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アメリカ西海岸の小さな町で 付き合い丸27年の2人
彼氏Dさん&台湾出身の元保護犬Coco(2020年没)と共にひっそりと 
慎ましく暮す男の地味でありふれた 日常生活日記


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この日記は昨日の続きです。
母を訪ねて3千里
リトルロックで夕飯
やはりこの母であった・・・
意外な反応我らがユナイテッド航空で家に帰りました~

夕飯に冬瓜




お母さんの訃報が届き、かなりショックを受けていたDさん。仕事にも身が入らず、いろいろと考えてしまい、何も手につかない様子でした。僕も仕事を早く切り上げて家に帰ってきました。夕食はあまり食欲もないとのことでしたが、気分転換に外での食事を勧めまして、何か食べたいものがないか聞いてみると、こちらのお店のピザを食べたいとのことですので行ってきました。美味しいものを食べて少しでも元気が出るといいね。

お義母さん最後はこんな感じだったそうです。僕達がアーカンソーから帰ってきて2日目に、前の日記に書いたようにお母さんの様子がおかしく、妹さんと75歳の叔父さんが慌てふためいて救急隊を呼んだところ、救急隊が到着した時お義母さんは、生気を取り戻し救急隊にも妹さんにも叔父さんにも悪態をつく状態で、皆に呆れられていました。もう二度と面倒見るか~と言われもしました。
  
そんなことがあった次の日ですが、やはり妹さんと75歳の叔父さんは放っておくことができず、次のまた、ありがたいことにお義母さんの様子を見に行ってくれたそうです。その時は前日よりもいっそう、お義母さんの様子はかなりおかしく言葉をまともに発せず、視点が定まらない状態だったので前日に倣い再度救急隊を呼んだそうです。田舎町ですから、救急隊が車で15以上かかったようです。

そしてこの日は、救急隊が到着しても彼女は生気を戻すこともなく、ぐったりとしてしまっていて救急隊が一番近くの救急病院に彼女を運んだのだそうです。しかし、ここはアーカンソーの田舎町。街に救急病院も大型病院もないため、車で30分以上走った比較的大きな町の救急病院まで急行しました。しかし、彼女の心臓はそこまで持ちこたえることができませんでした。








病院までもう少しというところで、心肺停止。救急隊員が移動中の車内で彼女の蘇生を試みたそうですが、結局彼女は戻ってくることができず死亡が確認されたということでした。彼女の死亡が確認されてすぐに、妹さんは泣きながらDさんに電話をしましたが、かなりパニックの状態だったらしく、彼女を落ち着かせるのにかなりの時間を要したそうです。

その訃報のあとすぐにDさんは僕に連絡をしてくれました。Dさんは比較的冷静に事態を受け止めているように聞こえました。僕にとって彼女は義理の母ではありますが、冷たい言い方かもしれませんが、それほど仲良くしてもらったということもありませんし、彼女が亡くなったと言って多少のショックはありましたが、正直言ってそれほど悲しいというものではありませんでした。
仕事を終えて家に帰ってみると、Dさんが詳しく彼女がどんな状態でどんな経緯でどのように亡くなったのかを話してくれました。冷静に見えるようですが、すごくショックを受けているようで彼の辛そうな姿を見るとこちらも悲しくなってしまうくらいでした。やはりどんな親でも、自分の実の親が亡くなるのは心に大きな穴があいてしまうものなのですね。

そんなことを話したりしている脇で、ワトソンは気持ちよさそうに熟睡していました。彼の寝顔はこの痛みを少し和らげてくれる効果があるようです。そして数日後、お義母さんの葬儀などの予定が決まりまして、行ってきたばかりですが僕たちは再びアーカンソーの方に戻ることになりました。Dさんは僕は無理して行かなくてもいいと言ってくれましたが、行くよ~というと嬉しそうでした。






そしてこの日は17日間の香港、Thai、シンガポール、台湾の旅を終えてイケメンパワーカップルのK&Tさんがワトソンを引き取りに戻ってきました。夜遅い便だったので、僕達はできれば次の日にしてもらえないかな~と暗に提案していましたが、彼らはすぐにでもワトソンに会いたかったらしく、空港からそのまま直接我が家の方にやってきました。まあそれも理解できますしね。
彼らを見たワトソンはもう歓喜の乱舞で彼らを大歓迎してくれました。ワトソンは確かにかわいいけれど、17日は結構長丁場でしたね(笑)。ちょうどいいタイミングで帰ってきてくれて少しほっとした僕とDさんです。さて、お葬式に参列するために、再度アーカンソーの方に戻ります。5カ月の間に父と母を亡くしたDさんは、気丈にふるまっていますがやはり精神的に消耗しているようなので、一緒に行ってきます。


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アーカンソーへ行ってお義母さんのお見舞いを無事済ませた次の日、僕は少し動物臭のし始めたワトソンをシャンプーしてあげることにしました。ご存じの方はご存じでしょう。この家を買った時ちょこっとリノベーション工事をしまして、ガレージの方にCoco専用のシャワーブースを作ったのです。こちらでCocoをシャンプーさせていましたので、Cocoより小さいワトソンは難なくシャンプーできます!

Cocoもシャンプーは嫌いでしたが、ワトソンの方もあまりシャンプーは好きでないようです(笑)。ちなみに犬というものはみなシャンプーが嫌いなものなのでしょうか⁉ とはいうものの、ワトソンの方はそれほど大きな抵抗をすることなく、シャンプートリートメントに身を任せてくれましたので、Cocoの時よりもずっと楽にできたような気がします。ワトソンは濡れるとラッコのようです。
また、Cocoの時もそうでしたが、いやなシャンプーが終わるとものすごくハイパーになるのですよね~(笑)。ワトソンの方も、シャワーが終わって乾かした後は、しっかりハイパーになって大はしゃぎしていましたので、シャンプーの後の気持ち良さはちゃんと感じているのかもしれませんね!すっかりいい匂いになったワトソン、気持ちよさそうに庭の日向で休憩させました。











話しをお義母さんの方に戻します。僕達が帰った次の日、Dさんは介護士、看護師、郡のソーシャルワーカーなどに連絡を取ってお義母さんの世話&看護の態勢を整えました。お義母さんはもう働いてはいませんが、年金や軍のリタイアメントなどで一定の収入も保険もあるようでして、それらもしっかり利用してDさんは仕事の合間に忙しくコーディネートしていたようです。

そんな次の日、Dさんの妹さんと75歳の叔父さんがお義母さんの御機嫌伺い&お世話に行ったそうなのです。すると、お母さんの様子がおかしく焦点が定まらず、発言も意味不明のことを言うようになり2人は軽くパニック。すぐさまDさんに電話をしてどうしたらいいのかの指示を仰ぎました。Dさんはすぐに救急隊に連絡を取るように言ったそうです。
そして救急隊がお義母さんの家にやって来ると、お義母さんの様子は一転して、いつものようにあの嫌味たっぷりの悪態を救急隊員、75歳の叔父さん、妹さんにつくのです。私はどこへも行かない~!お前らさっさと失せろ~!!みたいな感じでそれはもう、酷いものだったそうです。あきれ顔の救急隊員は、バイタルチェック(脈拍や基礎的な生体検査?)をしたら帰るから~と言うとそれを承諾。

そして何も問題がないことから、救急隊員は帰っていきました。すると今度は75歳の叔父さんと妹さんに悪態をついたそうで、なんで私の許可なくあんな奴らを呼んだんだ~!!とそれはもうえらい剣幕だったそうです。これに叔父さんも妹さんも憤慨!心配して毎日来ているのにあのBixchは何様のつもりだ~!!もう二度とあいつの面倒なんて誰が見るか~!!と家を後にしていったそうです。
 


   




この話を聞いてDさんも僕も呆れてしまいました。病気なのはわかるし、入院したくないというのもわかるけれど、もう70を過ぎているのだからせめて周りのみんなが彼女のことを心配してこうしていろいろやっていることを理解できないのだろうか?本当に介護士を受け入れることなどあるのだろうかと心配になってきました。本当に癖の強い、強すぎるお義母さんであります。

アーカンソーで僕達は、あまり体にいいと思えないようなアメリカ~んな食事をしていたので、この日はちゃんと家で作りました。鶏のひき肉と冬瓜をかつおだしでじっくり煮まして、醤油と塩で味を調えました。こういうほっこりした食べ物っていいですよね~。Dさんもこれは激ウマ~と喜んでくれました。メインはサーモンのグリルとインゲン豆の胡麻和えでした。こういうのが一番ですね!
食事の後、Dさんは弟くんと電話で今後のお母さんの世話の計画を話し合っていたようでした。この日のような悪態は珍しくもないですので、これからまだまだこんなドラマが続くのかと思うと2人とも先が思いやられるね~と嘆いていたようです。僕から見るととんでもない人、いわゆる毒親に見えるくらいの彼女の悪行をDさん、妹さん、弟くんから聞いてきました。それでもこの彼らにとって彼女は実母、やはり大切であり無条件に世話をしてあげたいと思うようです。本当にいいご子息さんたちです。











僕達がアーカンソーから帰って3日目、この救急隊への悪態&大騒ぎの次の日
お義母さんは逝ってしまいました。
享年75歳




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Dさんの田舎町からリトルロックまでは高速が思ったよりも混んでおらず、もう少しリトルロックでのんびりする時間がありました。Dさんはこちらのレストランでもう一杯ワインをのんびりと楽しむことにしましたが、僕はアルコール的な気分ではなく、アイスクリーム的な気分でしたので携帯で近くにアイスクリーム屋がないかチェックしたらありましたので、そちらの方に行ってきました。
リトルロックのダウンタウンにはこんな感じの路面電車も走っていて、なかなかいい雰囲気です。Dさんがワインを楽しんでいるレストランから4ブロック位離れたところにアイスクリーム屋がありましたので、ストロベリーのアイスを頼んでみました。あまり期待していなかったのですが、こちらのお店で作っているアイスなようでして、僕の好きなハーゲンダッツに並ぶくらいの美味しいものでした!







リトルロックの空港からは50人乗りの小さなジェット機です。
遅延もなくすんなりと搭乗が始まり、遅れることなく出発してくれました~。
小さい空港なので離陸の順番待ちもなくあっという間に空の中へ。
 
50人乗りの小さな飛行機なので満席で出発。アテンダントは意地悪そうなゲイのラティーノのおっさんでしたが、意外とサービスはしっかりしていて僕たちの要望にはしっかりと的確に迅速にこたえてくれました(笑)。Dさんはワイン、僕はまたブラッディ・マリー。小さなテーブルは所狭しとアルコールや飲み物が並べられ、パーティー会場のようになっていました。ははは~











2時間ほどして飛行機は降下していき、雪の中のデンバー、コロラド空港へ到着しました。デンバーのこの日の気温はマイナス6℃。飛行機が小さいので飛行機からターミナルは地面を歩くスタイルでしたので、刺すような冷気に眠気もあっという間に冷めてしまう感じでした。デンバー空港は激混み!こちらでの乗り換えは60分。急いでお持ち帰りの夕飯を飼ったらもう既に次の便の搭乗が始まりました。
この飛行機は234人乗りのボーイング757。先ほどよりもかなり大きな飛行機です。それでもほぼ満席で、あっという間にすべての乗客が機内に収まりました。定刻出発か~と思われたのですが、あまりの冷たさに飛行機のドアが凍ってしまい、地上係員がドアを閉めることが出来なくなりました。出発時間は過ぎてしまい、いろいろと試すが全くドアーは閉まりません。

どうなるのか⁉と思ったところにメカニックの人たちがきて何とかドアを閉めてくれて、事なきを得ました。結局飛行機は30分ほど遅れましたが、何とか出発。その後は僕もDさんも疲れていて眠り込んでしまい、写真は無し!気が付けば無事サンフランシスコ空港の方に到着していました。





その後、家に到着したのは午後10時半。ワトソンは僕たちを大歓迎してくれましたが、彼にとってもう深夜、あっという間に眠りに落ちていきました。
僕たちもかなり疲れましたので、お風呂に入る気力もなくシャワーだけ浴びて就寝しました。







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朝になりました。この日僕たちはサンフランシスコの方へ戻ります。その前に、もう一度お義母さんのお見舞いに行ってきました。行ってみると、お義母さんは深い眠りにいて真っ青な顔色なのでDさんと僕は一瞬ドキッとしましたが、ちゃんと息をしているのが確認できましたので一旦ホテルの方に戻りました。ホテルの方でDさんは、興味深い話をしてきました。

それはお金の話。彼が言うには彼はお母さんとの話の中で、介護を雇うことについて彼が負担すると言い切ったことが気になっていたそうです。それは僕に何の相談もなく我が家のお金を使って彼女の介護をすると言っていたからなのだそうです。それに彼は僕がすごく吝嗇家なのを知っていますので、彼女の介護の負担を申し出たことに僕がどう思っているのかをチェックしたかったようです。
    
(こちらは泊った宿)
はい~僕はすごくケチですし、無駄なことには一切お金を使いたくありません。それは正しいのですが、それでいて僕は必要なこと、大切なことにお金を使うのには全く抵抗がありません。ですから、たとえDさんの母親が天使のような人柄ではないとしても、彼女の介護へのお金は生きたお金の使い方と考えるので、そこへお金を費やすことは全く問題がないと答えました。















それにDさんは僕の母親が病気になった時、1年に10回ほど日本に帰った時も全く文句も言わす快く送り出してくれた人なのです。そんな彼の心の広さのおかげで僕は母親が亡くなった時も、悲しいことには変わりはありませんでしたが、心の中にもっと会いに行けばよかったという後悔のような悔いのようなものを感じることがあまりありませんでした。海外に住んで、こういう心持で母の死を迎えることができたのは本当に彼のおかげだな~と心から感謝しているのです。
(ガソリン安いですね~笑)
無駄な物、見栄を張るためのようなものにはお金を使いたくないですが、本当に必要な物や本当の意味で自分のためになるようなものにはあまり窮屈に考えないという感じで物事をとらえることができるようになった気がします。そんな訳でDさんにお母さんの介護の費用は全く心配しないでいいし、億万長者の弟君も半分出してくれるでしょうから僕的には何の問題もないと伝えると、嬉しそうでした。

そんな話をした後に、もう一度お義母さんの家に行くとお義母さんは眠りから覚めており、Dさんは再度介護の必要性、お義母さんが嫌がっている施設に入れないということを約束するとお義母さんはDさんの提案を受け入れ、明日からでも看護師のチェックと介護者を雇うことを同意してくれたのです。Dさんも、彼女がこんな形で素直になってくれたことに半信半疑でしたが嬉しそうでした。












この家から空港まで車で2時間半かかりますから、そろそろサヨナラの時間となりました。彼女はDさんとハグをすると、会いに来てくれてありがとうと言うのです。最初は来なくていいの一点張りだったのですが、やはり息子が会いに来てくれたのは嬉しかったようですね。そして意外なことに、今度場僕の名前を呼んで近くに行くと両手を広げてハグをしてくれたのです。

そして、彼女は会いに来てくれてありがとうと、初めて聞くような優しい声で言ってくれました。僕は驚いてしまい、照れ隠しで早く良くなってあそこのレストランでまたアメリカ~んな巨大ブレックファーストを一緒に食べましょう~と言うと、彼女は微笑んで、そうだね~そうしようね~と言ってくれたのです。この光景を見てDさんも驚いていました。
300 E 3rd St # 101,
Little Rock, AR 72201
このお義母さんも、僕達がこうして会いに来たことを感謝しているのだな~と思うと2人とも嬉しくなりました。そんなに悪い人ではなく、ちょっと偏屈で自分の愛情表現を知らないだけな人なのかもしれないかもな~なんて考えたりもして…。お義母さんの意外な言葉に僕たち2人は急遽ここまで来て会いに来たことがすごくいい訪問だったと思えるようになりました。

田舎町を後にして、2時間半車でリトルロックの町までやってきまして、その後遅いランチを食べました。ちょっといい気分なので2人で泡ワインで乾杯して、僕はご当地名物のナマズのフライト&ポテトフライを頼み、Dさんはサーモングリルサラダを食べました。これで介護士がやってきてお母さんとうまくやってくれれば言うことなしですね!

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リトルロックで夕飯
義母様を訪問






Dさんの妹夫婦とランチをした後は、一旦ホテルの方に戻りました。そして少し休憩した後、Dさんは1人でお母さんの友人を訪ねで行きました。友人さんはDさんのこの田舎町の同級生のお母さんでもあるそうです。そんな彼女はお母さんが倒れてから、ご飯を運んだり、下の世話までしてくれたという何ともお母さんにとっては大変貴重な人であったのです。

ところが、Dさんが友人さんに会うと言ったとたん、お母さんは友人さんはDさんのお父さんのお葬式にゲイの旦那を連れてきて(つまり僕ですね…)亡くなったお父さんはどう思ったのかなど、友人さんについての否定的な話を並べまして、Dさんに友人さんに会わないように仕向けました。これは以前Dさんと弟くんが仲たがいをするように仕向けていた時と同じテクニックでもありました。 一体何が面白くてこういうことをするのかわかりませんが、お母さんはこういう感じで人を操作するのがお好きなようです。実際この被害でDさんと弟くんは長いこと仲たがいをしていましたが、それがお母さんの策略でこうなってしまっていたことを知り、その後は仲良くなったといういきさつもあります。そんな訳で、今回もお母さんの策略の香りがしたのを察知したDさん。

お母さんの話を半分以下に聞いて、友人さんに会いに行くことに決めたようです。そして帰ってきたDさんは、友人さんがとっても優しく素晴らしい人で見返りを期待することなくお母さんの世話をしていてくれたことに感謝感激したそうです。友人さんの方もDさんがわざわざ会いに来てくれたことにすごく喜んでくれたようで、2人にとっていい時間となったとのことでした。









それにしても、病気になってもここまで人をおもちゃにしようとする彼女の心情は僕もDさんも理解できません。Dさんが以前、僕のお母さんはメンタル的にすごくおかしい人だからと言っていたのはあながち嘘ではないのだな~と身をもって理解できた気がします。こういう親のもとで生活して、それでももとも言うかそれ以上に心優しく素晴らしい人に育ったDさんと弟くんは奇跡ですよね。

Dさんが帰ってきた後はまた、2人でお母さんのお見舞いに行ってきました。Dさんは介護の重要性をとくと話し、お母さんの方はいろいろと難癖をつけるのですが、それにもDさんは真摯に答え何となくお母さんも受け入れてきたのではないかという反応を見ることができました。この日の夕飯はハンバーガーチェーン店のソニックのハンバーガー。
こんなところに来てこれを食べたいとは思いませんが、この小さな田舎町の日曜日はすべてのお店が閉店となり、やっているお店がここしかなかったからこの選択肢となっていました。少しでも健康的にと、レタス、トマト、ピクルス増し増しで頼んでみたら、野菜の食感がありなかなか美味しいバーガーになっていました。フォトジェニックに撮れなくって申し訳ないです(笑)。

これと昨日飲んだ地ビールも添えて、Dさんは赤ワインでハンバーガーディナー。何となく夕飯終了。お母さんのお見舞いといろいろな人と会って、お互い精神的にも結構疲れた一日となりました。

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リトルロックで夕飯





次の日の朝がやってきました。気温は1℃、曇り空でぼつぼつと雨粒が落ちてきますが、雪にはなっていないようです。朝起きて、シャワーを浴びてDさんのお母さんの家に向かいました。以前にも書きましたが、Dさんのお母さんはなかなか手ごわいお方であります。その時の日記はこちらへ。できればあまり会いたくない人ではありますが、病気ですので会うことに決めましてやってきた次第です。

彼女の家には行ってみると、アメリカの映画の1シーンに出てくるような、暗く80年代で止ってしまった家。洗濯物やその他のものがそこら中に散乱し、タバコの強いにおいのこもった空気のする空間に、お母さんはソファーに横になってテレビを見ていました。その顔色は真っ青で半年ほど前に見た生気にあふれたものと全く異なり、命のもろさを感じさせるものでありました。 前もって聞いていた話をまとめると、夫が亡くなって生きる気力がなくなってしまい、食事も衛生面も何も気にしなくなってしまい、転んだ拍子に足腰が痛くなり歩くことがままならなくなってしまったようです。Dさんと弟くん、妹さんが介護をしてくれる人を探しても、あのきつい性格災いして、誰ともうまくいかず数日で解雇してしまうことを繰り返し。

今では介護士が来るのも拒み、もうこのまま死んでもいいと思っているようなあきらめの境地に至ってしまっているようでした。幸い亡き夫の弟が、この家の近所に住んでいるそうで毎日介護の世話をしてくれているとのこと、なんとかここまで凌いでいる状況。しかし、75歳の彼に付きっ切りで介護を頼むことは無理なので、何とかしてまた介護士を雇い少しでも健康的な生活を送ってもらいたいとDさん、弟くんは願っているのです。








今回の訪問で長男であるDさんが何とかして偏屈彼女の理解を取り付けることができないかと考えていました。長い話を短くすると、Dさんの提案を少しは受け入れる気があるらしく、看護師によるアセスメントを受けることを承諾し、介護士を再び雇い入れることに難色を示します。彼女はお金がかかることをかなり気にしていましたが、それはDさんと弟くんが負担するので心配ないと説き伏せました。

そんな訪問の後はDさんの妹さんとその旦那とのランチでした。妹さんはこのお母さんと険悪な関係ではありますが、やはり母親がこんな状況になっているのはいいと思っていないようで、自分ができることはないかと気にはなっているようです。彼女は車で45分くらいの場所に住んでいるので必要な時にはいつでも母親の世話をするつもりがあると述べてくれました。
こちらのレストランで僕はリブアイステーキ、Dさんはニジマスのソテーを食しまして、皆さんで今後のお母さんの世話の計画を話していました。やはり一番のネックは母親のあの性格ということが確認されました。あの性格ですとやってきてくれる介護の人をうまくいかずそれが一番の障害のようであります。親の介護問題は僕たちの歳になってくると深刻な問題になってきます。

介護だけの問題でもかなりの難題なのに、その介護をなかなか受け入れてくれず、介護を受ける本人の性格の問題によりことがより一層複雑になっているDさんのお母さんでありました。まあ、あの人柄ならばどこででも問題をおこすことは予想はできますが、それにより振り回される周りの人はたまったものではありません。何とかいい方向に事が運び、お母さんが少しでも元気になってくれることを願います。

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母を訪ねて3千里






朝早くから家を出て、飛行機を乗り継いでDさんの実家の田舎町から一番近い空港へ到着したのは8時間半経過した後でした。こういう旅をするとアメリカって大きいな~と言うことを実感しますね。それでも僕たちはDさんの実家にまだ到着するまで2時間半必要です。そんな訳なので、このアーカンソー州の大都市リトルロック(都市圏人口70万人)で夕飯をとってから向かうことにしました。

人口70万人近辺と言いますと日本ですと静岡、岡山、熊本あたりですね。それはさておき、僕達は事前によさそうなレストランを調べておきまして、予約しておいたのです。しかしながらそのレストランはリコンファームをやっているらしく、レストランがDさんにリコンファームの連絡した時に僕たちは機上の人。連絡ができたのはリトルロックに到着した後でした。
   
2300 Cottondale Ln #105,
Little Rock, AR 72202
レストランの方は連絡がないということでそのレストランは僕たちの予約を抹消!見事に僕たちは大都会リトルロックで夕飯難民となってしまいました(笑)。なんとも不親切な対応だ~と僕たちは憤慨しました。そんな状況下ですので急遽僕たちは空港でまだ予約を受け付けてくれるレストランを探すことになりました。

そして見つけたのが、アーカンソーリバー沿いにあるアメリカンカジュアルダイニングのこちらのお店でした。35年ほど経営している老舗のお店なのだそうです。店には行ってみると従業員の皆さんが温かく迎えてくれました~。僕達は大きな窓のすぐそばのテーブルに案内してもらえました。なかなかいい感じのスタートです!






サラダ、ブレッドがサーブされた後はメインディッシュがやってみました。僕はポークテンダーロインのマスタードソース添え。ポークはとっても柔らかくしっとりとしていました。ソースが多すぎじゃないかい?という感もありましたが、ポークとよく合うこのソースは少し酸味があってなかなかいいお味でした。付け合わせはサワークラウト、ベイクドポテト、人参でした。
Dさんの方はこの日のスペシャルのこの地域の川や湖でとれるという魚のバターソテーでした。僕も一口もらいましたが、プリンとした軽い食感のこの白身魚はなかなか美味しく、バターソースとしっかり合う美味しいものに仕上がっていました。こんな感じでほぼ飛び入りで入ったこちらのお店でしたが、サービス味と共に大変満足できるものでありました~!







今回の夕飯では僕はアルコール摂取をしませんでして、アルコール大好きがDさんにワインとカクテルを堪能してもらいました。ですからリトルロックからDさんの田舎町までの2時間半の運転は僕が担当します!リトルロックを出る頃はなかなかの強い雨が降っていて、慣れないレンタカー、慣れない高速道路ということで結構神経を使いいつもより疲労感が多かったような気がします。
高速を降りてここからDさんの田舎町まで60分の一般道。こんな感じで何もない真っ暗闇を走るのです~!久しぶりこんな暗闇を走ったのですが、対向車も後ろから来る車も全くないの、雨の高速を走るよりはずっと気が楽でありました。曇り空だったので見えませんでしたが、こんなに光のない場所ならばきっと星空は素晴らしいものなのだろうな~なんて想像していました。









家を出てから10時間以上たち、やっとDさんの田舎町のホテルの方に到着することができました。これだけ要すると、日本の実家の方に帰った方が早くて楽じゃないかい?と思ってしまうくらいの長旅感ですね(笑)。途中のお店で買ったビールをホテルの冷凍庫に入れて急激に冷やしている間に、熱いお風呂に入って旅の疲れをしっかりほぐした後に、こちらの地ビールで乾杯!
今回はIPAではなくラガービールを買ってみましたが、なかなか濃い味の美味しいビールでした。最近はどこへ行ってもこういう美味しい地ビールが手に入るので嬉しい限りです。このビールのアルコール度数は5%でしたが、結構酔いが回ってしまい1本を開ける頃には泥酔状態(笑)。そのままベットに入って眠ることにしました。明日は義母さんとの面会です。


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すこし前に、Dさんのお母さんの調子が悪くなっているという報告がありました。2022年の夏に彼女は旦那さんをなくして、生きる意味のようなものを失ってしまい精神的にかなりまいってしまったようでして、それが引き金となって彼女の健康状態もが悪い方へ進んでしまったとのことです。危篤という感じの病状ではないものの、あまりおもわくしないということでありました。

Dさんは近いうちに彼女を見舞おうと計画しまして、僕も一緒に来てくれないかと頼みました。僕が行っても別に何もできることはないよな~と思いつつも、例のごとく猛烈鬼義母ではありますがDさんのサポートになれるのならいいか~と思い承諾、一緒にアメリカの真ん中の辺りにある超田舎町の方へ一緒に行って来ることに決めました。
朝5時前に起きて準備して、家を出ます。ワトソンは前もってSabrinaさんの方にお世話をしてもらうことを頼んでありまして、K&Tさんも承諾済みですので問題ありませんが、家を出るときワトソンは少し悲しそうでした(涙)。 家を出た時はまだ真っ暗闇でしたが、空港に到着する頃には朝日が出てきました。朝日の登るのを見ると時した気分になれますね!早朝の空港は予想以上に混雑していました。





今回も我らがユナイテッド航空を使いました。サンフランシスコ空港の方からまず最初にデンバーに向かいます。デンバーの方は大雪が降ったというらしいので、飛行機は遅れるかな~と思っていましたが、全く問題なく時間通りにサンフランシスコ空港の方を出発~!予定時刻よりも少しだけデンバーの方に到着してくれました。フライト中のサービスも文句ありませんでした。
   
デンバーの周りは銀世界に覆われていて、なかなかきれいなものでありました。コロラドは雪のイメージがありますが、その通りの感じです。デンバーでは約1時間の乗り換え待ちがありましたが、ランチを食べる時間もないのでお持ち帰りのランチを買って、ゲートに向かうともう既にゲートの方は準備ができていたらしく、時間通りにゲートが開き、搭乗することができました。









デンバーからアーカンソー州の州都リトルロックへは50人乗りの小さな飛行機です。デンバー空港では白人が多くなったもののまだいろいろな人種が見られましたが、さすがにアーカンソー行きの飛行機ですね~。搭乗客はすべて白人で、いかにもアメリカの真ん中あたりに住んでいるよな~と思わせるような感じの人で埋まりました。これだけ分かりやすいのもおもしろいですな。
雪のデンバー空港からリトルロックへ出発します。僕は飛行機でブラッディ・マリー。Dさんは赤ワインを頼んでランチをしました。先のデンバー行きのフライトもそうでしたが、このフライトのアテンダントさんもとっても親切で僕たちカップルになぜか無料のアルコールサービスをしてくれました。最近我らがユナイテッド航空はアタリのフライトに乗ることが多い気がしますね!

あ、もちろんこれはアメリカの基準です(笑)。日系航空会社とは段違いの差があります。











飛行機の方は問題なく予定時間より少し早く1時間半ほどでリトルロックの方に到着しました。サンフランシスコ空港にしてもデンバー空港にしても規模がとっても大きいので余計感じるのでしょう。このリトルロック空港は本当にこじんまりとしていて、僕達が到着した5時過ぎにはもうフライトがないのでしょう。あまり人がおらずひっそりとしていました。
ちなみにこの空港はヒラリー&ビル・クリントン空港という名前になっています。ここからDさんの田舎町までレンタカーで約2時間半の旅となります。直接向かえば午後9時くらいに到着できそうですが、彼の街は小さすぎて1軒しかないレストランは7時半くらいに閉まります。そんな訳で、リトルロックの街の方で夕食を食べてから、彼のホームタウンに向かうことにしました。

サンフランシスコとDさんの田舎町は約3500Kmなので875里なので、日記のタイトルのように3千里などありませんね(笑)


旅行記なのでコメント欄は閉じておきます。

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名前:JapanSFO 男性 双子座

こんにちは
男性の好きな男性同士
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