彼氏Dさん&台湾出身の元保護犬Coco(2020年没)と共にひっそりと
慎ましく暮す男の地味でありふれた 日常生活日記
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そのため冷蔵庫の収納量をチェックすべく、いろいろと整理していたら冷蔵庫の野菜を入れる引き戸の奥の方に忘れ去られていたサツマイモが入っていました。僕は基本的に好き嫌いが少なく何でも食べることができるのですが、実はサツマイモがいまいち好きではなく出されれば食べることができるものの、どちらかというと苦手なものに入るのです。
長い期間冷蔵庫で寝かしつけられたせいで、少ししなびてしまっていました。これどうしようか・・・?と思っていると、Dさんはもう食べれないし、君はサツマイモ好きでもないし、捨てしまえばいい!というのですが、Cocoに関するものをなかなか捨てることができない僕は、Cocoのために買ったこんなサツマイモさえも愛おしく感じてしまい、捨てることができない心情でありました。
しかし半分しなびたサツマイモにはそれほど存在価値がありません。捨てるしかないのか?と思った時に僕が思いついたこのサツマイモの活用法は・・・庭に植える!ということでした。多少しなびていても、土の中に植えれば芽が出るかもしれないし、そしてそこからまた新たな生命が息吹き、新たなサツマイモが収穫できるかもしれません。
そうしたらサツマイモ好きなDさんにサツマイモの料理を作ってあげることができ、Cocoの思い出にもなるかもしれない。そんな訳でありまして、あきれているDさんを横目で見ながら一生懸命泥だらけになって庭の花壇に穴をあけ、腐葉土をかけサツマイモを植えてみました。このサツマイモに第二のチャンスを与えてみることにしたということです。
それと同時にまだあれから1カ月しかたっていないのか、という感じも同時にあるのです。Cocoがいつもの定位置に座っていた場所に、今は小さな遺灰があるのを見るとまだまだ悲しみが強く沸き起こります。Cocoに触れることができたのがつい先ほどであったような気もするし、もう遠い昔のような気もする、全くもって落ち着かない混同した心持の毎日であります。
Dさんと2人でCocoを亡くしたことは、あまりの大きな痛みに打ちひしがれています。
この日の夕飯は以前作ったミートソースが冷凍庫の中に眠っていたのでそれを利用してスパゲッティーミートソースにしました。コロナの外出禁止令に伴い、家で食べることが多くなりました。そこで冷蔵庫も冷凍庫もしっかりと再見分したので、いろいろと眠っている食材を掘り起こして在庫整理も一緒にしてしまおうと実行しています。
これに野菜サラダを付け合わせれば、まあOKな夕飯になりました。


1.シカモア温泉へ
2.Goshi Sushi @ San Luis Obispo
温泉に入って束の間の休息をして、夕飯には美味しい海鮮を食べて、また温泉に入ってゆっくりと眠りました。と・・・言いたいところでしたが、このホテルはどうも壁が薄いらしく僕たちの上に泊まっていた若いカップルが、この個室温泉で燃え上がったらしく夜も朝もベットのきしむ音と男女の絡む喘ぎ声が聞こえてきて、リラックスする暇を与えてくれませんでした・・・
朝温泉をした後は、荷物をまとめて宿をチェックアウトして、ランチは宿に併設されたレストランの方でとることにしました。
ここの宿ですが、アメリカにしては皆さん接客大度がすごく良くてチェックインも、チェックアウトの時も大変親切で温かみのある対応をしてくれました。レストランの方でも従業員がちゃんとした接客をしてくれたのが印象的でした。どの従業員もちゃんとした接客をしてくれるので、きっとマネージメントで接客に関してしっかりとしたトレーニングをしているのでありましょう。
ランチの方ですが、前日の夕飯が海鮮でしたので僕なお肉食べたいモードになっていました。するとメニューにNYステーキとポテトフライが書かれていましたので、迷わずこちらの方を選びました。8ozということですから約226gという、ランチにはちょうどいいくらいの大きさであります。こちらをミディアムレアに焼いてもらうことにしました。
Dさんの方は朝からバーガーな気分だったそうですので、当然のごとくハンバーガーを頼みました。日本食も好き嫌いなく食べる人ではありますが、ハンバーガーやピザが好き好んでオーダーするのを見るたびに、やっぱりこの人はアメリカ~ンなんだなぁと思わされます。そしてやってきたのがこちらのベーコン入りのクラシックバーガーであります。
満足ランチを食べた後は、2人で車に乗って家に戻ります。僕はアルコールを一切取っていなかったので運転係となりました。山道をグネグネと走らなくてはいけないレイクタホやマウントシャスタと違って、こちらへの道のりは至って平たんなので気分的に多変楽でした。おまけに一番のネックとなるサンフランシスコベイエリアに入っても外出禁止令のため渋滞もありませんでした。
初めてのシカモア温泉は残念ながら1泊となってしまい、そこまでのんびりとできるものではありませんでしたが、それでも美味しいものを食べて温泉に入ることができていい気晴らしになりました。昼はラーメン、温泉に入った後は、日本食の海鮮。まるで日本にでも来たかのような夢のような一日でありました。
そして、カリフォルニア州をはじめとする米国はCOVID-19攻防戦に深く暗く巻き込まれていきました。


この日記は禁止令が始まる直前の出来事であります。
1.シカモア温泉へ
カリフォルニア州知事とサンフランシスコベイエリア周辺の6カウンティの出した外出禁止令が発令された日、僕たちはその数時間前に沖縄そばを食べ、サンフランシスコベイエリアから4時間半ほど南に向かった町に行っていました。この町ではまだ外出禁止令が出されていなかったので、平穏そのものの様子でありましたが、この3日後にカリフォルニア州全体に禁止令が出されました。
とにかくかろうじて禁止令が出る直前にシカモア温泉の方にやってきたという感じです。本当は2泊ほどのんびりするつもりでしたが、サンフランシスコベイエリアに外出禁止令が出されたため、2人とも仕事場でその対処に追われるだろうと休暇になっていたのですが、仕事に戻ることに決めて1泊だけこの町の方に泊まることにしました。ですから完全リラックスというものではありませんでした。
San Luis Obispo, CA 93401
こんな田舎町だから日本食もなんちゃってでありましょう~と全然期待していない僕でありました。Dさんはどうしてここに惹かれたのかよくわかりませんが、たぶん僕を元気づけようとしてここを探してきてくれたのでしょう。予約を入れてその時間に店の方に行くと、受付の女性は日本から来た日本人らしき人でありました。他にも日本人の従業員がいました。
メニューを見てみると、お寿司がメインではあるものの照り焼きや、焼き魚、すき焼き、天麩羅などもありまして、お値段はサンフランシスコベイエリアに匹敵するものでもありました。僕はすごくお腹がすいていたので鶏のから揚げをおつまみに頼みまして、Dさんは梅酒、僕は運転なのでお茶で乾杯です。から揚げは日本の普通の鶏のから揚げで美味しかったです。
握り寿司を個々で頼むか、握り寿司セットにしようか、それともコンビネーションディナーにしようかと悩んでいた時に目に入ってきたのがちらし寿司でした。握りも好きですが僕はちらし寿司も大好きなので北海丼か生ちらしにしようか悩んでいたところ、Dさんもちらし寿司にしたいとのことでしたので、かぶらないように北海丼にしてみました。これにはサラダとみそ汁が付きました。
そしてこちらが僕の頼んだ北海丼であります。こちらには鮭、いくら、カニ、ホタテ、北寄貝、ボタンエビ、ウニがのったこれまた豪華などんぶりでありました。そして肝心の魚介類ですが、新鮮で文句のつけよがないくらい質の良いものを提供しているようでした。こんな場所でここまでハイクオリティーの海鮮が食べれるなんて思ってもみませんでした。
Dさんと2人で満足してお腹がいっぱいになってきましたが、ちらし寿司でさえここまで美味しいのなら、握りずしも食べておいた方がいいかもね~と一つだけ頼んでみました。それがこちらの、バフンウニとホタテの握りでありました。醤油を少しだけさして、一気に丸ごと口の中に入れてみました。すると、ウニとホタテの海の幸の甘みが口に広がります。
ウニ独特の濃い風味と、ぷりぷりの食感のあまりホタテがすし飯と素晴らしいハーモニーを口の中で奏でてくれました。ちらし寿司も握りもとっても美味しかったので大喜びしていた2人ですが、それを見た寿司シェフが、明日は休みなのでもしよかったらあん肝でもなんでもお出ししますよ!と伝えてくれました。あと10年若かったら多分、喜んで恥も外聞もなくいただいたことでしょう。
ちなみに寿司シェフと若い日本人男子の2人のウェイターさんは親子関係なのだそうです。客にはとってもまろやかな対応をしている寿司シェフが、厳しい口調でウェイター男子に接しているのでもしかしたら?と思ってウェイター君に聞いたら、”はい、そうです。私の父です!”と答えてくれました。家族で頑張る日本食屋さん、応援したいですね!
今考えるとこれがコロナ騒動前の最後の外食夕飯となりました。しっかり食べてしっかり満足して、少し部屋で休んでお腹が落ち着いた後はまた、温泉をたっぷりと湯船にためて、寝る前の温泉を楽しませていただきました。


PCの前に座って、いつものように日記を書こうとするのですが日記にはCocoの写真がたくさん掲載されているのでそれを見るたびに、せっかくPCの前に座って書こうとしていた意欲が注がれてしまい、なかなか書き進めることができませんでした。今回の日記ももう結構前のことですがようやく書くことができるようになったという感じです。
近所の人たちが最近Coco散歩しないわね?と聞いてきたのでCocoの亡くなったことを話したら、それを聞きつけた優しき隣人たちがCocoの死を悼むカードを送ってくれました。それも結構な数の人たちが送ってくれたのですが、やはり彼らはご自身が愛犬、愛猫を亡くした経験を持っているそうで、彼らの添えてくれたメッセージは読んだ僕たちが再び涙を流すような、温かな優しい気持ちがあふれていました。
Cocoが亡くなって3日後、仕事の帰りになぜかその日に限っていつもと違う道を通りかえっていたら、元同僚のKLさんに偶然会うことがありました。KLさんは僕の働く職場で医師として働いていた方で、この職場を去った後もずっと仲良くさせてもらっています。この家に移ってからホームパーティーで、一緒に皆さんと手巻き寿司を食べたこともあります。
ところが、その数時間後KLさんは奥さんと娘さんを伴って3人でCocoのことは残念だったねと僕たちの家の方に蘭の花とワインと食べ物を持ってきてくれたのです。たまにしか会わなかった3人ですが、彼らはCocoには優しく接してくれましたが、わざわざこうして家の方までやってきてくれプレゼントを持ってきてくれた優しさに僕もDさんも感謝の涙を流してしまいました。
自分たちは大丈夫と思っていても、こうして他の方たちの優しく温かな心に触れるとやはり人っていいものだな~と素直に思えます。
さて、この日記のタイムラインははカリフォルニアではコロナウイルスのことが話題になっていてもそこまで深刻な頃ではありません。僕たちは月と火の2日間の休暇を申請して、Cocoのことでハートブレイクした気持ちをいやすために温泉旅行に行こうと決めていました。そして、その週末にコロナウイルスの問題がどんどんと報道されるようになったのです。
ですから、万が一のことを考えて2泊で泊まる予定だった宿を1泊だけにして、状況が問題ないようであれば、宿の方でもう1泊伸ばしてもらうようにしようと決めまして、出発しました。お昼少し前に家の方を出発して、ちょうどお昼ごとに南の街にやってきましたので久しぶりにDさんの好きなラーメン屋の方へ寄ってみることにしました。
そんな訳で僕たちが食べたのはソーキ無しの沖縄そばでした。しかし、久しぶりの沖縄そばはラーメンと違った味わいがありまして十分満足することができました。この頃はコロナウイルスの影響でレストラン業界は客足が落ち込んでいましたが、まだレストランでの食事ができていました。実はこの3時間後にサンフランシスコベイエリアではレストランでの食事が禁止になりました。
沖縄そばを食べて3時間後にDさんは職場から電話がかかってきてもうすぐ知事が大きな発表をしてサンフランシスコベイエリアに大きな外出禁止勧告を出すとの連絡がありました。そして、すぐに車で聞いていたラジオ放送で、知事がサンフランシスコべエリアに外出禁止勧告を出しました。これを聞いて僕とDさんは、温泉は2泊じゃなくて1泊で仕事に戻らないといけないね~と判断しました。
さて、車で南下すること4時半で今回の目的地であるSan Luis Obispoにある、シカモア温泉の方に到着しました。このシカモア温泉は米国、カリフォルニアに住む日本人の間では結構有名な温泉ホテルでありまして、僕は長いこと名前を聞いていて一度は行きたいな~と思っていたものの一度も行ったことがなかった場所でありました。
なんでもここの温泉は硫黄泉特有の匂いがするので、アメリカンな人たちはその匂いが体中につき、服にも匂いがついてしまうのを嫌がるそうでありまして、その要望に応えグレードの高い部屋はあまり温泉の匂いのしない水で薄めた温泉になっているとのことでした。僕もDさんも硫黄泉の匂いは好きなので源泉かけ流しのできる部屋の方に泊まることにしました。
最初はマウントシャスタの方に行こうか~とも言っていたのですが、マウントシャスタはCocoと一緒に何度も行った思い出の地であります。ですから、2人ともきっと寂しくなってしまうであろうと考え、Cocoと一緒に行ったことのない場所を選んでいて、最初はサンタバーバラを上げていたのですが、温泉っていいじゃないか~と思いこの場所にたどり着いたということであります。
2人で明るくCocoの思い出話をして大笑いしたり、たくさんの涙を流したりしてストレスを発散させました。
温泉の方は源泉をふんだんにプラスチックのバスタブに放出させました。硫黄泉独特の匂いがしまして、温泉自体は透明で少し青みがかかったような感じでありました。温度は日本でいう熱めのお湯という感じではないのですが、米国にしたら熱めのお湯という感じの温度でありまして、僕とDさんにはちょうどいいお湯加減でありました。


僕の職場は医療関係なので混乱状態です。
ここにCocoの米国10周年記念から亡くなるまでをまとめておきました。
Cocoが亡くなってから、茫然としていたところにコロナウイルス騒動がやってきてしまったので、なかなか心も体も対応しきれずにかなり苦しい毎日を過ごしています。慣れない対応をして仕事場から家に帰ってきて、Cocoの最後の日記を書き終えなくてはと思っていても、いざPCの前に座って亡くなった日の日記を目にすると、涙があふれてきて心が息苦しくなってしまうので無理をせずに暫く日記は休むことにしました。
たかが犬なのに、犬1匹亡くしてしまっただけでここまで心理的なダメージを受けている自分にも驚きました。何とかCocoの最後をしっかりと覚えておこうと書き綴った日記でしたが、その時の詳細をブログを書くことはCocoを亡くすというトラウマの再現にもなりましたので、書いていてかなり精神的にもきつかったことでした。
でも自分の記憶が薄れていることが確実に起こるので、Cocoの最後の日々の詳細を忘れる前に、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたかったので頑張って書いたのですが、やはり亡くなった日を書いたとたん気力がぷつんと切れてしまいましたので、最後の日記をかけずにいました。まだまだ、心理的に余裕がないのですがそれでも途中で終わらせたくないと思い書き始めました。
Cocoが亡くなる1か月前にセカンドオピニオンの獣医さんが、もしリンパ腫だったらもって1ヵ月でしょうと言われたとき、僕もDさんもいったいこの獣医さんは何を素っ頓狂なことを言っているのだろうと感じまして、その告知をまともに受け止めることさえしなかったような気がします。ただ、Cocoが同じ部屋の中で静かに座り神妙に彼女の話を聞いていた姿が思い出されます。
10年前台湾からやってきたCoco(生い立ち)は、僕たちの第一選択肢の犬ではなく第二候補も書いていいみたいだからとりあえず書いておきましょう~とあまり注意を払わなかった第二選択肢でありました。シェルターから電話で第一希望がすでに養子縁組が決まったので、第二希望のCocoでもいいかと電話で言われ、OKしたら記憶にもあまりないCocoがうちにやってきたという、なんともいい加減ないきさつがCocoとの縁でありました。
最初のCocoとの対面は2人ともとってもこわごわ、おどおどしていてCocoの方がよっぽどどっしりと構えていたように、つい最近のことのように思い出されます。あれから本当に10年たってしまったのか…?本当にCocoとそんなに長い間一緒に暮らしていたのだろうかと、とてもあやふやで夢のような一瞬だったと感じ、今この日記を書きながら不思議な気持ちになってしまいます。
Cocoが亡くなった次の日、僕たちはCocoを火葬してくれるところを探したところ、Berkeleyのアニマルシェルターで受け付けてくれていると知りそちらに連絡を取り、Cocoの亡骸をいつもの車のCocoが座っていた席に寝かしてやってきました。アニマルシェルターの係員の人たちはとっても親切に僕たちを手助けしてくれ、Cocoを抱きかかえる僕からCocoの亡骸を受け取りました。
手続きを終えて、茫然とした姿で帰ろうとすると、先ほどの係員の女性が僕たちを呼び止めました。そして彼女が手に持っていた白いコースターを渡してくれました。一体何なのだろうと僕たちが不思議に思っていると彼女は、Cocoの手形を取ったから持って帰ってねと言ってくれたのです。
このまま、家に帰るのもつらいので気分転換を兼ねて近所のイタリアンのレストランの方へランチを取りに行きました。この頃はまだコロナウイルスがそこまで大きな問題になっていなかったサンフランシスコベイリアであります。2人でシャンパンを頼み、Cocoの命の存在に、Cocoと一緒に過ごせた10年間にありがとう~と乾杯しました。
僕はスパゲッティーイタリアンソーセージトマトソース。Dさんはグリーンピースのスープとチキンサンドイッチを頼みました。2人でCocoと過ごした10年間の思い出話をしながらなるべく明るく話すようにしていましたが、やはり心の底から湧き出てくる悲しみをごまかすことができませんでした。
これを聞いた時、あぁ~この人は僕が経験したものを感じていなかったんだな~と初めて知りました。きっと彼の同僚は僕と同じような心の葛藤に毎日さいなまれていたのだな~と理解することができました。ですから僕は僕がどれだけ毎日苦しかったのか、それから解放されてほっとした気持ちがあり、また僕がそんな風にほっとする自分がいることにも罪悪感を感じていることは彼は知らないのだね、と伝えました。
僕はCocoが亡くなってしまった時に脱力感と喪失感と共にほんの小さな部分でほっとしている自分がいるのも感じられました。Cocoのためにご飯を作っても食べてくれない。こんなにしているのにどうして食べてくれないのだろうという焦りと怒りがどうしても出てきてしまい、Cocoのせいではないのをわかっているのに、そんな感情が湧き出てきてしまう自分にも情けなく感じたりしました。
薬をあげるとのどに引っかかり苦しくむせてしまうので、僕が薬をあげようとすると嫌がることも多々ありました。本当ならばそんなことしたくないし、Cocoが嫌がることをしたくないのにどうしても、薬だけはあげないと後で痛みがきてしまいます。Cocoは僕が拷問をしていると思っているのではないかと考えるとすごく苦しくてつらかったのですが、Dさんはそれらの経験をしていなかったのです。
ご飯を作るのも、それをあげるのも、薬をあげるのもすべて僕がやっていたので、幸いにも彼には僕が感じていた葛藤も苦しみもなく、純粋にCocoの病気を心配しているだけでよかったのです。僕が感じていた葛藤や苦しみを知らせ、彼の同僚が感じていたほっとした気分がどういうことなのか告げると、彼は驚きと共にはじめて僕が今までどんな気持ちでいたのか理解したようでした。
同じ犬を飼っていても、愛情の与え方もかかわり方も違う形になるのですが、それはそれでいいのでしょう。やはりとっても大事に思っていたという気持ちはCocoにはきっと伝わっていたのでしょうから。 しかしながら、すべてできることはしたとは言うものの、これをすればよかったのでは?あれをすればよかったのでは?と様々な考えが今でも心の中を陰巡り暗い気分になってしまいます。
思い出しながらこうして日記に綴ることはつらい気持ちの再現になり、結構なトラウマ的なものをもたらしましたが、同時に日本語で綴ることによって、絡まった糸が少しほぐれた気がしたこともあります。今Dさんと話すのはCocoと過ごした10年が本当にあっという間の一瞬で、そんなに長く一緒にいたのだろうか?夢だったのではないかとさえ思えるくらい束の間の時間のような経験に感じていることです。
1週間後、Cocoは小さくなって帰ってきました。アニマルシェルターからCocoの遺灰が戻ってきたと知らせの電話の時、”Coco is back!"と言われて一瞬何のことがわからなかった、頭が真っ白になったとDさん。僕もDさんに”Coco is back!"と言われて真剣にCocoは亡くなったのではなくて迷子になっただけだったのかと思ってしまったくらいでした。
その後、Cocoは何度も僕たちの夢に出てきているのでスピリチュアルな世界を全く信じない僕たちではありますが、あぁ~Cocoが家に戻ってきているんだな~と実感として持つことができました。でも、あのお腹にも、頭にも、肉球を触ることも、つぶらな瞳をじっと見つめることももう永遠にできなくなりました。
Cocoは2010年1月17日に台湾からやってきました。
その頃の初期のビデオです。 不安そうな表情とあどけない感じの混合した可愛い顔。
おでこの傷は虫刺されのようでした(笑)
今まで長い間あまり楽しくもない、どちらかと言えばつらいCoco日記にお付き合いいただきましてありがとうございます。なかなか書き終えることができず時間が経ってしまいました。その間、優しく温かなメッセージをいただきまして心より感謝しております。言葉でうまく言い表せないのですが、Cocoがもたらしてくれたオンライン上のかすかではあるものの、この温かな善意は大きな喪失感を抱えた僕たちには偉大な癒しとなりました。本当にありがとうございました。
これからはCocoはいなくなってしまいますが、また少しずつ地味で何のとりえもない垂れ流し日記を書いていこうと思いますのでお付き合いの方よろしくお願いいたします。たまにCocoには思い出し日記、お蔵入り写真取り出し時にでも出演してもらいたいと思っています。
Cocoありがとう。


この頃になるとCocoは自力で立ち上がることもままならないので数時間ごとに寝ている向きを変えたり、体の位置を変えたりしてあげました。抱き枕を足の間に挟んでで見たところ心地よいらしくうっとりとした表情になってくれました。もっと早くこの抱き枕を作ってあげればよかったな・・・もっと早く直腸水分補給をしてあげればよかったなといろいろな考えが頭の中を駆け巡ります。
人間もそうですが、体に痛みがあるときに優しくマッサージしてもらうとその痛みが緩和ができてうれしいようですね。手を当てるとは文字通りの手当の効果があるようです。手当というか手を当てて他の部分を触ってあげるだけでも気持ちの良いもの。人間だってストレスがたまった時にスパやマッサージでその緩和を試みますものです。じっくりマッサージをしてもらってCocoもとっても満足そうになりました。
このまま今日は眠ってしまうかな?まあ、眠ってしまうまでゆっくり手をつないで今までの思い出話でもしましょうか~。とっても安らかな表情になり、これならばもう一安心だろうと思い、時間を見るともうすぐ夜中の12時になろうとしていました。
午前3時か4時くらいにはまた、鎮痛剤をあげないといけないし、自分もだいぶ疲れてきたので寝なくっちゃな~とCocoの手を放し自分のベットに行ってベットを整えて10分くらいで戻ってきて、寝る前のお休み~と言うためにCocoを見てみるとしっかり眠っているようでした。僕がCocoの手を放してから10分の間は物音ひとつしませんでした。
咳もしなかったし、痛みで体を動かそうとした形跡もなく10分前と変わらずそのまま静かな寝顔でした。しかし、一つだけ違ったことがありました。僕が最後にお休みを言いに戻ってきたときにはもうCocoは息をしていませんでした。眠っているように亡くなっていたのです。急いでCocoの名前を呼びましたが、もう反応はなく、まだ十分温かな体であるCocoの体を一生懸命マッサージをしましたが、全く反応見られませんでした。
僕はまだ十分温かいCocoの体を抱き起こして、抱きしめて何度も何度もCocoの名前を呼びましたが、残念ながらCocoはもう僕の声には反応してくれませんでした。Dさんがそばで、もういいよ、Cocoはきっともう安心したから向こう側へ行ったんだよと、僕のCocoを抱きしめる腕に手を添えてもう十分だよと涙を流して無言で伝えていました。
僕はあきらめて、Cocoをベットに寝かしタオルを敷いてCocoが最後に心地よく眠れるようにベットを作り、お線香を一本立てて、Dさんと泣きながら夜を明かしました。どうしてあの時、あの手を放してしまったのだろう。Cocoの最後の最後まで手をつないてあげることができなかったのだろう。傍にいたのならすぐに異変に気が付いたのではないかと、次から次へともう嘆いてもしょうがないのはわかっているのにもしももしも・・・が繰り返し頭の中を回り続けました。
せめてもの救いは、この日の夜は3人で夜遅くまで一緒にいられたこと、そしてCocoは僕たちが仲良く一緒にいる姿を見ながら、ようやく苦しみから解放されたということです。いつもはCocoの寝床の写真はそれほど撮らなかった僕なのですが、この日に限ってなぜなのかわからないのですが、たくさんの写真を撮っていてDさんにあきれられたくらいだったのです。
でも、今になるとこうしてバカ丸出しで思いのままに写真を撮っておいてよかったな、と素直に思えます。 Cocoは最後の最後には本当に優しい顔で眠るように僕たちから静かに去っていきました。Cocoに会えて、Cocoと10年一緒に過ごせて僕たちは本当にしあわせでした。普通の白犬でしたが、僕たちにとって特別な大切な存在でした。
Cocoも同じ思いだったらいいな・・・
台湾から僕たちのもとに来てくれて、ありがとう


僕の今の気持ちにはすごく、ぐっと来てしまいましたので忘備録として残しておきます。
Cocoがこんな気持ちなのかな~なんて思ったら涙が出てきました。
不安がなくなるまでずっと手をつないでいてあげたいです。
たいせつなひと
さだまさし
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
寂しいと口にすれば 生きることは寂しい
喜びと悲しみは 光と影のように いつでも 寄り添うもの
幸せと口にすれば 不幸せばかりが映る
何故かこの世に生まれ 迷いながらも生きる あなたに 届くために
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
愛ばかりを集めたら 憎しみまで寄り添う
ささやかに傷ついて ささやかに満たされて
このいのちを生きたい
あなたの存在だけが 他の全てより秀でてる
星や月や花や鳥や海や空よりも 際だっていて 愛おしくて たいせつなひと
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った その温かい手を
その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで
哀しみのほとりで出会った そのたいせつなひと


今まで僕たちは2人とも、犬を飼っている人たちが自分の子供のように接するのを見て、あぁ~やだやだ・・・絶対僕たちはああなりたくないね~犬はやっぱり犬じゃないか~とDさんと冷めた目で言っていたのに、いつの間にか僕たちは同じ類の人間になっていました(笑)。特に子供がいないうちで犬を飼うとそうなってしまうものなのだな~と身をもって感じました。そしてこれは大きな喜びでもありました。
僕はCocoのすぐそばのコーヒーテーブルで、いつものようにブログを書いています。僕はこのブログを書いて約15年が経つのです。はじめの頃は支離滅裂な今日のおにいさんなどという半裸のおにいさんの写真を載せたりして迷走していました(笑)。それはそれで楽しかったので良かったのですが、その頃はゲイのカップルとは特殊なものでいい方に理解はされていなかった印象があります。
ゲイということで、特殊で性的倒錯者というフィルダーで見られ、色者扱いされて訪問者も限られた人たちでした。しかし、その数年後我が家にCocoがやってきました。Cocoは気づいているのでしょうか?15年書いているブログのうちの10年は、Cocoがこのブログをけん引してきたといっても過言ではないのです。ここのブログのスーパーアイドルでありました。
Cocoはゲイへの差別や偏見の取り除きにさえ大きく貢献してくれたともいえるのでしょう~!おかげさまでここでは毎日たくさんの人たちがCocoの様子を見たり、地味で代り映えしない中年ゲイカップルの生活を覗きに来てくれるようになりました。皆様の暖かなご訪問を心より感謝しております。
CocoはLGBTの世界に大きく貢献しましたよ(笑)。
さて、Cocoの痛み止めが今週末にはなくなりそうなのでまたもらいに行ってきました。もうCocoは車に乗りたがりはしないのですが、ひとりで家に残すのも不安でしたのでバックシートに大きなCocoのベットを入れて心地よく寝れる空間を作って一緒にHerculesの街の方へ行ってきました。薬はあっという間にもらうことができましたので、ついでにランチにも行ってきました。
こちらのバーガーも、普通ではありますがしっかりと丁寧に作られていて大変美味しかったようです。美味しいランチに満足して家に帰りました。前回はここで食後のランチ散歩をしましたが、Cocoはもう散歩ができる状態ではないのでそのまま直帰となりました。Cocoにランチの残りをあげることもできないし、散歩もできないのはとっても寂しいのですが、Cocoがこうしていてくれるだけで十分の喜びです。
家に着いたら家で一番日当たりもよく景色のいい場所にCocoのベット真に新しいきれいなタオルを敷いて、寝かしてあげました。いつもの自分のベットルームだと暗いですし景色も見えないのでこちらの方がいいかな~などという人間の自分勝手な自己満足ではありますが、自己満足、大いに結構~と開き直ります。Cocoはこの日息がいつもより荒いようなので、水を飲ませてげっぷを手伝って、僕たちの目の届くそちらの方で休んでもらいました。
Dさんが昼寝に入り、Cocoも昼寝。僕は昼寝をする気分ではなかったので家の中でCocoを見つめながらぼーっとしていました。すると心の中にものすごい焦燥感がでてきまして、このままCocoが僕たちの前からいなくなってしまうことに対して耐えられない苦痛と心理的な不安にさいなまれてしまいました。これは去年の3月に味わったパニックアタックにそっくりな症状です。
たかが犬をなくすくらいでパニック状態になる自分にも情けないな~とは思いつつ、これも自分なんだよな~しょうがないよな~とあまり焦らないで本当につらくなったらまた薬を飲めばいいか~と構えるように言い聞かせました。人間の心って本当にもろいですね他人のちょっとした一言に、行動に、犬がいなくなることで、こんなにも動揺するなんて・・・
僕この動揺をしっかり認めて、できる限り否定せずそのまま自分を動揺させてあげました。しかしながら、この日はいつも以上にものすごいレベルの大きな症状がありましたので、Dさんに助けてもらって何と乗り越えようとしました。Dさんも僕のこの状態を見て辛そうでありました。パニック障害を起こすなんて人に自慢できる代物でもないのですが隠すことでもないので、これも自分を形成する一つということで共存していけるようにしないといけませんね。でないとCoocがまた心配してしまいます。
とにかくこんな感じで今まで経験したことのないような、かなりひどい心理状態になり、ボロボロになりそうになった土曜日の午後でしたが、心の中のざわつきは収まらなかったものの、Cocoがまどろみから目を覚まし、Dさんがそばにいてくれてからはだいぶ安定しました。そして、土曜日の夕方は穏やかに滑らかに過ぎ去っていこうとしていました。
今はぐったりと寝ているだけのCocoですがMt.Shastaでこんなに元気に飛び回ったこともありましたね~
台湾犬なのに雪が大好きでした。
元気いっぱいな姿を見るとぼくとDさんの顔には微笑みが溢れますが、同時に涙もあふれてしまいました。


朝になりました。この日Cocoはなぜか暖炉の横で寝ていました。よろけながらもここにたどり着いたのでしょう。そういえば、ここもCocoが家の中で好きなスポットでした。Cocoの様態は毎日書いているように、恐ろしいスピードで病魔に侵されているようです。昨日できたことがもう次の日にはできなくなっているというもので、2人ともどうしていいのかわらない混乱状態でありました。
それだからというわけではなく全く違う別のタイミングでCocoを迎え入れることになったのですが、この決断は今にしてみると神に与えられた幸運のような出来事だったかもしれないな~と僕は時々思ったりします。Cocoを一生懸命育てることで僕たち2人は養育の仕方の齟齬で僕たちはよくケンカもしました。そのたびにCocoは2人の間に立っておろおろしてくれました。
この日の午後は少しだけ自力で立つことができたCocoは裏庭のパトロールをしてボ~とした後、フラフラの足取りで家に戻てきました。
何か気になることがあったのかな?
そのあとCocoは、やはりくぐったりとなってしまいました。すごく弱っているのがよくわかります。食事をせずに1週間、水もほとんど飲みません。最後に口にしたのは僕が作った甘酒、鶏のささ身、Dさんのベーコンとスクランブルエッグ、そして僕の作ったおかゆだけでした。そんな状態ですから今はもう自分のも持つ体力という貯金も使い果たしてしまい、気力だけで生命を維持しているような気がします。
それなのに具合が悪くなってからこの場所には来ることはあまりなくなり、自分のベットルームでじっとしていることが多かったのです。Dさんと2人で、やっぱりCocoはこの場所にいてくれるとこちらもしっくりほっとするよね~と話していました。
そのあとはCocoがキッチンに移動してきましたので、少し元気になったのかな~?よかったね~と、もっと元気になれ~!!とシャンパンを上げてCocoの存在と、その可愛い顔に乾杯をしてみました。Cocoが生まれてきたこと、台湾で生き抜いてきたこと、僕たちと出会えたこと、そして家族になれたこと、この10年に起こったすべての出来事のためにに乾杯をしました。
こんな不完全で、いびつな過去を持つ3人がこうしてここで出会い、肩を寄せ合い温かい家族になり、たとえたった10年という月日だけではありましたが、素敵な時間をこの地でひっそりとけがえのない時間を送れたのは本当に素晴らしいものでした。病気になって、あと残りのないCocoではありますが、こうして一緒に生きていき楽しい時間を過ごせたことは、それだけも大いに感謝喜ぶべきことなのですよね。すべてにありがとうと、心から言いたいです。
この日はファーマーズマーケットで菜の花の野菜が買ってきたので胡麻和えにしてみました。最近の野菜は季節感がなくなりましたが、この菜の花はいつまでたってもこの時期にしか食べることができないので必ず買って食材を使って出すようにしています。
これにわせるメインの食事はなんと・・・KFC!
美味しいと思えるうちに美味しいと思えるものを程よく、心地よく食べるのがよいことなのです。
そういえば、Cocoはお餅が好きでした~
僕が自分用にお餅を買うと、すぐに察知して私にもちょうだい~!攻撃がすごかったです(笑)
もっとたくさん食べさせてあげればよかったな・・・


この日のランチは珍しく職場の部下たちとビストロの方へ行ってきました。個人的には一人ランチが好きなのですが、流れで4人で行くことになってしまい少しがっかり(笑)。こちらのビストロは学生さんにより自習を兼ねた実験台的なレストランですので、サービスは少しちぐはぐではありますが、料理の方はほどほどおいしく、値段もお手頃でおまけに税金がつかないという特典ですのでうちの職場の人は結構利用しているようです。
それに実習の一環ということもあってTaxもTip基本的に払う必要がないのでお得感が高いですね!
僕は一応Tipだけはおいて置きますよ~
仕事を終えて家に帰ると立てないながらもCocoが顔を上げて出迎えてくれるようなしぐさで下の少しうれしかったです。僕たちがいない間のJennyさんの情報ですとCocoは全く元気がなくぐったりしていてほとんど横になっているだけだったとのことで、日に日に力もなくなっていくのがよくわかると教えてくれていたので心配でした。この病気の進行度には恨みさえ覚えます。
僕は家で甘酒を造りまして、それを細かく砕いて注射器に入れて飲ませてみました。数回はよかったのですが、やはりのどに引っかかり吐き出してしまいました。もっともっと薄めて少しづつあげてみると何と飲み込んでくれますが、それだけでは明らかにカロリー不足の食事ですね。人から見ると酷かもしれませんが、もう食べないと決めたのならそれを尊重してあげることにしました。
突合せにはキノア、作り置きのキャベツの酢漬け、そしてほうれん草とベーコンの炒め物にしてみました。作り置きがあると少しだけお皿に花が増えていいものですね~
今日のCocoはこちらの方で睡眠をすることを決めたようです。
夜中に踏んづけないように気を付けなくっちゃいけませんね。
かつてはCocoも巻物が好きでしたね~


もう自力で立つこともほとんどできなくなりましたので、僕とDさんが補助しなら裏庭に連れて行ってあげます。水もほとんどとらず、食べ物も取らないので尿も分も出ないのですが、一応したい気分になるかもしれないので毎日朝庭の方に連れていきます 。
さて、Cocoの様態が僕たちの想像を上回る速度で悪化していく中、僕はそれでもCocoに関しての様子をこのブログやインスタグラムアップしています。僕は記憶力が悪いので多分この件に関しても、喉元過ぎれば熱さを忘れるということになるかもしれませんし、人間の記憶自体があやふやなので今のような思いも感情も二度と戻ってくることはないと確信しています。
ですからコメント欄などはすべて閉鎖させてもらっています。もちろんコメントををいただくのはとっても嬉しいですし、すごく心強いですが、返信にもかなりの時間を要しますし、ランダムに開けておくと、中にはこんなかわいそうな姿さらすのは考えた方がいいのではないか?と言われたり、感情ダダ漏れで情けないといわれるのはあまり心地よいものではないのです。
それでも、ダイレクトメールやインスタ、知り合いではLINEなどからメッセージが届きます。コメント欄を閉じていてもこうしてメッセージを送ってくださる方には心より感謝していますし、素直にうれしいと思っています。本当にありがとうございます。Cocoにも皆さんの温かい気持ちをしっかり伝えていますので、Cocoも喜んでいると信じでいます。
Cocoはいつもは自分の部屋で寝るようになっていましたが、この日はDさんがベットルームに入るとよろよろとした足取りでその後ろについていこうとしました。ですからDさんがこちらに来たいのかと抱っこして連れてくると満足そうにそちらで横になりました。久しぶりのCocoの夜伽にDさんもまんざら悪い気はしなかったみたいですね!
前の家には鹿がよく来てCocoはテリトリーを荒らされるのが嫌だったみたいです(笑)


JennyさんはCocoを裏庭に出しておしっこをさせたり日向ぼっこをさせてくれるので安心です。近所にこういう人がいるということは本当に心強いものです。以前は彼女が散歩もすべてやってくれていましたが、もうCocoには普通の散歩をする体力がないのでJennyさんの手伝いを断ろうと思ったのですが、Cocoに必要なこと何でもやるから気にしないで~!と手伝いを継続してくれました。
彼女はその日のCocoの様子をTextメッセージで送ってくれるので心強い限りです。
また僕が家から帰ってくると大体先にDさんが到着していますので、彼からの連絡がないとCocoは安泰なのだろう~と少しだけ安心することができます。しかし、帰ってきてCocoのぐったりとした姿を見てしまうと、涙腺があっという間に緩み始めてしてしまいます。年を取ると涙腺のコントロールがうまくいかなくなると聞きますが、本当にそうですね。もう毎日崩壊しまくっています。
自分では人間関係に疎遠でドライで、人との付き合いもあまり密にしたくない人間のつもりでいましたが、実は密になる人間が少ない分その濃さが深くなってしまい、その存在が失われた時の喪失感が普通の人よりも大きくなってしまうのかもしれませんね。人付きあいが苦手だけれど人は嫌いではないので、逆にたくさんの友人であふれていて適度な度合いで切り上げる力を持っている人が羨ましくもあります。
毎日精神的にも肉体的につらい日々が続いていますが、それでも作り置き料理を駆使しして何とか簡単な夕飯も作っています。ただ、現在の住んでいる家は間接照明で家が全体的に暗いのです。まあ、僕もDさんも日本のリビングダイニングのような高校と明かりがついているのは苦手なのですが、夕飯写真を撮ると必要以上にまずそうに見えてしまうので困っていました(笑)
基本的に僕の料理は見せる料理でもなんでもないのですが、それでも物凄くまずく映ってしまうので、こんな僕でも躊躇してしまっていてそれほど撮らなくなりました。それに以前はその夕飯の写真にCocoが映り込んで花を添えてくれていたが、最近はそれらもなくなりましたので全く夕飯写真は皆無となっておりました。
昔は自分の夕飯時も、僕たちの夕飯時も大興奮で喜んでいたものです。
あの頃はあんな時間が永遠に続く錯覚をしていましたね。
こんな時間がすぐそばにやってくるなんて思いもしていなかったのです。
動物を飼っている皆さん、何気ない幸せな時をしっかり心に刻んで素敵な時間をお過ごしください。
若かりし頃のCocoは夕飯がすべてでした~(笑)
Dさんの心から嬉しそうにCocoと接する声を聴くと切なくなってしまうなぁ・・・


全く食欲のないCocoですが、突然何かのきっかげで食欲が少しだけ戻ってくることがあります。それは今日の夕飯の時でした。僕が鶏の胸肉をBBQグリルで焼いて、アスパラガス、玉ねぎ、パプリカなどの野菜も一緒に焼いて低炭水化物の夕飯を作っていたのです。出来上がっていただきます~の時はぐっすりと眠っていたのに、暫くののちキッチンにチェックしに来てくれたのです。
僕たちが思うに、Cocoは自分の腫瘍がどんどん自分の体をむしばんでいくのを感じ取っているのでしょう。その腫瘍に体を乗っ取られて大きな痛みを感じるまに自分で自分の食べるものを制御して、大きな痛みの前に自分の負担を最小限に抑えようとしているのではないかのように見えます。しかしながら、そうかといってすぐにこの世から去りたいという気分がすべてであるわけでもないのでしょう。
食べ物食べないで、フラフラなのにこうして僕たちに寄り添ってくれる姿を見ると、なんといいますが、僕たちが物凄く落胆してしまう姿を見たくないがために一生懸命僕たちに付き合ってくれているような気さえしてしまいます。そしてふと見せるいつものような凛々しいがん力のある表情に僕たちは、そんなはずもないのにもしかしたらよくなるかも!?とそのたびに何度も淡い期待を抱いてしまっている毎日です。
自分にしてはこんな凝ったビデオも作ったのですね~
お肌もつやつやなCocoの姿をDさんと一緒に見て精いっぱいに笑いながら、同時に涙も流していました。


Coocのことに関しては電話してわざわざ告げるというものなんだしな~と言うことで、数日前に兄にLINEのメッセージでCocoの写真と共にCocoが病気になって、それが自分の予想をはるかに上回るレベルでショックを受けて自分でもびっくりしているんですよ~と送ったのです。同居している彼ならばさりげなく父にも僕の様子を伝えてくれるのではないかと思ったのです。
でも僕が考えたのは母と一緒に育てた母の思い出の詰まったその犬は、母が亡くなった後も父のそばに寄り添っていたこともあり、その柴犬を通して父は母の残像を見つけようとしていたのかもしれないということでした。そしてその柴犬さえも亡くなった時、父の喪失感は自分が思っていた以上のもの大きなものだったに違いありません。
その思いがもあり、愛犬が病気になった時に慌てて感情のコントロールがなかなか効かなかったと、かつての温泉旅行で話していましたから、Cocoにこんなことがあったと知り僕に真っ先に電話をしてくれたのでしょうね。優しいです。いつもは感情などほとんど表に出さない人が、半分涙声になって最後の最後まで一生懸命世話してやってあげてくれな、犬って言っても絶対家族だから、最後までしかり寄り添ってあげてくれと告げてくれました。
僕も、はい、最後の最後まで家族の一員として一緒にいますというと、うんうんと嬉しそうに答えてくれました。電話はそんなに長いものではありませんでしたが、彼の経験から僕に何かを一生懸命伝えようとしていることがよく伝わりました。こうして電話をくれたことにすごく心が温かくなりました。こういう気持ちってやはりペットをなくした経験がないとなかなか理解できないものなのだろうと今更ながら強く感じました。
そのCocoなのですが、ほとんど食べていない日が数日続いています。もう気力だけで生きているという感じさえします。この日も僕たちが出かけようとすると、しっぽを弱弱しく振りつつもついて来たいそぶりをするのです。それじゃ~散歩に行こうか?というと前よりもっと一生懸命しっぽを振るので予定変更して散歩にしてみました。
足つきはフラフラして、大丈夫なのだろうか?と思ってしまうのですが、それでも自分の意志で一生懸命歩いているので、ゆっくりと付き合うことにしました。近所の池のある公園をのんびり歩いたり、坂道はきつそうなので持ち上げてあげて外の空気を感じることができるいい散歩になりました。がんばっているね~Coco!この日も僕たちのために付き合ってくれてありがとう。
Cocoの過去ビデオより
お手の訓練中
初めてお手をした!
YouTubeがうまく稼働しないときはタイトルをクリックしてくださいね


用事を済ませて近所のいつもの散歩道に車を止めて散歩したいかと聞くと、これまたCocoなりのOKという反応をしたので、そのまま散歩してみました。散歩といっても本当に10メートルくらい歩く程度のあっけないものではありましたが、自分の足で立って歩いて、道の匂いを嗅いでおしっこをしている姿に僕たちは大きな喜びを感じました。
いたずらに、人間が延命という名目で犯してはいけないようなことのようにも思えたのです。Cocoの選択肢を尊厳するためにも無理やりに食べ物を食べさせるのはやめた方がいいという結論に至りました。もちろん、そこまでに行きつくには2人ともに大きな葛藤と疑問、疑念があったことは言うまでもありません。水と食べ物は常に用意しておいておきまして、数時間に一度は食べるかどうか手ですくって口に持って行ってあげますが、食べなかったら食べなかったで良しとしました。
ところが~!そんな僕たちの決断を揺るがすことがありました。僕たちがCocoが食べたいというものが全く思い当たらず、このまま何も食べさせないでいいのか悩んでいた時、Dさんが唐突にCocoはベーコンがすきに違いない!といきなり思い立ち、ベーコンを買いに行ってきたのです。なぜにベーコン??? 時々この人のこういう行動には不思議なものを感じます。ここまで病気で弱った犬がベーコンか⁉と笑いさえ禁じえませんでした。
あれま~マジですか⁉(笑)そんな訳でDさんがカリカリに焼いたベーコンを小さく砕いてCocoにあげたら美味しそうに食べたのです!本当にほんの少しだけでしたが、美味しそうに食べたのです。こんなこともあるのですね。Dさんの愛の力は偉大であるとまた証明されました~♪
Cocoってもともと台湾での野良犬なのですが、うちに来た時から家具はかじらないし、靴をかみ切ったりすることもなく聞き分けの酔い頭のいい子でありました。ゲイを仕込むと、もとい(ご心配なく!Cocoは女性です)・・・芸を仕込むと食べ物があるなら何でもやってのけていたような気がします(笑) このビデオはCocoによるHigh Fiveです。
何を仕込まれているのかわかっていないのでしょうけれど、一生懸命な姿が微笑ましいです。
YouTubeがうまく作動しなかったらこちらをクリックしてくださいね→(High Five)


おかげで丸々と太って元気いっぱいな姿を見せてくれています。
Dさんは僕がすごく弱っていることを気にかけてくれています。本当は自分もつらいのでしょうにいろいろと前向きなことを話しで元気つけてくれます。Cocoは幸せな人生だったよ~台湾で殺処分前に拾われて、犬大所帯の家にもらわれ、その後保護団体に譲渡されつつも、こうして海を越えてはるばるうちにやってきて、SabirnaさんやNicolas君にも優しく世話をしてもらえた。
ご飯だって人生の後半は家の手作りのごはんをもらえたし、毎日朝晩の散歩だって欠かさなかった、小さくても自分だけの裏庭だってあったのだから、こんな人生ならきっと不満はないはずだよ~と話してくれるし、いなくなる悲しさに心を向けるよりもCocoがどれだけ僕たちに素晴らしい時間や笑顔をもたらしてくれたの方をもっともっと思い出してみよう~と言ってくれますのでそうだよね!その方が絶対いいよね~と心が少し軽くなることができました。そうだよね!きっとそうだよ!Cocoはきっと不満なんでもうないのかもしれないねと、心に残る暗雲を消し去るように自分で自分を言い聞かせました。
Coco~散歩行きますか?と聞くと今まで以上にしっぽをぶんぶんと降って反応しましたので、それじゃ~と、もうできないと思っていたドライブ&散歩をしてみることにしました。やった~!また3人でドライブができたぞ~とDさんとウルウルしてしまいました。ドライブ中はCocoはうれしそうに外を眺めました(残念ながらDさんの撮影はピンボケでした~笑)。
車を止めて散歩道に来ました。
Cocoを車から降ろして散歩させてあげると、弱弱しくではありましたが自力で歩き、においをかいで、おしっこをして本当に短距離ではありましたが散歩をすることができました。よかったよかった~!
それの混乱をほぐすためにこうして書くことを自分に課して、自分の感情に整理をしているというのもあります。書くたびに感情移入が激しくなり、自分でも読んでいてこんなの公開していいのだろうか?恥ずかしいかもな~とも思ったりもするのですが、でも僕のブログの読者で実際に僕と会ったことのある人たちは多分10人にも満たないでしょう。それくらいなものです。
そんな訳で、かなり激情に任せて書き連ねていきますが笑って流してください。
最後の写真はドライブから帰ってきて、芝刈りをするDさんをじっと見つめるCocoの図であります。
前回のビデオが僕とDさんの間で物凄く受けましたので、また昔に撮った楽しいビデオを探して再アップしておきます~!
今日のビデオはCocoピーナッツバターを始めて食べるの巻き(←クリック)です


裏庭の芝生の上で眠るのが気持ち良いらしく、この日もおしっこ、投薬の後はそのままのんびりと眠りました。昨日僕はあまり眠れず、スマホのニュースを見ていたのですがこんな記事を見つけました。「犬を飼うと苦労の連続。でも…」記事の内容は基本的に犬を飼い始めた、男性がその経験を綴っているもので、覚悟がなければ犬を飼わないでほしいというような僕としてはごく当たり前の普通の記事でありました
最近は元気な犬を連れている人を見るたびに、少し嫉妬してしまう自分がいるのがわかりますから、こういう反応もしょうがないかな~なんて第三者的に自分を見たりもしています。この男性の話はどちらかというとどうでもよかったのですが、ただこの記事を採用してにこちらのサイトに乗せたと思われるライターさんの文章、特に最後の一文にぐっと心をつかまれた気がしました。
ASPCA(アメリカ動物虐待防止協会)の報告によると、アメリカでは毎年約650万匹のペットが動物保護施設に連れて来られ、年間で約150万匹が安楽死させられているということです。
そして飼い主がペットを手放す主な理由としては、ペットの問題行動や予想よりも大きくなりすぎたこと、また病気などが挙げられています。
ペットとの暮らしは楽しいことばかりではないでしょう。ペットは飼い主のいうことを聞かない時もあれば、病気になることもあります。
そのためペットを飼い始めた後で世話の大変さを知り、飼育放棄をする人がいます。
生き物を飼うということは命を預かるということ。その責任を果たす覚悟がないなら、安易にペットを飼うべきではないのでしょう。
ペットは私たちに無償の愛や癒しを与えてくれます。私たちはそんなペットを愛し、最後の瞬間まで寄り添うことでペットに恩返しができるのではないでしょうか。 そう~僕たちはCocoからたくさんの喜びも与えられましたし、育てることによって僕たちも大きく育てられました。つらいときには癒してもらうことができました。今Cocoが迎えるつらい時期に、僕たちは何が正しくて何をすべきなのか、毎日暗闇の中を手探りで進んているようで自分で、自分たちのやっていることに自信が持てない心境でした。
そんな心理的な状況時に、こうして最後の瞬間まで寄り添うことで無償の愛や癒しのお返しができるのではないかという言葉にすごくほっとすることができたのです。その言葉を信じて何も大きなことはできないものの、Dさんと共に最後までしっかりと寄り添ってあげたいと思えました。たかが犬なのに、自分が思っていた以上にがっつりCocoは僕たちの家族になっていました。
Dさんは赤ワイン、僕はシャンパンで、涙ぐみそうになる二人でしたが笑いながらCocoの命に、Cocoのすべてに乾杯~!してみました。
昔のこんなビデオを見つけまして、Dさんと2人で久しぶりにこれを見て大笑いしましたのでここでもアップしましょう。
Videoがうまく始まらな場合はこちらをクリックしてみてくださいな→(Cocoとチートス)


その理由は、喉が痛くて食欲もない本来の体に、いたずらに薬で無理やり腹ペコの状態にして食べることができないのに、無理やり食べたい状態にすることに抵抗を覚えていた僕たち2人なのです。もし自分が、食べることができない状態で、喉が詰まり食欲もないのに、無理やり薬で飢餓状態にされて自分でもコントロールが効かない状態を想像したら、恐ろしいと思えたからなのです。
ただその薬が少し厄介で、薬の効能が3~4時間程くらいしか持続しないのです。そのため真夜中にのどが痛み出すと苦しそうにせき込むCocoですので、ここところ午前2~5時の間一度は起きて投薬をしないといけないのです。ただでさえ睡眠障害的な傾向のある僕にとってこれは睡眠パターンを思い切り狂わせるものでしたので、なかなか休息が取れない状態だったのです。
それにCocoのことを考えると、居ても立っても居られないというか、お腹の中に何かざわざわするものが発生して精神的な安定を保つことが物凄く難しくなっていました。これはどこかで経験をしたことがあると考えた時、母親が治らない病気で悪化の一途をたどっていた時に抱えていたものとすごく似ていることに気が付きました。
Dさんが仕事に行ったあとのんびりと起きて、投薬。この投薬も中々の見込めず吐いててしまうことが多いのです。それでも何入れないよりはましかと思ってとりあえずあげることにしています。お昼はそれでもCocoと一緒にカフェの方へランチに出かけました。もうこの日は大好きだったドライブさえも楽しめることができないらしく、窓から顔を出して外を見ることなく、車のバックシートでぐったりと眠るだけでした。
最初はカフェの僕の席の隣に来てもらって座らせようとしたのですが、それでさえもあまり心地よい感じには見えなかったので車の中に戻したところしばらく僕の方を見ていましたが、やはりそのままぐったりと車の中で眠ってしまいました。食べ物は口にしない、散歩もできない、ドライブですら楽しむことができなくなり、僕たちはもうこのまま自然の流れに任せるしかないという境地です。
時の流れとは人にとって素晴らしいものをもたらしてくれますが、同時に冷酷で残酷な要素も持っているものだと改めて感じるようになっています。


菜の花さんもリリコさんという犬を飼っていまして、去年リリコさんはがんのため他界しています。そのせいもあるだろうし、Cocoとは結構な長い付き合いでもあるのでCocoのことをすごく気にしてくれていたのです。ですから、もう一度くらい会ってもらいたいという思いが僕たちにもありましたので、こうして会ってもらうことができてとっても嬉しく思いました。
食事中Cocoは薬のせいもあってぐっすりと眠りこんでいました。食事もほとんどとらないので骨と皮だけになってしまい大変可愛そうな姿でありますが、一生懸命生きています。僕は菜の花さんに、以前実家で飼っていた柴犬がいたのですが、その犬が亡くなった時も悲しかったのだが、今回のCocoのこの状態は、その時の悲しみの天と地の差があるのだよ~と話したのです。
特に僕たちには子供がいないので、その2人の初めての犬であるからCocoに対する思いが自分の子供のように強く感じられてしまうのだろうとのことでした。そういわれてみるとそうかもしれません。犬はしょせん犬という思いがあった自分にここまでCocoに強い思いが生まれるのは、そういった背景があるのだろうなと素直にうなずくことができました。
あ!Cocoが起きましたね(笑)。
菜の花さんに僕たちはCocoが食べることができなくてやせ細っていき、苦しそうにしている姿を見るのがつらい。でも、無理やりの延命処置もしたくないとのことを話すと、それはとっても自然な思いなのだといってくれました。ただ、どこかでその終わりの線引きをしなくてはいけないときが来るのでそれへの覚悟はしないといけないとも教えてくれました。
僕がCocoの病気とCocoを失うことにこれほど強く影響されて、これほどつらい思いをするのならもう二度と犬なんて飼いたいと思えないんですよと伝えると、菜の花さんはCocoはあなたたちに命を救われたのよ。そしていい人生を送ることができた。Cocoが亡くなってしまったとしても、まだまだ救える命があるのだからぜひ挑戦してほしいと言っていました。
こんな話をDさんと菜の花さんと3人で涙ぐみながら話していましたが、こういう話をして理解できる人とこうして話をすることができたのは僕にもDさんにとっても貴重な時間になりました。美味しい料理とシリアスな会話、本当にいい時間を過ごすことができました。Dさんもやはりここに来てよかったね~と喜んでいました。
菜の花さん、お忙しい中相手をしてくださり本当にありがとうございました。
菜の花さんは帰り際、僕たちにお土産を持たせてくれました。
家に帰って箱を開けてみると、色鮮やかな美味しそうなケーキの詰め合わせでした。
いつもいつも気を使ってくださり本当にありがとうございます。
菜の花さんカフェはこれらのケーキもすべてお店のキッチンで作っているとのことです。
どれも本当においしくて、少しすさんだ心に甘い気持ちを注ぐことができました。
Cocoが繋いでくれた素敵な縁がここにもありましたね。Cocoありがとう~


おかげで2人とも鉛の重りを頭の上に抱えているような感じで、鈍痛を伴う頭痛があり物凄く行き詰った空気に包まれていました。そこでDさんが、明日2人とも仕事を休んでCocoと一緒にのんびりと時間を過ごそうじゃないか~!?と提案してきました。僕もそれには賛成でしたが、仕事のスケジュール上どうしようかと悩んでいて即答はできずにいたのです。
最初の提案はCocoが最初に米国にやってきたときに住んでいた家の近所にある公園へ行くことでした。毎日朝晩の散歩をした公園へ行ってCocoに昔の散歩ルートを楽しませてあげることでした。家ではぐったりと寝ているだけでしたので、散歩ができるかどうかは不明でした。しかしこれほど調子の悪いCocoですが、車に乗ることには全く抵抗がないのでそちらまでドライブ~!
正直って足取りはおぼつかないものではありましたがそれでもこの公園をのんびりと時間をかけて3人で気持ちの良い散歩をすることができました。こちらの近所に住んでいた当時は何百回と歩いた散歩道で、Dさんと僕はたぶんもうここには来ることがないと思うと涙が出てしまいましたが、最後の記念撮影も撮ってみました。相変わらずCocoは写真目線が下手でありました。
この後はランチに出かけることにしました。Dさんは近所でこのまま済ませよう~と言ってきたのですが僕が、せっかくの気分転換だから近所ではなくいつもなかなかいけないところでゴージャスなランチを取りたい~!!と提案。じゃあどこへ行くの?と聞かれたので、僕たちのお気に入りのあのカフェでランチを取ろうじゃないか~と言うことになりました。
もしかしたら薬で少しハイになって、空でも飛んでいるかのような錯覚になっていたかもね~と2人で笑っていました。もちろんのことながらCocoが飛び出ないようにハーネスを付け、散歩紐をしっかりと握っていましたのでご心配なく!
続く


以前友人に教えてもらったセカンドオピニオンの獣医さんが、痛み止めが必要ならいつでも処方するからと言ってくれていたので、メールで痛み止めの処方を依頼したらすぐに処方してくれるとのことでした。こういう機敏な対応は大変うれしいものです。家から少し遠いのですが、家でぐったりしているCocoを無理やり連れだして出かけてみることにしました。
動物病院に到着すると薬はしっかりと準備できていまして、使用上の注意や処方の仕方を聞いて料金を払いお礼を言って後にしました。今思うとやはりセカンドオピニオンの診察をしてもらってよかったなと心から思えます。Cocoの病状に関しては両方とも同じ診断だったので、僕たちも自信を持つことができましたし、主治医とは違った対応をしてくれましたのですごく心強いものであります。
メインにDさんはサーモンサンドイッチ、僕はBLTを頼みました。どこにでもあるありきたりなサンドイッチではありますが、両方とも大変美味しく調理してあって大満足でありました。このお店なら、少し遠いですが何かの機会にまた来てもいいよね~と思えるくらいいい感じの空間と料理でありました!
車の方に戻ってCocoを見てみるとぐっすり?とぐったり?と眠っていましたので散歩に誘ってみると、しっぽを振って反応していたのでちょこっとだけ海の見える近所を散策してみることにしました。朝晩の散歩を拒否するようになったCocoでありますのでこうして散歩をしてくれる姿を見ると僕もDさんもとっても嬉しくなります。
家の中でのんびりもいいですが、こうして外の空気を吸うこともとってもいいですね。
この日の夜はドライブと散歩がよかったのか、夕飯には鶏のささ身も食べてくれました。


人間ってちゃっかりしたもので、永遠に続きそうな時間には無頓着な癖に、それに限りがあると感じた途端同じものでも今まで以上に愛着を感じてしまうものなのですね。もっともっと前からこんな風景をありがたく感じることができたらよかったのにと後悔を感じでしまいます。
さて、Cocoの熱い視線が功を奏したのかどうかは定かではありませんが、芝を刈った後のDさんはCocoにスクランブルエッグを作る~!!となぜか意気込んで家の中に戻ってきまして、さっそく自分でCocoのためにスクランブルエッグを作り始めました。自分のスクランブルエッグでさえごくたまにしか作らないのに・・・Cocoが何かの念を送ったとしか考えられません(笑) 愛の力は偉大です!
ここのところ、Cocoに関してはつらい出来事ばかりが続いていましたので、これには僕もDさんもほっこりすることができました~。


ここ数日に近所の木蓮、梅、桃などの花が一斉に咲きだしましてとってもきれいな眺めになっています。せっかくですのでCocoに無理やりこちらに立ってもらい記念撮影を一枚撮らせてもらいました。これはきっと白梅ですね~青い空に白い花が映え、隣のアロエ系の鮮やかなオレンジの花とのコントラストが素敵に映りました!
散歩に帰ってきても食欲はあまりありませんで、そのまま裏庭に行って昼寝になってしまいました。いろいろなものをだましだましあげているのですが、これといって食いつきがいいものがあまりなく、昨日しっかり食べたものなのに今日になると全く興味を示さなくなってしまったりして、こちらの方の手札がほとんど尽きかけているので焦ってしまっています。
さて、少し話題を変えまして~僕は日系の団体でちょこっとだけボランティアをしているのですが、そこで同じくボランティアをしている方から、別の日系団体でファンドレイジングのイベントがあるからチケットを買ってくれないかと打診されました。そのイベントはカニの食べ放題ということでしたので、Dさんの分のチケットも購入してみました~!
多忙のためしばらくの間コメント欄は閉じさせていただきます。Cocoの方には残された時間が本当にわずかしかないことをDさんと共に強く感じています。皆さんの温かいコメントを読んで、毎日Dさんとウルウルしてしまっていますが、たくさんの力強さを感じさせてもらっています。本当にありがとうございます


・・・といっても、今回はそれほどHappyな気分ではないHappy Hourでありました。Cocoの調子があまりにもよくないので、Cocoがまだ外に出かけられるうちに、そこまで悲しい姿でないうちにCocoの世話をしてくれた人たちにCocoに会ってもらおうと思ったからなのです。ここによく登場するSabrinaさんとの出会いはCocoを通しての出会いであります。
Cocoの体調が悪くなったのは僕たちにしてみるとあっという間でしたので、Sabrinaさんを心配させたくないという気持ちもあり、彼女には詳しいことは伝えずにおいていたのです。しかしこの状況を見てみると、早めにあってもらった方がいいと思い今回のHappy Hourを企画しました。彼女にDさんがCocoの状況を説明しましたところ、Sabrinaさんはとっても悲しそうでした。
僕たちが休暇に出かけるとSabrinaさんはうちに泊まり込みでCocoの世話をしてくれていました。僕たちはそれほどうるさい人間ではないので、Sabrinaさんに友人を呼んでもいいし好きに楽しんでくださいといっていたので、彼女の友人が数人うちに来てお泊り会のようなものを開いてCocoの世話をしてくれていたのです。Cocoは人と出会うのが好きですから大喜びだったことでしょう~!
Happy Hourは楽しく、また皆さんとの再会を願って終了しました。Cocoは少し気分がよかったらしく皆さんとのHappy Hourの後、夕陽を見ながらの散歩も楽しめました。犬の人生を見ていると人間の人生の縮図を見せられているような感じになります。若くてヤンチャで元気いっぱいだった頃、成熟して安定して楽しい時期だった頃、そして衰えが見え始め病気になり、一気に悪化する体調。
自分より若かった子供が、いつの間にか自分の実年齢を通り越して、自分の親よりも年を取っていくのを目の当たりに見ているようです。僕たちには子供がいないし、人間の子供と同等に見るのは申し訳ないのですが、自分の子供が先に亡くなるのを見る現象が時々親にも起こりますが、それに似ているのかもな~と漠然と思ったりします。
あと何回日本に行って父親と温泉に入れるだろう。
何度満開の桜を望むことができるのだろう。
Cocoの終活を手伝っていろいろなことを思ってしまう中年男子2人でした。
(YouTubeのコメント欄にあった和訳を載せておきましょう)
I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
20歳になった時は全てが楽しかったわね。
あなたは「素晴らしいのは30歳よ」と言うし、
みんなは「自分を愛おしく思えるのは40歳よ」と言うけど、
…でも50歳も悪くはないわよ。
I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say it's still good to be 80
But I'll maybe live over 90
「元気な60歳になりたいわ」と言ったら、
あなたは「70歳になっても大丈夫よ」っていうし、
みんなは「80歳になったってまだまだ楽しいわよ」と言うけど、
…でも私は90歳を過ぎても生きてくつもりなのよ。
I say it's sad to get weak You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
歳を重ねて弱っていくのは悲しいことだって言えるのかもね。
あなたも「老いていくのは辛いことよね」って言うし、
みんなも「人生には何の意味も無いのよ」って言うけど、
…それでも私は「生きることは価値があること」だって信じているの。


肝臓が体内の毒素をろ過しきれないので、その毒素が腎臓の方へ行き腎臓が必要以上に機能を果たそうとしてオーバーウォークの状態になり、その上その毒素自体が腎臓を攻撃してしまうので結果、こういうコーヒー色の尿が出てしまうとのことでした。つまり今Cocoは肝臓だけでなく腎臓の機能も低下しているとのことでした。
何とか食べてもらおうと、こちらのコメント欄で教えていただいたスープを作ったのですが、それにも見向きもしないので手の打ちようがなくDさんと2人で困っています。咽喉が苦しいのか、肝臓、腎臓のためなのかわかりませんが、夜中に何度も起きて苦しそうな姿を見ると、こちらの胸が張り裂けそうです。
こんなCocoの姿を見ていると、何もできない自分たちがもどかしいです。しかし同時に、体調が悪く苦しそうな調子てこれ以上積極的な治療というか延命処置をするのもかわいそうな気がしてしまい、いったい何をしていいのかわからない状態です。ただこのままこの状態が続けば、そんなに長くないだろうというのは僕とDさんの間で無言のうちにしっかりと感じています。


↓何人ここにいるのかな?
人です。。。

<(_ _*)>
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