、こんな僕でも躊躇してしまっていてそれほど撮らなくなりました。それに以前はその夕飯の写真にCocoが映り込んで花を添えてくれていたが、最近はそれらもなくなりましたので全く夕飯写真は皆無となっておりました。
昔は自分の夕飯時も、僕たちの夕飯時も大興奮で喜んでいたものです。
あの頃はあんな時間が永遠に続く錯覚をしていましたね。
こんな時間がすぐそばにやってくるなんて思いもしていなかったのです。
動物を飼っている皆さん、何気ない幸せな時をしっかり心に刻んで素敵な時間をお過ごしください。
若かりし頃のCocoは夕飯がすべてでした~(笑)
Dさんの心から嬉しそうにCocoと接する声を聴くと切なくなってしまうなぁ・・・
全く食欲のないCocoですが、突然何かのきっかげで食欲が少しだけ戻ってくることがあります。それは今日の夕飯の時でした。僕が鶏の胸肉をBBQグリルで焼いて、アスパラガス、玉ねぎ、パプリカなどの野菜も一緒に焼いて低炭水化物の夕飯を作っていたのです。出来上がっていただきます~の時はぐっすりと眠っていたのに、暫くののちキッチンにチェックしに来てくれたのです。 食べなくてもいいけれどとりあえずげあてみようか~と鶏の胸肉のグリルを細かく切ってあげてみたら、ほんの少しだけではありましたが食べてくれました。ただ、食べて飲み込むんが大変なので、やはり苦しそうで吐いたりしてはいましたが、美味しそうに口にする姿を見るとDさんと共にCocoが何かを口にするたびに生きようとしてるように見えるよね。まだまだ僕たちのそばにいたいと思ってくれるのかな?と涙を流してしまいました。
僕たちが思うに、Cocoは自分の腫瘍がどんどん自分の体をむしばんでいくのを感じ取っているのでしょう。その腫瘍に体を乗っ取られて大きな痛みを感じるまに自分で自分の食べるものを制御して、大きな痛みの前に自分の負担を最小限に抑えようとしているのではないかのように見えます。しかしながら、そうかといってすぐにこの世から去りたいという気分がすべてであるわけでもないのでしょう。 僕たちが楽しそうにしていると、体力もなくフラフラになりながらも一緒にドライブに行きたがったり、顔や足のマッサージをしてあげると、もっともっととせがんだりして、自分のせいの時間を最後まで楽しもうとしているようにも見受けられるのです。そんな姿を見るたびに僕たちは涙ぐんでしまいますが、Cocoが楽しい時間ならば僕たちも楽しまないといけないね!と微笑むようにしています。
食べ物食べないで、フラフラなのにこうして僕たちに寄り添ってくれる姿を見ると、なんといいますが、僕たちが物凄く落胆してしまう姿を見たくないがために一生懸命僕たちに付き合ってくれているような気さえしてしまいます。そしてふと見せるいつものような凛々しいがん力のある表情に僕たちは、そんなはずもないのにもしかしたらよくなるかも!?とそのたびに何度も淡い期待を抱いてしまっている毎日です。 幸い痛み止めもほどほど効いているようで、大きな痛みがないように見られるCocoであります。最後の最後までしっかり付き合うし、見捨てたりは絶対しないので、大船に乗った気分でのんびりしてくださいね。何もかも大丈夫ですよ。
自分にしてはこんな凝ったビデオも作ったのですね~
お肌もつやつやなCocoの姿をDさんと一緒に見て精いっぱいに笑いながら、同時に涙も流していました。
Coocのことに関しては電話してわざわざ告げるというものなんだしな~と言うことで、数日前に兄にLINEのメッセージでCocoの写真と共にCocoが病気になって、それが自分の予想をはるかに上回るレベルでショックを受けて自分でもびっくりしているんですよ~と送ったのです。同居している彼ならばさりげなく父にも僕の様子を伝えてくれるのではないかと思ったのです。
でも僕が考えたのは母と一緒に育てた母の思い出の詰まったその犬は、母が亡くなった後も父のそばに寄り添っていたこともあり、その柴犬を通して父は母の残像を見つけようとしていたのかもしれないということでした。そしてその柴犬さえも亡くなった時、父の喪失感は自分が思っていた以上のもの大きなものだったに違いありません。
その思いがもあり、愛犬が病気になった時に慌てて感情のコントロールがなかなか効かなかったと、かつての温泉旅行で話していましたから、Cocoにこんなことがあったと知り僕に真っ先に電話をしてくれたのでしょうね。優しいです。いつもは感情などほとんど表に出さない人が、半分涙声になって最後の最後まで一生懸命世話してやってあげてくれな、犬って言っても絶対家族だから、最後までしかり寄り添ってあげてくれと告げてくれました。
僕も、はい、最後の最後まで家族の一員として一緒にいますというと、うんうんと嬉しそうに答えてくれました。電話はそんなに長いものではありませんでしたが、彼の経験から僕に何かを一生懸命伝えようとしていることがよく伝わりました。こうして電話をくれたことにすごく心が温かくなりました。こういう気持ちってやはりペットをなくした経験がないとなかなか理解できないものなのだろうと今更ながら強く感じました。
僕も正直言って、ペットでしょ?犬でしょ?なんでそこまで泣くのかな~?という類の人間でしたが、今回は体の一部をもぎ取られるような痛みになすすべもなく翻弄されてしまい、初めての意味でベットの喪失がどうして人々にここまでの痛みを与えると身をもって知りました。ただただ驚くばかりです。
そのCocoなのですが、ほとんど食べていない日が数日続いています。もう気力だけで生きているという感じさえします。この日も僕たちが出かけようとすると、しっぽを弱弱しく振りつつもついて来たいそぶりをするのです。それじゃ~散歩に行こうか?というと前よりもっと一生懸命しっぽを振るので予定変更して散歩にしてみました。
足つきはフラフラして、大丈夫なのだろうか?と思ってしまうのですが、それでも自分の意志で一生懸命歩いているので、ゆっくりと付き合うことにしました。近所の池のある公園をのんびり歩いたり、坂道はきつそうなので持ち上げてあげて外の空気を感じることができるいい散歩になりました。がんばっているね~Coco!この日も僕たちのために付き合ってくれてありがとう。
Cocoの過去ビデオより
お手の訓練中
初めてお手をした!
YouTubeがうまく稼働しないときはタイトルをクリックしてくださいね
用事を済ませて近所のいつもの散歩道に車を止めて散歩したいかと聞くと、これまたCocoなりのOKという反応をしたので、そのまま散歩してみました。散歩といっても本当に10メートルくらい歩く程度のあっけないものではありましたが、自分の足で立って歩いて、道の匂いを嗅いでおしっこをしている姿に僕たちは大きな喜びを感じました。 さて、Cocoは水は飲むものの食べ物はほとんど口にしなくなりました。僕たちも機械的にCocoを空腹の状態にするのもやめました。Cocoが少しずつ痩せていき、少しづつ生命エネルギーが小さくして、自分の体の状態に合わせて、自分の終活を自分自身の手で計画実行しているようにも見えました。それがCocoなりの自分自身で選んだ選択肢のような気がしたのです。
いたずらに、人間が延命という名目で犯してはいけないようなことのようにも思えたのです。Cocoの選択肢を尊厳するためにも無理やりに食べ物を食べさせるのはやめた方がいいという結論に至りました。もちろん、そこまでに行きつくには2人ともに大きな葛藤と疑問、疑念があったことは言うまでもありません。水と食べ物は常に用意しておいておきまして、数時間に一度は食べるかどうか手ですくって口に持って行ってあげますが、食べなかったら食べなかったで良しとしました。
ところが~!そんな僕たちの決断を揺るがすことがありました。僕たちがCocoが食べたいというものが全く思い当たらず、このまま何も食べさせないでいいのか悩んでいた時、Dさんが唐突にCocoはベーコンがすきに違いない!といきなり思い立ち、ベーコンを買いに行ってきたのです。なぜにベーコン??? 時々この人のこういう行動には不思議なものを感じます。ここまで病気で弱った犬がベーコンか⁉と笑いさえ禁じえませんでした。 こういうのって面白いですね。Cocoが病気になって僕が真っ先に思い付いたのはおかゆ、Dさんはチーズたっぷりのスクランブルエッグにベーコンです。国民性がこういうところでもはっきり出るものですね(笑)。そんな訳でDさんがほとんど直感で思ついたCocoがベーコンを好きかもしれない案から、実際ベーコンを焼いていたらCocoが、あらいいニオイね~と言うような顔でやってきたのです!
あれま~マジですか⁉(笑)そんな訳でDさんがカリカリに焼いたベーコンを小さく砕いてCocoにあげたら美味しそうに食べたのです!本当にほんの少しだけでしたが、美味しそうに食べたのです。こんなこともあるのですね。Dさんの愛の力は偉大であるとまた証明されました~♪ やはりのどの調子がいまいちなので、少し吐いてしまいましたが、自分の意志で自分の口で食べている姿は自然で、Cocoは食べることによってもう少し僕たちのそばにいようと、生きようとしているように見えてしまいDさんと2人で嬉しい姿なのに目に涙をいっぱい浮かべてしまいました。そう~食べることは生きること。Cocoのこの状態を見ると本当にそれが直結していると感じられます。
Cocoってもともと台湾での野良犬なのですが、うちに来た時から家具はかじらないし、靴をかみ切ったりすることもなく聞き分けの酔い頭のいい子でありました。ゲイを仕込むと、もとい(ご心配なく!Cocoは女性です)・・・芸を仕込むと食べ物があるなら何でもやってのけていたような気がします(笑) このビデオはCocoによるHigh Fiveです。
何を仕込まれているのかわかっていないのでしょうけれど、一生懸命な姿が微笑ましいです。
YouTubeがうまく作動しなかったらこちらをクリックしてくださいね→(High Five)
おかげで丸々と太って元気いっぱいな姿を見せてくれています。
Dさんは僕がすごく弱っていることを気にかけてくれています。本当は自分もつらいのでしょうにいろいろと前向きなことを話しで元気つけてくれます。Cocoは幸せな人生だったよ~台湾で殺処分前に拾われて、犬大所帯の家にもらわれ、その後保護団体に譲渡されつつも、こうして海を越えてはるばるうちにやってきて、SabirnaさんやNicolas君にも優しく世話をしてもらえた。
ご飯だって人生の後半は家の手作りのごはんをもらえたし、毎日朝晩の散歩だって欠かさなかった、小さくても自分だけの裏庭だってあったのだから、こんな人生ならきっと不満はないはずだよ~と話してくれるし、いなくなる悲しさに心を向けるよりもCocoがどれだけ僕たちに素晴らしい時間や笑顔をもたらしてくれたの方をもっともっと思い出してみよう~と言ってくれますのでそうだよね!その方が絶対いいよね~と心が少し軽くなることができました。そうだよね!きっとそうだよ!Cocoはきっと不満なんでもうないのかもしれないねと、心に残る暗雲を消し去るように自分で自分を言い聞かせました。 僕たちはその後Cocoを家においてスーパーマーケットに食材を買いに行こうと着替えました。するとなぜかCocoが立ち上がり、しっぽを振って僕たちについてくるのです。Cocoにとって僕たちがジーンズ=散歩という公式が出来上がっていましたので、僕たちがジーンズを穿くと散歩だと思って喜ぶことが鉄則になっていました。ぐったりしながらも僕たちがジーンズを見て、それを思い出したのかもしれません。
Coco~散歩行きますか?と聞くと今まで以上にしっぽをぶんぶんと降って反応しましたので、それじゃ~と、もうできないと思っていたドライブ&散歩をしてみることにしました。やった~!また3人でドライブができたぞ~とDさんとウルウルしてしまいました。ドライブ中はCocoはうれしそうに外を眺めました(残念ながらDさんの撮影はピンボケでした~笑)。
車を止めて散歩道に来ました。
Cocoを車から降ろして散歩させてあげると、弱弱しくではありましたが自力で歩き、においをかいで、おしっこをして本当に短距離ではありましたが散歩をすることができました。よかったよかった~! 今ご存じの通りCocoの記事を毎日書いています。歌の歌詞ではありませんが、本当に信じられないくらいの速さで、時が過ぎ去ると知ってしまったら、どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ・・・という心境で,、何もかもを残しておきたいという心持であります。それと同時に、Cocoの悪化の度合いのあまりの速さに心がついていけず、心の中が予想以上の混乱をきたしているのです。
それの混乱をほぐすためにこうして書くことを自分に課して、自分の感情に整理をしているというのもあります。書くたびに感情移入が激しくなり、自分でも読んでいてこんなの公開していいのだろうか?恥ずかしいかもな~とも思ったりもするのですが、でも僕のブログの読者で実際に僕と会ったことのある人たちは多分10人にも満たないでしょう。それくらいなものです。 その彼らとも年に1度会えば多いくらいで、数年に一度しか会えないという人の方が多いくらいなのでまあ、感情垂れ流しのブログになってしまっているけれど、僕と面と向かって会う人もいないでしょうし、自己セラピーの意味があるということもあり、Cocoとの記憶の記録ができるのはとっても大切であるのですからまぁいいか~と開き直っています。
そんな訳で、かなり激情に任せて書き連ねていきますが笑って流してください。
最後の写真はドライブから帰ってきて、芝刈りをするDさんをじっと見つめるCocoの図であります。
前回のビデオが僕とDさんの間で物凄く受けましたので、また昔に撮った楽しいビデオを探して再アップしておきます~!
今日のビデオはCocoピーナッツバターを始めて食べるの巻き(←クリック)です
しかし、食べていないせいか顔を上げることもなく視線をこちらにちらっと向けるくらいです。体が弱っていても、おしっことうんちの粗相は全くないのが驚かされます。とりあえず、水で口を湿らせて薬をやるために起こし、おしっこに行きたいかと聞くと弱弱しげにですが立ち上がって裏庭の方に歩きだしますのでドアを開けて裏庭に行かせてあげます。
裏庭の芝生の上で眠るのが気持ち良いらしく、この日もおしっこ、投薬の後はそのままのんびりと眠りました。昨日僕はあまり眠れず、スマホのニュースを見ていたのですがこんな記事を見つけました。「犬を飼うと苦労の連続。でも…」記事の内容は基本的に犬を飼い始めた、男性がその経験を綴っているもので、覚悟がなければ犬を飼わないでほしいというような僕としてはごく当たり前の普通の記事でありました 健康で元気いっぱいの犬を飼っている男性の話には、どうしても斜に構えてしまい、僕からしてみれば、君の書いていることはとっても正しいよ~正論だよ~でも元気な時の犬の世話ってそりゃ~大変だけれども、いざ病気になって、その存在を失う状況になったらこんな悠長なこと書いていられないんだよ!とこの文章を書いた男性にあなたはまだ何もわかっていない…なんて反発的な思いが湧き出てしまったりしていました。
最近は元気な犬を連れている人を見るたびに、少し嫉妬してしまう自分がいるのがわかりますから、こういう反応もしょうがないかな~なんて第三者的に自分を見たりもしています。この男性の話はどちらかというとどうでもよかったのですが、ただこの記事を採用してにこちらのサイトに乗せたと思われるライターさんの文章、特に最後の一文にぐっと心をつかまれた気がしました。
ASPCA(アメリカ動物虐待防止協会)の報告によると、アメリカでは毎年約650万匹のペットが動物保護施設に連れて来られ、年間で約150万匹が安楽死させられているということです。
そして飼い主がペットを手放す主な理由としては、ペットの問題行動や予想よりも大きくなりすぎたこと、また病気などが挙げられています。
ペットとの暮らしは楽しいことばかりではないでしょう。ペットは飼い主のいうことを聞かない時もあれば、病気になることもあります。
そのためペットを飼い始めた後で世話の大変さを知り、飼育放棄をする人がいます。
生き物を飼うということは命を預かるということ。その責任を果たす覚悟がないなら、安易にペットを飼うべきではないのでしょう。
ペットは私たちに無償の愛や癒しを与えてくれます。私たちはそんなペットを愛し、最後の瞬間まで寄り添うことでペットに恩返しができるのではないでしょうか。 そう~僕たちはCocoからたくさんの喜びも与えられましたし、育てることによって僕たちも大きく育てられました。つらいときには癒してもらうことができました。今Cocoが迎えるつらい時期に、僕たちは何が正しくて何をすべきなのか、毎日暗闇の中を手探りで進んているようで自分で、自分たちのやっていることに自信が持てない心境でした。
そんな心理的な状況時に、こうして最後の瞬間まで寄り添うことで無償の愛や癒しのお返しができるのではないかという言葉にすごくほっとすることができたのです。その言葉を信じて何も大きなことはできないものの、Dさんと共に最後までしっかりと寄り添ってあげたいと思えました。たかが犬なのに、自分が思っていた以上にがっつりCocoは僕たちの家族になっていました。 世の中の人たちがここまで犬や猫のことで感情入りいりすぎじゃないですか?と言えるくらい躍起になってしまうことがあるのが、今になるとどうしてそうなるのかがよくわかります。本当にそうなってしまいますよね・・・この日はもう車に乗る体力もなさそうなCocoでしたので家に残して、重いものが食べたいというDさんのリクエストでハンバーガーを食べに行ってきました。
Dさんは赤ワイン、僕はシャンパンで、涙ぐみそうになる二人でしたが笑いながらCocoの命に、Cocoのすべてに乾杯~!してみました。
昔のこんなビデオを見つけまして、Dさんと2人で久しぶりにこれを見て大笑いしましたのでここでもアップしましょう。
Videoがうまく始まらな場合はこちらをクリックしてみてくださいな→(Cocoとチートス)
その理由は、喉が痛くて食欲もない本来の体に、いたずらに薬で無理やり腹ペコの状態にして食べることができないのに、無理やり食べたい状態にすることに抵抗を覚えていた僕たち2人なのです。もし自分が、食べることができない状態で、喉が詰まり食欲もないのに、無理やり薬で飢餓状態にされて自分でもコントロールが効かない状態を想像したら、恐ろしいと思えたからなのです。
ただその薬が少し厄介で、薬の効能が3~4時間程くらいしか持続しないのです。そのため真夜中にのどが痛み出すと苦しそうにせき込むCocoですので、ここところ午前2~5時の間一度は起きて投薬をしないといけないのです。ただでさえ睡眠障害的な傾向のある僕にとってこれは睡眠パターンを思い切り狂わせるものでしたので、なかなか休息が取れない状態だったのです。
それにCocoのことを考えると、居ても立っても居られないというか、お腹の中に何かざわざわするものが発生して精神的な安定を保つことが物凄く難しくなっていました。これはどこかで経験をしたことがあると考えた時、母親が治らない病気で悪化の一途をたどっていた時に抱えていたものとすごく似ていることに気が付きました。
そんな状態なのでしょうから、元気ハツラツ!という感じには見えないのはしょうがないと思っています。そしてこの日最後には上司さんとのミーティングがありまして、彼女が僕の顔を見るとすぐに、ちょっと!あなた顔色悪いわよ!明日仕事休んでいいから家でゆっくりしなさい~と告げられました。ミーティングが終わって、本当に休んでいいのか聞いたらOKでしたの再び休むことにしました~!
Dさんが仕事に行ったあとのんびりと起きて、投薬。この投薬も中々の見込めず吐いててしまうことが多いのです。それでも何入れないよりはましかと思ってとりあえずあげることにしています。お昼はそれでもCocoと一緒にカフェの方へランチに出かけました。もうこの日は大好きだったドライブさえも楽しめることができないらしく、窓から顔を出して外を見ることなく、車のバックシートでぐったりと眠るだけでした。
最初はカフェの僕の席の隣に来てもらって座らせようとしたのですが、それでさえもあまり心地よい感じには見えなかったので車の中に戻したところしばらく僕の方を見ていましたが、やはりそのままぐったりと車の中で眠ってしまいました。食べ物は口にしない、散歩もできない、ドライブですら楽しむことができなくなり、僕たちはもうこのまま自然の流れに任せるしかないという境地です。
ほんの2日前ですが、Dさんと一緒に休みを取って3人でドライブに行ってよかったな~と心から思えました。あの時Cocoはでライブで本当に風を楽しんでいるようでした。きっとあれが最後のドライブなのかもしれません。体調の悪化のスピードが早く、次から次へとやってくるCocoと一緒にできる最後のイベントに僕たち2人はもうこの現実に抗うことさえできなくなっています。
時の流れとは人にとって素晴らしいものをもたらしてくれますが、同時に冷酷で残酷な要素も持っているものだと改めて感じるようになっています。
菜の花さんもリリコさんという犬を飼っていまして、去年リリコさんはがんのため他界しています。そのせいもあるだろうし、Cocoとは結構な長い付き合いでもあるのでCocoのことをすごく気にしてくれていたのです。ですから、もう一度くらい会ってもらいたいという思いが僕たちにもありましたので、こうして会ってもらうことができてとっても嬉しく思いました。
食事中Cocoは薬のせいもあってぐっすりと眠りこんでいました。食事もほとんどとらないので骨と皮だけになってしまい大変可愛そうな姿でありますが、一生懸命生きています。僕は菜の花さんに、以前実家で飼っていた柴犬がいたのですが、その犬が亡くなった時も悲しかったのだが、今回のCocoのこの状態は、その時の悲しみの天と地の差があるのだよ~と話したのです。
特に僕たちには子供がいないので、その2人の初めての犬であるからCocoに対する思いが自分の子供のように強く感じられてしまうのだろうとのことでした。そういわれてみるとそうかもしれません。犬はしょせん犬という思いがあった自分にここまでCocoに強い思いが生まれるのは、そういった背景があるのだろうなと素直にうなずくことができました。
あ!Cocoが起きましたね(笑)。
菜の花さんに僕たちはCocoが食べることができなくてやせ細っていき、苦しそうにしている姿を見るのがつらい。でも、無理やりの延命処置もしたくないとのことを話すと、それはとっても自然な思いなのだといってくれました。ただ、どこかでその終わりの線引きをしなくてはいけないときが来るのでそれへの覚悟はしないといけないとも教えてくれました。
僕がCocoの病気とCocoを失うことにこれほど強く影響されて、これほどつらい思いをするのならもう二度と犬なんて飼いたいと思えないんですよと伝えると、菜の花さんはCocoはあなたたちに命を救われたのよ。そしていい人生を送ることができた。Cocoが亡くなってしまったとしても、まだまだ救える命があるのだからぜひ挑戦してほしいと言っていました。
こんな話をDさんと菜の花さんと3人で涙ぐみながら話していましたが、こういう話をして理解できる人とこうして話をすることができたのは僕にもDさんにとっても貴重な時間になりました。美味しい料理とシリアスな会話、本当にいい時間を過ごすことができました。Dさんもやはりここに来てよかったね~と喜んでいました。
菜の花さん、お忙しい中相手をしてくださり本当にありがとうございました。
菜の花さんは帰り際、僕たちにお土産を持たせてくれました。
家に帰って箱を開けてみると、色鮮やかな美味しそうなケーキの詰め合わせでした。
いつもいつも気を使ってくださり本当にありがとうございます。
菜の花さんカフェはこれらのケーキもすべてお店のキッチンで作っているとのことです。
どれも本当においしくて、少しすさんだ心に甘い気持ちを注ぐことができました。
Cocoが繋いでくれた素敵な縁がここにもありましたね。Cocoありがとう~
↓何人ここにいるのかな?
人です。。。
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