彼氏Dさん&台湾出身の元保護犬Coco(2020年没)と共にひっそりと
慎ましく暮す男の地味でありふれた 日常生活日記
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僕には古い付き合いのおばさんがいます。斎藤さんとここでは名付けましょう。彼女は僕が大学生の時のアルバイト先で知り合った方です。僕は大学生の一時期、横浜市内にある東横線の駅の近辺に住んでいました。僕が18歳で、斎藤さんはたぶん50代。僕の母より一回りくらい年上だったのだと思います。
大学生の当時の僕はゲイであることを自覚していましたが、その頃はまだゲイであることが精神病的な扱いに近く忌み嫌われているような感じで、すべてを隠して生きなくてはならないという強迫観念もありました。それらの負担が大きすぎて、大学ではストレート男子として振る舞うことに疲れていました。
それに持ち前の陰キャな性格もあって、常に孤独でほとんど友達もおらず、ゲイとしての将来に全く明るい未来を見出すことができない暗黒の時代だったと思います。暗い大学生生活を送っていた僕は、バイトがない日は誰とも話さないという日も多くありました。
そんな感じでしたからバイトに明け暮れていて、そのバイト代を使って一人旅をするという生活でした。たまにバーに飲みに行って当たり障りのない会話をしたりもしましたが、当時はもちろんネットもなく、ゲイ専門の雑誌を通した出会い系文通欄で出会いを探したりもしていました。
そんな中で斎藤さんは同世代の人とは少し違う立ち位置の知り合いだったので、こちらも構えることなく自然と仲良くすることができました。彼女には2人の息子さんもいたこともあって、僕を自分の息子のように扱い、成人式の時にはスーツ姿の僕を褒めてくれたり、栄養が偏らないようにお弁当を作ってくれたりしました。
そんな斎藤さんのおかげで僕の大学生活は完全な孤独にはならずに済み、米国への留学を決めたときも大喜びで歓迎してくれたのを覚えています。米国へ行った後はしばらく会うことはありませんでしたが、たまに絵葉書を送ったり、クリスマスカードを送り合ったりして細く長く交流は続いていました。
そして大学院を卒業して就職をして生活も安定したころには年に1度は日本に帰るようになり、その都度斎藤さんの住む横浜でデートをし、いろんなところで一緒に食事をする仲となりました。そんな彼女とは、一番最近では2024年に彼女の家で一緒にランチ飲み会をしました。
彼女は数年前に足を悪くして補助用具がないとなかなか歩けないということでしたので、僕がデパ地下で豪華なおつまみ系をいろいろ買い、千疋屋のデザートを持っていったところ大喜びしてくれたのが記憶に新しいです。
2025年は父とDさんを引き連れての沖縄旅行があり、かなりキツい日程だったので彼女には会えませんでした。ですから、今年の5月の僕の日本訪問時に一緒に食事をすることにしていました。「それじゃあ、今年もお宅でランチ飲み会にしましょう」と彼女は喜んでくれていたのです。
しかし彼女から、数日前になって「少し体の調子も悪いですし、よぼよぼで歩くもおぼつかない姿を見せたくないので今年は遠慮させてください」という連絡がありました。彼女も気づけば90代。いろいろと体の不調もあることでしょうし、僕は深追いせずに了解しました。
「それでは調子が良くなったらまた連絡してくださいね」ということで、今年の日本訪問時には会えませんでした。
そして、今年の6月にDさんと一緒にアーカンソーへ行き、彼は地元の高齢の親戚たちと楽しい時間を過ごしました。帰って来た時にお世話になった親戚のおばさんたちに花を送ったところ大変喜ばれ、歓喜の電話がたくさんかかってきました。やはり花を贈られるって古い世代の女性には嬉しいことなんだな~なんて思っていたのです。
そこで僕も「あぁ、それならば斎藤さんにも花を贈ろう!」と思い立ちました。今はネットで簡単に日本にいる人にも花を贈ることができます。いろいろチェックして花キューピットを使い、斎藤さんの好きそうな明るい色の花を贈る手配をしたのです。
花キューピットは事前に受取人に連絡をしてからの用意と配達となるためサプライズはできないとのことでしたが、それは問題ないので了承しました。そして数日後、メールで「斎藤さんとの連絡がまだ取れないので配達は完了していません」という報告をもらいました。
さらにしばらくしても全く連絡がないので、「配達は完了したけれど、連絡をするのを忘れてしまったのかな~」なんて思っていました。するとさらにしばらくして、「斎藤さんとの連絡が取れない上に花は生ものですのですでに送る状態ではなく、廃棄いたしました。つきましては廃棄に伴い配達完了とさせていただき、料金の返金も対応できません」という連絡が来たのです。
これを読んで僕は「いや、これっておかしくないかい?」と思いました。契約を見ると、まず最初に連絡をして配達時間が確認できてから花を贈るのではなかったのでしょうか? 確認が取れた後に在宅ではなくて送ることができないならまだしも、確認もしていないうちにあらかじめ花を作っておき、連絡がつかないからと廃棄して配達終了とは、何かモヤモヤするな~と感じたのです。
カスタマーサービスの方に「これは契約とは少し違うのでは」と連絡したら、「お店によっては連絡前に花を作ってしまうこともありまして……」と何とも歯切れの悪い説明でした。「まあ、でも大した金額ではないからいいか、次は別の会社を使おう」と心に決めました。
しかし数日後、また花キューピットから連絡が来ていたのです。「今度はなんだろう?」とメールを読んでみると、先日やっとのことで斎藤さんのご家族と連絡を取ることができたとのことでした。そして斎藤さんの息子さんと話すことができたと。
さらにその続きには、斎藤さんが数週間前に急逝していたことが書かれていました。息子さんは僕のことを斎藤さんからよく聞いていたので、花キューピットの方に自分の携帯番号を伝え、「できれば彼に連絡してほしい」と伝えてくれたのだそうです。
花キューピットは、僕の最初の問い合わせの時点でその一件を終了として処理してしまうこともできたはずなのに、再度連絡を試みて斎藤さんの息子さんとの架け橋となり、その上携帯番号とともにこのような連絡をしてくれたのです。
僕は日本のカスタマーサービスの質の良さに驚いてしまいました。アメリカではほぼあり得ない対応です。花キューピットの方にお礼の返事をして、すぐに斎藤さんの息子さんの携帯に連絡をしました。ちょうど日本の昼時間を狙って電話をしたところ、息子さんとすぐに話すことができました。
彼は、斎藤さんが亡くなる前の日までとっても元気で、近所のおばさんたちとお茶会を楽しんでいたこと、足以外は健康だったこと、死因は大動脈解離で心臓が圧迫されての心肺停止による急死だったことを教えてくれました。その上で、斎藤さんが僕のことをいろいろな人に嬉しそうに話しているのをずっと見ていたこと、世界各地からの絵葉書をもらうたびにすごく喜んでいたことを教えてくれました。
そして彼は、「母とこんなにも長く仲良くしてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えてくれました。それを聞いて僕は胸が詰まってしまい、言葉が出てきませんでした。国際電話によるわずかな音声の遅れもありなかなかうまく会話もできませんでしたが、「ただ、斎藤さんには心から感謝しています。本当にありがとうございました」とだけ、何とか伝えることができました。
もし花キューピットを利用していなかったら、僕はしばらくの間、きっと斎藤さんの訃報を知らずに過ごしてしまっていたことでしょう。あの時花を贈ろうと思い立ったのは偶然にも斎藤さんが急逝した時期と一致し、結果としていろいろな人に助けられるこの知らせを知ることができました。
この出来事をDさんに伝えたら、Dさんも斎藤さんのことをよく知っているので胸を詰まらせていました。彼もまた年上の友人をすでに何人も亡くしているので、「僕たちももうこういう経験が何度もやってくる年齢になったんだね」とぽつりと言いました。
気分的にはまだ20代の頃の精神レベルのままなのに、気が付けば親の世代の人たちの死が身近になる年齢に達していたようです。永遠にいるような気がしていた親がどんどん年を取っていき、永遠ではないことに気が付かされ、親孝行をしたいと考えるようになった矢先に母が亡くなりました。
そして斎藤さんが亡くなってしまいました。また今度の今度が永遠に来ない、会いたい人には本当に今会っておかないといけない年齢になったようです。自分の大切な人が亡くなっていき、だんだんと毎年日本へ帰る意味が薄くなっていくような、そんな寂しささえも感じます。
斎藤さんが亡くなったことは、僕にとって一つの時代が終わってしまったような、そんな大きく寂しい出来事でありました。
そんな僕がこれからも楽しく日本へ帰ることができるように、85歳の父にはまだまだ元気でいてもらいたいものです。彼は札幌の雪まつりに行きたいと言っていますから、そのうちにまた~ではなく元気なうちにそれを実現できるように後押ししていかないといけませんね。
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大学生の当時の僕はゲイであることを自覚していましたが、その頃はまだゲイであることが精神病的な扱いに近く忌み嫌われているような感じで、すべてを隠して生きなくてはならないという強迫観念もありました。それらの負担が大きすぎて、大学ではストレート男子として振る舞うことに疲れていました。
それに持ち前の陰キャな性格もあって、常に孤独でほとんど友達もおらず、ゲイとしての将来に全く明るい未来を見出すことができない暗黒の時代だったと思います。暗い大学生生活を送っていた僕は、バイトがない日は誰とも話さないという日も多くありました。
そんな感じでしたからバイトに明け暮れていて、そのバイト代を使って一人旅をするという生活でした。たまにバーに飲みに行って当たり障りのない会話をしたりもしましたが、当時はもちろんネットもなく、ゲイ専門の雑誌を通した出会い系文通欄で出会いを探したりもしていました。
そんな中で斎藤さんは同世代の人とは少し違う立ち位置の知り合いだったので、こちらも構えることなく自然と仲良くすることができました。彼女には2人の息子さんもいたこともあって、僕を自分の息子のように扱い、成人式の時にはスーツ姿の僕を褒めてくれたり、栄養が偏らないようにお弁当を作ってくれたりしました。
そんな斎藤さんのおかげで僕の大学生活は完全な孤独にはならずに済み、米国への留学を決めたときも大喜びで歓迎してくれたのを覚えています。米国へ行った後はしばらく会うことはありませんでしたが、たまに絵葉書を送ったり、クリスマスカードを送り合ったりして細く長く交流は続いていました。
そして大学院を卒業して就職をして生活も安定したころには年に1度は日本に帰るようになり、その都度斎藤さんの住む横浜でデートをし、いろんなところで一緒に食事をする仲となりました。そんな彼女とは、一番最近では2024年に彼女の家で一緒にランチ飲み会をしました。
彼女は数年前に足を悪くして補助用具がないとなかなか歩けないということでしたので、僕がデパ地下で豪華なおつまみ系をいろいろ買い、千疋屋のデザートを持っていったところ大喜びしてくれたのが記憶に新しいです。
2025年は父とDさんを引き連れての沖縄旅行があり、かなりキツい日程だったので彼女には会えませんでした。ですから、今年の5月の僕の日本訪問時に一緒に食事をすることにしていました。「それじゃあ、今年もお宅でランチ飲み会にしましょう」と彼女は喜んでくれていたのです。
しかし彼女から、数日前になって「少し体の調子も悪いですし、よぼよぼで歩くもおぼつかない姿を見せたくないので今年は遠慮させてください」という連絡がありました。彼女も気づけば90代。いろいろと体の不調もあることでしょうし、僕は深追いせずに了解しました。
「それでは調子が良くなったらまた連絡してくださいね」ということで、今年の日本訪問時には会えませんでした。
そして、今年の6月にDさんと一緒にアーカンソーへ行き、彼は地元の高齢の親戚たちと楽しい時間を過ごしました。帰って来た時にお世話になった親戚のおばさんたちに花を送ったところ大変喜ばれ、歓喜の電話がたくさんかかってきました。やはり花を贈られるって古い世代の女性には嬉しいことなんだな~なんて思っていたのです。
そこで僕も「あぁ、それならば斎藤さんにも花を贈ろう!」と思い立ちました。今はネットで簡単に日本にいる人にも花を贈ることができます。いろいろチェックして花キューピットを使い、斎藤さんの好きそうな明るい色の花を贈る手配をしたのです。
花キューピットは事前に受取人に連絡をしてからの用意と配達となるためサプライズはできないとのことでしたが、それは問題ないので了承しました。そして数日後、メールで「斎藤さんとの連絡がまだ取れないので配達は完了していません」という報告をもらいました。
さらにしばらくしても全く連絡がないので、「配達は完了したけれど、連絡をするのを忘れてしまったのかな~」なんて思っていました。するとさらにしばらくして、「斎藤さんとの連絡が取れない上に花は生ものですのですでに送る状態ではなく、廃棄いたしました。つきましては廃棄に伴い配達完了とさせていただき、料金の返金も対応できません」という連絡が来たのです。
これを読んで僕は「いや、これっておかしくないかい?」と思いました。契約を見ると、まず最初に連絡をして配達時間が確認できてから花を贈るのではなかったのでしょうか? 確認が取れた後に在宅ではなくて送ることができないならまだしも、確認もしていないうちにあらかじめ花を作っておき、連絡がつかないからと廃棄して配達終了とは、何かモヤモヤするな~と感じたのです。
カスタマーサービスの方に「これは契約とは少し違うのでは」と連絡したら、「お店によっては連絡前に花を作ってしまうこともありまして……」と何とも歯切れの悪い説明でした。「まあ、でも大した金額ではないからいいか、次は別の会社を使おう」と心に決めました。
しかし数日後、また花キューピットから連絡が来ていたのです。「今度はなんだろう?」とメールを読んでみると、先日やっとのことで斎藤さんのご家族と連絡を取ることができたとのことでした。そして斎藤さんの息子さんと話すことができたと。
さらにその続きには、斎藤さんが数週間前に急逝していたことが書かれていました。息子さんは僕のことを斎藤さんからよく聞いていたので、花キューピットの方に自分の携帯番号を伝え、「できれば彼に連絡してほしい」と伝えてくれたのだそうです。
花キューピットは、僕の最初の問い合わせの時点でその一件を終了として処理してしまうこともできたはずなのに、再度連絡を試みて斎藤さんの息子さんとの架け橋となり、その上携帯番号とともにこのような連絡をしてくれたのです。
僕は日本のカスタマーサービスの質の良さに驚いてしまいました。アメリカではほぼあり得ない対応です。花キューピットの方にお礼の返事をして、すぐに斎藤さんの息子さんの携帯に連絡をしました。ちょうど日本の昼時間を狙って電話をしたところ、息子さんとすぐに話すことができました。
彼は、斎藤さんが亡くなる前の日までとっても元気で、近所のおばさんたちとお茶会を楽しんでいたこと、足以外は健康だったこと、死因は大動脈解離で心臓が圧迫されての心肺停止による急死だったことを教えてくれました。その上で、斎藤さんが僕のことをいろいろな人に嬉しそうに話しているのをずっと見ていたこと、世界各地からの絵葉書をもらうたびにすごく喜んでいたことを教えてくれました。
そして彼は、「母とこんなにも長く仲良くしてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えてくれました。それを聞いて僕は胸が詰まってしまい、言葉が出てきませんでした。国際電話によるわずかな音声の遅れもありなかなかうまく会話もできませんでしたが、「ただ、斎藤さんには心から感謝しています。本当にありがとうございました」とだけ、何とか伝えることができました。
もし花キューピットを利用していなかったら、僕はしばらくの間、きっと斎藤さんの訃報を知らずに過ごしてしまっていたことでしょう。あの時花を贈ろうと思い立ったのは偶然にも斎藤さんが急逝した時期と一致し、結果としていろいろな人に助けられるこの知らせを知ることができました。
この出来事をDさんに伝えたら、Dさんも斎藤さんのことをよく知っているので胸を詰まらせていました。彼もまた年上の友人をすでに何人も亡くしているので、「僕たちももうこういう経験が何度もやってくる年齢になったんだね」とぽつりと言いました。
気分的にはまだ20代の頃の精神レベルのままなのに、気が付けば親の世代の人たちの死が身近になる年齢に達していたようです。永遠にいるような気がしていた親がどんどん年を取っていき、永遠ではないことに気が付かされ、親孝行をしたいと考えるようになった矢先に母が亡くなりました。
そして斎藤さんが亡くなってしまいました。また今度の今度が永遠に来ない、会いたい人には本当に今会っておかないといけない年齢になったようです。自分の大切な人が亡くなっていき、だんだんと毎年日本へ帰る意味が薄くなっていくような、そんな寂しささえも感じます。
斎藤さんが亡くなったことは、僕にとって一つの時代が終わってしまったような、そんな大きく寂しい出来事でありました。
そんな僕がこれからも楽しく日本へ帰ることができるように、85歳の父にはまだまだ元気でいてもらいたいものです。彼は札幌の雪まつりに行きたいと言っていますから、そのうちにまた~ではなく元気なうちにそれを実現できるように後押ししていかないといけませんね。
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